2018年9月30日日曜日

方法序説(デカルト著)

方法序説
すべての人が真理を見いだすための方法を求めて、思索を重ねたデカルト(1596‐1650)。「われ思う、ゆえにわれあり」は、その彼がいっさいの外的権威を否定して到達した、思想の独立宣言である。近代精神の確立を告げ、今日の学問の基本的な準拠枠をなす新しい哲学の根本原理と方法が、ここに示される。


前書き


哲学書としては有名も有名な本ですが、今更ながら読んでみました。
もう少し知的に生きたいとこの歳になっても成長していない自分への戒めと、「Cogito, ergo sum(我思う、故に我在り)」という有名かつ格好いいフレーズをちゃんと知っておきたいということもあります。

第1部 学問にかんするさまざまな考察


学問を学んできたデカルトが、学問を捨てて、真理を見つけるために旅へ出ることを決意するまでです。

良書を読むこと。

すべて良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人びとと親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、かれらの思想の最上のものだけを見せてくれる、入念な準備のなされたものだ。
デカルトも多くの書物に触れて勉強しました。最終的に真理に至るために、それは不要だと捨てることになるのですが、そこで懐疑を抱き、真理を目指すということになります。しかし、それは基礎の勉強があってのものです。その順番は間違えてはいけないでしょう。ちなみに、人文学とスコラ学を中心に、医学や法学まで修めていたようです。

真理は一つしかありえない。

同一のことがらについて真理は一つしかありえないのに、学者たちによって主張される違った意見がいくらでもあるのを考えあわせて、わたしは、真らしく見えるにすぎないものは、いちおう虚偽とみなした。
上記は哲学について語ったもので、デカルトが好んだ数学との対比です。
わたしは何よりも数学が好きだった。論拠の確実性と明証性のゆえである。
数学と比べると疑っていることがわかります。
これはデカルトが様々なことを学んだが故に到達した境地なのでしょう。
それにしても中々の上から目線です。
しかし、真らしく見えることを虚偽とみなすのはエネルギーを要することです。
全てを疑うことは私には難しいですが、知的な生き方のために、このような考えを持って進めていくことが必要なのだと考えました。

世界という大きな書物


そのために出したデカルトの結論が旅にでるということです。
わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、(中略)旅をし、あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なるさまざまな人たちと交わり(中略)いたるところで目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点をひきだすことだ。
現代の「多様性を受容する」みたいな考えのはしりなのかと思います。
特に大事なのが下線部で、ただ他者を受容するのではなく、「反省を加え、利点を引き出す」ことに意味があるのだと思います。
つまり、国会議員は女性を○割以上にするとか、外国人材を○人採用するとか、そういう問題ではなく、その結果として、どのようなの利点を引き出せたのかということであり、そのための方法は身内に取り込むだけではなく、最良の手段を考えていくべきなのです。

われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいの人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納得してきたことを、あまり固く信じてはいけないと学んだことだ。
結局、多様性を実現する最大の利点は、ここなのかもしれません。
同質性で固まっている日本社会の問題点は「前例と習慣だけで納得してきたこと」を信じ、そして変えられないことにあるのだと私は考えます。
市場環境や国際社会に対応できないで没落する日本企業の経営、社会構成の変化や世論が求めるものに対応できないでひたすら先送りを続ける日本の政治。
これらは「前例と習慣だけで納得してきたこと」そのものではないのでしょうか。

第2部 探求した方法の主たる規則


デカルトがドイツに呼び出れたときに、ある冬営地で足止めされ、炉部屋に閉じこもり、思索にふけった日々で見つけたことが記載されています。

多数よりも良識ある一人

書物の学問、少なくともその論拠が蓋然的なだけで何の証明もなく、多くの異なった人びとの意見が寄せ集められて、しだいにかさを増やしてきたような学問は、一人の良識ある人間が目の前にあることについて自然に[生まれながら]になしうる単純な推論ほどには、真理に接近できない。
世の中にそれだけ偽の学問が多いということなのだろうと個人的には解釈しています。
ただ、真理にたどり着くには贅肉を落とさなければいけないということで、俗物が積み上げたものは余計だということを指摘しているのかもわかりません。

そのためにデカルトは、今まで信じてきた見解を捨てようとします。
その上で真理を導くために必要なこととして、以下の4つの規則にたどり着きます。

真理を導くための4つの規則


第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。(中略)
第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。(中略)
第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。(中略)
そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったかと確信すること。

実にシンプルな規則だと思います。しかし、何れも重みのあるものであり、真理を導くという使命を帯びたデカルトではなく、私のようなただの小市民にあっても実に有効な規則ではないだろうか。
実生活でこれが出来ている人は意外と限られていたりします。

第3部 道徳上の規則


デカルトは、家の建替えにたとえて、真理をみつけるまでの仮の道徳的規則を導いています。「仮」ということではありますが、最終的にこれに変わる規則が本書で出てくるわけではありません。
第一の格率は、わたしの国の法律と慣習に従うことだった。
ルールがない(検討中)だから、自由というわけではなく、それまではまず今あるものを尊重するという、紳士的な考えに見えますし、穏健な考えを取ることで、軌道修正を行いやすくするという打算的な面もあるようです。
実際問題、今のルールを守れぬものの言い草など、認められないのが関の山です。某大陸みたいな傍若無人が何を言っても、愚かさの証明でしかありません。

わたしの第二の格率は、自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うことだった。
デカルトは森で迷った例をあげ、迷って適当な方向へ進むより、まっすぐ歩いたほうが、最終的はどこかへ着くと説明しています。
変革を恐れてはいけないが、理由もなく変えるのは変えないより悪いということを解いていると解釈しています。

わたしの第三の格率は、運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。そして一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。
自分の範囲外のものを気にすることはよいことにはならないと主張しています。
真理を導くためには周りのことを無視することも重要だと思いますし、その方が自分を満足させるという点において優れています。
個人的には周りを変えようとする考えもないと、それはそれで困ったことになるのではないかと思います。皆が自分以外を変革しようとしないと、結局は秩序だった世の中にもならないし、集団の中での間違いが正されないので、悪化の一途を辿るのではないでしょうか。

第4部 神の存在と人間の魂の存在を証明する論拠

真理を探すために、「真らしく見えるもの」を全て虚偽としていったとき、最後に残ったものは、今考えている私自身ということになります。

Cogito, ergo sum

すべてを偽として考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる
フレーズだけは皆が知っているCogito, ergo sum(我思う、故に我在り)というものが、どのように導かれてきたのかがわかります。
一つ謎が解明されて嬉しい気持ちと、案外単純だと思う気持ちと、それが故の味わいというものがあります。

この先は、演繹的に神の存在証明していく内容になっていますが、私がコメントをしていくのは難しいです。解説を見て読むと何となくわかった感じになりますが。
ただ、現代日本人の我々に神の存在証明が大事とも思わないので(詭弁であると言い切る解説もありますが、そうだからではありません)、それ以降は省略します。
また、同様に第5部の自然学に関することも、同様の理由で省略します。

第6部 本書を執筆するに至った理由

この章は、役立つとおもった内容を抜粋していくことにします。

自分の発見したことがどんなにささやかでも、すべてを忠実に公衆に伝え、すぐれた精神の持ち主がさらに先に進むように促すことだ。その際、各自がその性向と能力に従い、必要な実験に協力し、知り得たすべてを公衆に伝えるのである。先の者が到達した地点から後の者が始め、こうして多くの人の生涯と業績をあわせて、われわれ全体で、各人が別々になしうるよりもはるかに遠くまで進むことができるようにするのである。
ちょっと理想主義のきらいはあるのですが、この考えは私は好きです。
現代は、研究などは公にしない方がいいみたいな感じになっていて、実際悪用する人間が絶えないから、当然なわけです。しかし、そのような非文明人・無教養人のせいで、文明の進歩が止まるのではないかと、危惧することもあります。AIとか騒がれている現代で何をと思うかもしれませんが、優秀な人を飼い殺していくような社会になれば、進歩が止まって暗黒時代になるのは、そんなに遠くないと思います。

人間はだれも、自分の力にかなうかぎり、他人の幸福をはかる義務があり、だれの役にも立たないのは本来何の価値もないのだが、しかしわれわれの配慮は現在よりもずっと先にまで及ぶべきであり、(後略)
前段の自分だけではなく周りのことも考えるというのは、当たり前にことだと(文明人・教養人なれば)皆が認識しているのではないかと思いますが、そのような人でも未来への配慮はどうなのだろうということであります。
子孫の代の我が国や地球を考えている経営者なり政治家は居るのだろうか。おそらく居まいというのが、私の感想です。

真らしさは、あらゆる種類のことがらにおいてたいした苦労もなく見つけることができるが、真理は、ある限られたことがらで少しずつ発見されるだけであり、ほかのことがらが話題になると、知らないと素直に打ち明けねばならないものなのだ。
現代は、「知らない」といえないから、真らしいことで誤魔化しているものが多すぎると思う。「知らない」ことを恥じて真理を目指すべきだが、畏れるべきではないのだと思う。

