2021年12月4日土曜日

ハイブリッド戦争の時代(志田淳二郎著)

はじめに

昨今はハイブリッド戦争という言葉が、国際政治や安全保障の世界で頻繁に出現します。

しかし、この定義は定かではない部分があります。ハイブリッド戦争とは何なのか、特色はどこにあるのか、そして我が国日本がその戦争を生き残れるのか。そのことを考えるため、この分野で数少ない邦書を手に取りました。


あらすじ


ハイブリッド戦争とは何か


ハイブリッド戦争の概念自体は、2000年代から米海兵隊によって始まったそうです。
この時の定義では、国家主体・非国家主体が、通常兵力、非正規戦術、テロリスト、犯罪、秩序攪乱行為などの様々な形態に及ぶものとし、第二次レバノン戦争をプロトタイプとして挙げました。

本格的にハイブリッド戦争というものへの危機感が米国やNATO諸国で共有されるきっかけとなったのが2014年のウクライナ危機です。これらを契機とし、2016年に欧州委員会が出した定義は、「宣戦布告がなされる戦争の敷居よりも低い状態で、国家または非国家主体が、特定の目的を達成するために行う(中略)伝統的手法、あるいは外交・軍事・経済・技術など非伝統的手法との混合」となります。

ここでのポイントは「戦争の敷居よりも低い状態」であり、正規軍同士の戦争よりも前の段階で脅威となっていることにあると指摘し、単なるマルチドメイン作戦(電子戦、サイバー戦と通常兵力の結びつき)とは異なる概念だと筆者は指摘します。
これは、防衛白書において「ハイブリッド戦は軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧にした現状変更の手法」として定義されており、「外形上、武力の行使と明確には認定しがたい手段をとることにより、軍の初動対応を遅らせるなど相手方の対応を困難なものにするとともに、自国の関与を否定するねらいがある」とも言及されています。

その上で、日本で発売されている廣瀬陽子氏の「ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略」は、このような先行研究に則ったものではないとして批判しています。


ロシアのクリミア併合作戦


本書ではロシア・支那のハイブリッド戦争について具体的な事例が挙げられています。
その中で、まずは現在のハイブリッド戦争という概念が確立する契機となった、2014年のクリミア併合作戦についてまとめてみます。

元々クリミア半島のあるウクライナは、ソ連からの独立後は中立という立場でしたが、2004年にオレンジ革命で新政権が発足するとNATOやEUへ接近していく形となり、ロシアとの関係は悪化していました。その後のヤヌコヴィッチ政権で対露関係を改善していたものの、この時にEUとの連合協定交渉を一時中止したこと契機に、EU派の市民による抗議デモがはじまります。これが警察との暴力衝突になり、極右やネオナチも現れ、過激化し、ヤヌコヴィッチ氏はロシアへ逃亡することになります。
契機となったEUとの交渉中止の背景には、ロシアの経済・サイバー・軍事の各方面からの圧力があったとします。

このようなクリミア危機の中、2014年2月27日、「リトル・グリーン・メン」という記章をつけず、覆面をし、迷彩柄の戦闘服に身を包んだ完全装備の集団が突如出現します。これは、地元の自警団を自称し、クリミア自治共和国の拠点を占拠しロシア国旗を掲げ、さらに空港や航空管制、放送局、通信ネットワークなどのインフラを制圧します。
ウクライナ政府は混乱し、ウクライナ軍は交戦命令を受けていないため、「リトル・グリーン・メン」とは交戦することはなかったそうです。

その後、3月1日は、クリミアのロシア系住民保護を名目に、ロシア軍をウクライナ領内に展開することをロシア上院が承認し、3月6日にはロシアの実効支配が強まる中、クリミア自治共和国がロシアへの編入を求める決議を採択しています。

この中でハイブリッド的手法を抜粋すると
  • ウクライナ経済はロシア依存度が高い。
  • エネルギー供給はロシアに偏っていた。
  • クリミア半島の分離主義者への資金援助。
  • ロシア国営メディアやSNSで、親露的言説・偽情報・反西欧感情を拡散。
  • ウクライナとNATO・EUの足並みを乱すための「歴史戦」
  • ウクライナ政府やメディアの方か、ポーランド・EU・NATOへのサイバー攻撃
などが挙げられます。

これ以降、米欧の安全保障専門家ではハイブリッド戦争への関心が急速に高まりました。
正体不明の「リトル・グリーン・メン」が突如出現し、領土一体性を侵害する行動取った場合に、集団的自衛権は発動されるのか。発動するとして、誰に対して発動するのかという点が大きな課題となるからです。
この後、ロシアは平時~グレーゾーンに対するハイブリッド戦争を中東欧に仕掛けていきます。


考察


本書を読めば、ハイブリッド戦争の問題点が「グレーゾーン」にあるということわかります。支那やロシアの様な、独裁的あるいは人治国家であれば、法的な妥当性や整合性を無視して、自国の利益に叶う行動を取ることが可能です。
しかし、民主主義国家は法に基づいて運用されているものであり、その法律が想定していなかったり、枠外にあったり、曖昧な部分について、対応が遅れてしまうことになります。

例えば、「歴史戦」のプロパガンダや偽情報の拡散により政府への信頼を、外国が意図的に行っているとしたら、これは非常に問題です。支那のような独裁国家であれば、簡単に遮断できますし、他国に対しては躊躇なく行うことができます。しかし、日本のような民主主義国家では表現の自由という大原則がある以上、根拠なく遮断することはできません。


つまり、民主主義国家は、構造的にハイブリッド戦争に弱いわけです。独裁国家が民主主義国家を弱体化させるために編み出した手法なので、当然かもしれませんが。

では、その上でどうやってハイブリッド戦争に対応していくのかということですが、これは特別なことはないのではないかということです。
本書で出てきたクリミア併合の特殊性としては、元々クリミア自体の歴史的な経緯やロシア系住民が住んでいたこと、民主主義国家における集団的防衛の枠組みから外れていたこと、ウクライナという国家自体が極めてロシア依存度が高いことなどが挙げられます。
これからわかることは、このような事態の逆を目指すことです。

つまり、
  • 自国で必要な軍事・情報収集・諜報・防諜・サイバーに関する能力を持つ。
  • 経済・エネルギー・食料等の外国依存度を下げ、アウタルキーを確立する。
  • 戦略的利益を共有する自由・民主主義陣営の各国と協力していく。
  • 不必要な外国人の流入を抑止する。
という点に尽きるのではないでしょうか。

自国の能力が低いことや他国との協力関係が不十分であることは、敵性国家からは「隙」と見なされる可能性が高く、ハイブリッド戦争を仕掛けるハードルが下がります。
また、自国の能力が低いことやアウタルキーを確立できず外国への依存度が高いほど、ハイブリッド戦争の成功率をあげると考えられます。

しかし、今の日本ではクリミアタイプのハイブリッド戦争が起こる可能性は低いと思います。
観光客やビジネスマンになりすまし入国させ、人数を集結させることは容易ですが、さすがに完全武装というのは日本では難しいでしょう。
ただ、国内に外国人を増やせば増やすほど、外国人が居ても違和感を感じなくなるため、外国人が集結し、騒擾を起こすというのは容易になります。過去に靖国神社で朝鮮人がトイレに爆発物を仕掛けた事件がありましたが、個人でこのくらい起こせるのならば、外国政府が組織的に行えば、かなりのダメージを与えることが可能ではないかと考えます。

今は武漢肺炎という大義名分があり、防疫を理由とした入国制限が容易になっている、ある意味ボーナスステージみたいな時期です。こういう時こそ、国内の外国人を減らす好機ではないと思うのですが、どうでしょう。


もう一つ考えられる対策としては国民の側が、ハイブリッド戦争という存在・内容を知っておくことです。
旧来の通常戦争や国家間の安全保障では、一般の国民についてはあまり関係ないことが多かったと思います。
グローバリゼーションの進行で地経学とか経済安全保障といったものが出現しました。経済という一般国民の日常の営みの中に外国の魔の手が及ぶようになったのです。

同様にハイブリッド戦争にも、経済安全保障の概念は関わりますし、プロパガンダ・フェイクニュースといった手法は、大衆をターゲットとするわけですから、直接的に人命を脅かされるものではないとはいえ、国民一人一人が攻撃対象とされているという意識を持つべきであると言わざるを得ないわけです。

そして民主主義国家は、選挙で政治家を選んだり、退場させることが可能です。だからこそ、ハイブリッド戦争や経済安全保障といった最新の安全保障に対応できない者は退場させるという自浄作用を働かせることで、独裁国家に対抗していくしかありません。そのためには、国民の意識が重要なのです。
2021年11月7日日曜日

新装完全版 大国政治の悲劇(ジョン・J・ミアシャイマー著)

新装完全版
"
今、最も注目すべき国際政治学者ミアシャイマーの主著。 原著オリジナル版に書き下ろし「日本語版に寄せて」を加え、 2014年改訂版ヴァージョンの最終章「中国は平和的に台頭できるか?」も収載。 訳者奥山真司による解説も充実。
"

はじめに


ミアシャイマーは、リアリズムの国際学者の中でも攻撃的現実主義(オフェンシヴ・リアリズム)を提唱する学者です。

そのミアシャイマーが、過去200年間、ナポレオン時代以降の欧州の事例を基に、自身の理論であるオフェンシヴ・リアリズムを分析・検証していくのが本書です。

また、本書にはミアシャイマーが自身の理論を基に、支那が平和的に台頭できるのかと言う点も検証しており、日本人にとって非常に有益な本です。


内容


オフェンシブ・リアリズムとは何か


まずは、ミアシャイマーの理論であるオフェンシブ・リアリズムが、今までのリアリズム(ディフェンシブ・リアリズム)とは何が違うのか。

元々リアリズムには、国際システムがアナーキーであること、その中で各国は生き残りを目指すという仮定の元で理論を構成していました。

その中にミアシャイマーは、大国が攻撃的な軍事力を持っている(軍事力を攻撃的、防御的と決めることはできない)、大国は相手国の意図を完全に把握できない、大国は合理的な行動を取るという3つの仮定を追加し、その結果として大国は生き残りのために攻撃的になるということで、オフェンシブ・リアリズムを提唱しています。

その上で大国の目標は、地域覇権国になることだとします。これを歴史上達成した国は米国しかありません。地域覇権国になると相対的に周りに強い国がなくなるため生き残りは保障されたも同然となり、またその上の世界覇権を目指すとなると戦力の投射が困難となり、このような国は今後も現れそうにないとします。

ディフェンシブ・リアリズムとの違いは、国家は現状維持ではなくパワーを求めることとしており、パワーの拡大を各国の内部構造や政治指導者の意思ではなく、国際システムの構造に求めている点が特徴となります。

パワーとは何か


大国が求めるパワーとは何かと言う点について、ミアシャイマーは殆どの場合は相対的な軍事力であるとします。
パワーは、潜在的なものと実質的なものに分かれますが、前者は人口や経済の規模であり、どの程度の軍事力を作り上げられるか、後者は陸軍を中心とし、それを補完する海空軍の規模を示します。
そして、大国は相手の「意図」が完全にわからないため、相手の「能力」に対して、バランスを取ろうとします。


支那は平和的に台頭できるか


ミアシャイマーは、自身の理論から、今後の支那については、劇的な経済成長を遂げ、潜在覇権国となれば、米国のような地域覇権国を目指すはずだとします。
そのためのパワーを最大化する際に対象となる周辺国は、インド・日本・露国を挙げます。

そして、支那が強大化すれば、アメリカのモンロー・ドクトリンのようにアジア一帯から外部の大国(つまり米国)を追い出すことを実現するとします。
さらに、地域覇権の確立の他に、アジア以外での戦略的利益の追求も行うとし、南北アメリカの政府に介入し、米政府に被害を蒙らせることで、米軍が世界で自由に活動できないようにします。

このような支那の台頭に対し、米国はどう対応するか。歴史上、米国はその他の大国の出現を許さず、世界唯一の地域覇権国と言う立場を崩していない。そのため、最終的には支那封じ込めのためのバランシング同盟を主導し、インド、日本、露国から、シンガポールやベトナムといって中小国まで参加する可能性があるようです。

一方、支那を抑えるほどの国が近くにないことやバランシング同盟に参加する各国の隔たりが大きいことから、バック・パッシングを行って支那への対抗を他国に肩代わりさせる方法は取らないだろうとします。

支那がこのようなオフェンシブ・リアリズムに基づく行動を取らないという反論についてもミアシャイマーは触れています。
一つは支那の文化的な側面によるもの。支那の政府担当者等が言う、「儒教理論」です。これは、その様な行動を行ってきた証拠が無い一方、支那がリアリズムによって動いてきた歴史を豊富に持っているということで反論しています。
もう一つが経済の相互依存です。これは、生き残れなければ経済的繁栄は存在しないというロジックで反論が終わっています。実際に、第一次世界大戦前についても経済的な依存関係や繁栄があったが、戦争になったという歴史もあります。
さらに、ナショナリズムに対し、経済は優先度低くなるだろうという事も指摘します。


考察


ミアシャイマーのオフェンシブ・リアリズムが優れている点は、個人的には国家の内部構造や指導者に戦争の原因を求めていないことにあると思います。

国家の内部構造については、他国の内部構造を完全に分析することは難しく、また政治の複雑さから単純化してわかりやすい理論になりにくいと思いますし、指導者個人に求めてしまうと理論として一般化できていないのではないでしょうか。

その上で今の日本を取り巻く環境を踏まえると、支那という潜在覇権国が出現した多極システム(支那・米国・露国・インド)という見方をミアシャイマーはしていますが、まさにその通りだと思います。
ミアシャイマーは核を持てば日本も大国にカウントされるとしていますが、個人的にはそうと難しいと思います。核を持つことの物理的技術的ハードルだけではなく、法や輿論の問題がありますし、そもそもランドパワーも大幅に劣るため、大国の地位になるには、相当な方針転換が必要でしょう。

ところで、日本をカウントするか別としても、結局東アジアは不安定な多極システムであり、これはミアシャイマーの分析では一番戦争のリスクが高い状態です。
核兵器の存在する状態における不安定な多極システムは、歴史上存在しない(核兵器が出来て相互確証破壊の概念が出来たのは冷戦以降)ため、これがどうなるのかはわからないところです。

実際にその時代を生きる身としては、わからないからこそ歴史の流れ、理論に従って行動していくことが、比較的安全を守りやすいのではないでしょうか。
つまり、相手の「能力」に対し、バランスを取ることです。幸い、バランシング同盟は、ある程度形になりつつあります。しかし、肝心の日本自身が殆ど実質的パワーを持たない状況であり、米軍の存在と海を隔てていることにより戦力の投射が妨げられていることで辛うじて命脈を繋ぐ有様です。
本書の様なものが広がり、少しでも安全保障に関する国際的な潮流を理解する人が増えることを願うばかりです。


こちらの本もお勧めです。

中国の「核」が世界を制す(伊藤貫著)
"悪の論理"で世界は動く!(奥山真司著)
「地政学」は殺傷力のある武器である。(兵頭二十八著)
2021年11月1日月曜日

選挙の総括

はじめに



2021年の衆院選は全ての議席が出そろいました。
自民党は261、公明を合わせると293ということで多少減ったとはいえ、与党で安定的な議席を確保したという結果でしょう。

いわゆる”立憲共産党”は議席を減らす結果となり、代わりに維新が台頭しました。
今まで自民党は得票を増やすためには、左傾化を続けていく方向でした。
これは、自民党より右よりの政党は実質的に存在せず、左側の民主党系から奪うことが求められていたからでしょう。
維新は、細かい部分は色々あれども、初めて自民党と同じかそれより右寄りの野党として、一定の勢力を確保したと言えます。
これで自民党の左傾化に一定のブレーキがかかればよいかなとは思います。


落ちた人から考えよう


さて、実質的には何も変わらなかったように見える選挙ですが、この選挙で落選した人を見ると何が国民が否定されたのか、少しは見えてくるのではないでしょうか。
もちろん個々の選挙区事情もありますので、落選した理由がこれだということはわかりませんし、こじつけ的な部分もあると思います。

予め断りますが、ここにおける「落選」は小選挙区のものであり、比例復活している議員も含むことをご承知おきください。
また、文中敬称略とします。


高齢・多選


毎回否定的な意味で話題になるこのワードですが、今回は大物が落選したことで話題になりました。
与党で言えば、野田毅や原田義昭などの70代以上の候補が落選している他、80歳の衛藤征士郎や74歳の林幹雄あたりが大接戦になっています。
野党はさらに衝撃で、小沢一郎と中村喜四郎の両者が比例復活とはいえ選挙区で落選しています。
個人的には、高齢・多選がすなわち悪と言うほど短絡的な発想はしていませんが、停滞する日本で同じ人物が政治家を続けるということの是非が厳しく見られている傾向は見て取れるのではないでしょうか。


