2021年9月25日土曜日

「地政学」は殺傷力のある武器である。(兵頭二十八著)

「地政学」は殺傷力のある武器である。
中国発パンデミックから第3次世界大戦が始まる!これまでの地政学が見落としていた「中国大陸の地政学」から日本の安全保障を構想する。


はじめに

Twitterで紹介されていた本で、タイトルが興味深かったので読んでみました。

マハンとマッキンダーという地政学の大家を概説しつつ、筆者独自の視点でシナや日本の地政学を語っています。

地政学の大家の理論や基礎、国際関係という点で、入門として本書はあまりお勧めできないと感じます。ある程度知識がある人が、筆者の視点から選択的に情報を得るのが良いでしょう。

個人的には以下の本を推奨します。

”悪の論理”で世界は動く!(奥山真司著)

・地政学入門(曽村保信著)

・領土の常識・国防の常識(鍛冶俊樹著)

中国の「核」が世界を制す(伊藤貫著)

今回の本稿については、日本の防衛という点で、筆者の視点から私見で興味深い点や今後参考にするべきと思う点を抜粋し、考察していきたいと思います。


あらすじ


島国の違い


日本と英国は「島国」という意味では同じですが、筆者は沿岸航海者にとっての危険度で天と地ほどの差があり、それが地理が規定する国民性の決定的な違いになっていると指摘します。

ざっくり説明すると、自力航行ができなくなっても自然の風や海流によって陸地にたどり着くことから、英国の場合は「海難」を恐れなかった。一方、日本の場合は、太平洋で言えば風が強まっただけで陸地から引きなされ漂流し、日本海も冬に荒れる。

この違いが貿易や海外探検、植民地競争、海軍整備競争で英国だけが他国を凌ぐようになった理由だと考えられます。


日露の地政学


征韓論の骨子について、北海道を防衛するために、朝鮮半島経由でウラジオストックからハバロフスクまで日本陸軍が前進して会戦するというものです。
これは、樺太南端の大泊に集結してから、一気に天塩海岸上陸という意図に対し、シベリア鉄道にプレッシャーをかけることで、大軍を大泊に送る余裕をなくすものです。

この後、日露戦争があり、筆者はそこで米大統領セオドア・ローズベルト(以下TR)が樺太を落とすことでロシアにショックを与えることをアドバイスし、日本はそれを実行したと考えています。TRはマハンと関係があり、樺太の海軍における価値を認識していたようです。
さらに、北樺太には石油資源があり、欧米の石油業界は1880年代から知っていたそうです。

結果として、樺太を落とした時期が遅かったこともあり、露国との交渉では南樺太のみの獲得となりました。しかし、この獲得により、先ほどの前提が崩れるため、露国からの防衛のために朝鮮半島を必要とはしなくなっていたと筆者は指摘します。その上で、朝鮮や満州を開放市場として英米の商人を引き込めば、露国への抑止になったとします。
しかし、日本の指導層は樺太の領土を半分でも奪えると考えておらず、実現した際の青写真もなかったと指摘しています。

もう一つ樺太について、筆者はシベリア出兵時の尼港事件について、「しくじり」とします。ここで民間人を虐殺されており、断固とした対応として北樺太を保障占領しました。ここまでは良かったのですが、ここで傀儡政府を作り「相互防衛条約」を結べば、米国のパナマ切り取りと同じように、北樺太を勢力圏に組み込め、石油も確保できたのではと指摘します。

ワシントン海軍条約


筆者はワシントン海軍条約が日米戦争を不可避にしたと指摘します。
ワシントン海軍条約は、支那市場を独占しようとする日本を抑え込む目的で、日米英の戦艦を6:10:10とし、日本海軍が少ない分フィリピンや香港等の強化を禁止することで、支那沿岸での優越を認めてバランスを取るということです。しかし、この条約ではハワイの拡張は自由である一方で、日本も奄美大島や沖縄、小笠原諸島、台湾などの強化を禁止されました。
筆者は、出城に過ぎないハワイの要塞化を容認しておいて、日本の本土である小笠原や沖縄へのインフラ投資や国土開発をしないと約束したのは、政府と陸軍が国民を裏切ったも同然と厳しく指摘します。

この海軍軍縮条約がなければ、フィリピンは要塞化され陸軍の考える奇襲戦争はできなくなったかもしれないが、日米双方がそれぞれの基地拡張競争を行うことになって、その結果として民生上様々なプラスがあったかもしれないとし、さらに支那市場を米国人に開拓させ、その米国人に日本が商売した方がはるかに経済成長できたと指摘します。
筆者は、支那事変からマルクス主義官僚が導入した統制経済の失敗で、日米のGDPは1941年には20倍も開いていたが、海軍軍縮条約がない状態であれば、大英帝国に迫っていたとしています。

儒教圏の封じ込め


儒教空間に「法治」などあり得ないと筆者は指摘します。
全員が「長上」を争い、「長上」を得たものはあらゆる特権を享受するような空間に、「近代社会」は成立しないのです。つまり、日本社会と近代社会は親近ですが、支那や朝鮮とは水と油なのです。