注釈

格率……自らの学問、思想や生を導く規準
2018年9月22日土曜日

大衆の反逆(オルテガ・イ・ガセット著)

大衆の反逆
1930年刊行の大衆社会論の嚆矢。20世紀は、「何世紀にもわたる不断の発展の末に現われたものでありながら、一つの出発点、一つの夜明け、一つの発端、一つの揺籃期であるかのように見える時代」、過去の模範や規範から断絶した時代。こうして、「生の増大」と「時代の高さ」のなかから『大衆』が誕生する。諸権利を主張するばかりで、自らにたのむところ少なく、しかも凡庸たることの権利までも要求する大衆。オルテガはこの『大衆』に『真の貴族』を対置する。「生・理性」の哲学によってみちびかれた、予言と警世の書。

前書き

1930年代に書かれた大衆や社会のあり方などが書かれた本です。
特筆すべき点としては、その時代(筆者はスペイン人)の問題点だけではなく、現代日本にも通じる警告の書であること、そして第二次大戦以降の欧州を予言している点でしょうか。
印象的な文章などを中心に筆者の視点を要約しつつ、私の思索も纏めていこうと思います。
中々辛らつな記載な内容の中にある、味わい深い文章(といっても訳文ですが)を感じ取れるかと思います。

1.この本における大衆の定義

大衆という単語が何を指すかは、この本の解釈に大きく影響します。
一般的には、通常の労働者層のように知的定見を持たず、社会の歯車として生きている不特定多数の人々を指すのかなと理解しますし、1章の「充満の事実」などを読むと、その解釈でよいように思います。
たとえば以下の表現などが顕著です。
大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感じることに喜びを見出しているすべての人のことである。(充満の事実)
なんというか、如何にも典型的な日本人ではないかと思います。

一方で後半の章(11章あたりから)の文脈では、「技術家大衆」という単語もありますが、「専門家は自分がたざわっている宇宙の微々たる部分に関しては非常によく”識っている”が、それ以外の部分に関しては完全に無知なのである。」という印象的なワードにより、筆者が批判するとしての"大衆"は、「近代科学が知的に優れていない人をが働くことを可能にした」結果として誕生した、”専門家”のことを指していると見るべきでしょう。
それがはっきり分かるのが以下の文章です。
彼にあるがままの自分を固定させ、自分の道徳的、知的資産は立派で完璧であるというふうに考えさせるのである。この自己満足の結果、彼は、外部からの一切の示唆に対して自己を閉ざしてしまい、他人の言葉に耳を貸さず、自分の見解になんら疑問を抱こうとせず、また自分以外の人の存在を考慮に入れようとはしなくなるのである。(「慢心しきったお坊ちゃん」の時代) 
マスメディアに出てくる”専門家”のことを思い出すと、如何にもと思われるのではないでしょうか。
この本を読み解くポイントとして、大衆が何かというのを意識することを強くおすすめします。

2.知的に優れている人

ものごとに驚き、不審を抱くことが理解への第一歩である。それは知的な人物に特有なスポーツであり、贅沢である。だからこそ、知性人に共通な態度は、驚きに瞠った目で世界を観るところにあるのである。(充満の事実) 
知的に優れた人の特徴を分かりやすく捉えていると思います。
世界は、ただ住んでいるだけだけで理解できるほど甘いものではないからこそ、知的な"スポーツ"として、世界を観ることが必要なのでしょう。

3.自分の思想

まず自分の中にいくばくかの思想を見出す。そして、それらの思想に満足し、自分を知的に完全なものとみなすに決めてしまう。彼は、自分の外にあるものになんらの必要性も感じないのであるから、自分の思想に限られたレパートリーのなかに決定的に住みついてしまうことになる。(大衆はなぜすべてのことに干渉するのか、しかも彼らはなぜ暴力的にのみに干渉するのか) 
本当に知的な人は外に目を向け、より上を目指すのに、 "大衆"はそうではないという、筆者が批判する"大衆"の典型例だと思います。所謂専門家にありがちなパターン。
驚くほど現代も同じような輩だらけであると悟ります。
それと共に、このような人間になってはいけないということです。

4.文明の中の未開人

世界は文明開化しているが、しかしその住民は未開なのである。彼らは自分たちの世界の中に文明をさえ見ずに、ただ文明をそれがあたかも自然物であるかのように使っているだけである。(中略)彼は、文明の利器に対する感慨をそれら利器の存在を可能にした原理にまで及ぼそうとはしないのである。(原始性と技術)
これは私も気をつけないといけないなと思います。
多くの人が原理を考えることなく消費に勤しんでいるわけですが、それは視野狭窄であり、文明人ならば、自分が拠って立つ文明を意識すべきということですね。

しかし、世の中の文明は発達しすぎて、もはやすべての原理を一人が理解することは不可能に近いでしょう。たとえそうだとしても、原理を追求する姿勢を持つことは大事だということともに、人間の理解を超えた文明というものがどうなるかという警告とも感じます。

5.頂点と終末

真の生の充実は、満足や達成到着にあるのではない。(中略)自己の願望、自己の理想を満足させた時代というものは、もはやそれ以上は何も望まないものであり、その願望の泉は枯れ果ててしまっている。要するに、かのしばらしき頂点というものは、実は終末に他ならないのである。(時代の高さ)
19世紀のヨーロッパ人は、「ついに成れり」の時代として、満足を通り越した時代であったとし、その先の時代(つまりこの文書が世に出た頃)について、語っている。日本人の感覚としては、異質なものであり、19世紀が頂点などとは感じないだろう。
日本人としては、バブル期がそうなのではないでしょうか。その時代こそが「自己の願望、自己の理想を満足させた時代」であり、結果として今の日本というのは「願望の泉は枯れ果て」た結果としての終末ではないかと、この文書を読んで投影してみました。
終末の次は再生……だといいのですが。

6.大衆が生まれた背景

前世紀があれほど誇りにしていた学校では、大衆に近代生活の技術しか教ええず、大衆を教育することはついにできなかったのである。(中略)偉大なる歴史的使命に対する感受性は授けられなかった。彼らに対して、誇りと近代的手段の力がせっかちに植えつけられたが、精神は植えつけられなかった。(一つの統計的事実)
これまた手厳しい表現であります。
しかし、戦後教育の問題点の真理をついているのではないでしょうか。
自戒もこめますが、現代の日本人は驚くほど歴史について無知です。
年号・武将の名前そのような些事を暗記することで見かけの知恵はついている、これがせっかちに植えつけられた近代的手段というものでしょうか。
しかし、歴史の中の真理や、日本人としての精神というものは、(ある部分はGHQに破壊されたにせよ)まったくをもって教わることなく、殆どの人はそのまま知らずに一生を終えるのです。
これこそが大衆が生まれ、世に放たれ、そして社会が撹乱されていくことの真因ではないだろうかと思います。
凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとする(充満の事実)
行き着いた結果を表現するとこうなるのでしょう。

7.現代の専門家論

科学それ自体に対する無関心がたぶんどこよりもはっきりと現れているのが技術家大衆ー医者、技師等々の場合であるというにいたってはなおさらのことである。彼らが自分の職業に従事する場合の精神状態は、自動車に乗ったり、アスピリンを買ったりして、満足する人のそれと本質的にはなんら変わりないのであって、そこには科学や文明の運命との緊密な連帯感はまったく存在しないのである。(原始性と技術)
なかなかに過激な表現ではあるが、その実かなり真に迫っているのではないでしょうか。
専門的な知識を備えているかもしれないけども、自分の立場や利益のために動いている人、かなり目立ちますよね。
そのような専門家をさらに激しく批判するのが12章の「「専門主義」の野蛮性」であり、科学の歴史から、なぜこのような人間が生まれたのかを紐解いていく、示唆に富んだ章です。

8.二世紀の話です。

国家は生を窒息せしめるような絶対的な優位な権力をもって社会の上にのしかかっていた。社会は奴隷化し始め、国家に奉仕する以外に生きる方法をもたなくなってきた。生のすべてが官僚化されたのである。(中略)あらゆる分野における衰退をもたらしたのである。富は減じ、婦人の出産率は低下した。そこで国家は、自己の窮状を救うために、人間の生存形式の官僚化をいっそう強化した。(中略)貧苦はますます増大し、女性の妊娠率はますます低下した。(中略)軍隊は外国の傭兵に頼らなければならなくなっていったのである。(最大の危険物=国家)
この内容は古代の帝国主義国家の全盛期から衰退への内容なのですが、こうしてみるとなんだか物凄く現代日本と酷似していないでしょうか。
結局科学がいくら進化しても、人間が進化したわけではないということが、実によくわかる文章です。
過剰な税金や規制、社会保障、果ては教育や経済活動にさえも及ぶ、種々の「国家による社会的自発性の吸収」が、日本人の生を「官僚化」していった結果、初期は人々は幻想の中で、数字上成長した日本と一体化し、幸福な生活を謳歌したと思います。それをバブルと呼ぶのでしょう。
その後のことは筆者の指摘と全く同じであり、恐ろしい限りです。