増税


今回の選挙では増税に前向きな議員も落選しています。
筆頭は先ほども出ましたが野田毅でしょう。野田氏は大蔵官僚から自民党の税調会長等を務めていましたが、コテコテの増税派です。(負かした相手も元財務官僚なのですが)

また、東京で落選した石原兄弟も増税派と言えるのではないでしょうか。特に弟の方は、発言でネットが炎上していました。

福岡では、金融所得課税について20%から25%へ増税でも市場害さずとブルームバーグで流された山本幸三が落選しました。これは、本人の真意ではなく、先々の話として25%に上げても影響がないということいったと上念司氏のネット動画で説明していましたが、ブルームバーグの記事はアドバルーン的な意味もあったのかもしれません。
リフレ派、アベノミクスのブレーンということもあり、増税派という感じでもありませんが、否定的に見られた側面がありそうです。


レジ袋有料化


レジ袋有料化といえば、小泉進次郎ですが、彼は残念ながら楽々当選です。
しかし、本当にレジ袋有料化を決めた人物が落選しました。その名は原田義昭。
原田が環境大臣の時にレジ袋有料化の方針を決めており、2018年に会見で述べています。小泉進次郎は後任の環境大臣であり、実施時期にたまたま在任していたということになります。

レジ袋有料化は、環境問題に対して実際には殆ど意味が無いことや消費者・小売業者の負担が大きいこと、マイバックの方が実は環境負荷が大きい可能性が高いことなどの問題もありますが、最大の問題はこれが法律になっていないこと。
これだけ市民生活に影響が大きく、また憲法の定める営業の自由等に抵触する恐れもあるレジ袋有料化を法律にすらせずに省令と言う方法で実現してしまった元凶である原田に審判が下るのは必然といっても過言ではないような気がします。


不適切発言


不適切な発言で話題になった人も多数落選となりました。
最も有名?かもしれないのは、桜田義孝。最終的には同僚議員を「復興より大事」という発言で更迭されましたが、サイバーセキュリティ担当大臣としての衝撃的の答弁の数々は失笑では済まされないものがありました。まあ、人選の問題も大きそうですが。
イメージ悪化は免れず、対立候補に大差で敗北したものの、最下位で比例復活を果たしたようです。

個人的に重大だと思ったのが、中山泰秀。この人の落選は個人的に最も良かったかもしれないと思います。
マスコミが取り上げていませんので、何が問題なのか記載しましょう。
1つ目が、防衛副大臣という公職にありながら、イスラエルに一方的に肩入れる発言を「個人的に」にしたこと。このツイートは削除されていますが、削除したということがニュースになっています。問題点については、過去にツイートで指摘していますので、そちらに譲ります。

2つ目が、 小林賢太郎氏という五輪関連で問題になった人物について、海外の人権団体に連絡した件。


さらにダメ押しの3つ目が、台湾を兄弟と言ったこと。 


実際には維新が強いことや大阪府連が過去に共産党とまで手を組んだこと等の地域事情による面が大きいとは思うが、このような不見識な人物が落選したことは良かったという他はない。 


野党では辻元清美が落選した。しかも比例復活もできずに。この人の不適切発言はもう改めて取り上げるまでもないくらいだろう。


選挙制度はどうなのか


小選挙区比例代表並立制も既に20年を超えてきましたが、そろそろ制度について議論されるべきところに来ている気がします。まあ、その制度で当選している人が議員である以上、買えるのは容易ではないと思いますが。

私見ですが、小選挙区の問題は、同一選挙区から1人しか当選しないため、実際に有権者が選べる選択肢に限りがあることです。これは、副次的に下記の問題を引き起こします。
  • 党の看板だけで当選するため、「人間」としての審判が有権者によってしにくい。
  • 党の公認権が既得権益と化すため、世襲や多選への抑止が働きにくい。
  • 自公や立共のような政策や有権者を無視した連立が成立しやすくなる。
これは、過去に中選挙区制で、1選挙区から複数当選者が出るため、同じ政党間の候補では政策に違いをつけにくく、実弾(お金)が飛んだことからのアンチテーゼで起こった制度だと理解しています。
実弾を肯定する気はありませんが、党の公認という内部に問題を隠しただけであり、本質的な解決にならないどころか、余計ややこしくしたという評価になるのではないでしょうか。
もう一つは政権交代の起こらない制度を起こりやすくするという側面がありました。しかし、これは結局のところ野党勢力の問題であり、選挙制度の問題ではなかったのでしょう。

衆院の比例制度の問題は、参院のそれと違い、人名を書くことがないため、有権者の人物に対する審判が効かないこと、そして小選挙区と重複立候補出来るため、完全に救済措置と化していることです。


個人的にあるべき選挙制度としては、
  • 党より人を選ぶ制度。
  • 地域より国家に奉仕する議員を選ぶ制度。
  • 有権者の審判は当選だけでなく、落選にもあり、復活出来ない制度。
  • 可能な限り、一票の公平性を重視した制度。
だと思います。

現在の制度は政権交代を起こすという発想に基づき作られており、人より党を選ぶ側面が強いです。
しかし、政党はそもそも憲法の規定外の存在であり、政治家の都合で如何様にもなるものです。実際、特に野党系では前回の選挙と今回の選挙で同じ人の看板が異なるケースはざらです。
また、政党という一つの組織においても、掲げている政策は様々であり、議員によっても様々です。私はそのような政党の内部に対し、投票という手段で有権者が影響を与えていくことが出来て然るべきだと思います。特に自民党のような与党かつ巨大な政党であれば、自身が望む政策を実現する可能性が高い候補を当選させていくことにより、党の方向性ひいては国の方向性をコントロールしていくことができるわけです。

もう一つは地域と議員のつながりです。今の小選挙区制は、否応なしにそれが強制されます。そのこと自体を否定するつもりはありませんが、国家レベルそして地球全体のレベルでの問題にかかわる国会議員が、地元に貢献しているからと当選ということで選ばれるのが果たして妥当なのかということです。
しかも、比例のブロックは少し大きいため、地元の候補ではない人を救うことになります。極端な例を言えば、今回静岡5区で落選した自民候補は、選挙区ではダブルスコアで地元からNOとなっていたのにも拘らず、愛知県等を含む東海ブロックとしては復活するということがありました。極端に言えば、静岡で否定された人を愛知の票で復活させたのです。

かつてはネットもありませんでしたから、全国に政策や人物を売り込むことは難しかったです。そのため全国区で当選するには何らかの団体の力か、あるいはタレントのように元々知名度がある人かのどちらかでないと難しかったでしょう。
しかし、今の世の中でそれができないとは思えません。二院あるわけですから、片方(参院)は地域代表として都道府県の選挙区とし、衆院は全議員単一選挙区としても良いのではないかと思う次第です。


おまけ

求める公約を途中まで書いて飽きてしまったので、放置していました。
それを途中までということで記録しておきます。

国防・安全保障


国家で最も重要な役割は国防です。
防衛の基本原則は、以下です。
  • 日本をリアリズムの基本原則を以って防衛する。
  • 日米同盟を基軸とし、自由主義・資本主義の各国を中心に、利害が一致する幅広い国家と協力していく一方、全ての国が敵性国家になることを考慮した戦略を練っていく。
  • 日本の国民や領土、経済的主権を脅かす、支那・朝鮮・ロシアを敵性国家と認定する。
  • 現況は、日本の軍事力が適切なものではなく、特に敵性国家が保持する核兵器を持たないことが、東アジア一帯が特に危険なものと考える。
  • 核兵器廃絶については、特に世界に平和をもたらすものとは考えず、特に求めない。ただし、現核保有国全てが検証可能かつ不可逆的な全核兵器の破棄を行う場合には、同調する。
  • 環境問題については、地球の持続可能性を高めることのみに限らず、経済分野を中心とした安全保障問題と捉え、日本のプレゼンスを高めるよう、国際的なゲームルールを策定する主導権を確保する。

そのため、今後4年の対応として、以下を考えます。
  • 憲法9条及び前文の実態に合わない平和主義を全面的に破棄し、適切な軍事力に守られた日本国内の平和を確保する。
  • 非核三原則を破棄し、自国の意思のみで発射できる核兵器の保有を目指す。
  • 防衛費のGDP1%という方針を破棄し、必要な国防費を捻出できるようにする。
  • スパイ防止法を策定し、国内における他国の諜報機関の暗躍を抑止し、先進諸国と同レベルの防諜能力を確保する。
  • 核兵器、サイバー分野、宇宙分野を国防に関する重点投資分野として、敵性国家に対する相対的優位を目指す。
  • 支那については、非人道性の指摘や過剰な軍拡、環境破壊を国際問題として世に問い、経済的な理由で支那に加担する国家や企業、勢力を1つでも引きはがすよう外交努力を続ける。
  • 環境問題を中心に、支那や欧州がゲームルールを策定する状況を打破し、日本の経済的利益の確保及び支那の孤立化を目指した、新しいゲームルールの策定を目指し、協力できる各国との連携を目指す。
  • 基軸となる現行の枠組みとして、日米同盟・クアッド・CPTPPにの維持・発展に努める。

経済・金融・財政


日本のこれら分野についての現況です。
  • 日本は既に30年以上経済成長できていない、他国ではあり得ないような緊急事態である。
  • 武漢肺炎においても、感染者数・死者数の割に、甚大な経済ダメージを受けている。
  • 既に日本は技術立国からは脱落しており、経済成長を実現するために新技術を生み出すためには、徹底した投資が必要である。
  • これらの経済的な問題の多くは、多数の非効率的な政治・経済上のシステムにあると考える。新自由主義的な政策が失敗しているのではなく、そもそも旧来型の官僚統制経済の失敗である。
  • これらの官僚統制的国家体制は、所謂モリカケ問題やメディア各社の接待問題をはじめとする、政府と民間のモラルハザードを生み出している。
  • 日本の国債残高は高額であるが、バランスシートやCDS市場の動向から見て財政破綻の予兆はなく、財政再建は経済の立て直しに比べ、劣後する目標である。
  • 日本は「重税国家」であり、経済投資や財政再建をお題目とする大きな政府化に歯止めをかける必要がある。
  • 少子高齢化も進む中、現状の社会保障制度(年金・医療保険)は既に持続可能性は失われており、ゲームチェンジが求められる。

そのため、今後4年の対応として、以下を考えます。
  • 小さな政府を目指すため、国民生活・安全保障・環境等の各事情に配慮しながら、許認可制度や規制の緩和や撤廃、デジタル化を目指す。
  • 武漢肺炎対策や各政策の実現のため、積極的に財政出動・国債発行を進めるが、インフレ率5%を一つの目安として、ブレーキを踏む。
  • 新技術を生み出すための技術基盤を再構築するためには、「選択と集中」からの脱却を行い、研究は殆どのハズレとごく一部の当たりしかなく、それを事前に判断することはできないという事実を直視する他はない。研究者が研究そのものに集中するできるよう、研究費は「ばら撒く」。これは経済状況や財政状況に関わらず、国家の存立に必要なものとして継続的に行う。
  • 公務員については、数・権限・業務を削減する一方、個人への給与水準を上げ、ワークライフバランスに配慮されたものとする。また、必要分野への配置転換も進める。
  • 官僚統制の解体について、象徴的なものとして、電波オークションを実施する。放送についてはインターネットで対応できることから、電波から退場いただき、様々な通信サービスの参入を図る。
  • 財政出動については、重点政策の実現を除く経済成長を目的を主目的とするものについては、乗数効果を重視し、可能な限りの効率性を追求する。乗数効果の期待できない給付金政策は取らない。
  • インフラ投資は積極的に進めるが、一方で地方部を中心とし、全てのインフラを維持できないこともあり、国土を「小さく」していくことも視野に入れるが、安全保障の観点から、特に国境沿い・海岸沿い・離島を人の済まないエリアとするリスクに配慮する。
  • 雇用維持・倒産回避に、過剰な配慮がされた現行経済政策を転換し、企業の新陳代謝や産業構造の転換に配慮する。そのために、雇用調整助成金は即時廃止する。
  • 一時的も含めた失業を許容する社会的な風土を醸成するため、各種制度を検討する。
  • 消費税は、内需へのダメージ・二重課税・逆進性・税還付等、多数の問題がある制度であり、即時廃止とする。
  • 所得税及び法人税については、税制の簡素化・徴税の簡素化を行う一方、国際的な枠組みも踏まえ、海外への税逃れを抑止する。ただし、お金を死蔵させるような行為については課税及び適度なインフレーションにより、お金を使うようにする。
  • 個人への所得税はマイナンバーを活用したものとし、申告は全てオンラインで完結するようにする。また、年末調整制度は廃止し、企業負担を軽減する。
  • 将来的に、生活保護・年金(国民・厚生・障害)・失業保険の各制度は廃止し、ベーシックインカムへの移行を行うため、諸準備を行う。
  • 医療保険については継続するが、負担割合を見直し、若者ほど安くする。また、自由診療を拡大し、混合診療の許容も目指す。
  • 皆保険制度における医療保険は、「病気を治すことで社会に復帰する」ためのものとし、範囲を絞り込むものとする。例えば、治療しなくても寝ていれば直るような風邪とかであれば、風邪と判断するための診断は保険対象とするが、風邪に対する治療や投薬は自己負担とする。また、治療の見込みに乏しいものや社会復帰の可能性がない高齢者への治療は自己負担とする。この点は治療や診察の記録など(例:NDB)をエビデンスとして活用し、社会通念にも照らして判断するべきである。混合診療が許容される場合も、このようなエビデンスの確保には配慮されるべきである。
2021年10月20日水曜日

2021年の衆院選

はじめに


自分がどこに投票するかを検討するために、公約を確認していくだけです。
その中で政党要件を満たす党で見ていくのが普通かと思いますが、実際には20~30程度の党がいくつかありまして、その様な党に投票しても現実的な効果が無い(全員当選したと仮定しても国会での影響力が限定的)と思いますので、除外しておきます。また、共産党については破防法に基づく調査対象であり民主主義の政党と見なさないため、除外します。
そのため、本稿では、自民党・公明党・立憲民主党・日本維新の会の4党のみと致します。

また、選挙は本来「人」を選ぶものであり、党を選ぶものではないということは、全く同意ですが現状の制度では、実質的に党を選ぶものとなっているため、党単位で政策を見た上で、個々の小選挙区で議員を見て、人物・行動・党政策と思想のブレ等から妥当かを判断するのがよろしいかと思います。

各党の公約


自民党


こちらのサイトを参考とします。
重点政策は、武漢肺炎対策、新しい資本主義…と続いていきますが、憲法改正がその一番後ろですね…。

公明党


こちらのサイトを参考とします。
重点政策は、子育て・教育、デジタル・クリーンによる経済再生、武漢肺炎対策のようです。

立憲民主党


こちらのサイトを参考とします。
重点政策は、武漢肺炎対策、1億総中流、カーボンニュートラル…と続いていきます。
まっとうな政治というのは政策なのか?という疑問は沸きますが。
(もっと言えば彼らがまっとうなのかは甚だしく疑問)

日本維新の会


こちらのサイトを参考とします。
重点政策は、国会・行政改革、税制・規制改革、社会保障・労働改革…と続いていきます。


政策の吟味


それでは各党の政策を吟味していきたいと思います。
本来であれば、戦略の階層でいうところの政策の上位概念である「世界観」から見ていくべきなのですが、それをまともに示している政治家・政党は皆無であるため、政策からの吟味になることをご容赦ください。
経済政策・国防・外交・社会保障・憲法改正の各分野についてみていきたいと思います。なお、武漢肺炎対策については、特にめぼしいものはなく、政党間で大きな違いが出せるものではなく、また今後終息する方向と考えるため、今回は吟味しません。
なお、点数は各項目100点満点とします。


経済政策


自民党は、新しい資本主義を掲げていますが、概略をまとめると、危機管理投資・成長投資・分配のようです。
筆者の印象としては、投資と言う名の「財政出動」が続く一方、規制緩和や減税・税制の簡素化への言及に乏しく、所謂大きな政府という印象を受け、これは安倍氏・菅氏の時代からの展開と受け取れます。投資を拡大すること自体は歓迎しますが、政治家あるいは官僚が適切な投資をできるとは考えにくく、民間の活力を活用する方向にならないものかと感じます。

また、今後問題になる可能性がある点として、企業が長期的な視点に立つよう、コーポレートガバナンスや企業開示のあり方を検討、具体的には四半期開示について触れています。このような制度を世界のデファクトスタンダードから離れた形にすることは、特に海外の投資家が日本市場を忌避することにつながりかねないのではないでしょうか。

