2019年6月22日土曜日

日本復活へ一市民の妄言2019 その1

前書き


新時代令和が始まった2019年は、参院選があることが決まっており、場合によっては衆院との同一選挙ということもありえるかもしれない。
一方、現在の政権は、対抗勢力不在というぬるま湯の中で、腐敗の色が濃くなってきている。
改めて令和の世に求められる政策を今一度挙げてみることにしたい。
そうして、少しでもマシな政治勢力が出ることを期待したい。


社会の安全のために


まず全ての根底として、社会が安全にならないことには、個人の生活はよくならない。

しかし、我が国は周囲に敵性国家を抱え、国内にはスパイや工作員、それに相当する輩が入り込んでいる。これらは、全て外国人の増加によるものである。

一方、老人の運転する車の暴走や異常者による凄惨な殺人事件、さらには様々な詐欺など、諸処の犯罪が蔓延し、治安の悪化が目立つ。


スパイ・工作員・テロの処罰を制定する


今の日本には、スパイを取り締まることができないため、どんなに優れた防衛軍を持ったとしても、いざという時に役に立たない懸念がある。
また、フェイクニュースを流して社会を動揺させたり、テロなどにより直接的に社会を混乱させることもあるが、現行法はそれらに対して有効な手立てがあるとは考えられない。

まずは国内を安定させ、緊急事態でも一丸となって立ち向かえる体制を整えなければならない。その初歩として、スパイや工作員、テロを処罰しなければならない。
もちろん、法整備だけではなく、実際に対応できる機関や人員を整備しなければならない。


侵略に対応する適切な軍備を持て


現在の自衛隊は、規模・装備共に、我が国の仮想敵国と相対するのに十分とは見受けられない。
日本は決して資源に余裕のある国でもなく、無際限に軍備につぎ込むことはできない。
しかし、現状の過度に他国に依存している状況や仮想敵国の所持する軍備に対して対抗する軍備がない状況は、極めて危険である。

平和は尊いが、祈っても理想を唱えても、維持できるものではない。
今一度、先祖の尊い血で実現している今の平和を噛み締め、次代へ受け継ぐために、日本を侵略する、或いは恐喝するという選択肢を他国に与えない軍備を用意するべきだ。
その為に、核兵器も含めた全ての選択肢を検討し、議論していく必要がある。
それをリードするのは、軍を統制する側の文民であるべきだ。


犯罪への厳正な対応


今の日本の刑罰をみると、犯罪者は更正させるという方向性が強くなっているが、これは本当に正しいのかということがある。
現代の研究では、犯罪性向というのは環境や教育よりも遺伝的特質による部分が、かなりの部分を占めているのではないかと言われている。
これが事実かどうかということは、さらなる研究の発展を期待したいが、そのような時代の流れを刑法に反映させるということを考えるべきではないか。

特に実例で考えると、薬物使用で問題になった芸能人はほぼ全て初犯という理由だけで、執行猶予がついている。その後、幾度となく逮捕されている者がいる。
責任能力なる奇怪な概念によって、心神耗弱等の理由により、無罪放免(一応病院にいったりするらしいが)となるケースもある。しかし、これは被害者を含めた社会全体から見ると極めて理不尽というものである。
刑罰というものへの考えからして、新しい時代に対応させていくべく、タブーなき議論が求められるだろう。

私としては、厳罰化による抑止力強化共に、再犯防止を強く念頭に入れるべきと考える。
そのようなリスクの高い人物について、適切な管理を行うべきだ。

また、外国人の増加に伴い、外国人犯罪の著しい増加も見られる。
果たして日本社会の一員ではない外国人に対して「更正」などは意味があるのだろうか。この場合は、むしろ追放などの対応を取って行くべきである。


入国管理の徹底


最近は経済的な目的のため、外国人の労働力や観光客を増やすことが増えている。
このことの経済的な是非は別に記載したいが、社会の安全という観点から見ると、無闇に増やすのはやはり危険が大きい。
敵性国家どうかという問題とは別に、異分子が社会に混ざることによる社会的な摩擦の発生、日本人は正解でもトップクラスの犯罪性向の低さだが、外国人はさまざまである。

そういった背景もあり、移民に寛容と呼ばれるような国でさえも、国籍や資産、学歴等々様々な制約をかけ、国に利益のある人間だけを入れるということを考えている。
観光客についても、市民生活に影響が出ることや、そこまでいかずとも多すぎることにより観光的価値が低下することが実際に起きている。

このようなことは、国を豊かにし、よりよい生活を送れる社会を作る一助になるために、運営されるべき国家が、特定者の利益のために動いているか、手段と目的を違えている状態を示している。

特に日本の場合、社会的議論のないままなし崩しで起こっていることだけに、危険である。今一度、あるべき外国人との付き合い方を考えるべきである。