2021年11月7日日曜日

新装完全版 大国政治の悲劇(ジョン・J・ミアシャイマー著)

新装完全版
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今、最も注目すべき国際政治学者ミアシャイマーの主著。 原著オリジナル版に書き下ろし「日本語版に寄せて」を加え、 2014年改訂版ヴァージョンの最終章「中国は平和的に台頭できるか?」も収載。 訳者奥山真司による解説も充実。
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はじめに


ミアシャイマーは、リアリズムの国際学者の中でも攻撃的現実主義(オフェンシヴ・リアリズム)を提唱する学者です。

そのミアシャイマーが、過去200年間、ナポレオン時代以降の欧州の事例を基に、自身の理論であるオフェンシヴ・リアリズムを分析・検証していくのが本書です。

また、本書にはミアシャイマーが自身の理論を基に、支那が平和的に台頭できるのかと言う点も検証しており、日本人にとって非常に有益な本です。


内容


オフェンシブ・リアリズムとは何か


まずは、ミアシャイマーの理論であるオフェンシブ・リアリズムが、今までのリアリズム(ディフェンシブ・リアリズム)とは何が違うのか。

元々リアリズムには、国際システムがアナーキーであること、その中で各国は生き残りを目指すという仮定の元で理論を構成していました。

その中にミアシャイマーは、大国が攻撃的な軍事力を持っている(軍事力を攻撃的、防御的と決めることはできない)、大国は相手国の意図を完全に把握できない、大国は合理的な行動を取るという3つの仮定を追加し、その結果として大国は生き残りのために攻撃的になるということで、オフェンシブ・リアリズムを提唱しています。

その上で大国の目標は、地域覇権国になることだとします。これを歴史上達成した国は米国しかありません。地域覇権国になると相対的に周りに強い国がなくなるため生き残りは保障されたも同然となり、またその上の世界覇権を目指すとなると戦力の投射が困難となり、このような国は今後も現れそうにないとします。

ディフェンシブ・リアリズムとの違いは、国家は現状維持ではなくパワーを求めることとしており、パワーの拡大を各国の内部構造や政治指導者の意思ではなく、国際システムの構造に求めている点が特徴となります。

パワーとは何か


大国が求めるパワーとは何かと言う点について、ミアシャイマーは殆どの場合は相対的な軍事力であるとします。
パワーは、潜在的なものと実質的なものに分かれますが、前者は人口や経済の規模であり、どの程度の軍事力を作り上げられるか、後者は陸軍を中心とし、それを補完する海空軍の規模を示します。
そして、大国は相手の「意図」が完全にわからないため、相手の「能力」に対して、バランスを取ろうとします。


支那は平和的に台頭できるか


ミアシャイマーは、自身の理論から、今後の支那については、劇的な経済成長を遂げ、潜在覇権国となれば、米国のような地域覇権国を目指すはずだとします。
そのためのパワーを最大化する際に対象となる周辺国は、インド・日本・露国を挙げます。

そして、支那が強大化すれば、アメリカのモンロー・ドクトリンのようにアジア一帯から外部の大国(つまり米国)を追い出すことを実現するとします。
さらに、地域覇権の確立の他に、アジア以外での戦略的利益の追求も行うとし、南北アメリカの政府に介入し、米政府に被害を蒙らせることで、米軍が世界で自由に活動できないようにします。

このような支那の台頭に対し、米国はどう対応するか。歴史上、米国はその他の大国の出現を許さず、世界唯一の地域覇権国と言う立場を崩していない。そのため、最終的には支那封じ込めのためのバランシング同盟を主導し、インド、日本、露国から、シンガポールやベトナムといって中小国まで参加する可能性があるようです。

一方、支那を抑えるほどの国が近くにないことやバランシング同盟に参加する各国の隔たりが大きいことから、バック・パッシングを行って支那への対抗を他国に肩代わりさせる方法は取らないだろうとします。

支那がこのようなオフェンシブ・リアリズムに基づく行動を取らないという反論についてもミアシャイマーは触れています。
一つは支那の文化的な側面によるもの。支那の政府担当者等が言う、「儒教理論」です。これは、その様な行動を行ってきた証拠が無い一方、支那がリアリズムによって動いてきた歴史を豊富に持っているということで反論しています。
もう一つが経済の相互依存です。これは、生き残れなければ経済的繁栄は存在しないというロジックで反論が終わっています。実際に、第一次世界大戦前についても経済的な依存関係や繁栄があったが、戦争になったという歴史もあります。
さらに、ナショナリズムに対し、経済は優先度低くなるだろうという事も指摘します。


考察


ミアシャイマーのオフェンシブ・リアリズムが優れている点は、個人的には国家の内部構造や指導者に戦争の原因を求めていないことにあると思います。

国家の内部構造については、他国の内部構造を完全に分析することは難しく、また政治の複雑さから単純化してわかりやすい理論になりにくいと思いますし、指導者個人に求めてしまうと理論として一般化できていないのではないでしょうか。

その上で今の日本を取り巻く環境を踏まえると、支那という潜在覇権国が出現した多極システム(支那・米国・露国・インド)という見方をミアシャイマーはしていますが、まさにその通りだと思います。
ミアシャイマーは核を持てば日本も大国にカウントされるとしていますが、個人的にはそうと難しいと思います。核を持つことの物理的技術的ハードルだけではなく、法や輿論の問題がありますし、そもそもランドパワーも大幅に劣るため、大国の地位になるには、相当な方針転換が必要でしょう。

ところで、日本をカウントするか別としても、結局東アジアは不安定な多極システムであり、これはミアシャイマーの分析では一番戦争のリスクが高い状態です。
核兵器の存在する状態における不安定な多極システムは、歴史上存在しない(核兵器が出来て相互確証破壊の概念が出来たのは冷戦以降)ため、これがどうなるのかはわからないところです。

実際にその時代を生きる身としては、わからないからこそ歴史の流れ、理論に従って行動していくことが、比較的安全を守りやすいのではないでしょうか。
つまり、相手の「能力」に対し、バランスを取ることです。幸い、バランシング同盟は、ある程度形になりつつあります。しかし、肝心の日本自身が殆ど実質的パワーを持たない状況であり、米軍の存在と海を隔てていることにより戦力の投射が妨げられていることで辛うじて命脈を繋ぐ有様です。
本書の様なものが広がり、少しでも安全保障に関する国際的な潮流を理解する人が増えることを願うばかりです。


こちらの本もお勧めです。

中国の「核」が世界を制す(伊藤貫著)
"悪の論理"で世界は動く!(奥山真司著)
「地政学」は殺傷力のある武器である。(兵頭二十八著)