財政出動そのものは評価しますが、方向性が間違っている項目が多く、20点とします。


公明党の経済政策では、個別事項の言及しかなくマクロな視点での政策に乏しいですが、これは自民党が担当ということなのでしょうかw

その中の方向性で見ると、中小事業者・飲食・観光・環境・デジタル分野にばら撒くという内容になっています。基本的には自民党の方針に付け加えるようなものであり、懸念点についても同じです。

そのため自民党と同じく20点とします。


立憲民主党は、実は以外と自民党と同じようなことを言っていたりします。党名を伏せて見られたら区別は…さすがにつきますが。
特に目立つのは、低所得者への現金給付と所得税・消費税の時限減税です。
現金給付の問題点は、時間・コストがかかることやそれによって何かを生み出すことがないのです。2020年時点では早くキズを癒すという発想でしたが、2021年になってもそれはどうかと思います。時限減税については、「時限」ではなく、恒久が望ましいですし、何なら消費税は廃止で結構です。

一方、増税にも触れており法人税の累進課税化、所得税の最高税率アップ、金融所得課税の累進課税化などが挙げられています。

ちなみに、公益資本主義を掲げており、その中には先ほど自民党で出たようなコーポレート・ガバナンス改革、短期主義経営の見直しが挙げられています。

ここは10点とします。多少、富裕層から取るという色が濃くなっていますが、その分金融緩和・財政出動の方向性が薄まっていると認識したためです。


日本維新の会はここでは大きく毛色が変わってきます。
消費税こそ時限かつ5%への減税ですが、所得税・法人税の減税を挙げており、税制の簡素・公平化に触れています。
財政出動についても触れていますが、偏重という印象はありません。

維新の会の良くない点は(他党も挙げていますが)、教育の無償化くらいでしょうか。教育の無償化は、費用対効果のよい政策とは思えないです。誰に対しても高等教育を受けさせれば、高度な仕事ができるというのは幻想です。また、「無償化」が生むモラルハザードは目に余るものがあります。真に優秀な学生について、学費を奨学金などのことはあっても良いと思いますが。

後は、私が見た資料が詳細版でなかったのかもしれませんが、具体的な数値目標がありません。「税制の簡素・公平化」と言われれば、二重課税や複雑な控除が無くなるのかと「想像」できますが、実際には書いていないので何とも言えないのです。

方向性については概ね賛同しますが、具体性が不足していることもあり、60点とします。


国防・外交


まずは自民党から。
外交については「自由で開かれたインド太平洋」等、日米同盟を基軸として、自由主義・民主主義・資本主義の各国と連携するスタイルは変わらないようです。
北朝鮮については、拉致被害者の即時帰国を求めること、核・ミサイルの放棄を要求すること。
支那については、ウイグル・チベット・モンゴル民族・香港等の諸問題と書かれていますが、肝心の主語である支那あるいは中共と言う文字が詳細な箇所にしかありません。非難決議の時の行動を見るにやる気のなさを連想させます。南朝鮮についても同様に詳細のみの記述でした。

国防については、防衛力を抜本的に強化、領海侵犯に対応、弾道ミサイル対する対処能力、重要土地等調査法の実行などが並びます。経済安全保障という概念がでてきたことは評価できるかもしれません。戦略物資や特許・技術の情報の管理、インフラの整備、サプライチェーンの確保、具体的な業種だと半導体関連の強化が並びます。

支那についての主語がないこと、露国についての言及がないため大幅減点は避けられないでしょう。また、国防については全く具体性に欠けており、今までの対応からすれば何も変わりませんということと理解せざるを得ません。
少なくとも、20世紀後半から国防の最重要ポイントである核に対する考え方、エネルギー・食料・原材料等のアウタルキーの確保、シーレーンの確保等は、当然考えられてしかるべき事項ではないかと考えます。

政権与党ということで厳しく見る向きもありますが、30点とします。


公明党については、核なき社会、支那を一衣帯水の隣国という誤った認識、露国との共同経済活動の具現化等論外の内容が続きます。
0点です。


立憲民主党は、支那や日米同盟については自民党と大差ない内容が続きます。QUADにも触れられているなど、意外といっては失礼ですがまともにも読めます。
しかし、辺野古移設、非現実的なリベラリズム的平和創造外交、核兵器廃絶、トドメにアジア太平洋・アフリカ諸国から積極的に留学生と高度人材を受け入れということで、やはり論外。
0点です。


日本維新の会は、リアリズムで安全保障と世界に向き合うとしており、防衛費のGDP1%縛りの撤廃を掲げています。外交方針は日米同盟を基軸とし、英・印・豪・台を重視するようです。
防衛費の1%ルールは全く非現実的なものであり、これの撤廃は大きく評価されるべきでしょう。一方で、何が敵国なのかと言う点については、記載がなかったので、その点は問題です。
どの党も支那と北朝鮮については言及するので紙面の限られたマニフェストであってもなければ、劣る印象を拭えません。
記述不足と具体性欠如がありますが、1%ルール撤廃を評価し、40点とします。


社会保障


自民党は、皆保険制度維持を掲げながら全世代が安心できる制度にするとしています。総合的な改革としかないので、具体的なことがわかりませんが。その他、緊急医療体制や医師の偏在も触れています。
少子化対策については待機児童や子供の支援体制の確率を挙げています。

はっきり言ってこれは議論の余地がありません。現状の制度の問題点がそもそもわかっていないと言わざるを得ないわけです。現在の年金・医療保険の体制が、なぜ持続的と思われていないのか考えたことが無いのでしょう。
世代間格差の是正、肥大する医療費の抑止といったことへの解が一切ないのです。政権与党が出したものがこれとは呆れかえる他ありません。
0点です。本音はマイナスですが。


公明党は、(経済ではなく社会保障に入れておきます)子育て世代への現金給付と出産一時金を重点に掲げています。一方、人生100年を見据えた社会保障の詳細は、医療や病気について結構細かく書かれています。これは政策のレベルを越して作戦のところまで行っている気がします。(すみません、私では是非が判断しかねる部分も多いです)
一方、先ほどの問題提起に該当する解と読める箇所はなさそうです。
一応この分野を重視する姿勢は買って、20点とします。


立憲民主党は、ここでも経済のところで同じ姿勢で、社会保険料や後期高齢者医療制度の応能負担を掲げています。一方、出費自体の抑制には関心が無いようです。
この分野にもちゃんと特大の地雷が仕掛けられていまして、社会保障などのモノサシを変えるとしています。興味深いので全文抜粋します。
公正な配分により格差を解消し、一人一人が幸福を実感できる社会を確立するため、社会保障などのモノサシを変えます。①社会保障の効果を測るモノサシは、格差是正とQOLを重視します。②豊かさを計るモノサシは、GDPからGPI(真の進歩指標)へ変更します。③税制を評価するモノサシは再分配を重視します。④将来経済推計のモノサシは、過大になる政府試算から国会に設置する機関による試算へ変更します。⑤官僚を評価するモノサシは、国民のための仕事を評価するようにします。
誤った認識によって物差しを変えてしまうというのはとても恐ろしい話です。
もちろん現状の物差しが正しいかと言う議論を否定するつもりはありませんが、明らかに特定の思想に沿うような変更であり、このような恣意的な物差しを使っては、政策がゆがむことは間違いないでしょう。
少しだけ賛意を示すなら、①の点QOLを重視して、やっても殆ど延命できないかむしろマイナスな手術や投薬、延命治療等が減ってくれればいいかもしれないです。
0点です。本音はマイナスですが。


日本維新の会は、給付付き税額控除やベーシックインカムを「負の所得税」実現のために検討するとし、医療制度については出来高払いから受診の質・価値への支払いへとなっています。
当方は以前から述べている通りBI推進派ですので、基本的には維新に賛成します。一方で、医療制度や年金制度はそれとは別枠(保険制度なので)であり、「負の所得税」実現時にどうするのか、当然その変化に大きな影響を受ける人(特に高齢者)にどうするのかということへの説明が必要になるでしょう。
また、「出来高払いから受診の質・価値への支払い」というのは、さすがにちょっとこれだけでは判断できないものがあります。
こちらも60点としておきましょう。


憲法改正


自民党は憲法改正を「目指す」とはっきり書いています。
現行憲法の基本原則を堅持しつつ、自衛隊明記、緊急事態条項、合区解消・地方公共団体、教育充実を加えるとしています。(かつての憲法案はどこへいったの?)

「基本原則を堅持」と言う言葉から推測されることは、9条はそのままにして後ろに3項を付けるか2項を書き換えるかということでしょう。
これでは支那や露国、朝鮮のような侵略国家に対し、有効な対応が取れるとは思えません。
平和主義を掲げる以上、日本から先制攻撃はないと敵国は安心できるわけです。抑止の大原則は国家のパワーである以上、それを縛るような憲法では、独立国家としての自存自衛を達成できるとは言えないでしょう。
私見ですが、衆院と参院のあり方についても触れて欲しいです。合区解消という言葉から、一票の格差から参院を除外して地域代表にするということなのではないかと考えられます。
現状、機能として衆参はカーボンコピー、あるいは一軍と二軍の状態です。一院制にすることで国会議員を減らす、あるいは全く別の制度にする、一例として衆院は全国比例にして国の代表、参院は各都道府県から4人(半期改選)で地域代表とするなどです。
後は、改正の発議を2/3から1/2にするのも必要でしょう。

ここは70点としておきます。


公明党は、従前の主張ですが加憲を主張しています。
9条については堅持するとし、自衛隊は国民に許容されていることを理由に、議論を続けるとします。加える内容は、緊急事態、新しい人権、環境保護などです。

「国民に許容されていること」と敵国に対して有効な軍隊であることは全く別のことなので、議論は筋違いと言わざるを得ません。
また、憲法というものを勘違いしているようですが、基本的に憲法は政府権力が主権者たる国民のコントロール下に置かれるために、権力を規制する内容になります。「国及び国民の地球環境保全の責務」とありますが、国や地方自治体はともかく、国民に対する義務を記載する場所ではありません。当然、現行憲法の国民の義務も削除されるべきです。

基本的に護憲側なので0点とします。


立憲民主党は、一応絶対憲法を改正しないという立場ではないようです。とはいえ具体的な改正等の指摘はなく、細かい憲法解釈の話ばかりが続くため、改正の意思はないものと見なします。
0点です。本音はマイナスですが。


日本維新の会は、教育の無償化、統治機構改革、憲法裁判所を明記するとしています。

教育の無償化については先ほど述べた通り、適当な政策ではありませんし、憲法に記載するレヴェルとしては細かすぎるというところです。

次に統治機構改革ですが、これは具体的に地方自治体に権限を寄せて、大局的に動かなければならないことについて中央が担当するという方向性であり、彼らの出現経緯からすると本命はこれでしょう。
私見では、反対します。市区町村ごとに細々とした対応を行うことはまず効率的ではありません。正直言って、今の地方自治体に権限を寄せるだけの、国民的支持・人材やリソース、能力があるとは思いません。
国会議員の選挙の投票率は惨憺たるものですが、輪をかけて地方の首長や議員の投票率は壊滅的です。無投票も多発しています。既に地方自治体は機能不全と化し始めている中で、なぜ彼らの権限を高めようとするのでしょうか。
まずは、地方自治体がちゃんと機能するようになってからでしょう。

憲法裁判所については、中立です。実害が無いと裁判所の判断が得られないことにより、内閣府法制局の権力が強くなりすぎている側面があると思われます。
一方で、過去の違憲裁判では統治行為論で逃げるケースも多く、裁判所が適格にかつ中立的に判断ができる環境が作れるのかと言う点を注視したいです。

自民党では記載のあった安全保障については維新は特に記載がありませんでした。国防のところで加点したものの、現行憲法と自衛隊の関係や他国への影響をどう考えているのかわからないのは厳しいです。

改憲姿勢を評価しての10点とします。


まとめ


各党の点数をまとめるとこの通りです。


残念ですが、投票に値する政党なしという評価になります。本来であれば。
ちなみに当方の選挙区は一応、自民vs立憲vs維新ですが、自民と立憲の候補が何回も戦っていて、比例復活込みでどちらも現職であり、当選可能性を加味すると実質2択という状況なので、30%vs3%の選択になります(支持率と近いなw)。

最後に、この結果をもって維新を推すとか維新に投票するとかは別の問題です。
冒頭でも言いましたが、掲げている政策がよくても実現可能性は別の問題であるということ、ある議員ないし政党を落選させるためであれば、最悪の一歩手前の選択でもすることは、当然あることだと思っています。

皆さんも政策は概要だけでも読んで、白票でもいいので投票所には行きましょう。
2021年10月16日土曜日

自民党と言う宿痾

はじめに


先日、自民党の総裁選が終わり、岸田総裁となりました。
その結果、岸田内閣が誕生しました。

自民党の総裁選を見て、私が思ったこととしては、自民党というのはどのような政策を掲げていても実現できない(変革できない)存在だということです。

内容の善し悪しはさておき一定程度の変革を実現した小泉内閣や安倍内閣という異端が直近長かったこと、野党があまりにも話にならないことから、自民党に政策実現を望む人が多いと思います。
しかし、それは間違っているということ、結局のところ自民党を克服しない限り、日本は良くならないということを指摘したいです。
自民党を漫然と選ぶことは老衰を目指すようなものです。
(今の野党を選ぶと、すぐに死んでしまいますが)

自民党の問題点


  1. 世界観・政策の幅広さ
  2. 政治家「業」の存在
  3. 利権構造との癒着
  4. 官僚との癒着
今回は、なぜ自民党は「政策を掲げていても実現できない(変革できない)」のかという点にフォーカスし、主要な原因として考えられる点を挙げました。

世界観・政策の幅広さ


まず自民党は、選挙互助会です。
なぜそのよう認識するかというと、政党は共通の政治的を持つもの集団ですが、自民党の議員を見れば「政権与党の議員である」という政治的目的以外を共通する部分を持ち合わせているとは考えられません。

国家の基本的な骨格である、皇室についても、総裁選で高市氏と河野氏や野田氏では大きく異なっていました。それ以外についても全体的に政策に違いが多く、”保守”的な層から野党に近いような”リベラル”的なところまでブレが大きいです。(何故か減税を主張する候補はいませんでしたが

これが問題な最大の理由は、有権者が投票をするときに困るからです。
保守的な思想を持っていてそのような候補を当選させたいと仮定しましょう。
自民党以外の野党に、保守的な思想を掲げ、かつ実現可能性のある選択肢というのは見当たりませんので、ここで自民党に入れると決めたと仮定します(そのような野党の状況も問題ではありますが)。当然ながら小選挙区には、基本的に1人しか自民党の候補はいませんが、その人が河野氏や野田氏のような人物であった場合、党の公約は保守的であったとしても、候補の思想はそうではないわけで、政策実現の期待が大きく低下することが考えられます。

同様に、この総裁選も国民からの選挙を経たものではありませんが、実際に彼らが当選したのは安倍総裁の元です。しかし、安倍氏と岸田氏は世界観・政策では異なる部分があるように思われますし、実際に転換的な側面を強調しています。総裁が変わることは党内の手続きなので結構ですが、それによって公約や行われる政治の方向性が変わるというのは、民意を適切に反映するという観点から言って望ましくないことは言うまでもありません。


次に、政治構造を考えてみますと、総理総裁になったとしても、その人の意向というのは中々徹底されるものではありません。民主主義は独裁ではありませんから、国民から選ばれた議会の中で多数を取らなければ、政策は実現できないわけです。
先ほどから述べている通り、自民党が多数ということは、どういう政策を求める国民が多数なのかということをぼやかしてしまいます。

また、自民党内でも総務会という全会一致による意思決定機関があり、ここを通さないと法案は出せないことになっています。しかし、先ほどから述べている通り自民党には幅広い政策・思想の議員がいるため、その中で全会一致を取るというのは(全議員の全会一致ではないとはいえ)、容易ではないということです。


政治家「業」の存在


さて、今まで説明してきたように、「政権与党の議員である」という政治的目的以外を共通する部分を持ち合わせていない政党には問題が多いわけですが、それが何故存在するのかと言う点を考えてみましょう。

そこで出現する1つ目の要素が政治家「業」です。自民党の政治家は(野党にももちろんいますが)世襲議員の比率が異常に高いです。先ほどの総裁選でも高市氏以外の候補は世襲に該当しますし、菅前総理こそ世襲ではありませんが、自民党に限ると安倍、麻生、福田、小泉の各氏と世襲議員の総理が続きます。森氏は父が町長ですが国会議員ではないようです。ここまでいくと政治家といのは家業ということになります。


これがなぜ先の問題と関連するのかと言えば、家業として続くためには、「旨味」がなければいけません。収入が低かったり、労働環境が厳しい職業にも家族と同じ職場・仕事をするケースはあると思いますが、親は子供を良い職業につけたいと思うのが当然の心理ですから、必然的に上位の職に世襲が発生しやすいものと考えられます。

