2018年9月4日火曜日

読書力(齋藤孝著)

読書力
本を読むことの意味は何?案外答えにくい問いに、「読書によって…の力がつく」という形で考え、コミュニケーションの力、人間を理解する力との関わりを示します。自分をつくり、鍛え、広げることが、読書とどう結びついているかを述べて、あらためて読書の本質を見つめます。心に残るフレーズ、工夫の手がかりも満載です。


図書館でみつけたので、軽い感じで手にとって見ました。
内容としては、読書がなぜ人間の人格形成や教養の涵養に必要なのかということを説いている本です。


前半部分は、なぜ読書が必要なのかということを著者が語っています。概ね、私も賛成するものですが、やや文体や内容が鼻につくというか、読書の重要度が理解できていない人間に読ませると、むしろ反発するように思います。

そういう意味では、著者が提唱する「読書トレーナー」が広まるといいように思います。
やはり読書はスポーツに近いという著者の指摘は、当たっているともいえ、適切なレベルの本から進めていき、かつただ読むのではなく身になる読み方をするということを指導していくことで、読書が面白いことや役に立つことを体験から理解させていくことで、人は本を読んでいくようになると考えます。


その前半部でよいと思った点を抜粋すると
  1. 読書の幅が狭いと一つのものを絶対視するようになる。
  2. 基本的な本を読んでいないこと(=物を知らないこと)は恥ずかしい。
  3. 読書とは優れた他者との出会いである。
あたりだと思います。
読書をしない、軽視するということは、自身の体験が価値観の多くを占めるわけであるが、それはつまり太古から続く人類の英知を無視することであるわけであり、所詮1人の人間が体験できることはたかが知れているが、その中で人類だけが文明を築けたのがなぜかといえば、書によって一人の体験や思考を昇華させてきたことが大きいのだろうと考えます。
それだけに、多少「最近の若者は~」感の出ている文章になっているのは残念です。


後半部分は、必要な読書力を培うために必要なことが記載されています。
その中で、一番気になったのは、
「読書をする際に、本の主要な要点を赤、やや重要な点を青、個人的に面白い箇所を緑で線を引け」という手法です。
本を何となくで読むのではなく、自分の身になる読書の方法として、一つのやり方だと思います。
今後この記事でも参考にしていきたいと思ったのは、「赤及び緑の箇所を抜粋し、なぜそれを自分がその区分けとしたのかを書く」という点です。
思うが侭をのんびり書いていると、必ずしも読書が身についたのかというところが、難しく、確かに本に線を引きながらであれば、どこで読んでも後からの振り返りが出来るという点で優れています。
引用から自分の体験や考えを交えながらアウトプットしていくということは、本を深く読むことにも文書を書くことにも繋がり、その割には読書感想文みたいに無闇に労力を要するものではないということで実践的です。
ただ、線を引いた本を読むのは、他人のは当然として自分のも嫌なので、実践する時はもう少し考えます。そもそも図書館の本にそのようなことをしてはいけませんし。

あとは、精読と多読は両立する、「どこが自分に深く関係するのかを素早く判断しながら”緩急をつけて読む技”を習得するのが合理的な読書の仕方だ」という箇所が、今後私も参考にしたいと思っています。
今は、どうしても頭から最後まで読むという意識があり、明らかに程度の低い本や信用の出来ない本以外は、流し読みに切り替えたり、場合によっては投げたりということをしていないので、そういう手法を鍛えていくことで、より多くの本を読むことができたら、よいのではないかと思っています。
全ての本が価値があるわけでもなく、また身に着けられるものでも、身に着けるべきものでもないですが、まだまだ読むべきものは多いと思います。

この年になって何の意味があるのかということは、客観的にはあるものの、人間として生まれた以上、意味があるから知識を追うのではなく、本能として知識を追うものだろうと思います。
そういう意味では言えば、若い時分にもう少し優れた読書術を身につけることが出来ればというのは、一つのIFとして思う限りです。
せめて、自らが教える立場になることがあれば、意識しようと頭に入れておきます。