9.国家というもの

国家というものは、人間に対して贈り物のように与えられる一つの社会形態ではなく、人間が額に汗して造り上げてゆかなければならないものなのだということである。(世界を支配しているのは誰か)
国家だけに限りませんけども、現代人はあらゆるものを贈り物のように与えられていると勘違いしています。文明、科学、権利……。
しかし、それらのものは人間が歴史の中で紡いできた結晶なわけで、 本書中の表現を借りれば「遺産相続以外何もしない相続人」にならないよう、生きている人々全てに義務があるのではないでしょうか。
そのことを一人でも多くの人が自覚することが、一番大事なメッセージなのかもしれません。


2018年9月21日金曜日

20180921プチ乗りバス:ハチ公バス

所要のついでで、渋谷区のコミュニティバス「ハチ公バス」に乗りました。
※今回は写真なしです。

恵比寿・代官山循環 夕やけこやけルート 恵比寿駅入口→渋谷区役所

路線図からわかるとおり、結構複雑なルートをたどり、いかにもコミュニティバスらしく、地元利用者(交通弱者)向けに小刻みに回るルートです。
今回は恵比寿駅入口から西半分に当たる区間に乗りました。

恵比寿駅入口のバス停北上します。恵比寿区民施設というバス停では、渋谷側から来るバスに乗継券で乗継可能で、片方向しか運行されない不便さを補っています。
しばらくすると、代官山通りへ左折します。
一方通行の代官山通り沿いにはお店が目立ち、左手には東急東横線が地下から顔を出してくると代官山駅につきます。
手狭な代官山駅を過ぎると狭い住宅街の道を進みます。都立一高のバス停あたりはかなりの坂で、アップダウンが多い渋谷という土地柄もあり、利用者を拾っていきます。

この先は文化総合センター大和田へ寄るのと、一方通行があるので小刻みに曲がっていきます。道の狭さなどからもポンチョがなければ、実現しないだろうという道路です。
ちなみに、文化総合センター大和田にはプラネタリウムがあり、人が多くないので穴場として悪くないところです。
そこから一方通行の関係もあり、JT前バス停へ大きく回りこんで、南平台の交差点から玉川通りへ右折するのですが、交通量が多い上に、信号が短く、ここでかなり待たされました。
文化総合センター大和田の正面にいけませんが、一本手前で曲がってJT前まで行かないほうが早く渋谷駅へ着くと思うのですが、こういう性質のバスなのでありなのでしょうか。

乗っていた人は渋谷駅西口で全員おり、この先は渋谷区役所の仮庁舎によってから、本来の庁舎によるというルートで、時間がかかりました。
最もこの時間帯では乗り換える人も少なく、乗客ゼロになるのでしょう。


本町・笹塚循環 春の小川ルート 渋谷区役所→笹塚駅

渋谷区役所のバス停から、笹塚方面へいく春の小川ルートに乗り換えました。
よく見ると向い側に、新宿方面・渋谷方面等の京王バスが結構頻繁に走っています。
交通渋滞で来ないバスを待ち、15分遅れくらいでやっと出発です。
その原因はすぐわかり、原宿駅の南で都道413号線に入ると渋滞していました。
ここから富ヶ谷のバス停まで10分か15分かかかったと思います。
富ヶ谷の交差点で山手通りに右折します。(あれ渋66と同じじゃ……?)

初台坂下の交差点でやっと山手通りから脱出すると、ケアコミュニティ・せせらぎというバス停に向かいます。
律儀に駐車場に入って、玄関まで行くものの誰も乗り降りしない……。
本町一丁目の交差点から甲州街道を新宿方面へ右折、新国立劇場まではまた渋66と同じルート(逆方向ですが)。
オペラ通りを経由して、またまた山手通りに戻る。。。
一瞬新宿区を通った後(バス停もあります)、方南通りの手前で住宅街に入り、ここからがこの路線のハイライトです。

ポンチョですら離合は難しく、実際バスは一方向なのですが、一般車は対向車もあるわけでかなり慎重な運転が求められます。
が、あまりこの区間での乗降はありませんでした。
夜間で住宅街なので特筆した車窓などを語るのは難しいです。

この区間を抜けると中野通りに出て笹塚駅を一直線に目指します。
実はこの区間が降りる人が多かったですが。
本来はこの先もあるのですが、終車一本前で笹塚駅止まりでした。

中途半端に大通りを通るために却って、定時性が損なわれているようなところが残念ですが、40分くらいかかる中野通り沿いまで、渋谷区役所から乗る人がいるというのは、結構定着しているのかなと思います。
(笹塚まで渋66で行って歩いたほうが早そうだけれど……)


しかし、ポンチョを乗りついで約1時間少々なのですが、狭い車内に(これは仕方ない)、硬い椅子(普通のバスよりやけに硬い)で疲れます。
普通の路線バスなら数時間でも苦にしませんがポンチョは疲れます。
展望も悪いので、ポンチョはサイズ上仕方ないところもあるかもしれませんが、もう少し何とかならないものかとよく思います。
2018年9月16日日曜日

真実を見抜く分析力(トーマス・ダベンポート、キム・ジノ著)

真実を見抜く分析力 ビジネスエリートは知っているデータ活用の基礎知識
データ分析を企業経営に活かすことの重要性を早くから説いてきた経営学者ダベンポート。インターネットと技術の発展により、「何でもデータが取れる」今、一般ビジネスパーソンも仕事でデータ分析を使わない手はない。自分で数字を計算・分析まではせずとも、分析手法や分析結果について分析専門家と議論できるようになるためのコツを3段階6ステップで解説する。


前書き

私はデータ分析の隣くらいで生きているので、その分野の知識も齧っておいて損はないと思い、さりとて直接のデータサイエンティストになるには地頭も前提知識もないので、データ活用の為の本ということで、これなら私でも読め、役に立てることもあるかと手に取りました。
個人的に役に立つと思う点、面白い点をピックアップしてみます。

1.分析の結果、どんな意思決定がなされるか

分析を成功させる一番のポイントは、分析を何に用いて、その意思決定が誰によってどうなされるかと指摘しています。
いわゆる専門家という人種は、自分の専門分野に自信を持っていますから、それ以外の点についてあまり興味を持たないという(対外的な)イメージをもたれています。
本書はビジネスに分析を活かすということが主題ですから、そのような姿勢とは決別して、分析の目的をはっきりさせ、意思決定者を明らかにして、そこへ訴えかける内容でなければ、意味ある分析にならないと指摘します。
また、意思決定者を分析の初期から参加させることにより、分析への意識や共感を高めていけるということで「アジャイル」というワードも出てきます。

これは、分析に限ったことでは無いですが、ビジネスにおいてもそれ以外の社会生活においても忘れられがちながら、重要な点であると思います。
別の章になりますが、ナイチンゲールとメンデルの対照的な例があり、分析結果を活かせた例とそうでない例を、歴史の中から語られており、わかりやすいと思います。

2.過去の知見を徹底的にレビューする

何かと人は新しいことをしたいと思い、その方が評価されると考えますが、「あなたが取り組もうとしている問題は、あなたが思っているほどユニークではない」と厳しく指摘されています。
だからこそ、1から何かを始めようとするのではなく、過去の知見を探すことで、問題解決へのアプローチやモデルの候補を見出せるとしています。
(もちろん、全く同じものがあれば、それ以前の問題として分析不要ですが)

3.洗練されたアルゴリズムより、豊富で良質なデータが勝る

個人的には納得できる面が多いのですが、意外に思う人も多いかもしれません。
本書では、ビジネス界だけでなく、NBAなどの例も紹介されていますが、本質的に重要なデータの量と質が揃うことであることを示しています。
データ分析の隣人といった感じの私としては、豊富で良質なデータを提供するということ意識して仕事に臨みたいなと思い、当たり前の感もありつつ、ポイントに挙げてみました。

4.どのような分析手法も直接的には非構造化データを分析できない

もちろん現時点でという但し書きはあるのでしょうが、ビッグデータ界において「バズる」という感じである非構造化データですが、実は分析に(そのまま)使えていないということです。だから、「バズる」ということでしょうか。
そういうネット界隈の人気というものは、得てして技術面からのものであり、ビジネス的に意味があるのかというのは、当然二の次なわけですが、今の分析とかそういうものが、一気に塗り替えられる可能性があるということと、もう一つは過剰に流行に乗るのではなく、「良質なデータ」だけをきちっと揃えることがビジネス的に大事なわけで、コストをかけて非構造化データに固執するのではなく捨てるということも、大事なのではなかろうかと、思索を巡らせる点に感じました。