つまり、野党より与党の議員の方が政治的影響力が強く、さらに自民党の中でも中枢に行けば行くほど影響力が強まるわけで、そういう「旨味」のある仕事ほど「家業」になりやすいのです。
これは実際に世襲議員の比率でもはっきりわかる傾向で、野党より自民党のそれが抜きに出ています。

そのような議員たちにとってみれば、自分たちの旨味が減ることが問題であるため、改革を行った結果、既存の支持者が離れたりするリスクは取りたくない一方、現状の仕組みでは一部の支持者を繋ぎ止めておけば、議員としての地位は守れるため、全体を考えて行動を起こすインセンティブに乏しいのです。

そもそも政治家業の後継者は、別に自分が何かを為したいからその職業を選んだわけではなく、親がそれを望んだからという点にしかなく、国民の奉仕者としての意識は乏しいのではないでしょうか。
同じ世襲でもビジネスならば環境の変化でダメになる可能性もありますし、頑張ればもっと大きくすることもできます。しかし、政治家の世襲は、特定の支持者さえ掴んでいれば落ちるリスクはなく、ちょっとやそっと頑張っても当選回数と血統がものを言う世界ではどうにもなりません。国民は民主主義と世襲が相容れるものなのか、候補を見てよく考えるべきでしょう。


利権構造との癒着


国会議員を「旨味」のある家業たらしめる要素の一つとして、利権があります。
議員の歳費や報酬は、大衆からすれば高いものですが、ビジネスとしてみればショボいと言わざるを得ません。しかも、議員であれば金額は変わらないので、増やすこともできません。

そこで登場するのが「利権」です。政府は民間に対し規制をかけるため、許認可権を持ちます。実際に行政的なものですが、これは人が行うことですから、当然政治的な意思が介在するものとなります。とりわけ自民党は長く政権与党にありますから、官僚との距離が近くなることは当然でもあります。

政治家は選挙区民や団体、企業のバックアップを受けて票や資金を集める一方、彼らの望む政策を実現していくわけですが、それだけではなく彼らの有利になるよう許認可権を使っていくのもまた仕事になってくるわけです。

もっと直接的になっていくと、一家の政治的影響力をベースにファミリービジネスを優位に進めたり、逆にファミリービジネスのために国益に反する立場や行動を取ることもあるわけです。


これが問題になるのは、全体にとって最適であったり必要な政策は、特定の団体にとってのファーストではないことが多いからです。
その筆頭は恐らく国防政策です。日本国の独立が脅かされる状態となっては、経済活動どころではなくなっていることは想像に難くないわけですが、日本の国防を大幅に強化することで、経済的メリットがある団体・企業というのは非常に限られるでしょう。
残念ながらその影響力では、十分な国防をするためのプッシュにはならないでしょう。

もう一つは、団体の力、つまりは金と票に大きく左右されることです。
お金の力で決まることが平等でもなければ正しくもないことは言うまでもないでしょう。
しかし、団体票の力で決まることも正しいとは言いかねます。これは組織力によって決まるというわけで、実際は団体の一部が決めた方針にどれだけ下が投票行動として反映できるかですから、輿論とは言えません。
これが如実に表れたのが、武漢肺炎でずっと飲食店を時短させ続けたことなのではないでしょうか。団体力が弱いから、世論やメディアに対して、やっている感を出すためのスケープゴートにしたと考えられます。

そもそも、岸田政権は格差是正を掲げていますが、その自民党が利権の側に立っているわけですから、当然そのような政策を実現できるという期待ができないわけです。


官僚との癒着


最後に官僚との癒着です。
自民党は非常に長く政権を担っているため、官僚との距離は近くなっている他、官僚出身の議員も多数います。
岸田氏自身は官僚出身ではないですが、宏池会は財務省・大蔵省人脈とのつながりが濃く、宏池会から総理になった人物として池田勇人、大平正芳、宮澤喜一の各氏は大蔵官僚から政治家に転身しています。


ここで強調しておきたいのは、本来の政治家と官僚の関係というのは、政治家が決めた方針を官僚が実行していくというものです。
何度も本ブログでも言及している「戦略の階層」で言えば、政治家が世界観や政策を決め、官僚がそれぞれの職位に応じて大戦略~戦術までを実施していくということになります。
これは、政治家が民意の審判を受け国家に責任を取る一方、官僚は基本的に終身雇用で安定された立場から実施に専念するという役割分担です。

この役割分担が崩れて官僚が政治の側に進出してくると、民意の反映というのが怪しくなります。理由は簡単で、官僚は民意によって選ばれる存在でなければ、解雇もできません。また、官僚は上意下達の組織体系となるため、求められる資質が全く異なります。

特に軍事分野ではシビリアンコントロールと呼ばれ、政治家による軍人の統制が最重要視されますが、他の官僚においても基本的には同じことであります。
過去に田母神俊雄氏が政府見解と反する論文を民間に発表したことで、航空幕僚長を更迭された件がありました。

一方で各政党の公約を否定するような政治的意図を持った(選挙前なので無いとは言えない)、しかも内容も典型的財務省理論であり、会計や金融に関する視点ゼロの間違った「論文」なるものを出しても、野放しになりそうな矢野氏を見ると、岸田自民党が財務省とズブズブというか、官僚をコントロールするはずの政治家が官僚にコントロールされている実態が伺いし得るかと思います。


では、官僚と政治家がつながると何故変革が出来ないのかと言う点について考えましょう。
官僚はヒエラルキー構造になっていて、組織内で出世するためには過去または現在の枠組みに沿って仕事で成果を出し、上層部の人間に引き上げてもらうことで出世できるわけです。上層部に引き上げてもらうためには、顔を売っていく必要がある一方、嫌われないことも重要です。しかし、新しいことをするには反対者は必ず出るものなので、自然とチャレンジしなくなります(T芝除く)。
また、一つでもミスをすれば簡単に評価は下がることも追い打ちをかけます。

つまり、現状維持を是とする人間ばかりが上に来ることになります。
このような組織ではイノベーションが生み出される確率が極めて低いことは日本全体の宿痾ですが、官僚組織については、あくまでも政治の決めたものを「実行」する組織ですから、それ自体は問題ありません。

このような現状維持と省益の拡大としての権限強化にしか目が向かない官僚と近すぎたり、依存したりする関係では、国民の意思や権利、利益から離れていくような政治しか起こらないのです。

どうしたよいのか


問題を指摘するのは簡単ですが、それに対する解決策を提示するのは常に難しいものです。
しかし、この問題はさらに難しいのです。一般の有権者には小選挙区に出馬するごく一部の政治家から選ぶしかなく、実質的に自民党系候補とサヨク系野党候補しかいない選挙区が大半だと思います。文句があるなら選挙に出ろという人がたまに居ますが、普通の人が出馬しても全くお金も足りないと思いますし(供託金が仮に払えたとして、満足な選挙活動をするには金銭的負担が大きい)、供託金が戻ってくるラインまですら票を集められないと思います。普通に生活する人にとって、当選する確率がゼロに等しいところで出馬するというのは非現実的な話です。

かといって選挙に行くことを放棄してしまえば、組織票と過激な信者の票だけで政治が動くことを加速するため、選挙に行かないことは推奨できませんし、何なら有権者としては義務と考えるのが妥当だと思います。

私自身解決になるとは思っていませんが、個人で実践していることを言えば、白票です。投票場に行って何も書かずに投票箱にぶち込むことです。はっきり言ってしまえば、全ての候補に投票する価値無しということを投票しているわけです。
これは投票率にカウントされますが、無効票ですので誰かの投票になりません。
意味があるのかと言えば微妙ですが、あまりにも無効票が多ければ、該当選挙区の当選者も少しは考えるかもしれません。

もう少し直接的な方法を取るとすれば、あえて非自民候補に投票することでしょうか。
サヨク系政党が論外なことは事実でお灸を自民にすえたつもりが、国民自身にお灸がすわっていたというのが2009年政権交代の顛末でしたので、私自身は全く非推奨ですが。

現実的には、小選挙区ならば候補者を見極めて自分に近しい候補がいるならばその候補へ、いなければ白票。比例区は自民党以外で近しい政党があればその政党へ、いなければ白票というのが妥当なのかと思います。

結局立てている候補の数によるので、自民党をもっと保守政党にしたいという意思を持っていても、ドラスティックに変えることは出来ないと思います。
それでも地元の候補者がリベラル的であれば落とすべく野党へ、保守的ならば自民党へ入れ、比例復活がしにくくなるよう比例は他党か白票で、選挙結果としてリベラル的なものは求めていないのだということを自民党に伝えていくしかないでしょう。


今日本に置かれた環境からするとあまりにももどかしい話ですが、せめて一人でも多くの人が衆院選で機会を無駄にしないで欲しいというところです。



武漢肺炎対策に関する記事です。
武漢肺炎が示す日本民主主義の危機と克服への道筋

参院選前に日本の今後を論じてみた記事です。
日本復活へ一市民の妄言2019 その1

前回の参院選の総括です。何も状況が変わっていない……。
参院選の総括
2021年9月25日土曜日

「地政学」は殺傷力のある武器である。(兵頭二十八著)

「地政学」は殺傷力のある武器である。
中国発パンデミックから第3次世界大戦が始まる!これまでの地政学が見落としていた「中国大陸の地政学」から日本の安全保障を構想する。


はじめに

Twitterで紹介されていた本で、タイトルが興味深かったので読んでみました。

マハンとマッキンダーという地政学の大家を概説しつつ、筆者独自の視点でシナや日本の地政学を語っています。

地政学の大家の理論や基礎、国際関係という点で、入門として本書はあまりお勧めできないと感じます。ある程度知識がある人が、筆者の視点から選択的に情報を得るのが良いでしょう。

個人的には以下の本を推奨します。

”悪の論理”で世界は動く!(奥山真司著)

・地政学入門(曽村保信著)

・領土の常識・国防の常識(鍛冶俊樹著)

中国の「核」が世界を制す(伊藤貫著)

今回の本稿については、日本の防衛という点で、筆者の視点から私見で興味深い点や今後参考にするべきと思う点を抜粋し、考察していきたいと思います。


あらすじ


島国の違い


日本と英国は「島国」という意味では同じですが、筆者は沿岸航海者にとっての危険度で天と地ほどの差があり、それが地理が規定する国民性の決定的な違いになっていると指摘します。

ざっくり説明すると、自力航行ができなくなっても自然の風や海流によって陸地にたどり着くことから、英国の場合は「海難」を恐れなかった。一方、日本の場合は、太平洋で言えば風が強まっただけで陸地から引きなされ漂流し、日本海も冬に荒れる。

この違いが貿易や海外探検、植民地競争、海軍整備競争で英国だけが他国を凌ぐようになった理由だと考えられます。


日露の地政学


征韓論の骨子について、北海道を防衛するために、朝鮮半島経由でウラジオストックからハバロフスクまで日本陸軍が前進して会戦するというものです。
これは、樺太南端の大泊に集結してから、一気に天塩海岸上陸という意図に対し、シベリア鉄道にプレッシャーをかけることで、大軍を大泊に送る余裕をなくすものです。

この後、日露戦争があり、筆者はそこで米大統領セオドア・ローズベルト(以下TR)が樺太を落とすことでロシアにショックを与えることをアドバイスし、日本はそれを実行したと考えています。TRはマハンと関係があり、樺太の海軍における価値を認識していたようです。
さらに、北樺太には石油資源があり、欧米の石油業界は1880年代から知っていたそうです。

結果として、樺太を落とした時期が遅かったこともあり、露国との交渉では南樺太のみの獲得となりました。しかし、この獲得により、先ほどの前提が崩れるため、露国からの防衛のために朝鮮半島を必要とはしなくなっていたと筆者は指摘します。その上で、朝鮮や満州を開放市場として英米の商人を引き込めば、露国への抑止になったとします。
しかし、日本の指導層は樺太の領土を半分でも奪えると考えておらず、実現した際の青写真もなかったと指摘しています。

もう一つ樺太について、筆者はシベリア出兵時の尼港事件について、「しくじり」とします。ここで民間人を虐殺されており、断固とした対応として北樺太を保障占領しました。ここまでは良かったのですが、ここで傀儡政府を作り「相互防衛条約」を結べば、米国のパナマ切り取りと同じように、北樺太を勢力圏に組み込め、石油も確保できたのではと指摘します。

ワシントン海軍条約


筆者はワシントン海軍条約が日米戦争を不可避にしたと指摘します。
ワシントン海軍条約は、支那市場を独占しようとする日本を抑え込む目的で、日米英の戦艦を6:10:10とし、日本海軍が少ない分フィリピンや香港等の強化を禁止することで、支那沿岸での優越を認めてバランスを取るということです。しかし、この条約ではハワイの拡張は自由である一方で、日本も奄美大島や沖縄、小笠原諸島、台湾などの強化を禁止されました。
筆者は、出城に過ぎないハワイの要塞化を容認しておいて、日本の本土である小笠原や沖縄へのインフラ投資や国土開発をしないと約束したのは、政府と陸軍が国民を裏切ったも同然と厳しく指摘します。

この海軍軍縮条約がなければ、フィリピンは要塞化され陸軍の考える奇襲戦争はできなくなったかもしれないが、日米双方がそれぞれの基地拡張競争を行うことになって、その結果として民生上様々なプラスがあったかもしれないとし、さらに支那市場を米国人に開拓させ、その米国人に日本が商売した方がはるかに経済成長できたと指摘します。
筆者は、支那事変からマルクス主義官僚が導入した統制経済の失敗で、日米のGDPは1941年には20倍も開いていたが、海軍軍縮条約がない状態であれば、大英帝国に迫っていたとしています。

儒教圏の封じ込め


儒教空間に「法治」などあり得ないと筆者は指摘します。
全員が「長上」を争い、「長上」を得たものはあらゆる特権を享受するような空間に、「近代社会」は成立しないのです。つまり、日本社会と近代社会は親近ですが、支那や朝鮮とは水と油なのです。

しかし、地政学は日本を見放していないのです。今はマラッカ海峡経由でペルシャ湾岸産の天然ガスを輸入していますが、シェールガスの存在により石油の偏在が緩和されつつあること、パナマ運河の拡張が竣成すれば、南北米大陸産の石油やガスを太平洋経由で輸入できるようになるのです。もちろん、豪州もあります。

一方、支那は経済成長の過程で、エネルギー及び食糧の自給体制がないという、リカバー不可能な弱点があります。海軍力の違いにより、支那は自国沿岸に機雷を撒くことで米国に対抗することになり、それによって支那は機雷戦で破滅するのです。また、支那と敵対する周辺国からも機雷で封鎖することでしょう。
このようなバリアーが、支那大陸との汚れた関係を半永久に断ってくれる期待できると筆者は指摘します。


感想


島国の違い


島国という意味で日英は一括りにされることが多いですが、地政学な違い、それから生じる志向や国民性の違いについて、わかりやすい見解だと思いました。


日露の地政学


尼港事件にこのような大きなチャンスがあったということは、知らなかったので、後から考えれば勿体ないと感じました。
結局、樺太というものの戦略的重要性を誰も認識していなかったというのが、日露戦争しかり尼港事件の結果につながったものだと思います。

もう一つは、やはり南樺太占領を契機に、朝鮮の重要性が下がったこともそうですが、なぜそこまで朝鮮に入れ込んだのかは、どうしても理解しがたいです。
本土を守るための朝鮮なのに、朝鮮を守るために満州、さらに満州を守るために華北……とくれば際限がないことは、小学生ですらわかることです。

征韓論の頃の地政学的な発想、これは西郷隆盛のものであり、それは島津斉彬由来だと筆者は指摘しますが、そのような発想をどうして継承するものがいなくなったのか
この辺りは歴史を鑑みて悔やまれる点です。

ワシントン海軍条約


ワシントン海軍条約を日米戦争の原因と捉える見方は、私としては初めて見ました。
私見では、桂・ハリマン協定の破棄が、
・米国に警戒感を持たせたこと。
・満州に米国入れなかったことで、単独で露国や支那と対峙する構図になったこと。
の要因となり、結果的にはその後の問題につながるのかなという考えを持っていました。

どちらにせよifの話なので、これがなければ戦争はなかったということを検証する術はありません。しかし、共通の視点は、満州や朝鮮に米英を引き込むことは、それによって日本が得た権益の一部を放棄することになったとしても、米英の権益となれば、米英が露国や支那と対立することになり、戦略上の利益を共有することになるため、遥かに大きいメリットがあるということです。

