第一走者:宗谷本線 旭川~稚内
旭川を宗谷本線の一番列車で出ます。
普通列車で行くとすると選択肢が極めて少ないので、必然的に同業者が多いが、運よく左側のシートを手に入れることができました。
今回は、キハ54と40の混成で二両ですが、キハ40は名寄で切り離しとなるので、こちらは長距離利用者ばかりの模様です。予めの確保も必要になると思います。
旭川から石北本線が分かれるまでは、郊外の模様ですが、永山を出ると急に景色が変わり、北永山と南比布は通過でした。
この先は、名寄まで学生が多いが、利用されている駅は限られているので、空気の入れ替えが頻繁に行われている状況です。
車窓もこの辺りは田んぼが目につき、塩狩峠の辺りを除くと、人の手が入っている状況といえます。
名寄で一両を切り離すが、ここからは美深と幌延以北の稚内周辺以外では地元の利用者もなく、同業者ばかりが目に付きます。
車窓も同様に山や原野など人の手が入っていない土地が増えます。そもそも田んぼは気候的に難しいのでしょう。
そのまま天塩川沿いに進む豊清水という駅で特急と交換をしますが、ここで外へふらっと出ていく人の多さが、鉄道趣味者ばかりだと物語っているように思います。
晴れてきて気持ちもよいので、私も外に出ます。同族ですね。
その先の音威子府からは、さらに人跡が稀となります。
天塩川沿いを走るのは変わらずも、駅間が長くなり、無人駅すらない山中を走り抜けます。
少し人家の気配を感じると、佐久、天塩中川と駅が出てきますが、その先はまた幌延まで元のような感じです。
ここからはサロベツ原野のエリアとなり、車窓から放牧された牛や湿地帯が見受けられるようになります。
特に利尻富士がとてもきれいであり、窓を開けて心地よい風を感じられる区間でした。
その後、抜海を過ぎると運転士からアナウンスがあり、日本海が見えますと。
一瞬だけだったが、減速してくれて写真を撮ることもできました。
ほぼ観光列車と化しているという点では、ありがたいサービスなのですが、普通列車らしい容赦なさもまた味がある気もします。
しばらくすれば、市街地に入り、稚内に到着します。
ここは本当にロシア語が標識にありました。始めて見ました。
第二走者:宗谷バス 天北宗谷岬線 稚内ターミナル~音威子府
ここからは単純往復では芸がないのと、戻りの普通列車が18時までないので、短縮を狙う意味も込めて、天北線廃止代替バスでもある宗谷バスに乗ってみました。
ターミナルでは乗客が多く、早めに並んだかいがあり、前面展望を楽しめることとなりました。
とはいえ4時間を一般路線バス用の車(エアロスター)でというのは、慣れている者にはともかくとして、ちょっと厳しいですよね。大型車なので前の座席も余裕があり、私には問題なかったです。
(宗谷岬までと浜頓別の高校周辺以外はガラガラなんですが、混んでいる区間もあるためか、ポンチョとかにされてなくてよかった……とは思います。他の人のブログを拝見した限りですと中型の日野レインボーが来る場合もあるようでしたので、当たりということでしょう)
市街地を抜けると、すぐ海沿いとなり快調に飛ばします。
如何にも北の海という感じの色彩を味わいながら進むと、宗谷岬へ着きます。
実際は50分近くかかっているが、そうは感じないくらいよい区間です。地元の利用者は極めて少ないようで厳しい状況のようですが。
宗谷岬で観光客を下すと、1桁ほどの人数のかなり長閑な感じとなり、海沿いを引き続き進みます。宗谷岬の先は、大岬小学校を過ぎると、隣の猿払村まで殆ど人家はありません。
猿払村に入ると漁業関係の建物などが散見されます。
浜鬼志別で一旦内陸に入りしばらくすると、猿払村の役場などの中心地を過ぎて、鬼志別ターミナルで10分休憩となります。
ここには天北線の資料が残されており、軽く眺めました。
本数は現在のバスとそこまで変わらないようですが、利用者もこれなら、膨大な赤字を
まき散らしていたのだろうと思いつつ、国鉄時代の味のある展示を楽しめました。
海沿いの国道に引き返すようなルートを通り、引き続き長閑な海沿いを進みます。
すぐに猿払村の道の駅が見えますが、車が少なそうで大丈夫だろうかと心配になるくらい。このようなものはちらっと見てみたい気もしますが、バス旅は容赦ないのが特徴です。
海沿いから離れてしばらくすると、牧場が目立ちます。猿払村では牧場の看板がなんだか統一されているようで、すぐにわかります。
しばらくすると浜頓別町に入ります。クッチャロ湖があるのですが、バスから見えないようです。
浜頓別町の市外に入ると、すぐに浜頓別のバスターミナルにつきます。
その次のバス停からは、高校生の利用があるようで、反対側の稚内行きには結構な高校生が見えました。こちらに乗ってきた人は少なかったですが。
また、浜頓別のターミナルでは枝幸町方面のバスがあるようで、こちらは興浜北線の代替に近いようです。
この先は、中頓別を目指しますが、少しずつ山が深くなっているのが見て取れます。
中頓別で残った数人の高校生と他の地元客が下りると、おじさんと私の2人の客だけになり、結論を先にすれば終点まで変わらずでした。
中頓別以降は、デマンド化の話が出たこともあるようで、実際のところ純粋な地元利用者は皆無のようです。
特急と接続して名寄・旭川を目指す人しか乗車が無く、この便は特急接続が悪い(2時間待ち)なので、このような状況なのでしょう。
人跡の見当たらない国道を登っていくと峠で中頓別町から音威子府村へ入ります
駅周辺まで集落はなく、定刻より早着して音威子府の駅につきました。
おかげで音威子府始発の普通列車に乗ることができ、早く旭川へ戻れることになりました。
音威子府の文字がやけに味がある、駅兼バスターミナルでした。