5.優れた分析専門家は、「データでストーリーを語る」ことができる

1.にも通じる面がありますが、人間は物を理解する上でストーリーを必要する生き物だと私は考えています。
本書では、聞き手のレベルに合わせて「取るべき行動と行動したことで予想される結果について結論付ける」ことをよいとしている。
そしてそのためには、利害関係者との議論が必要としている。
繰り返しにはなりますが、日々の仕事生活で意識すべき思考ということで、改めて強調します。

6.分析的思考に最も求められるのは、確率と偶然性の法則を理解すること

では、本書の主題に戻って分析的思考を身につけ、データを活用していく為に必要なことは何かと考えると、数学というのが一般的に思いつくものであるが、本書は数学以上に重要なことと指摘していることがあります。
ナシム・ニコラス・タレブの『まぐれ』を引用し、人々は「偶然性にだまされる」と指摘しています。
数字を出されると信じる人というのは、私の感覚でも多く、また「数字は騙しに使われる」と理解している人でも、気を抜くと騙されるわけで、難しいものです。
そして統計を理解するにも確率は基礎になるわけで、確率を理解しているかというのは、その人の知的水準を測るバロメーターではないかと思う。
本書では「たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する」を推奨していたので、今度読んでみようかと思います。

7.効率的な定量的決定というものは「人間関係から生まれるものなのだ」

1.と5.の繰り返しですが、本書では「数学者の中でもトップクラスの人が、数学ではなく、人間関係が重要だと宣言するなら、私たちは注意を傾けるべきである」と記されています。
別の章で、分析と創造力についても記載もありますが、数字やデータ、分析というものは重要であることは疑いようもないわけですが、その上で最後は人間の英知が重要だと改めて感じます。

そう考えると日本企業がコミュ力を重視するのも、あながち間違いではないのかもしれません。ただ、彼らの考えるコミュ力は、決定的に誤っているので、日本企業は衰退しているわけですが。

付記:定量分析の3つの段階と6つのステップ

本書内で度々でますので、読み解く為に引用しておきます。
第一段階:問題のフレーミング
1.問題認識
2.過去の知見のレビュー
第二段階:問題の解決
3.モデル化
4.データ収集
5.データ分析 
第三段階:結果の説明と実行
6.結果の説明と実行
2018年9月9日日曜日

フェイクニュースの見分け方(烏賀陽弘道著)

フェイクニュースの見分け方
一見もっともらしいニュースや論評には、フェイク(虚偽の情報)が大量に含まれている。真偽を見抜くには何をすべきか。「オピニオンは捨てよ」「主語のない文章は疑え」「空間軸と時間軸を拡げて見よ」「ステレオタイプの物語は要警戒」「アマゾンの有効な活用法」「妄想癖・虚言癖の特徴とは」―新聞、雑誌、ネットとあらゆるフィールドの第一線で記者として活躍してきた著者が、具体的かつ実践的なノウハウを伝授する。


前書き

情報の取捨選択は、現代の必須事項であり、何か参考になるかと思い手に取りました。

まず最初に断っておくことは、著者は元朝日新聞記者であることです。
そのため、題材が反原発等のサヨク的テーマに偏っており、個人的には一部不快になる場面があります。
また、著者の属性から察せられる通り、既成メディアに対する一定のバイアスがかかっています。
その点を踏まえても、実際に情報を処理していく上で必要な観点をまとめられており、その点については有益な書と捉えており、その点を評価の上で、メモを記載致します。
もしお手にとられる際は、著者属性による一定のバイアスを理解しておくことを推奨いたします。

1.他の公開情報をクロスチェックする。

マスメディアのフェイクに対応する方法として、他メディアや書籍をクロスチェックすることを著者は推奨しています。一方で、インターネットの検索(Google等)については、ネット内の状況を示すだけのものと否定的です。

私の個人的な感想としては、やや書籍やマスメディアに対するバイアスを感じます。確かに検索エンジンはSEOなどがあるように、ネット内で流行っていることが前提ですので、真偽という観点とは異なります。検索結果の上位=真実である、有用であるということが、成り立たないことはネットユーザーならば当然であります。
著者も別の章で「マスメディアで言論を表明できることの特権性は失われた」と認めている割には、と思います。
載っている媒体というより、出典が明確で、検証可能かどうかということに重きおくべきではないかと思います。

2.オピニオンは捨てる

最近の新聞はアジビラと化しているので、別に社説・コラムなどには限らないと思うのですが、真偽の判定としては指摘の通りだと思います。
むしろ我々が求めているのは、そのような記事の中に紛れた、オピニオンや印象操作ですが、そのテクニックについて著者が語っている内容はかなり有益です。「○○と語った」という事実をポジティブやネガティブに見せかけるように書き換えてみたり、「連れ込み」という日本語の使い方など、よくよく新聞に当てはめると多数含まれており、改めて現代の新聞の無価値さを悟りました。

3.匿名発信は切り捨てる

匿名発信=フェイクという訳ではないということはそのとおりですが、一般的に発信者が特定されていない場合、真実風の何かであることが多いです。
一番分かりやすいのは、ゲンダイあたりの「○○関係者」でしょうか。関係者の欺瞞は、著者が語っています。

海外の新聞だと、記者が書いたニュースは必ず署名入りだそうです。(社説等を除く)
日本の新聞は、匿名発信=フェイクでいいんじゃないかと私は思います。書いてあっても朝日の記者=フェイカーでいいと思いますが、笑
何故そうではないか、日本型慣行を著者は語っていますが、納得できかねる内容です。

4.何を書いていないかに着目する

どうしてもフェイクというと嘘が書かれていることを意識しがちですが、書いてあることは事実だが、書かれていないことによって、誤った印象操作がなされるというケースがあります。
意図的に欠くことでフェイクニュースを作っているのか、それともマスコミが商業的な理由で「わからない・断定できない」と記載できないからなのか、どちらが原因かは瑣末な問題ですが、それによる印象操作を避けるために、何が書かれていないのかを注意することは効果的だと思います。

これに関連して「フェアネスチェック」の視点を持つことを著者は推奨しています。
また原発ネタかよと挙げる例には、少々くどさがありますが、東電の吉田所長についての例は、わかりやすいので、この点についていえば好例であったと思います。
ある人物について、ネガティブ面(あるいはその逆)を意図的に書かない情報というのは、世の中に氾濫しています。

5.発信者の疑い方

専門家から無名まで、ネットの普及により増えすぎた発信者の整理についても、著者は述べています。
前段のネットが出てくるまでは、「マスコミが選別していた」調の文章はあまりにも読む気を失わせるので飛ばした方がいいかもしれませんが、苦笑
ポイントを抜粋すると
  • 引用が正確である。(元の媒体も使い方も含め)
  • 言葉の定義が正確である。
  • 発信者のキャリアを重視する。(何の専門家か?その専門におけるキャリアは?)
  • どのような書籍を過去に出しているかを重視する。
  • 利害や立場にそって発言していないか。
  • ステマはやり放題なので注意。
といったところでしょうか。
引用は確かにその文章のセンスがわかるなと個人的に思うものであり、何から引用するのか、引用する箇所をどのように選び、どのように使うかというのは、その人の文章構成力も垣間見える重要な点です。

言葉の定義については、著者の例は私には理解できないが、言論が噛み合わない場合には、大体この点がネックになっています。発信者を疑う場合以外にも重視したいところ。

書籍やキャリアの点は、私はやや懐疑的です。書籍を出していたとしても、案外いい加減な本は多く、代筆のようなものもないと言えるのだろうか。そこまで出版業界というものを信用できないです。また、「経験がある=職能がある」というのは、固定概念に近く、それを発信者の正確性に結びつけるのは、現代においては適切ではないように思います。これは、著者との世代的な差かもしれません。
ただ、専門家の専門性は検証すべきというのは全くの同感で、TVのコメンテーターや新聞のコラムニストなど、専門性の明らかでない専門家が溢れかえってる現状は、非常に危機感を感じます。

そして、専門家の専門性の壁を乗り越えると、次は利害と立場です。
毎度の原発事故が例題だが、原子力のように、専門性が袋小路のような場合、利害関係がない、自身の立場に左右されないという専門家がほぼ居ないケースも多いです。
著者の指摘の通り、発信者のバックグラウンドまで正確に記す他は無いが、何とかならないのかと考えさせる問題です。
付随して、ステルスマーケティングへの規制が無く専門家の肩書きを利用した広告のことにも触れられています。何でも欧米に倣えではないが、このケースは参考にすべきでしょう。