日本には「一文惜しみの百知らず」とか「損して得取れ」といったことわざがあり、このような考えは本来得意だったと思うのですが……。
全くの私見ですが、英独の競争の中で一瞬だけビスマルクの時代に優位だと勘違いし輸入した官僚制の毒ではないかと思っています。
儒教とは、同じくランドパワーからの概念であることや、権威主義的なヒエラルキーを重視する思考等不思議と共通点がありますね。

現代日本の政治課題と全く被りますが、縦割りというのは官僚制起因の症状です。大局的な利益である「米英と露支を対立させること」より、獲得した目先の利益である満州の権益となり、その目先の権益をしっかりと取る方が、自分がその仕事をしている「瞬間」は利益であるため、「出世」につながるのです。自分が辞めた後、それが破滅を招いたとしても、出世した事実が変わらないのだから。
官僚制の毒とは、つまりヒエラルキー構造そのものと、その構造を登るための方法が、現在と過去に依存することにより、未来をみた選択が取りにくくなる、この二つを掛け合わせた結果、優秀な人間がどんどん腐っていくシステムにあるのだと考えます。


儒教圏の封じ込め


ここで重視することは、支那が自給体制を全く取れなくなっていることです。
所謂リムランドにあたる、沿岸部に多数の人口が集中し、交易をおこなうことでエネルギーや食糧が自給できなくなったとしても、発展してきました。
これは戦争になると全て逆回転します。沿岸部では食料もエネルギーも自給できず、海からの攻撃に弱いため、鉄道などのインフラはすぐに破壊される。当然、海上は戦場となり、輸入どころではなくなる。

今の日本では敵基地なんとか能力ばかりが話題になっていますが、日本が支那と対峙していくためには、支那の一番の弱点である食料とエネルギーの自給を止める確実な手段を持つことしかないのではないでしょうか(機雷で全てカタがつくという風に読める本書については、疑問がありますが)。
ここが止まれば支那が破滅するとわかっていれば、軍事バランスが傾いたり、核があったからといって、日本に対して軍事的に手を出すことはやりにくくなります。

戦略の階層で言えば、敵基地なんとか能力をはじめ、サイバー防衛や電磁波とかは技術かせいぜい1つ上の戦術のレヴェルであり、もう少し上の次元で安全保障を語ってもらわないことには、何も始まらないと思いました。
そういう技術がいらないということではありません。技術は常に「Who(だれが)When(いつ)、Where(どこで)、What(なにを)、Why(なぜ)、How(どのように)」使うのかということです。
政治家は個別の技術に精通する必要はなく(している方がいいのは当然ですが役割分担です)、国民に対し「世界観」「政策」を掲げて対話を行い、信任されたそれを以って、政府を動かし、「大戦略」以下を決定・実現していくものだと思うのですが。
2021年8月12日木曜日

西武バス最北端(成田山前)→最南端(琴帯橋)乗り継ぎ

はじめに


前回は、最西端から最東端でしたので、今回は北から南です。
成田山前バス停は、日曜日のみ運行の出入系統である、本川越駅~南古谷駅の便(松江町線)しか止まらないため、今回も日曜ダイヤ限定です。

今回は徒歩なしでつながることができたので良かったです。

2021/08/12時点で公式ページの情報に基づきますが、個人で見た結果なので正確性は保障しません。
あくまでも調べてみただけですので、実際にやろうという奇特な方はダイヤの確認をお忘れなく。
最北端、最南端の判断は公式の路線図等から適当にやっていますので、誤差はあると思います。

乗り継ぎ例


南古谷駅発本川越駅行(松江町線)


10:40 成田山前発

10:48 本川越駅着


1日1往復のみの出入系統です。西武バスでは本川越駅から北へ行く唯一の系統でもあります。過去に乗った路線です。

ちなみに、本川越駅発は12時台なのでたぶん頑張れば、最南端からいける気もしますが、調べていませんので悪しからず。


本55系統 本川越駅発所沢営業所行


11:00 本川越駅発

11:24 所沢営業所着


この路線は新所02系統の出入便です。

所沢駅東口まで行く場合は、営業所乗り換えが一番簡単なので、この場合は新所沢行を待つ必要はありません。


所61系統所沢営業所発所沢駅東口行


12:40 所沢営業所発

13:07 所沢駅東口着


過去に乗った路線です。

実は11:25に所沢駅東口行が出ます。

1分乗り換えは難しい上に降車場所と距離があるかもしれない(新所02系統と同じ場所なら)ということで、出来ないものとしました。

しかし、ここで1時間以上待つのはある意味乗るより過酷かもしれません。

間に合わない前提で一本後の新所02系統に乗る方が、本川越駅で時間を潰せるのでマシかも。


久11-1系統 所沢駅東口発久米川駅北口行


13:23 所沢駅東口発

13:54 久米川駅北口着


久11-1系統は、久11系統の出入系統で、本来の路線は久米川~清瀬ですが、管轄は所沢です。意図していませんがここまで4連続出入系統w

ちなみに、先ほどで1分乗り換えに成功しても、久11-1系統の前の便は8時台です。

所46系統(これも出入系統)が12:08にあるので間に合えばこちらで全生園前で乗り換えると久米川行は多数運行されています。


立34系統  久米川駅発立川駅北口行


14:00 久米川駅発

14:46 立川駅北口着


本日初めての通常系統です。

こちらは本数も多いので多少遅れても安心です。


立71系統  立川駅南口発新道福島行


14:56 立川駅南口発

15:00 琴帯橋着


最後は立川駅南口から比較的短い立71系統です。

こちらは立川バスも同じ区間がありますが、西武バスの乗り継ぎなので西武バスにこだわりましょう。

2021年8月10日火曜日

西武バス最西端(柳川)→最東端(新江古田駅)乗り継ぎ

はじめに


ふと思い立ったことなので適当に書いてみました。つまり、実施したわけではありません。

2021/08/10時点で公式ページの情報に基づきますが、個人で見た結果なので正確性は保障しません。

あくまでも調べてみただけですので、実際にやろうという奇特な方はダイヤの確認をお忘れなく。

最西端、最東端の判断は公式の路線図等から適当にやっていますので、誤差はあると思います。

また、宿20系統は除外しています。厳密には色々路線網がつながっていない、ダイヤ上困難もありますが、この系統だけは完全に孤立系統なのでご容赦願います。

(歩くにしても遠すぎて別ゲーになるし、そもそも本数が)


以下、全て日曜ダイヤを前提とします。新江古田駅行へ行く便が、記載の便とその戻りしかないためです。


乗り継ぎ例


飯41-1系統 飯能駅南口発東青梅駅行


7:32 柳川発

7:44 東青梅駅着


ちなみに、始発便前に柳川につくには、都営バスで東青梅駅からアプローチできます。

或いはこの便は、飯能駅発なので始発から乗るのもありでしょうか。

また、新江古田駅→柳川は、本系統の終車が速いため不可能です。多分。


入市32-1系統 河辺駅北口発入間市駅行


8:15 野上発

8:40 扇町屋着


いきなり2本目にして徒歩。東青梅駅前の都道を真っ直ぐ1.5kmほどです。

線路沿いに歩いて河辺駅を目指すのもありでしょう。

飯41は河辺駅南口行、入市32は東青梅駅発がありますが、いずれもダイヤが合わないため徒歩が必須です。


入市51系統 入間市駅発入間市博物館行


8:46 扇町屋発

8:55 北中野着


この乗り継ぎに間に合わないと、次は9:04発の箱根ヶ崎行になるため、次の大六天経由便には間に合わない。

しかし、私も以前この系統には乗ったことがありますが、実際に6分乗り換えが可能かと言うとかなり微妙。日曜の朝(そう早くもないが…)ならば、可能かもしれません。


小手06系統 宮寺西発小手指駅南口行


9:22 JA宮寺支店発

9:36 大六天着


大六天からは約3kmの歩き。次の9:40発は大六天を経由しないため、小手指町四丁目から4kmを1時間で歩くことになります。ただ、時間には余裕があるので大丈夫でしょう。

バスだけを乗り継いで所沢を目指すとしたら、入間市~狭山市~新狭山~川越~所沢営業所~所沢駅東口というのが、路線図上は目につきますが、ダイヤ上つながりません。

徒歩距離を減らすならば、狭山市駅から柏原NTまで行き、かすみ野へ歩き、バスに戻って川越~所沢と辿るのも可能ですが、時間がかかりすぎでしょう。


所52系統 所沢駅東口発志木駅南口行


11:05 所沢駅東口発

11:52 志木駅南口着


長距離路線なので遅延がやや気がかかりですが終点まで乗りとおすだけです。

ヤバそうなら野火止角で降りて野火止大門まで走るという荒業もあるのかもしれませんが。


ひばり73系統 志木駅南口発ひばりヶ丘駅北口行


12:06 志木駅南口発

12:24 福祉センター入口着


福祉センター入口は、このバスは道路上につきますが、次のバスは横断した先の回転場から出ます。

これで間に合わなくて次になった苦い経験が私にはあります。


泉30系統 福祉センター発大泉学園駅行


12:36 福祉センター発

12:59 大泉学園駅北口着


こちらは始発から終点まで乗るだけ。

練馬区に入ってから学園通りまでの狭隘区間が見所。

学園通りの渋滞には要警戒(してもどうしようもないですが)。


練48-1系統 大泉学園駅発新江古田駅行 


13:13 大泉学園駅北口発

13:58 新江古田駅着


最後のバスは1日1本の新江古田駅行。
途中の練馬駅までは多少の本数が残されていますが、新江古田駅までは完全に維持しているだけというダイヤですが、昼間なので乗りたい人には優しいですね。
2021年6月23日水曜日

地政学の思考法(ペトロ・バーニョス著)

国際社会を支配する地政学の思考法―歴史・情報・大衆を操作すれば他国を思い通りにできる
"
隣国を出し抜き、大衆をコントロールする権力者たちの「16の戦略」とは? 国防・諜報の裏の裏まで知り尽くしたトップレベルの軍事戦略家が、勝ち残る国がやっていること・やらないことを、歴史上の出来事や最新の世界情勢をもとに明かす。 世界はまるで、学校の教室のようなものだ。権力を握り影響力をおよぼす「リーダータイプの子」は、その力をみんなのために使うとは限らない。自分のパワーを誇示し、弱い者や気に入らない子を徹底していじめることもある。 リーダーの周りにいる「取り巻きの子」は、強いリーダーにこびへつらって自分の立ち位置を守る。「いじめられっ子」を残酷にいびるのは、リーダーよりも取り巻きの子のほうだったりする。 リーダーのグループには入らず、べつに権力も望まない「マイペースを貫く子」も存在するが、彼らとは別に「どんな活動にも参加しない子」もいる。彼らはかたくなで、誰かに馬鹿にされたら、思ってもみないような過剰反応する。 さあ、どの国が、どの子だろう?  権力者の偽善とかけひき、カネ、情報、大衆、宗教、善意さえも武器にするしたたかな権力者たち。国際社会のパワーゲームで、これからの世界が地政学的に見えてくる。
"

 

はじめに


支那包囲網が強まる中、今後の国際情勢を考える上で興味深い本ということで買ってみました。

ただ、表題は「地政学」とありますが、正直地政学とは内容が異なります。翻訳本にありがちですが、売れるタイトルを無理やりつけているパターンです。

ちなみに、原題は「How They Rule the World」です。帯には「隣国を出し抜き、大衆をコントロールする権力者たちの16の戦略とは?」とありますが、こちらの方が実態に沿うものです。


概要


まず、国際紛争が絶えない理由について、「権力を保持する物は、地球上どこにいても、どんな手段を用いても、自身の覇権を脅かす他者の出現を妨害する」という基本原則を示します。

その上で暴力がなくならない理由について、暴力に訴えられることへの恐怖が、どんな対外関係においても基本的要素であり、対話が成り立つのは理性的な相手に限るため、教育や礼儀や暴力への対抗手段になり得ないとします。

次に「武器としての経済」として、戦争を含む政治的出来事は、経済によって主導されているとします。グローバリゼーションが進んだことにより、領土の支配だけではなく、市場の征服や先端技術の支配が重要になっており、国家が権力や国際的地位を獲得するのには、既に経済力が軍事力に取って代わったと言います。

このグローバリゼーションについて、英米のアングロサクソンが作り推進してきたものですが、支那がグローバリゼーション及び自由貿易の世界的リーダーとなり、さらにその支配者になることを目指していると喝破します。

このような目的のために、権力者が使う戦術として実例を挙げながら、それぞれの戦略について解説していきます。

そのうち、以下3つの戦略について、特に私が興味をひいたので取り上げます。


ハシゴを蹴り倒す戦略


これは、頂に上りつめるために自分が使ったハシゴをわざと外し、他者が後から続いてこないようにすることです。

この戦略の具体例としては、自由貿易・グローバリゼーションを世界に広めた英国、世界の政治や経済に関わることをすり合わせるG7、安保理常任理事国しか核を持てない核兵器不拡散条約等が当てはまるものとして示されます。


法を歪曲する戦略


「ローフェア」という言葉で言われるもので、定義としては「法律を武器のように使うこと」です。
つまり、合法という庇護のもと、自国の行為を正当化するために、法律を捻じ曲げることになります。

具体例としては、2011年のリビアの介入について、「保護する原則」という具体例を持ち出しながら、介入の真の目的には石油利権があったと指摘します。
この「保護する原則」の定義が不明確であるため、自由に解釈ができるのです。

また、大国が国際法や国際機関に従う意思がないことの一例として、ICCの根拠となったローマ規程に対し、米国、支那、露国等が署名も批准もしていないことが挙げられています。


大衆を操る戦略


スペインの詩人の言葉として「世界はそれを通してみるレンズの色をしている」というものがあり、筆者はその色合いは、読んでいる新聞、見ているテレビ、聞いているラジオによって違い、メディアは客観的な現実とはめったに一致しない「人工的」で打算的な光景を作り出していると指摘します。

その上で、
情報を受け取ることでより賢明になるという愚を犯してはならない。真の知識というものは、疑いを持ち、自分自身で分析することからしか生まれない。情報量が増えれば増えるほど、むしろ無知になる。

警告を発します。

このようにメディアの影響は大きいのですが、その世界のメディアはさらに、それを支配する巨大なコングロマリットがあり、その多くが米国に存在するのです。

具体例として、CNN効果というものがあります。この米国企業24時間世界中の出来事の映像を流し続けることに由来します。このニュースの即時性が、ニュースが何かということを決定するテレビ局によって現実を作り出すことになり、政治活動に影響を及ぼす世論の発生器となるのです。


考察


国際紛争が絶えない理由については、本書と全く同意見です。付け加えることはありません。

権力にしても金銭にしても、物質のように「満ち足りる」という状態がない(例えば食べ物ならば、いくらおいしくてもどこかでお腹一杯になります)ためです。

さらに、持つものがより持つという事が可能であることから、人間の様々な感情を刺激するわけであり、富を求めるという欲望は絶えないのです。

一方で、この欲望を制御する試みというのは、人類史上成功した試しがなく、また欲望が進化と表裏一体である以上、全ての人間が現状維持もしくはそれ以下でよいという合意を取るという、ほぼあり得ない条件の上でしか成り立たないのではないでしょうか。


その次の「暴力への恐怖が基本要素」ということについて、日本の教育は歴史も現実も正しく教えられていないため、多くの日本人は前提として「他者は戦争や破壊を望んでいない」「他者は定められたルールや倫理、規範に従う」と考えているのではないでしょうか。

このようなリベラリズム的発想は、学問の世界では幅を利かせているかもしれませんが、本書の「法を歪曲する戦略」等を見ればわかる通り、全く現実味のないものです。

ネットでまことしやかに語られる朝鮮の諺に「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる」というものがありますが、他者は自己の利益の次には、自己以外の利益が減ることを求めるものです。

リベラリズムが主張するような「相互依存」の要素もあるため、闇雲に破壊に走らなくはなっていると思います。また、軍事力の発展により、自己利益拡大及び他者利益の毀損を目的とした手段としては、破壊の規模が大きくなりすぎたということもあるでしょう。

そのため、世界大戦に繋がる事態にはなりにくいかもしれません。しかし、それは反撃で自己の利益が毀損することを恐れるものであって、反撃のリスクが低い場合は、当然相手の利益を減らすために行動に出るのです。

世界大戦が誘発されるリスクが低下したこととは別に、中小規模の戦争が起こる可能性や、さらに戦争以外の方法での闘争は、依然として存在するというより、むしろ高まっているのではないでしょうか。


「ハシゴを蹴り倒す戦略」は日本が全くできなかったことの一つです。高度成長期の経済発展は人口増加が大きい要因を占めていたと言われます。それでも当時に築いた経済的地位や技術的優位性は十分にあったはずです。