しかし、地政学は日本を見放していないのです。今はマラッカ海峡経由でペルシャ湾岸産の天然ガスを輸入していますが、シェールガスの存在により石油の偏在が緩和されつつあること、パナマ運河の拡張が竣成すれば、南北米大陸産の石油やガスを太平洋経由で輸入できるようになるのです。もちろん、豪州もあります。

一方、支那は経済成長の過程で、エネルギー及び食糧の自給体制がないという、リカバー不可能な弱点があります。海軍力の違いにより、支那は自国沿岸に機雷を撒くことで米国に対抗することになり、それによって支那は機雷戦で破滅するのです。また、支那と敵対する周辺国からも機雷で封鎖することでしょう。
このようなバリアーが、支那大陸との汚れた関係を半永久に断ってくれる期待できると筆者は指摘します。


感想


島国の違い


島国という意味で日英は一括りにされることが多いですが、地政学な違い、それから生じる志向や国民性の違いについて、わかりやすい見解だと思いました。


日露の地政学


尼港事件にこのような大きなチャンスがあったということは、知らなかったので、後から考えれば勿体ないと感じました。
結局、樺太というものの戦略的重要性を誰も認識していなかったというのが、日露戦争しかり尼港事件の結果につながったものだと思います。

もう一つは、やはり南樺太占領を契機に、朝鮮の重要性が下がったこともそうですが、なぜそこまで朝鮮に入れ込んだのかは、どうしても理解しがたいです。
本土を守るための朝鮮なのに、朝鮮を守るために満州、さらに満州を守るために華北……とくれば際限がないことは、小学生ですらわかることです。

征韓論の頃の地政学的な発想、これは西郷隆盛のものであり、それは島津斉彬由来だと筆者は指摘しますが、そのような発想をどうして継承するものがいなくなったのか
この辺りは歴史を鑑みて悔やまれる点です。

ワシントン海軍条約


ワシントン海軍条約を日米戦争の原因と捉える見方は、私としては初めて見ました。
私見では、桂・ハリマン協定の破棄が、
・米国に警戒感を持たせたこと。
・満州に米国入れなかったことで、単独で露国や支那と対峙する構図になったこと。
の要因となり、結果的にはその後の問題につながるのかなという考えを持っていました。

どちらにせよifの話なので、これがなければ戦争はなかったということを検証する術はありません。しかし、共通の視点は、満州や朝鮮に米英を引き込むことは、それによって日本が得た権益の一部を放棄することになったとしても、米英の権益となれば、米英が露国や支那と対立することになり、戦略上の利益を共有することになるため、遥かに大きいメリットがあるということです。

日本には「一文惜しみの百知らず」とか「損して得取れ」といったことわざがあり、このような考えは本来得意だったと思うのですが……。
全くの私見ですが、英独の競争の中で一瞬だけビスマルクの時代に優位だと勘違いし輸入した官僚制の毒ではないかと思っています。
儒教とは、同じくランドパワーからの概念であることや、権威主義的なヒエラルキーを重視する思考等不思議と共通点がありますね。

現代日本の政治課題と全く被りますが、縦割りというのは官僚制起因の症状です。大局的な利益である「米英と露支を対立させること」より、獲得した目先の利益である満州の権益となり、その目先の権益をしっかりと取る方が、自分がその仕事をしている「瞬間」は利益であるため、「出世」につながるのです。自分が辞めた後、それが破滅を招いたとしても、出世した事実が変わらないのだから。
官僚制の毒とは、つまりヒエラルキー構造そのものと、その構造を登るための方法が、現在と過去に依存することにより、未来をみた選択が取りにくくなる、この二つを掛け合わせた結果、優秀な人間がどんどん腐っていくシステムにあるのだと考えます。


儒教圏の封じ込め


ここで重視することは、支那が自給体制を全く取れなくなっていることです。
所謂リムランドにあたる、沿岸部に多数の人口が集中し、交易をおこなうことでエネルギーや食糧が自給できなくなったとしても、発展してきました。
これは戦争になると全て逆回転します。沿岸部では食料もエネルギーも自給できず、海からの攻撃に弱いため、鉄道などのインフラはすぐに破壊される。当然、海上は戦場となり、輸入どころではなくなる。

今の日本では敵基地なんとか能力ばかりが話題になっていますが、日本が支那と対峙していくためには、支那の一番の弱点である食料とエネルギーの自給を止める確実な手段を持つことしかないのではないでしょうか(機雷で全てカタがつくという風に読める本書については、疑問がありますが)。
ここが止まれば支那が破滅するとわかっていれば、軍事バランスが傾いたり、核があったからといって、日本に対して軍事的に手を出すことはやりにくくなります。

戦略の階層で言えば、敵基地なんとか能力をはじめ、サイバー防衛や電磁波とかは技術かせいぜい1つ上の戦術のレヴェルであり、もう少し上の次元で安全保障を語ってもらわないことには、何も始まらないと思いました。
そういう技術がいらないということではありません。技術は常に「Who(だれが)When(いつ)、Where(どこで)、What(なにを)、Why(なぜ)、How(どのように)」使うのかということです。
政治家は個別の技術に精通する必要はなく(している方がいいのは当然ですが役割分担です)、国民に対し「世界観」「政策」を掲げて対話を行い、信任されたそれを以って、政府を動かし、「大戦略」以下を決定・実現していくものだと思うのですが。