最後に触れられていない論点について

著者属性で注意したとおりだが、この書籍には一つ決定的に欠けているポイントがあります。
「世論操作・情報工作」といったものであり、支那・朝鮮・露国・米国等が我が国に対して、日常的に行っている(というエビデンスは無いが)プロパガンダです。
著者から言わせれば、エビデンスがなく陰謀論だから相手にする必要なし、というところなのでしょう。
しかし、支那の工作はアメリカで問題になっているようですし、過去の歴史を振り返れば当たり前に行われてきたことであります。
また、それに対し我が国が発信する内容は本当に汚染されていないのか。そこも国民の関心事です。
書籍の内容を応用することで、ある程度は対処可能ですが、何か無かったのかという気もします。
ステルスマーケティングなど、企業側のフェイクについて触れたんですからね。

(私は真実を発信する使命を追っていないので、工作の有無については保証しかねます)

20180908乗りバス:狭山24、川越35、松江町線、古01、所61、久留52、ひばり81

所要のついでで、西武バスの1日乗車券を買って回ってきました。
土休日1日1本しかない本川越駅~南古谷駅を目的にぶらぶらしました。

第一走者:西武バス 狭山24系統 狭山市駅~西武柏原NT




狭山市駅まで電車でやってきました。
狭山市駅は過去に来たことがあり、その先は狭山25系統を目的に、狭山21、28、29を乗っていましたので、この系統は未乗であることや、終点の柏原NTからかすみ野まで徒歩連絡が可能と判断したため、乗ってみました。

狭山市駅を出ると高台になっている駅から、入間川の方へ坂を下ります。
下ったバスは、埼玉石心会病院に立ち寄り、病院構内で客扱いをし、折り返して戻っていきます。


しかし、信号で右折・折り返し、また右折と繰り返すのに、時刻表上は狭山市駅から2,3分というところでどういう基準なのだろうと思います。
終着で時間を見ているので、最終的に終着時点にはほぼ定刻になるのは知っていますが。

少し国道16号との交差点でまた時間がかかりますが、それを越えると昭代橋で入間川を渡ります。


この橋の直後にT字路があり、バスは右折していきます。
今までは広さに余裕がある道でしたが、ここから片側1車線で歩道が怪しい感じの狭い道になります。
その先の西武柏原入口で、狭山21系統のサイボクハム行と分かれて右折します。
ここからはNTの街並みになります。
一戸建てが並ぶので、団地のような一般的に想像するニュータウンではありません。
途中で、狭山環状道路の有料道路の看板が出てきて、街並みとのアンバランスが印象に残りました。
その先の柏原ショッピングセンターは、ファミマと交番しか見当たりません。何かが撤退した後なのか、まさかコンビニが本気でショッピングセンターなのか。

ニュータウンも外れの方になり、緑が目立ってきますと、終点の西武柏原NTの折り返し場につきます。


折り返し場は、何台か駐車でき、乗務員用のトイレもある感じです。
この写真は、バス乗り場から撮りました。

ここからはかすみ野バス停まで、1.5kmほどを歩きました。
思いのほか暑くなってしまったのと、グーグルマップに示された道が、思いのほかあぜ道みたいな感じで少し不安でしたが、徒歩で川越市に入り、バス停までつきました。15分少々でしょうか。



第二走者:西武バス 川越35系統 かすみ野~本川越駅



※終点で撮影

本数が1時間に1本あるかないか微妙な長距離路線です。
実は新狭山駅~笠幡駅の新狭山11系統が当地を通っており、時間が合っていれば西武柏原NTから歩いてこなくともバスが通っています。
(ただ今回は合わなかったのです……渋々。)

かすみ野も先ほどの西武柏原NTと似たような感じで、一戸建てメインです。
西武柏原NTと比べると、だいぶバスの利便性は落ちます。
かすみ野を出ると、川越市大字笠幡となり、川越線の笠幡駅からやや近いですが、このバスには結構人が乗ってきます。川越線は本数も限られるからでしょうか。

かすみ野入口バス停で、笠幡駅方面の新狭山11系統と別れ、本川越駅を目指します。
県道15号線を直進しますが、片側1車線で流れはいまいち。
ロードサイド店が点在する中、ちょこちょこと人を拾って進みます。

大字的場に入ると、すぐに関越自動車道が上を通ります。ここには高速バスの川越的場バス停があるようです。
その先の的場交差点を過ぎると、ロードサイド店に変わって工場が目立ちます。
それに伴って?さらに流れが悪化してきます。
流れの悪いところをゆっくり進むと初雁橋で入間川を渡ります。
川越線の鉄橋が見えますが、本数が少ないから電車が通るところは見えませんでした。


この橋を渡りきると右折します。
右折すると少し緑が目立つようになります。
川越水上公園入口を過ぎると、大田街道という道になるのですが、ここがこの路線では狭いです。


中型バスなのは利用者数の問題もあるかとは思いますが、この区間も踏まえてということでしょう。
この先で尚美学園大学へ向けて右折します。しかし、この学校のスクールバスは川越駅周辺で多数みかけたので、路線バスは使われていなさそうです。
県道160号にぶつかると右折して、その先は川越市内を細かく曲がって進んでいきます。

ウエスタ川越前で、本53系統などの他系統と合流し、バスの本数が多くなりますが、川越市内は非常に流れが悪いです。
川越駅西口も、客を降ろそうとするも前のバスがいるため、待たされるなどもう少し道路事情を改善できないものかとは思います。
(それでも逆方向はロータリーに入るので、入らない本川越行はマシです)
その後も歩いたほうが早いのでは?という状態のまま、本川越駅に到着します。

西武バスはここをターミナルとして、川越駅西口を経由し、南方面へ。東武バスは川越駅西口をターミナルとし、本川越駅を経由し、北方面へ。というのが大よその感じです。



第三走者:西武バス 系統番号無 本川越駅~南古谷駅(松江町線)



今日の目的だったレア路線です。
系統番号がありませんが、乗務員氏が所持していた運賃表には「松江町線」と記載されていますので、それで呼称します。
古01系統の送り込みも兼ねて、営業エリアを維持する、事実上の免許維持路線だと思います。

本川越駅から定期系統で唯一北へ向かいます。そのためバス停も単独です。
空港連絡バスと共用なので、そちらの方が明らかに多いでしょうね。

北へ行って次の交差点の連雀町で右折します。
喜多院入口で再度右折し、喜多院門前通りへと進みます。



このルートなら誰か観光客とか乗ってくることもわずかに期待して、この時間帯(11:53発)を選んでいるのかもしれませんが、実際には本川越駅から南古谷駅まで乗ったおじさんがひとり居ただけでした。川越駅まで行くの面倒だし、たまたま時間があったから乗るか程度の感じでしょうか。

仙波下、川越警察署入口の2バス停だけ川越グリーンパークへ向う本52系統と並行しますが、このバスは県道113号を直進し、南古谷駅へ到着します。


第四走者:西武バス 古01系統 南古谷駅~上赤坂



ここから東京方面へ戻るならと考え、本川越まで戻って新所02系統を使うのが素直ですが、捻ってみました。この路線が未乗というのもあります。
先ほどの松江町線から同じバスです。こういう場面は少し気が引けますが、気にしてもしょうがないので、大人しく前の座席へ乗り込みました。(一度降りているし、不正でも何でもないので)

10分少々待ちましたが、数人しか乗ってこないまま発車となります。
川越市といっても少し長閑な場所を、県道335、56号線と進んでいきます。
新河岸川で(正確にはその直前で)ふじみ野市に入ります。
少しずつ人を拾いながら、上福岡駅入口へ到着。

この先の踏み切りは、駅に近いこともありぬけるのに時間がかかりましたが、踏み切り空く→直後に反対方向が来て閉まるを2連続で繰り返されて、乗務員氏もため息。気持ちはわかります。

この先から三角バス停までは大34、所58-1ともしばらく並行します。
分かれるまでの区間は、どちらの系統もレアですので、結局ちょっとしか増えません。
ロードサイド店が点在していますが、まだ駅から近いのかバスの乗降は少なめですが、駅から離れるにつれ、増えていきます。

三角交差点は、関越自動車道の下をくぐる箇所で、大雨時は冠水注意などといった警告も。
ここで、大34、所58-1は右折して、引き続き県道56号を進みますが、古01系統は直進し、県道163号へ入ります。
この辺りから工場などが目立ちますが、降車の人がちょこちょこいます。

終点手前の平和浄苑で最後の人が降りると、終点上赤坂には、私だけでした。
正直、何もないところでしたが、乗務員用トイレなどがあり、折り返しの待機に使われています。


上赤坂は、少し離れたところに同名の新所02系統のバス停があります。
しかし、少し時間が合わないのと新所沢駅より先へ行きたいので、所沢営業所まで2kmほどを歩きます。
歩道はほぼ整備されているのも、工場が目立ち、ダンプなど大型車も多いという、あまり歩行者に優しくない環境の県道6号線を真っ直ぐ歩くと、所沢営業所につきます。