それが現状のようになってしまったのは、ひとえに当時の政治・企業指導者の戦略のなさに尽きるわけですが、転落の起因としては、個人的にはハシゴを他国に登られたという部分が多いにあるように感じます。

日本も大戦直後、工業はボロボロだったはずです。そこから這い上がったのは、そもそも基盤があったとか、アメリカが反共の拠点として優遇したとか、色々あるでしょうが、まずはパクリと外国からの投資であったはずです。まずは工場として。次に研究を重ねて、日本にしかできないことが増え、世界にとって不可欠な存在となることで多くの富を集めたのです。

そこでハシゴを蹴り倒しておけば、すなわち技術が盗まれないように徹底し、他国に出す工場は純粋な単純労働や摩擦回避のアリバイだけにし、自由貿易を活用して他国の産業を弱らせ、投資はジャパンファーストとしておけば、日本が這い上がったその道を台湾・朝鮮・支那・東南アジア等に歩まれることはなかったのではないかと思うわけです。

ちなみにもう一つ大きかったと思うのは、ルールチェンジへの対策です。今の世の中で言えば、欧州や支那、米国がEVを掲げています。これは、日本のハイブリッド車に、欧州のディーゼル車では敵わないという面が大きかったのではないでしょうか。もう少し遡れば、ITもそうでしょう。ルールチェンジというのは、提案する側にとっても大変なものですが、それでも他者の牙城を潰し、自己が取って代わる可能性があるとすれば、その可能性に掛けることはあるでしょう。

日本は経済規模の割に、軍事力と外交力を軽視し過ぎていました。吉田ドクトリンは復興期には意義があったかもしれませんが、何十年も持続可能なものではなく、適切な軍事力とそれから生じる外交力を持っておかなかったことが、最終的に交渉力の欠如となり、ちゃぶ台をひっくり返されてしまう事態になったのだと思います。


「法を歪曲する戦略」については、日本人が必要以上に信じている国際法というものが如何に脆いものかということを伝えたく、取り上げました。

日本人が本来はそれを一番自覚しなければならない立場のはずです。原爆投下等の戦争犯罪や極東国際軍事裁判による見せしめ的処罰を始め、連合国の行った「法の歪曲」の犠牲になっているのです。

法律というものが社会において、そして世界において、どのように扱われるものなのかということは基礎教養として理解しておくべきではないでしょうか。なお、私は法学部を出ました、一切この手のことは教えられず、条文解釈ばかりをやって記憶しかありませんが。


「大衆を操る戦略」は、最近の私の関心事項です。人間が直接認知できる能力を大きく超えて、人間社会が拡大している以上、メディアを通して間接的に認識する内容の重要性が高いことは言うまでもありません。

本書にあるように、メディアは権力者が利用する道具として、非常に有用です。さらに、メディアはそれ自身が資本主義社会の中で利益を求める存在でもあります。

この2点から導かれることは何でしょうか。共通点はどちらもより多くの大衆の目に触れることへのインセンティブが働くということです。言い換えると「大衆の見たいものを見せる」ことがメディアの利益になるのです。

逆に言えば、価値ある出来事や真実と言うのは、見せる内容を支配したい権力者にとっても、見せることで利益を得たいメディアにとっても、必ずしも利益にならないのです。

その一方で、メディアとて資本主義社会において、市場と言う枠組みにおける競争から逃れることはできず、卑俗であっても多くの人に見られるものを流すメディアが多大な利益を上げ、正しい真実を流しているものの人目に触れない・避けられがちなメディアは淘汰されるのです。

また、CNNが24時間ニュースを流し続けることで得ているCNN効果なるものも本書では触れられています。これは情報を多く得ることで、自己満足を得たい大衆のニーズを果たし、さらに世界の重大事を常に速報できることで、一種の権威が生まれます。

では、ジャーナリストやメディアの倫理に期待できるのかと言えば、それは全く違うわけです。


先ほども少し触れましたが、リベラリズム的な考え方、つまりルールや規範、倫理等について何故期待できないのかという点を述べて終わりにしたいと思います。

簡単に行ってしまえば、アナーキーな国際社会において生じている権力闘争や、資本主義構造というのは、人間の本能に根差しているからだと考えます。

権力を得ること、お金を稼ぐことは先ほども言った通り、人間の本能です。では、ルールや規範、倫理を守ることは、本能ではないと思います。人間は社会的な生き物であり、他者から承認されることに対する欲求を持っています。承認欲求の一環として、他者からよく見られたいと思えばルールを守るかもしれません。しかし、それは「間接的」なものであります。

これは、対外関係において、暴力に対する恐怖が一番先に来ることと似たようなものです。



こちらの本もおすすめです。


中国の「核」が世界を制す(伊藤貫著)陸と海 世界史的な考察(カール・シュミット著)
2021年6月15日火曜日

親から貰った資産とは何か

全文


お気持ち表明記事なので、読む価値は全くありません。
結論は、そんなことを考えるだけ無駄というものです。

はじめに


基本的に私はフォローを必要以上に増やさず、有害なものは積極的にブロックする方針でTwitterを運用しているため、ちまたで話題になる株クラなるものを知りません。
投資家にとって必要なものでもありませんし、パフォーマンスには影響ないかむしろマイナスだと思います。

それでもたまに見えてしまうのですが、資産額が大きいことになっているとある比較的フォロワーの多い人が、実はその資産が親から貰ったとか親の資産を運用しているとか云々かんぬんで話題になっていました。

実にどうでもいいことですが、なぜどうでもいいのかということをお気持ち表明してみます。
これは全部「投資家」目線(のつもり)で書いているので、ネットで騒ぎたい・目立ちたいだけの人やインフルエンサーの視点には立っておりませんので。


他人の資産の多寡は何の影響があるのか


私がまず疑問に感じるのは、この点です。ちょっと推論してみるとこんな感じでしょうか。
  1. 投資家として参考にするために、成績の良い人を選びたい。
  2. お金持ちであれば、所謂「上級」のネットワークがあるはずなので、コネクトしたい。
  3. お金持ちと交流があることをステイタスにしたい。

まず、投資家の成績というものを考えてみましょう。

1つ目に、資産の多寡が投資成績として=かと言えば違います。
今、5億円持っているとしましょう。
100万円から投資で増やしたとすれば、少なくとも凄腕であると殆どの人が思うのではないでしょうか。
これが1000万や1億円だとしてもそうでしょうかね。

ただ、4億9500万円からだとしたらどうか?増えていますけど成績としてはよろしくありませんね。
元々5億円持っていたのなら増えていませんし、10億円持っていたのならばむしろ減っています。

つまり、パフォーマンスをちゃんと算出しないといけないと思いますが、現時点での資産だけでは情報が不足していますね。

2つ目に、過去の成績がよかった人が、今後も投資家として好成績を上げるかと言うと、それも違います。
アクティブファンドの例を見ればわかるとおり、継続的にインデックス投資に上回るものは、殆どありません。
個人投資家は、アクティブファンドとは事情が違いますが、別に例外ではなく、継続してかつ十分に勝つことは容易ではありません。

3つ目に、投資成績がよい投資家をフォローすることが、良い情報を得られるとも限らないことです。
仮に過去の投資成績が良く、今後も投資成績が良いであろう投資家がいたとして、その人は自分の手法を積極的に公開するインセンティブがあるでしょうか。普通はあるはずがありません。
その手法を使って市場からお金をもらい続ければ十分なお金が手に入りますし、公開すれば追従する人が増えることにより、優位性は失われます(効率的市場仮説参照)。

ということは、積極的に投資手法を公開する人の意図は、以下が考えられます。
  • 優位性が手法自体ではなく、人間にある。
  • 既に賞味期限が近いか切れている。
  • 元々大した優位性が無く、安定的に稼げない。
  • そもそもフェイク。
  • マウント目的。
  • 聖人。
後者二つであれば、その手法をパクって勝てる可能性があります。メリットデメリットを考えて公開しているわけではありませんので。
一番上についても、人によっては勝てると思います。あなたがその投資家と同じ優位性を持っているか、もしくは機械を使うことで優位性がなくとも手法を的確に運用できることになります。

しかし、残りの3つの意図であれば、どうしようもありません。


話が長くなりましたが、自分に役に立つ情報を発信する人を見つけたいなら、資産の多寡や投資成績、フォロワー数、視聴回数は参考情報でしかなく、本質的には発信内容を見極めるしかありません。
そこが見極められないのらば、まず勉強していくしかないでしょう。


私はただの「一般」国民なので、「上級」のネットワークとやらを実際に見たことはありませんが、Twitter(笑)からそんなものを探すのは無粋でしょう。
そもそも、本気でそう思うなら、親から一杯資産をもらった人の方が可能性は高そうですね。

お金持ちと交流があることをステイタスだと思う人は、それ自体が私には理解できかねることですが、ステイタスにしたいなら、まずリアルで会ってそのお金が本物だと確認するのが先決じゃないですかね(笑)


親から貰った資産とは


普通に考えれば、実際に贈与なり相続という形で貰ったものを指していると思います。
その解釈は正しいのですが、もう少し広く考えれば、議論をしている自分だってそうじゃないの?ということです。

お気持ち表明記事なので、詳細は自分で調べてくださいと丸投げしますが、世の中は一応「機会の平等」という形になっています。
とはいえ、実態は「知能による区別(差別?)」があります。

何事も例外はありますが、基本的に高卒と大卒では生涯年収に大きな差があります。日本でもアメリカでも。
大学を卒業してもそのランクによって差があるでしょう。
これははっきりと知能による区別が行われていることの証左です。
いくつかアファーマティブアクションなどの例外はあるでしょうが、基本的には入学試験に受かり、そうして卒業証書をもらうには一定の成績が必要であり、これには知能が必要です。

このことを良いとか悪いとか論じる訳ではありません。
ここで考えるのは、その知能はどこから来たのかということです。

知能を含めたその人の形質については、双子を使った研究というのが実際に行われています。
双子は遺伝的には同一ですが、環境は異なるわけです。
その内容を一つ見てみますと、知能というのは、かなりの部分で遺伝の影響を受けているわけです。

ここまでの内容をまとめると、今自分が自己の努力で稼いでいると考えると「お金」というものは、実は親から受けた遺伝による知能に依存している部分があるということです。
これはあくまでも一般的な傾向からそういう可能性もあるということであって、自己肯定感のことを考えれば、自分の力で稼いでいるのだと思っておいた方が健康でしょう。

つまり、私が言いたかったことは、今持っている資産の中で、どこまでが親による影響で稼げたのか、どこからが自分の努力で稼いだのかは、多くの人が考えるほど簡単にスパッと切り分けられる話ではないのでは?ということです。
そして、それを分けたところで、未来には何も意味が無いということも、前項で指摘した通りです。
だとしたら、無駄なことは考えない方が幸せでしょう。

結論


色々グダグダ言ってきましたが、最後の帰結は
  • 他人が大金を持っているのは嫌
  • (何も努力していなさそうなのに)お金を持っているのが嫌
ということなんじゃないですかね。

インターネットは、非常に便利なツールですが、その一方で見ても意味が無いどころか、不利益なものまで見えてしまいます。

お金を増やしたい投資家も、有意義な人生を送りたい人も、真偽を判定できない、また出来ても実入りの無いことに、感情的にかかわるよりも、正しく情報を捨てることが重要なのではないでしょうか。
2021年5月22日土曜日

”悪の論理”で世界は動く!(奥山真司著)

はじめに


日本では数少ない地政学がわかりやすく書かれている本です。

2010年と少し前の本であり、オバマ政権下、支那が戦狼外交に転じる前の本ということもあり、日本の情勢についてはやや陳腐化しているという印象を受けます。

地政学やリアリズムに関する内容に絞り、あらすじと考察を記載したいと思います。


あらすじ


第1章 世界は"悪の論理"で動いている


日本人は、基本的にグローバル社会と言えば、国境のない開かれた社会を連想し、今後は世界平和に向かっているという考える人が多い。
しかし、マッキンダーの「クローズド・ポリティカル・システム」を挙げ、それは違うと指摘する。
マッキンダーの考えは、「大航海時代が終わり未知の領域がなくなってしまったため、世界のパイが決まり、後はそのパイを取り合う争奪戦になる」というもので、これは予想通り、第一次・第二次の世界大戦等で実現されていく。

この状況を踏まえ、日本の周辺国である支那・露国・朝鮮等があらゆる手段で権益拡大のためにあれこれ仕掛けてくる。このことについて、国際法や外交倫理とは別の「悪の論理」で周辺国が動くことを指摘し、それを見抜く方法の1つとして、地政学があるとする。

第2章 日本の国益は技術だけで守れるのか


表題の問いに対し、戦略の7階層を筆者は指摘する。

世界観
政策
大戦略
軍事戦略
作戦
戦術
技術

という階層構造であり、上の階層にあるビジョンを実現するために、下の階層のアクションが出てきます。
しかし、日本の場合、一番大事な「世界観」が決定的に弱く、この答えを政府も国民も殆ど持ち合わせていないと指摘する。
原因は、アメリカに戦争で敗北し、支配下に置かれたところでGHQによる思想改造の影響があると筆者は指摘します。

この状態で進んだテクノロジーを持ったとしても、その技術を使って世界で何をしていくのかという、視点や思想が決定的にかけており、その状態では高い技術もガラクタ同然ということである。
そのため、戦略に長けた国である、アメリカや支那の「下請け」になってしまうのです。

第3章 世界の常識「地政学」とは何か


この章は地政学の歴史を通じて、地政学が何かということがわかります。

古くは、古代インドのカウティリアの「実利論」や孫子の「兵法」にもその考えが現れるようです。
地政学が学問的理論にしたのは、イギリスのマッキンダーで普仏戦争の鮮やかな勝利を契機とするものでした。

その前に地政学が生まれる伏線として、重要な役割を果たしたのが、アメリカのマハンです。
マハンは人類の歴史をベースとし、ユーラシア大陸の「ランドパワー」とそれを取り囲む島国の「シーパワー」がぶつかり合うという構造を提唱します。
アメリカはシーパワーの島国(大陸はこの場合ユーラシア大陸のみを指す)であり、ランドパワーに対して外洋からコントロールし、勢力が海に向かってこないようにするのです。
これは、イギリスが歴史的に行ってきた戦略であり、それを研究する中でマハンが発見したのです。

マッキンダーは、「人類の歴史はランドパワーとシーパワーによる闘争」とし、ヨーロッパの歴史はユーラシア大陸南部の「ハートランド」から攻めてくる勢力とそれに対抗する海側の勢力によって形作られた歴史と考えます。

そして、アメリカのスパイクマンは、「リムランド」という概念を提唱します。
マッキンダーはユーラシア大陸こそが中心地としますが、実際のその中心は砂漠や山岳地帯であり、都市が栄えている部分というのは、すべて海岸線から200キロ以内の沿岸部であるということから、大陸の淵である「リムランド」こそ重要と説きます。
リムランドを制すれば、ユーラシア大陸を制し、ユーラシア大陸を制すれば、世界の運命を制するのです。

このような地域概念と関係性を元西、自国の戦略を構築していくかが、地政学の真骨頂です。
近代の地政学で重視されるのは、リスクとリターンの兼ね合いから、他国を打ち負かすよりも「コントロールすること」であり、その場合のポイントとなる概念として、「チョーク・ポイント」と「バランス・オブ・パワー」があります。

「チョーク・ポイント」は、広い大陸を支配するのは困難であり、海上交通の要地(パナマ運河等)をコントロール下に置くことで、世界の政治に影響力を及ぼすというものであり、これを行ってきたのがまさにイギリスであり、アメリカです。

「バランス・オブ・パワー」は、ランドパワーが外海に出ようと力を持ちすぎないことや、結託してシーパワーに挑戦しないようにするため、各国の勢力均衡を図るというものです。


考察


地政学というのは、まさに今日本が直面している現実というものを、実にわかりやすく示しています。
たとえば、支那であれば、元々はソビエトとぶつけるために、アメリカが懐柔しました。
ソビエト崩壊後も貧乏国であり、あまり問題視せず、経済発展すれば自由・資本主義側に転ぶだろうとしていましたが、いよいよ力を蓄えて外海に出ようというところで、アメリカも重い腰を上げ、支那に対する対抗策を次々を打つようになりました。
歴史や実態から生まれている学問だからこその説得力です。

一方、日本人が信じ込んでいる、所謂リベラリズムとか国際協調主義というのは、現実と言うよりも理想(戦争がなくなればいい)から始まっているために、現実的な効力がないばかりか、時にはまさに”悪の論理”に使われてしまうことになります。

理想はあって然るべきなのですが、その前にまずは現実として国際社会で行われていることを理解し、現実に対応して生存し、権益を拡大し、地位を得てから理想を実現していくものでしょう。
もっとも、日本の場合は理想というよりは、単に現実が見えておらず、意思を持たないだけと言う厳しい有様であります。


