2018年9月9日日曜日

フェイクニュースの見分け方(烏賀陽弘道著)

フェイクニュースの見分け方
一見もっともらしいニュースや論評には、フェイク(虚偽の情報)が大量に含まれている。真偽を見抜くには何をすべきか。「オピニオンは捨てよ」「主語のない文章は疑え」「空間軸と時間軸を拡げて見よ」「ステレオタイプの物語は要警戒」「アマゾンの有効な活用法」「妄想癖・虚言癖の特徴とは」―新聞、雑誌、ネットとあらゆるフィールドの第一線で記者として活躍してきた著者が、具体的かつ実践的なノウハウを伝授する。


前書き

情報の取捨選択は、現代の必須事項であり、何か参考になるかと思い手に取りました。

まず最初に断っておくことは、著者は元朝日新聞記者であることです。
そのため、題材が反原発等のサヨク的テーマに偏っており、個人的には一部不快になる場面があります。
また、著者の属性から察せられる通り、既成メディアに対する一定のバイアスがかかっています。
その点を踏まえても、実際に情報を処理していく上で必要な観点をまとめられており、その点については有益な書と捉えており、その点を評価の上で、メモを記載致します。
もしお手にとられる際は、著者属性による一定のバイアスを理解しておくことを推奨いたします。

1.他の公開情報をクロスチェックする。

マスメディアのフェイクに対応する方法として、他メディアや書籍をクロスチェックすることを著者は推奨しています。一方で、インターネットの検索(Google等)については、ネット内の状況を示すだけのものと否定的です。

私の個人的な感想としては、やや書籍やマスメディアに対するバイアスを感じます。確かに検索エンジンはSEOなどがあるように、ネット内で流行っていることが前提ですので、真偽という観点とは異なります。検索結果の上位=真実である、有用であるということが、成り立たないことはネットユーザーならば当然であります。
著者も別の章で「マスメディアで言論を表明できることの特権性は失われた」と認めている割には、と思います。
載っている媒体というより、出典が明確で、検証可能かどうかということに重きおくべきではないかと思います。

2.オピニオンは捨てる

最近の新聞はアジビラと化しているので、別に社説・コラムなどには限らないと思うのですが、真偽の判定としては指摘の通りだと思います。
むしろ我々が求めているのは、そのような記事の中に紛れた、オピニオンや印象操作ですが、そのテクニックについて著者が語っている内容はかなり有益です。「○○と語った」という事実をポジティブやネガティブに見せかけるように書き換えてみたり、「連れ込み」という日本語の使い方など、よくよく新聞に当てはめると多数含まれており、改めて現代の新聞の無価値さを悟りました。

3.匿名発信は切り捨てる

匿名発信=フェイクという訳ではないということはそのとおりですが、一般的に発信者が特定されていない場合、真実風の何かであることが多いです。
一番分かりやすいのは、ゲンダイあたりの「○○関係者」でしょうか。関係者の欺瞞は、著者が語っています。

海外の新聞だと、記者が書いたニュースは必ず署名入りだそうです。(社説等を除く)
日本の新聞は、匿名発信=フェイクでいいんじゃないかと私は思います。書いてあっても朝日の記者=フェイカーでいいと思いますが、笑
何故そうではないか、日本型慣行を著者は語っていますが、納得できかねる内容です。

4.何を書いていないかに着目する

どうしてもフェイクというと嘘が書かれていることを意識しがちですが、書いてあることは事実だが、書かれていないことによって、誤った印象操作がなされるというケースがあります。
意図的に欠くことでフェイクニュースを作っているのか、それともマスコミが商業的な理由で「わからない・断定できない」と記載できないからなのか、どちらが原因かは瑣末な問題ですが、それによる印象操作を避けるために、何が書かれていないのかを注意することは効果的だと思います。

これに関連して「フェアネスチェック」の視点を持つことを著者は推奨しています。
また原発ネタかよと挙げる例には、少々くどさがありますが、東電の吉田所長についての例は、わかりやすいので、この点についていえば好例であったと思います。
ある人物について、ネガティブ面(あるいはその逆)を意図的に書かない情報というのは、世の中に氾濫しています。

5.発信者の疑い方

専門家から無名まで、ネットの普及により増えすぎた発信者の整理についても、著者は述べています。
前段のネットが出てくるまでは、「マスコミが選別していた」調の文章はあまりにも読む気を失わせるので飛ばした方がいいかもしれませんが、苦笑
ポイントを抜粋すると
  • 引用が正確である。(元の媒体も使い方も含め)
  • 言葉の定義が正確である。
  • 発信者のキャリアを重視する。(何の専門家か?その専門におけるキャリアは?)
  • どのような書籍を過去に出しているかを重視する。
  • 利害や立場にそって発言していないか。
  • ステマはやり放題なので注意。
といったところでしょうか。
引用は確かにその文章のセンスがわかるなと個人的に思うものであり、何から引用するのか、引用する箇所をどのように選び、どのように使うかというのは、その人の文章構成力も垣間見える重要な点です。

言葉の定義については、著者の例は私には理解できないが、言論が噛み合わない場合には、大体この点がネックになっています。発信者を疑う場合以外にも重視したいところ。

書籍やキャリアの点は、私はやや懐疑的です。書籍を出していたとしても、案外いい加減な本は多く、代筆のようなものもないと言えるのだろうか。そこまで出版業界というものを信用できないです。また、「経験がある=職能がある」というのは、固定概念に近く、それを発信者の正確性に結びつけるのは、現代においては適切ではないように思います。これは、著者との世代的な差かもしれません。
ただ、専門家の専門性は検証すべきというのは全くの同感で、TVのコメンテーターや新聞のコラムニストなど、専門性の明らかでない専門家が溢れかえってる現状は、非常に危機感を感じます。

そして、専門家の専門性の壁を乗り越えると、次は利害と立場です。
毎度の原発事故が例題だが、原子力のように、専門性が袋小路のような場合、利害関係がない、自身の立場に左右されないという専門家がほぼ居ないケースも多いです。
著者の指摘の通り、発信者のバックグラウンドまで正確に記す他は無いが、何とかならないのかと考えさせる問題です。
付随して、ステルスマーケティングへの規制が無く専門家の肩書きを利用した広告のことにも触れられています。何でも欧米に倣えではないが、このケースは参考にすべきでしょう。

最後に触れられていない論点について

著者属性で注意したとおりだが、この書籍には一つ決定的に欠けているポイントがあります。
「世論操作・情報工作」といったものであり、支那・朝鮮・露国・米国等が我が国に対して、日常的に行っている(というエビデンスは無いが)プロパガンダです。
著者から言わせれば、エビデンスがなく陰謀論だから相手にする必要なし、というところなのでしょう。
しかし、支那の工作はアメリカで問題になっているようですし、過去の歴史を振り返れば当たり前に行われてきたことであります。
また、それに対し我が国が発信する内容は本当に汚染されていないのか。そこも国民の関心事です。
書籍の内容を応用することで、ある程度は対処可能ですが、何か無かったのかという気もします。
ステルスマーケティングなど、企業側のフェイクについて触れたんですからね。

(私は真実を発信する使命を追っていないので、工作の有無については保証しかねます)