第五走者:西武バス 所61系統 西武バス所沢営業所~所沢駅東口



所沢営業所からの出庫便ですが、所沢NTや並木通り団地入口などから、所沢駅への少ないバス便としても機能するようになっています。
逆に言うと所沢NTまでは、誰も乗ってきませんでした。
ちなみに、このバスは車庫内からの発車で、新所02系統とは別のバス停になっています。

新座営業所や上石神井営業所(西武車庫前)のように、車庫内にバス停が無いタイプもありますが、この所沢営業所や後述の滝山営業所は車庫内にバス停があります。

所沢NTで人が乗ってきます。このエリアは、殆どが新所沢駅へのバスであり、通勤等ではやはり近くの駅へというのが常道だと思いますが、休日なので買い物目的などでしょうか。
所沢NT~並木通り団地入口の間は、他路線もあるものの本数が少なく、レア区間になりますが、距離としてはあっさりです。
その先の航空管制部前の交差点で、並木通り団地~航空公園駅へのバスが航空公園駅へ向って右折しますが、このバスはここも直進し、所沢駅へ向かいます。

この先所沢駅にかけては、国道463号、小金井街道と交差点通過にかなりの時間が要しており、20分近い遅延となって所沢駅につきます。
このような道路事情が、所沢駅から北へ行くバスが激減し、所沢NT等から所沢駅へ入らなくなった原因でしょう。


第六走者:西武バス 久留52系統 東久留米駅西口~滝山営業所



西武池袋線で東久留米駅まで移動し、久留52系統に乗りました。
目的は次のひばり81系統なのですが、それへ向けての移動です。

この久留52系統は、1時間に3本程度はあり、入出庫というよりは、滝山団地エリアと東久留米駅を直接結ぶ役割に近いですが、前沢宿経由の旧路線の維持も兼ねており、実際に乗ってみるとまだまだ需要が多いので、そちらも含めての本数ではないかと思います。

東久留米駅西口のロータリーを出ると、東久留米市役所の交差点を右折し、旧道へ入ります。かつては、武12等の東久留米駅西口へ入る系統はこちらを通っていたのですが、都道234号線新道の完成により、御成橋経由として新道を通るようになっています。
旧道は、かつての東久留米駅を知っているものとしては、こちらの方が東久留米駅らしいように感じます。
片道1車線で歩道も別れていない狭さですが、1区間100円の設定もあることから、年齢層に限らず、短距離乗車が多いです。(新道区間もですが)

個人的には、シルバーパスをばら撒くより、短距離を値下げしていく方が、高齢者の移動対策に相応に思います。何でも○○放題にすると歯止めが利きませんので。

前沢宿で小金井街道へ入ると、清11系統とほぼ同じ経路を進みます。
小金井街道も以前よりは拡幅されてきたなと思います。
滝山団地はバスのドル箱エリアですが、花01、02、清03系統の花小金井方面が多く、東久留米駅へは本系統とやや遠回りの武21系統だけで少なめになります。

滝山団地の外れに滝山営業所があります。ここは先述のとおりで構内で乗車・降車となります。


ひばりヶ丘駅行以外は本数も豊富。
一番多いのは、花小金井駅行か。距離的に近く、ロータリーにも入るので利便性が高い。
中央線へ出る武15系統も使いやすい。



第七走者:西武バス ひばり81系統 滝山営業所~ひばりヶ丘駅



ひばりヶ丘駅への出庫便は、本数や時間帯が限られることもあり、乗る人は私だけでした。
滝山団地バス停を過ぎると、団地の中心部をスルーして、新小金井街道へ左折します。
ここから前沢十字路までの区間は、ひばり81系統の単独区間です。
この区間からも乗ってくる人があり、多少不便でもあわせて乗る人が居るということでしょうか。

前沢十字路では、所沢街道へ入ります。この道もまだ狭いままです。
その次の南町四丁目は、このバスとイオンシャトルバスのみの停留所。
次の南沢五丁目で、田44系統に合流し、本数の多い区間になります。
イオンモール東久留米を過ぎると、ひばりが丘団地の北側を掠めて、中原小学校バス停からは境04・田43系統が加わって、さらに本数は増加。

しかし、ひばりが丘団地を過ぎると、旧来の住宅街となり道が狭いです。
ひばりが丘二丁目のバス停の先は、一方通行。ここは右折するのですが、道が狭く見通しがよくないので、少し苦戦。


その先のひばりが丘一丁目も同じように直進が入れないタイプですが、こちらには警備員が誘導しており、その指示ですっと進めます。
しかし、昼間のやや本数が少ない時間帯でもこれなので、バス同士の離合の確率が上がる、平日朝などはどうなんでしょう。

ここを抜けると、ひばりヶ丘駅はすぐです。
駅にはバスが数台止まられるロータリーで、頻繁に発車していきます。
ひばり81で出庫したこのバスは、鷹22系統での運用につくようですが、私は所要のためここまでとしました。

2018年9月4日火曜日

読書力(齋藤孝著)

読書力
本を読むことの意味は何?案外答えにくい問いに、「読書によって…の力がつく」という形で考え、コミュニケーションの力、人間を理解する力との関わりを示します。自分をつくり、鍛え、広げることが、読書とどう結びついているかを述べて、あらためて読書の本質を見つめます。心に残るフレーズ、工夫の手がかりも満載です。


図書館でみつけたので、軽い感じで手にとって見ました。
内容としては、読書がなぜ人間の人格形成や教養の涵養に必要なのかということを説いている本です。


前半部分は、なぜ読書が必要なのかということを著者が語っています。概ね、私も賛成するものですが、やや文体や内容が鼻につくというか、読書の重要度が理解できていない人間に読ませると、むしろ反発するように思います。

そういう意味では、著者が提唱する「読書トレーナー」が広まるといいように思います。
やはり読書はスポーツに近いという著者の指摘は、当たっているともいえ、適切なレベルの本から進めていき、かつただ読むのではなく身になる読み方をするということを指導していくことで、読書が面白いことや役に立つことを体験から理解させていくことで、人は本を読んでいくようになると考えます。


その前半部でよいと思った点を抜粋すると
  1. 読書の幅が狭いと一つのものを絶対視するようになる。
  2. 基本的な本を読んでいないこと(=物を知らないこと)は恥ずかしい。
  3. 読書とは優れた他者との出会いである。
あたりだと思います。
読書をしない、軽視するということは、自身の体験が価値観の多くを占めるわけであるが、それはつまり太古から続く人類の英知を無視することであるわけであり、所詮1人の人間が体験できることはたかが知れているが、その中で人類だけが文明を築けたのがなぜかといえば、書によって一人の体験や思考を昇華させてきたことが大きいのだろうと考えます。
それだけに、多少「最近の若者は~」感の出ている文章になっているのは残念です。


後半部分は、必要な読書力を培うために必要なことが記載されています。
その中で、一番気になったのは、
「読書をする際に、本の主要な要点を赤、やや重要な点を青、個人的に面白い箇所を緑で線を引け」という手法です。
本を何となくで読むのではなく、自分の身になる読書の方法として、一つのやり方だと思います。
今後この記事でも参考にしていきたいと思ったのは、「赤及び緑の箇所を抜粋し、なぜそれを自分がその区分けとしたのかを書く」という点です。
思うが侭をのんびり書いていると、必ずしも読書が身についたのかというところが、難しく、確かに本に線を引きながらであれば、どこで読んでも後からの振り返りが出来るという点で優れています。
引用から自分の体験や考えを交えながらアウトプットしていくということは、本を深く読むことにも文書を書くことにも繋がり、その割には読書感想文みたいに無闇に労力を要するものではないということで実践的です。
ただ、線を引いた本を読むのは、他人のは当然として自分のも嫌なので、実践する時はもう少し考えます。そもそも図書館の本にそのようなことをしてはいけませんし。

あとは、精読と多読は両立する、「どこが自分に深く関係するのかを素早く判断しながら”緩急をつけて読む技”を習得するのが合理的な読書の仕方だ」という箇所が、今後私も参考にしたいと思っています。
今は、どうしても頭から最後まで読むという意識があり、明らかに程度の低い本や信用の出来ない本以外は、流し読みに切り替えたり、場合によっては投げたりということをしていないので、そういう手法を鍛えていくことで、より多くの本を読むことができたら、よいのではないかと思っています。
全ての本が価値があるわけでもなく、また身に着けられるものでも、身に着けるべきものでもないですが、まだまだ読むべきものは多いと思います。

この年になって何の意味があるのかということは、客観的にはあるものの、人間として生まれた以上、意味があるから知識を追うのではなく、本能として知識を追うものだろうと思います。
そういう意味では言えば、若い時分にもう少し優れた読書術を身につけることが出来ればというのは、一つのIFとして思う限りです。
せめて、自らが教える立場になることがあれば、意識しようと頭に入れておきます。
2018年9月2日日曜日