こちらの本もおすすめです。


中国の「核」が世界を制す(伊藤貫著)
2021年5月5日水曜日

情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記(堀栄三著)

情報なき国家の悲劇
"
情報を扱う全ての人へ。先人の貴重な教訓に溢れた名著。 「太平洋各地での玉砕と敗戦の悲劇は、日本軍が事前の情報収集・解析を軽視したところに起因している」 ―太平洋戦中は大本営情報参謀として米軍の作戦を次々と予測的中させて名を馳せ、 戦後は自衛隊統幕情報室長を務めたプロが、その稀有な体験を回顧し、情報に疎い日本の組織の“構造的欠陥""を剔抉する。 戦史ファン、歴史ファンはもちろん、現代のビジネスパーソンに最適。 「企業の方々が読まれる場合には、戦略は企業の経営方針、戦術は職場や営業の活動、戦場は市場(マーケット)、 戦場の考察は市場調査(マーケティング・リサーチ)とでも置き換えて読んでくだされば幸甚である」
"



はじめに

本書は、大東亜戦争において、大本営で情報参謀として米軍の侵攻パターンを的確に予測したことで「マッカーサー参謀」と呼ばれた堀栄三氏の体験記です。

大東亜戦争の実態を大本営参謀として体験した内容そのものが興味深いものがありますが、今回は、大東亜戦争の敗因と情報をどう活かすかということについて、氏の体験から考えを深めてみたいと思います。

まずは、個人的に気になった点の抜粋です。


抜粋


陸大だけが最終目標にあらず


堀氏が将来の人生に大きな影響を与えた将軍の一人として、本書で名前が出る寺本中将の言葉です。この言葉の締めくくりは「椅子の権力を自分の能力と思い違いしている人間ほど危険なものはない」です。

堀氏はこの言葉について、

陸大を出て枢要なポジションに就くと、そのポジションに付随した権力をまるで自分がもって生まれてきたかのように私物化し、乱用する危険を戒めたものであろう。

としています。 


ドイツ課とソ連課のやり方


堀氏は大本営情報部に移動してから、短期間でドイツ課→ソ連課→米英課と言う風に異動しています。
本書中にも何度か出てきますが、ドイツ課とソ連課のやり方を短期間とはいえ見たことは大きな経験になったようです。

ドイツ課は大島浩大使が、ナチス・ドイツの幹部(ヒトラー・ヘス・リッベントロップ等)から容易に意見を聞けるということや日本軍人の親独感情などから、その情報を絶対視していたようです。

一方、ソ連は敵国であり、このような方法では情報が取れないため、シベリア鉄道の状況を見るとか、ソ連やその隣国を旅行する、新聞雑誌の要人発言を確認して内容の変化を見るといったことから、スパイや放送傍受、暗号解読まで、「砂礫のような情報の中から一粒のダイヤを見つける」やり方をしていたようです。

この違いについて、ドイツ課は一方的な一本の線で見ているが、ソ連課は常に疑い、他の情報との関連を見つけようとし、二線、三線の交叉点を求めようとしていたと指摘します。


情報戦争とは


情報戦争というものについて、堀氏は以下のように定義します。
情報はまず収集の段階で抗争が起る。お互いに教えたくない、知られたくない情報を、あらゆる手段をつくして取ろうとし、取られまいとするのであるから、この抗争が情報戦争である。

この情報戦争は、実際の戦争が起こる前から当然始まるものであり、先の大東亜戦争でいえば、米国は寺本中将曰く大正十年からであったという。

情報戦のエピソードの中で1つ紹介します。米国の日系人収容は有名ですが、これについて堀氏は、以下のように指摘します。

第二次世界大戦で日本が開戦するや否や、米国がいの一番にやったことは、日系人の強制収容だった。戦後になっても日本人は、これが何のためにだったか知っていないし、知ろうともしない。(中略)日本のある経済界の要人が(中略)米国が真珠湾攻撃を受けての反日の感情的処置であったと考えているふうであった。どうして日本人は、こんなにまで「おめでたい」のだろうか?(中略)裏から見れば、あれで日本武官が営々として作り上げてきた米国内の諜者網を破壊するための防諜対策だったと、どうして考えないのであろうか。(中略)四十年後に何百万ドル払って不平を静めようが、戦争に負けるよりはぐっと安いのである。

日本のエピソードですと情報軽視ということばかりですが、それなりに本土にも目はあったようで、それを軒並み潰されてしまったことも大きかったようです。


戦略のミス


本書で現れる重要な教訓の1つとして、「一握りの指導者の戦略の失敗を、戦術や戦闘で取り戻すことは不可能である」というものがあります。
そのため、堀氏は、
一握りの中枢の人間の心構えが何よりも問われなくてはならない(中略)情報を重視し、正確な情報的視点から物事の深層を見つめて、施策を立てることが緊要となってくる。
と指摘します。

帝国陸軍での「戦略の失敗」は、アメリカと比べて戦略・戦術の研究が遅れており、「航空機・制空権」が無視されており、補給・兵員輸送・偵察等の様々な問題があったことや、武器や戦車の性能差のみならず戦艦の艦砲射撃を活用することで、圧倒的に優位な「鉄量」を確保していたことなど様々な問題が指摘されています。


言い切ることの難しさ


敵情判断で最大の難事は、言い切ることである。しかも情報の判断をする者には、言い切らなければならない時期が必ずやってくる

堀氏が山下方面軍の情報参謀に従事していた時に、ルソン決戦を諦め戦略持久に切り替える際に、マニラの軍需品や傷病者をルソン島北部へ移送しなければならないので、どこに上陸するかの情報は遅くとも2ヶ月前に出してくれと言われた時のことです。

堀氏は傍受した無線電話やマッカーサー軍の戦力交代のローテーションから時期を予測し、さらに上陸地点の予測までします。

限られた兵力でルソン島を守る以上、あっちもこっちもと兵力を配置できないわけですから、タイミングと場所ははっきり予測できなければ、意味がないのです。


考察


陸大だけが最終目標にあらず


この問題は現代にも通じますが、「椅子の権力を自分の能力と思い違い」している人間の多さというものは目に余ります。
権力は天賦のものでもなければ、その人自身の能力でもない。民主主義社会における権力というのは、有権者全体からの負託によるものです。
政治だけではなく、企業でも同じです。株主が取締役に付託し、取締役が部長に、部長が(ry

私はこのような「権力」の在り方というものが、日本人に全く浸透していないところに、日本がまだ民主主義を理解、実践できていないと感じます。結局は、大多数の日本人は、「権力」を上下関係ととらえているのではないでしょうか。
「負託」として考えれば、適切な能力・見識がなければ、退場させることができます

大東亜戦争で日本が敗れたのも、思い上がり準備を怠ってきた軍人(特に作戦参謀)にあるということを筆者は指摘しますが、その中には退場させるという選択肢を持たず、理不尽にも不合理にも「耐える」という対応しか持たない日本人の発想の貧困さがあるのではないかと思います。

日本が「軍国主義化」したということもありますが、私は順序が逆であり、大正デモクラシーの頃から「民主化」していくべきであったのにも拘らず、表層だけで実態が伴わなかったが故に、「独裁的」な権力というものが発達した結果の「軍国主義化」ではないかと思います。

大東亜戦争の過ちを繰り返さないため、独裁国家との闘い(軍事的な戦闘だけではない)のために、正しい民主主義を一人でも多くの日本国民に浸透させるべきではないでしょうか。


ドイツ課とソ連課のやり方


ソ連課の手法である、「常に疑い、他の情報との関連を見つけようとし、二線、三線の交叉点を求めよう」とすることは、現代人にとっても有用だと思います。

簡単に誰でも情報発信できる世の中において、偽情報や印象操作等に触れる件数は非常に多くなっております。また、メインストリームメディアと言えども、平気でこのようなことをするという有様です。
ある情報を疑い、他のチャネルからも情報を集めていくということは、必要不可欠なことではないでしょうか。
その中で情報の矛盾から正確性や発信者の意図を探っていくということも有用だと感じます。

情報戦争とは


サヨク系をはじめとする「平和主義者」からすると、今の日本は戦闘に巻き込まれておらず、「平和」なのかもしれませんが、堀氏の定義によれば既に支那や朝鮮、露国等の「情報」戦争は始まっていますし、恐らく同盟国ということになっている米国等も例外ではないでしょう。
今のままでいけば、大東亜戦争と同じ過ちを繰り返すことは必定です。

このことから学ぶべきは、情報戦争できちっと準備しておくことは、実際の戦争を抑止する一つの手法だということです。
国家が戦争を遂行するには、多岐にわたる相手国の情報を要します。それが少ない状況であれば、戦争を行うことで不利益を被るリスクが高まるわけですから、相手が合理的に行動すると仮定すれば、それは戦争が発生する確率を下げることに繋がります。

もう一つは米国の日系人収容もそうですが、時に安全保障は人権より優先するのです。
このような処置が大衆の非難を浴びなかった背景には、反日感情や有色人種への差別感情があったこと、現代より人権意識がはるかに薄かったことは否定できないです。
しかし、エリートはそのような感情だけでは行動しません。堀氏の指摘するように、情報戦争の一環として、最も効率よく日本の諜報網を封じ込めるには、各所に存在する日系人を除去するのが適当であったということです。

逆にいえば、日本がもし支那と戦争になるとしたら、日本中に存在する支那人や支那系日本人は除去できるのですか?ということになります。
そんなことを有事にできると、直接法律に書けるわけはありませんので、ぼかすかごり押すしかありませんが、少なくとも選択肢として想起できなければ、実行しようがないのです。
このような「泥臭い」ことができる人が、日本の中枢にはいるでしょうか。

戦略のミス


武漢肺炎対策、経済政策、ITや半導体等の技術開発……様々な戦略レベル(政治家や経営者)のミスや不作為を、戦術レベルでどうにかしようとして失敗するケースは目にあまります。
戦略を策定する意思や能力に欠ける者、失敗しそれを活かせない者は、即刻退場させないといけないのです。

言い切ることの難しさ


情報を扱う上で重要なことは、不確かなことはそのままでは使えないということです。
本書の例であれば、どこに上陸するかわからないけれど~いつ上陸するかわからないけれど~では、ルソン島を防衛することはできませんでした。
防衛に必要な体制は、瞬間的に構築できず、またノーコストでできるものではありません。

だからこそ、情報参謀である堀氏は、100%を保証できずとも、いつ、どこに米軍が上陸するかを様々な制約の中で、可能な限り見出し、断言することを迫られたのです。

もちろん、不確か中を試行していって正解にたどり着くということが許される場合もあります。しかし、世の中にはそうではないこともあり、その究極の例がルソン島の防衛の例です。もし、ここで不確かな情報のままであった結果、部隊が適切に戦闘準備してくれなければ、あるいは誤った情報で動いた結果、別の拠点から悠々と上陸されてしまったらば、取り返しのつかない兵士の命で贖うことになるのです。

情報を扱う上で、どのような場面でどう使われるのかということも、意識していかないといけないのではないでしょうか。
2021年4月28日水曜日

武漢肺炎が示す日本民主主義の危機と克服への道筋

はじめに


相変わらずの武漢肺炎狂騒曲が続いています。

度々Tweetはしていますが、この狂乱の中に見えた我が国の民主主義の危機についてまとめたいと思います。


ポイントは、

  • 人治国家の様相
  • 合理性の欠如
  • 利権構造
  • 大衆を煽るマスゴミ
の4点です。それぞれ解説していきましょう。


要請のおかしさ


最近は「要請」と言うキーワードが流行です。これは、新型インフルエンザ等対策特別措置法にも書かれていることであり、簡単に行ってしまえば、「命令」が憲法上不可能な日本において必要な措置を「要請」し、事業者や国民の「協力」で何とかしようという類の措置です。

この「要請」という行為自体は、(事前準備が如何に不足していたかということを除けば)真っ当な話なのですが、問題はその内容です。いくつか具体例を挙げましょう。




個々の内容については色々ありますが、共通点は「人治国家の様相」「合理性の欠如」の2点ではないでしょうか。
どうして武漢肺炎対策としてここまで私権を(実質的に)制限する必要性があるのか、この方法を取ることで武漢肺炎の感染拡大を止めることができるというエビデンス、あるいは合理的な理由があるのか、と言う点に重大な疑義があるからです。

武漢肺炎は日本でどうなっているか


ここまで私権制限をする必要があるのかという問いには、武漢肺炎がどれだけ日本で深刻な状態であるかということを確認しなければなりません。


まずは、このサイトを見ていただきたいのですが、日本における武漢肺炎の新規感染者は少しずつ増えているとはいえ、欧米諸国と比べると圧倒的に少ないことがわかります。

後は各自で計算していただきたいのですが、武漢肺炎が流行っているどうのこうのといっても人口の1%だって罹っていないということです。

もちろん、それだけ患者数が少なくとも、かかった人が高確率で死ぬとか重大な後遺症になるというのならば、やはり危険な病気と言えますから、感染者だけではなく症状も考慮にいればなければならないでしょう。
こちらも先ほどのサイトで確認できますが、正直なところ死者はかなり限られています。

ついでに、どのような人が亡くなったのかも見てみましょう。


このデータは衝撃的かもしれませんが、殆どが70代以上です。
受け取り方は人それぞれではありますが、人間はいつか死ぬことは不可避であることや日本の"平均"寿命が80歳超であることを鑑みて、この死者数というのは、一般の社会生活を行っている現役世代にとっては無視できる(死なないと考えてよい確率)のではないでしょうか

どの程度のリスクを武漢肺炎に感じるかというのは、個人の年代や健康状態によって左右される面があるとしても、特に現役世代から見れば、「狂騒曲」という他ないでしょう。

また、武漢肺炎という病気がないことが望ましいのは確かですが、一方で現実世界に支那共産党によってばら撒かれてしまった以上、どこかの野党が主張するような「ゼロ」というのは現実的な話ではありません
数多ある疫病の一つとして、世の中にあるという前提で、治療方法や治療薬、医療体制、ワクチン等の様々な対応をしていくしかないのです。

武漢肺炎対策としての合理性


さて、ここまで武漢肺炎のリスクが低いという話を散々続けたため、武漢肺炎対策は強化する必要がないとか、これ以上減らすことは難しいという結論になるのですが、その点は置いておき対策としての合理性を考えてみましょう。

実際に出ている「要請」は殆どが「人の動きを止める」ということを目標にしていると考えられます。
この要請を出す「合理性」とは何か。一つは対策に効果があること、もう一つはその効果がデメリットを上回ることです。

残念ながらこの点をまともに検討して出されているようには全く見受けられないのです。
「要請」というのは、簡単に言えばお願いなので、道理が通らなければ、お願いされた相手は納得しません。
だからこそ、「要請」する主体である政府や都道府県は、合理性に関して、説明責任を果たすべきです。尤も「命令」するのであっても説明責任は同じく必要ですが。


もう一つ、今のまんぼうや緊急事態宣言については、医療資源に関わる部分があります。
このこと自体はよいのですが、別の問題として、医療資源の確保・利用を正しく行っているのかということが生じます。

簡単に言えば、武漢肺炎の重症者が100人しかいない時に、1000床のベッドが確保されているのならば、使用率は10%で問題なさそうです。しかし、100床しかなければ、もう満杯です。
どのくらい重症者が発生するかを想定するのならば、諸外国のデータが参考になりますが、それを参考にして、医療資源を確保していたとすれば、想定外の事態は起こり得なかった(日本の方が圧倒的に感染者・重症者が少ないので)はずです。
しかし、実際には想定外という話が出ています。


このような状態で、「医療資源の確保・利用を正しく行って」いたにも関わらず、武漢肺炎が拡大して大変だから、経済を犠牲にし、私権を制限してまでも、対策を行わなければいけないと納得されるのでしょうか。

たとえば、高橋洋一氏は自身のチャンネルで、病床の確保が進まない理由として、医師会や厚生労働省の問題を挙げています。


他にも感染症法上について2類相当を下げることにより、医療資源の使用を減らすことも考慮されていたと思いますが、この点についても変わらずです。


ちなみに、2類には結核ジフテリア等が当てはまります。
見る限り、武漢肺炎よりも感染力や死亡率等は高そうなものです。

5類は、エイズや梅毒、麻しんです。
場合によっては重大な結果になる病ではありますが、感染力は低く隔離などは必要なさそうなものでしょうか。


このように、今されている私権制限を伴う要請には、
  • その対策を行わないといけない必要性
  • その対策を行うことで感染拡大が止まるという有効性
  • その対策を行う以外では解決できない必然性
の何れも乏しく、また要請する側の説明も曖昧であり、合理的な説明がされていないと判断せざるを得ません。


少数者の利益と多数者の損害


今回の武漢肺炎騒動に直接関係あるか、何とも言えませんが、利権構造の弊害が目立ちます。

例えば、
  • 武漢肺炎患者が来ることで儲からなくなる病院経営者と、発生した武漢肺炎患者に対応できる体制を望む国民。
  • 五輪開催で利益を得るIOCや招致委員会等と、武漢肺炎が持ち込まれることを懸念する国民。(もっと言えば招致・準備段階から色々ありましたが…)
このあたりでしょうか。

民主主義という政治構造には、自分の利害に関することを主張する団体のせめぎ合いと言う部分があり、ある程度利権団体が存在したり、その影響力で政治が動くことは避けられない部分があります。

しかし、政治家は国民全体の代表です。例え、特定の利益団体の票で当選したとしても、それは変わりません。つまり、国会議員にとっての第一優先は、日本国であるべきです。

残念ながら、国家議員は国家の前に票を入れた利権団体の方を向いてしまうため、このような事態になっているのではないでしょうか。


マスゴミが拡散するインフォデミック


武漢肺炎において最大の問題かもしれないのが、インフォデミックです。
インフォデミックとは、不正確な情報や誤った情報が急速に拡散し、社会に影響を及ぼすことを指すことです。

例えば、NHKのこの記事について、

よく見る感染者数の報道ですが、人数が増えた・減ったということを毎日流されています。
これ自体は嘘ではないかもしれませんが、重要なことが抜けています。
前々から本稿で指摘している通り、この感染者数は人口のごく僅かであるということです。

また、感染者数という数字についても、単なる数字の大小だけではなく、インフルエンザ等の他の感染症だとどうかということや、諸外国との比較など、様々な観点から見なければ、この数字を正しく解釈はできません。

個人的にはこの感染者数は既に意味をなしていないと思います。これは、実際に治療が必要な人数との乖離が大きいと考えられるからです。

インフルエンザであれば、恐らくほとんどの場合は、発熱、しかも高熱である人に対してしか、検査しない(検査しても発見できない)ため、報告される数はほぼ治療が必要な患者数と考えてよいでしょう。
武漢肺炎の場合は、濃厚接触者としてPCR検査をしますし、それ以外でもお金を払えば検査する手段がたくさん喧伝されています。
つまり、陽性者=治療の必要な人ではありません
武漢肺炎が日本に持ち込まれた初期であれば、陽性者を隔離し、ウイルスを拡大させないことに意味がありました。しかし、今全国にばら撒かれた状態で、意味があるのでしょうか。

普通に生活するにあたり、武漢肺炎のウイルスが陽性であるかどうかは、生活の妨げにならないわけです。「風評」さえなければ
既に人口の1%にすら満たない上に、発症している人はさらに少なく、重症化・後遺症等で生活に影響する人は、さらに少ないと考えられることになり、確率を考えれば繰り返しになりますが、無視できるのです。「風評」さえなければ。

その「風評」を振りまくのがマスゴミです。悪質?かもしれない例を紹介しましょう。




これらの記事に共通することは、先ほどから何度も言っているように、データに基づいておらず、確率の観点が全く抜け落ちているということです。
武漢肺炎になり重症になった人は、ゼロではないですから、探せばいるわけです。その少数例を殊更強調するような記事を書くというのは、中立的な内容とは言い難いです。

また、変異株等で武漢肺炎の重症化率が上がっているという類の記事も多いですが、殆どは所感レベルの内容であり、具体的にどう患者数・重症化数が推移しているから危険だという根拠に乏しいものばかりです。


終わりにー武漢肺炎を克服するには


最後に武漢肺炎騒ぎを克服する方法を考えます。
当然ながら、このような騒動を繰り返すということは、自国に対して経済制裁をするようなもので、続けば続くほど日本経済が疲弊する以上、看過できない問題です。

そして、経済が疲弊すれば、生活困窮者が当然増加することになり、その過程で自殺者も増えることは、過去の不況期のデータから鑑みてわかることです。
はっきり言えば、こっちで死ぬ人の方が、はるかに影響が大きいです。殆どは現役世代であるからです。武漢肺炎でなくなる人は殆どが70歳以上です。
年齢で生命の軽重をつけることは倫理的に良いことではありませんが、社会全体を考えれば、結論は自明でしょう。現役世代を救うべきです。

しかも、(日本より患者が多いはずの)諸外国は、ワクチン接種等によりどんどん武漢肺炎を克服し、経済対策でばら撒かれたお金でバブルになっていく可能性すらある中で、日本だけこのような体たらくでは、ますます経済的な影響力が低下することになり、武漢肺炎をばら撒いた支那の思う壺であります。


武漢肺炎を正しく恐れること


このような中で必要なことは、武漢肺炎の危険性をちゃんと理解することです。
疫病であり、重症化・死亡する人もいる以上、この病気を無視することはできません。
そのためには、現状のようなデータに基づかない不正確な情報や危険性を煽るような情報ではなく、根拠のある正しい情報を政府が発信し、マスゴミによるインフォデミックを克服しなければなりません

繰り返しになりますが、今起きていることは、殆どが「風評」に基づくものです。
「風評」があるから、「対策」を打ち出さざるを得なくなっているし、陽性になっただけで私権を制限されることになるし、差別なども生まれているのです。

しかし、マスゴミは何度も同じようなことを繰り返しています
例えば福島の原発についても「処理水」の放出という話が最近ありました。科学的に見た時、トリチウムが残っている「処理水」を海洋に放出することは問題がないと考えられ、国際的な基準にも合致しています。
福島の海産物が危険だと感じるのは、マスゴミが生み出す科学的ではない「風評」に囚われてしまっているからなのです

そのためには、マスゴミの現状を根本的に変えなければなりません
過去にもこの点には触れています。


それとともに、情報を受け取る側の国民もデータや確率の観点を持って受け取るべきです。それだけで煽り記事を真に受けることは減るでしょう。
また、個人にとって死や病は重大なことですが、社会全体で見れば、一定の割合で死者も病気になる人も居るのです。


武漢肺炎に対応する体制を作ること


たとえ「風評」がなくなったとしても武漢肺炎自体が即座に消えるものではありません。
さらに、外国からのウイルスの流入についても、当然可能性として考慮しなければなりません。

そのためには、
  • 適切な医療体制・医療資源を確保すること。
  • 外国からの入国について、必要な制限を行うこと。
  • 治療薬、ワクチンの確保を進めること。
が必要ではないでしょうか。

まず1つ目は言うまでもないですが、国民の大多数が定められた感染拡大防止策とやらを実行した状態である、今の感染者数で「医療崩壊(定義がわからない言葉は使いたくないが)」と言われるような状態になるというのは、準備が論外と言わざるを得ないわけです。
医療機関に対し、一定の条件下で国や地方自治体が命令できる法制度も必要でしょう。要請ベースでは後手後手になることは、はっきりわかりました

2つ目は、外国では日本以上に疫病が拡散しているケースがあります。また、変異株や新しい疫病も発生する可能性もあります。
国境封鎖ができなかったことや、入国者の隔離を強制的に行えなかったことは、日本国内に武漢肺炎が広がる契機となったことを踏まえれば、ここも要請ベースではなく、命令できる法制度が必要ではないでしょうか。

3つ目は、言うまでもないことですが、特効薬があれば武漢肺炎のことは気にしなくてもよくなります。そういえば一時期アビガンやアクテムラ等の名前が挙がっていましたがどうなんでしょうか。

治療薬と比べると、私見では優先度が下がりますがワクチンも肝要でしょう。
なぜ、優先度が下がるのかと言えば、そもそも治療薬があってそれが高い確率で有効ならば、ワクチンで予防する意味がないからであり、また既に現時点では武漢肺炎になる確率自体が低いからです。
一方、主流のファイザー製ワクチンはmRNAワクチンと言われ、既存のワクチンである不活化ワクチン等とはメカニズムが異なります。
これが、直ちに危険なのかということはわかりかねますが、今の武漢肺炎ワクチンが長期的な検証がされたものではないはずであり、リスクがあるということになります。


説明責任を果たさない政治家を退場させる


さて、これで武漢肺炎を克服する道筋を立てた私たちには最後の仕事が残っています。
ここまで合理性を欠いた「要請」を乱発し、この国をまるで人治国家としたトンデモ政治家を退場させることです。

政治家は国民の負託を受けて、代表者としてルールに則り、政治活動をするものです。
彼ら彼女らは、そのことを忘れ、悪意があったのか、それとも「風評」に踊らされたのかはわかりませんが、道を誤ったわけです。
いずれにせよ、能力不足・見識不足であり、倫理観・国家観・大局観が欠如している以上、選挙でご退場いただく他ないのです。
2021年2月2日火曜日

これからの対立軸は、自由と独裁

概要


最近は分断が話題になります。
民主党と共和党、親トランプと反トランプ、右派と左派、貧富の差……。

ただ、これらの本質は「自由と独裁」であるように思います。
その中で自由主義の中で生きる国民として必要なことを考えていきたいと思います。

なぜ「自由と独裁」なのか


これらの分断は進めば進むほど過激な人を生みます。
過激化が進めば進むほど「自己の持つ正しさ」と「現実」の乖離が激しくなります。
この状態では、「自分の意見が正しく、他の意見は間違っている」という意識が肥大化します。これを独裁というのです。


「親トランプと反トランプ」と言う具体例で考えていきましょう。
米国の大統領選挙では、長くメインストリームメディアではバイデン氏優勢としており、一方で親トランプの言論人からは、世論調査はアテにならないとか隠れトランプが居る(支持を表明すると左派から攻撃されるリスクがあるから)という主張が大勢でした。
結果としては、それなりに接戦になりましたし、どちらも正確だったかというと微妙なところではありましたね。

問題はその後です。直後からトランプ大統領は「不正選挙」を主張していました。
この「主張をしていたということ」は事実でしたが、「主張の内容」については、結果として真実性は認められませんでした。それは、裁判の結果として却下されていることから明らかであります。真実性が認められないことと真実ではないことは=ではありませんが。

しかし、一部の保守系からは、証拠も無いのにも拘らず陰謀論的な意見が出てきました。
いわく、選挙結果をカウントするシステムが乗っ取られているとかそのシステムの運営会社と敵性国家の関係が云々といったものです。

もちろん、これらが「無いという証拠」はどこからも出てきません。いわゆる悪魔の証明なので当然でしょうが。
少なくともそのような陰謀論的な事が正しいならば、証拠を出して裁判でひっくり返るのでしょうが、次々と却下されたという事実が、そうではないことを示しています。

このような事実が出てもなお陰謀論を唱え続ける様は、彼らが日頃批判している左派と実態は何ら変わらない「自分の意見が正しく、他の意見は間違っている」という意識であり、つまりは独裁なのです。


独裁がダメな理由


一言で言えば歴史が証明しています
独裁的な政体は、個人独裁もあれば政党独裁もありますが、いずれにせよ必ず判断を誤って消滅します。
右派独裁であればナチスドイツ、左派独裁であればソビエト連邦でしょう。


では、なぜ独裁は判断を誤るのか。
まずは、個人レベルで考えますと、「自分の意見が正しく、他の意見は間違っている」という意識は確実に視野を狭めます。人間は全知全能の神ではないため、誤りや見えないことが避けられないわけですが、それに対して「自分の意見が絶対に正しい」と考えることは、他の意見を取り入れ、自身が正しいかを確認する機会を自ら放棄するわけです。
誤る可能性が高まることは必然でしょう。

上の立場に行った独裁的人間は、人から批判される機会が減る一方、すりよってくる人間が増えるため、ますます「自分の意見が絶対に正しい」という意識を強めていくことになり、手が付けられなくなります。
また、下の立場にいる独裁的人間は、「自己の持つ正しさ」と「現実」の乖離が開く一方、実際には何も変えられないため、世の中への不満を強めていくこととなり、より過激な手段や主張に訴えることになります。

つまり、どのような立場にいても独裁的人間は、「自己の持つ正しさ」ばかりが肥大化し、現実から離れていくのではないでしょうか。


次に組織として考えてみましょう。
組織の本来の目的とは、人間が一人ではできないことを実現するためにあります。
この中には単純な力や時間の問題(=分業で解決すること)だけではなく、当然ながら知力の限界を補うことや誤りを正すことも含まれるでしょう。
つまり、独裁的な志向を持った組織というのは、批判ができないため、それだけで組織の本来出せる力を大きく損なった状態になります。

さらに、組織には負の側面がいくつかありますが、独裁はこれを助長します。
独裁的な組織には必ず排除の論理が働きます。「組織の持つ正しさ」に反している場合、排除されます。その極端な例が、ソビエトの大粛清や支那の文化大革命でしょう。
このような組織でまともに声をあげる人はいなくなりますから、知力の限界を補うことや誤りを正すことが出来なくなります。
その結果として、誤った方向に突き進んで破滅していくのです。


独裁に対抗するためには


ここまでの話で、政治体制としての「独裁」だけではなく、身近な社会にも「独裁」的なことがたくさんあることがわかりました。
では、自分が「独裁」的な人物にならないために、そして「独裁」的な人間や言論を拒否していくためにどうしたらよいかを考えます。

  1. 人間の認知に関する限界を知る。
  2. 言論、行動と人間を切り離す。
  3. 自由を否定する言論、行動、人物を拒否する。

まず、1つ目は人間の限界を知ることで「自分の意見が正しく、他の意見は間違っている」という認識を自分が持たないようにすること、そのような傾向がある人物を遠ざけることが必要でしょう。

繰り返しになりますが、私たちが見えている世界、知っていることは世界のごく一部に過ぎません。その上で、見えている世界や知り得た知識には、様々なバイアスがあります。

例えば、前段で述べた米大統領選における一部の保守系の行動のように、自分がこうだと認識したい事実に当てはまる情報ばかりを集めて、自分の中ではそれが正しい事実のように考えてしまうというのも一つでしょう。これを確証バイアスと言われるものです。
感情や自分の私的な利益など、様々な要因がありますが、全てに中立な人間というのはいないと考えられるのではないでしょうか。

だからこそ、自分の意見が正しいかどうかを、常に批判的に検証し続けていかなければ、より正しい方向へ近づいていかないのです。


2つ目は言論、行動と人間を切り離すことです。
個人的には、日本人によく見られる現象だと思いますが、誰々が言っている(やっている)ことだから正しいといった主張や考えがよく見られます。所謂、「信者」です。(場合によっては独裁的な風潮で渋々かもしれません。)

1人が認識・理解できることには、時間的能力的な制約がありますから、他者の見識を利用するということは、現代社会における必須スキルというべきでしょう。

問題は、それが誰々が言っている(やっている)ことだから正しいということに変化することです。これは、形式的に見れば独裁者に従う臣民と同じです。
従う側が不利益を被るだけなら、その人の勝手とも言えますが、こうやって「信者」が増えることで、信じられる側の人間も「独裁者」としての自覚を持ってしまうのです。
これは当然のことで、自分が何を言っても批判されない(されても影響力に支障が無い)のならば、利益になることや自分の気持ちの良いことを言った方が得だからです。

だからこそ、他者の見識を利用する際には、一人一人がその内容を咀嚼し、正しいかを理解していかなければならないのではないでしょうか。

さらに話が厄介になるのは、このようなものに対して批判をすると、すぐに人格攻撃を始める輩が後を絶たないことです。もちろん、このような様は人間として失格なのは言うまでもありません
なぜ、このようになるのかと言えば、正しい批判精神を持って他者の見識を自分のものにしていない以上、批判が来ると論理的に説明できる拠り所がなくなるのです。そのような時に残る物は何かといえば、「誰々が言っている(やっている)から正しい」という自分の信仰だけです。
しかし、信仰では批判する他者を納得させることはできません。そのような術を持たないものが最後にすがる手段が暴力です。その一つの類型が人格攻撃であり、これが過激化すればテロリズムになるのです。

また、批判を受けることになる「信仰の対象」にも、「独裁者」としての自覚を高めていった結果、批判の内容ではなく、人物や属性を基に判断すること多いです。
たとえば、素人は黙ってろ、外野は口を出すなといったものです。


3つ目は、以前にも申し上げていることのため、詳細は割愛します。過去記事「目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画(クライブ・ハミルトン著)」を参照願います。
批判ができる自由を守らなければ、1や2で語ったように、正しい方向に近づくことはできないのです。


最後に


最近話題に出ることの多い分断を中心に、本文中には信者ビジネスなどにも、無理矢理触れて斬ってみました。
とにかく、結論として一言言えば、自分にも他人にも健全な批判精神を持て、ということです。

ただ、情報化のスピードはどんどん加速しており、「健全な批判精神」を持つだけの時間が取れないことも非常に多いです。
その中でどうやって生きていけばよいかということは、私も模索中であります。