20180831:北海道乗り鉄5日目 根室本線、石勝線、室蘭本線、日高本線

最終日は、釧路から新千歳空港へ戻ります。

第一走者:根室本線 釧路~新得




ダイヤ上、始発の新得行で帯広まではいかないと、特急なしで戻るのが難しいため、5:47分に何とか間に合うよう起きました。
またまた、キハ40の単行。学生のラッシュにこれで大丈夫なのか?と思いましたが、結論から言うと学生の動きとは逆のようで殆ど乗ってこなかったです。

釧路を出ると、大楽毛くらいまでは工場や物流拠点などが目立ち、道東の大きい都市だと感じます。
その後も海沿いながら、道路を挟んでいるのであまり展望はなく、内陸側は酪農が多いようです。
厚内駅では、対向の普通列車と交換しつつ、さらに後続の特急に抜かれました。


一番奥が乗っている新得行、中央が釧路行の普通列車で、左が通過していく特急です。

この先は内陸へ入っていきますが、元々海沿いの展望があったわけではないので、内陸へ入っているという印象は薄いです。
池北線の分岐駅だった池田駅や幕別駅では、帯広へ通勤するような感じの人が多少ですが乗ってきました。
札内川を渡ると帯広駅に到着します。
釧路も大きめな感じですが、帯広はさらに広そうな印象です。
西帯広までは、帯広の市街地が広がります。
芽室、十勝清水とすぎると、新得に到着します。
十勝清水はご当地丼として、十勝牛を使ったものが売り出し中のようです。
新得から先は、根室本線は代行バス、石勝線は特急のみ(新夕張まで特例で自由席に乗れる)となります。


第二走者:石勝線 特急スーパーとかち 新得~親夕張


この区間は、特急スーパーとかちの普通車自由席を特例で乗ります。
混んでいたり停車時間がないので、写真はありません。

しかし、折角の特急列車なのに、窓が汚くて、ただでさえ天気が悪いのに、余計に見づらくなるという……。お金が無いとはいえ、路線の顔である特急だから、整備してあげて…と思います。
正確には、上落合信号場が石勝線と根室本線の分岐点ですが、特急の速度ではわからないです。
道東自動車道と違い、鉄路は線形がいまいちなのにもあり、次のトマム駅までは時間がかかります。
トマムは某リゾート施設があったりするので、観光客が多いです。
観光客なのに、自由席かぁ、と思ったりします。

このあたりは道東自動車道とトマム・占冠の駅以外は、全くの人口希薄地帯で、山の中を特急が走り抜けていきます。
新夕張駅につくと、雨が降っていました。しかし、特急の自由席は一番前で、屋根があるところまで遠いという。


第三走者:石勝線 新夕張~追分



新夕張では、夕張駅から来た千歳行に追分駅まで乗ります。
なくなる予定の夕張線にも乗ってみたいですが、いろいろ時間が合わないので断念。
夕張川沿いをキハ40で進んでいきますが、引き続き山沿いです。
川端駅の先から安平町になります。
競馬ファンなら誰でも知っている場所ですね。
また、この少し先には、社台ファーム(千歳市)があります。
さすがに線路からは見えませんが。
旧追分町の中心地にあたる、追分駅に到着します。
この列車は20分以上停車した後、千歳駅へ向かいますが、今回は苫小牧へ寄り道します。


第四走者:室蘭本線 追分~苫小牧



日高線仕様のキハ40と普通のキハ40の2両でやってきました。
引き続き牧場が車窓に目立つ区間を飛ばしていきます。
遠浅駅から先は、ウトナイ緑地が見えそうですが、天気が悪いので判別できませんでした。
沼ノ端から先は、苫小牧の港沿いの物流拠点や工場が目立ち、苫小牧駅に到着します。


第五走者:日高本線 苫小牧~鵡川


※写真は終点で撮影

日高本線は、鵡川から先がバス代行(事実上廃線)となっていますが、鵡川までは動いているので、そこまでは乗っておくことにしました。
苫小牧の次の勇払駅も引き続き工場が目立ちます。
その先は海からは少し距離があるところをずっと走ります。
浜厚真駅からは国道と並行します。
しばらくすると鵡川駅に到着します。

それにしても車内には、以下のようなポスターが残っていたのですが、もう復旧することはないとすると寂しいものがあります。



この後は、日高本線を引き返し、苫小牧から千歳線で新千歳空港から帰りました。
2018年9月1日土曜日

20180830:北海道乗り鉄4日目 石北本線、釧網本線、根室本線

北見から網走を経由し、釧路、根室と乗車し、釧路へ戻ります。

第一走者:石北本線 北見~網走




まずは北見から始発列車で網走に向かいます。
釧網本線の列車の都合上、次の列車でもよいのですが、博物館網走監獄を見るため、始発を使いました。
北見はこのあたりでは大きい都市であり、市街地がしばらく続きますが、じきに人気が減ってきます。ここまでくると厳冬のせいか、あまり農地として利用されている感じには見受けられないです。
西女満別駅は地図で見ると空港アクセスが可能そうだが、そんな気配は当地にはどこにまないです。
次の女満別駅からは網走湖が車窓に見えてくる。網走湖の北端部から、博物館網走監獄は実は割りと近いのだが、駅が無いので仕方ない。
網走駅は少し市街地から外れており、釧網本線の方が市街地が望める。


第二走者:釧網本線 網走~東釧路




今度は釧網本線です。数少ない直通かつ快速ということもあるのか、一般観光客の利用が多いが、かろうじて海側シートに座れました。ただ、窓の位置が合わないので見栄えは微妙(だから空いていたのです)。
桂台駅を出ると、さっそく視界には海が開けてきます。ここから知床斜里までは、知床半島を見つつ、海が楽しめるが、いかんせん曇りというかポツポツ雨なので、煙っていてわかりづらかったです。



原生花園駅周辺では、小清水原生花園が見えます。
車窓からだと早すぎてこの手のものはよさがわかりづらいし、曇りなのでなおのことです。鉄路や道路からすぐなのに原生花園というところが、北海道らしさだと思います。

原生花園を過ぎると、知床斜里駅へつき、ここからは観光客が一杯乗ってきました。
単行ワンマンではすでに窮屈なのに、筆者のとなりにはマナーの悪い客がいて、キャリーケースを通路において平然としている。他の客が通れずどかしたら、今度は筆者の進路がふさがれて、閉じ込められてしまい、非常に不愉快でした。
最近は、外国人観光客もキャリーケースは上へ乗せるようになってきていて、少しは周知が効いているのかという感じですが。
おまけに、ノーパソたたかれては風情も消えて敵わないので、余計に不愉快でした。

仕方ないので、網走で買ったかにめしを食べることに。
高くて量が微妙なので、駅弁はあまり買わないのだが、乗り換え時間がすべてきっちりなので、チョイスしました。味はよいので、せめてもの慰めでした。
この客が摩周で降りるまで、イライラしっぱなしです。

知床斜里では地図をみてもカーブして内陸へ向う。この間も長閑な車窓が続きますが、緑と川湯温泉の間に支庁の境があり、やはりそこはきっちり人の気配がありません。
しかし、上川白滝間と違うのは、並行道路がないので、本当に何も見えないことでしょうか。

その後は、川湯温泉、摩周と観光客の乗り降りがありました。
摩周湖と屈斜路湖の丁度真ん中あたりを通るので、残念ながら見ることは出来ません。
代わり?ではないですが、釧路湿原は車窓に収められました。
ただ、小清水原生花園と同じで、この天気ではよさが見えないというか、やはりこの手のものは近くで生で見た方がよいだろうと思います。

酪農関連の建物が増えると釧路はもうまもなくですが、乗り換えの都合上、手前の東釧路で降ります。


第三走者:根室本線 釧路~根室




釧路から来た時点で席はよいところが埋まっているので、前のロングシートで我慢し、人間はデッキにちょいちょい行くことにしました。

この区間は、今まで以上に何もない感じとなり、駅周辺に集落があるエリアと牧場くらいしかないような感じです。
あとは、エゾシカがよく見えます。線路上にいるのは数匹だったが、目を凝らして線路脇を見ると意外と飛び跳ねていたりで、これは線路支障もよくおきて大変だと思います。

車内の掲示に、別寒辺牛湿原と落石海岸が見どころとあった。
実際に車窓で見てみたが、どうでしょうか。
普通列車は容赦なく進むということもありますが、湿原と車窓の相性は悪い説が、俄かに私の中で感じられています。

とはいえ、こちらはさきほどの釧路湿原と違い、展望台などの人工物がないので、そういう点が人によっては好まれるのかもしれないです。
丹頂が飛び立つシーンも良く見れる感じでしたので、そのあたりもよいかもしれません。
湿原は、人の手が入ってはダメになると思うので、少しもどかしいこのくらいの距離感の方がいいのではないでしょうか。俗化しすぎた尾瀬には行ったことがないが、あまり魅力は感じないという私の意見です。



落石海岸は、例によってあっさり通過しますが、太平洋へ望む岬が目立ちます。
ただ、楽しめる区間は短いので、事前に心構えをしておかねばならないです。
どちらにせよ、何もないことを楽しむことが大事なのです。



4日目となるとお腹一杯の感もあり、空腹は最高のスパイスではないが、2泊3日くらいが適量な気もしました。

20180829:北海道乗り鉄3日目 道北バス留萌線、留萌本線、函館本線、石北本線

本日はまず留萌本線を片付ける予定ですが、列車では接続が悪いのと往復はつまらないので、旭川から留萌までのバスを使ってみることにしました。

第一走者:道北バス 旭川駅前~留萌駅




留萌まで行くバスの始発に乗りました。
バス停につくのがギリギリになってしまいましたが、いざついてみるとだれもおらず、乗客もやはり私だけでした。
だが、バスは観光バス仕様でトイレまである充実ぶり。
いささかというかかなりの不釣り合いだが、独占できてよしとします。
結局、座るの前だから変わらないという。

旭川の市街ではだれも乗ってこず、忠別側を渡って郊外へ出ると学生が二人ほど乗ってきました。
その後は石狩川沿い(見えないけど)の国道を進みます。
このあたりは人家もまばらで山をトンネルで越えていくと、景勝地の神居古潭に差し掛かり(といってもトンネルで越えるので何も見えませんが)、すぐに深川側との境界となります。

それにしても先日の天北宗谷岬線もそうだが、北海道のバスは飛ばすので気持ちがいいです。ほかの車も飛ばすので、ゆっくりでは危険という判断と、バス停の間隔も長く、利用者も少ないので、ある程度、人がいないであろう運転をしているのかもしれません。都会のバスだと渋滞でイライラすることもありますが、ストレスフリーですね。

その先も人は乗ってこず、ある程度交通量のある国道を飛ばしていると、ライスランドふかがわという道の駅のあたりで、国道233号に曲がります。確かに田んぼが目立つエリアですが、変わったネーミングです。
その後は少し進んで、石狩川を渡ると深川十字街へつき、学生は降りて一人になりました。

※別に徒歩でうろついた時に撮った写真

深川の市街をあっさり抜けると、また田んぼが目立つ光景となります。
深川留萌道というのが、無料開放と道路看板にあります。
なるほど、これでは鉄道がかなわないわけだと思います。
鉄道が残るのが何でも正しいと思っているわけではないですが、税金で道路を作る横で、鉄道は自主採算でといっても、それは都会でしか通じない話で、もう少し行政がコミットするべきだと思うが、どうでしょうか。何かJR北海道への冷たさは(不祥事があったとしても)感じる限りです。

とはいえ、路線バスはその高速に入ることはなく、国道を走ります。
秩父別駅付近からは、留萌本線と分かれますが、その秩父別町と隣の雨竜町ではだれも乗らない状況で、相変わらずソロバスで楽をしていました。

雨竜町の市外を抜けると、山道となり美葉牛峠というところでで留萌市に入ります。
峠を降りると、高齢者がポツポツと乗ってきて、留萌市街で降りました。
プツンと線路の切れた個所が痛々しい留萌駅のロータリーには入らず、大通りに留萌駅の停留所がありました。



第二走者:留萌本線 留萌駅~深川駅




留萌からはキハ54単行の留萌本線に乗ります。
明らかに鉄分過多な乗客構成で、折り返しの人ばかりの模様。
それにしても鉄道趣味者は多いのに、バスは市場が小さいです。個人的には、大変結構なことで、人のいないほうが楽しみがあるという気はします。
まあ、田舎の集落で一人で折り返すと変な人みたいに思われるので、もう少しメジャーになった方がいいのかともたまに思うこともありますけどね。

留萌の次の大和田という駅は、通過でした。
思い出すとさっきのバスにも大和田という停留所があり、そこから高齢者が3人乗ってきていたのです。
しかし、こっちは北海道無人駅名物のアレであり、通過されてしまっているので、同じ名前の割に偉い違いです。
その後も、バスのルートから外れていた石狩沼田や深川の近くの2駅ほどを除くとほぼ地元の利用客はなく、駅も田んぼの中だったりと、廃止候補生だけはあります。
が、長閑なだけでさほど目立ったものもなく、乗ってる同業者も時刻表を眺めていたりと退屈そうな感じ。
廃線前の一仕事で来ているのか、行きで見切ったのでいいということなのか。


第三走者:函館本線 滝川~旭川




そのまま旭川に戻りたいところが、それだと初日に乗ってない深川と滝川が空いてしまうので、埋めてから旭川へ戻ることにします。
函館本線は電化路線ながらも、キハ40がちょこちょこ走っています。電車はワンマン化できないそうで……。
引き続きそろそろ飽きても来る田園風景ですが、本州のものとは異質というか規模が大きく、地味ながら、実に北海道らしいように思います。
そんな光景を見ているとあっさり滝川につきます。北海道的には実に近い。
しかし、時刻表示を見ていると特急ばかりの区間で、青春18切符ですと、列車選びが大事になります。
が、今回は30分後に札幌からの電車がやってくるので安心。二日ぶりの電車です。しかも、空港から乗ってきた731系ではなく、721系で座席も快適でした。

※終点で撮影

来た道を戻り、滝川からはバスで通った道を戻ることになります。
違いといえば、車は越えた峠を鉄路は、石狩川の対岸を長めのトンネルで抜けていくことと近文駅あたりが大回りをするような感じになっていることです。


第四走者:石北本線 旭川~北見 (新旭川まで宗谷本線)




上川から先へ行く普通列車は、事実上特別快速きたみに絞られるため、昼食を食べてたあとヒマ潰しをして待っていました。それでもヒマで40分前にホームにいくといらっしゃるではないかですか。きたみのサポをつけた、キハ54系が。

ドアも開いているので早速乗り込み、むやみやたらに写真を撮ってみたりしつつ過ごすと、想定と異なり一般客も多いです。
特急の合間に走っており、所要時間もさほど変わらないことが大きいようです。

東旭川までは、鉄道周辺に人家や工場などもあり、この区間運転の列車もあります。
しかし、特別快速なので当麻まで止まりません。
東旭川からは車窓が長閑になり、桜岡駅の先で当麻町に入って、当麻駅につきます。
多少の降車があって、次は上川まで止まりません。
もはや相変わらずと化してきた車窓だが、ここからは山がどんどん近づいていく形に。
今までは北海道の雄大さがわかる田んぼですが、ここは山が近い田んぼ。まあ、田んぼには変わらないですが。


伊香牛駅で運転停車し対向列車をやり過ごします。止めてあげてもいいように思いますが、そうするとダイヤ改正の度に停車駅が変わるとか不便があるのでしょう。
駅周辺だけの小さな市街地に入ると、上川駅につきます。
多少の入り変わりのあって、次の駅は白滝駅。ここまでは快速だからではなく、本当に駅がないのです。
人跡稀な山中を飛ばしていくので、当然といえば当然ですが。
ここから先は鉄道と並行する国道だけが、人間の世界。
こんな山中で並行する上越白滝道路の立派な構造物をみると、人間の強さを感じます。



そうやって山を越え、白滝駅へつきます。ここでも降りる人がちらほらいます。
白滝を過ぎても、人口希薄地帯には変わらず、似たような丸瀬布の駅にも止まり、遠軽へたどり着く。
そういえば、白滝は両隣の駅が廃止となって消えていました。写真に収めるには、きたみ号は早すぎるのですが、駅名標が外されて側だけが残っていたので、見たら廃駅とわかりました。

遠軽駅は進行方向が変わります。なぜそうなのかは調べればわかることなので譲るとして、キハ54は転換クロスシートなので、座席の方向を変えられます。幸い後ろの席にはだれもいなかったので、当然変えます。
これで後ろがいて、変えてくれないと、対面になって嫌がられるか、あきらめるかの二択なので、どうせなら一番後ろの席にすればよかったと後から気づいたのですが、前に座ったものはしかたないです。運がよかった。

遠軽も駅周辺は人気があるが、しばらくすると国道が並行するだけになります
しかし、田んぼではなくトウモロコシに作物が変わっていたりします。
見てもわかりませんが、ハッカなども作られるようです。

その後は、日の入りとなり、北見につくころには真っ暗でした。
本当は日のあるうちに乗りたいところですが、時刻表は忖度してくれないのであった。残念です。

20180828:北海道乗り鉄2日目 宗谷本線、天北宗谷岬線

今日は旭川から稚内を目指す。

第一走者:宗谷本線 旭川~稚内




旭川を宗谷本線の一番列車で出ます。
普通列車で行くとすると選択肢が極めて少ないので、必然的に同業者が多いが、運よく左側のシートを手に入れることができました。
今回は、キハ54と40の混成で二両ですが、キハ40は名寄で切り離しとなるので、こちらは長距離利用者ばかりの模様です。予めの確保も必要になると思います。
旭川から石北本線が分かれるまでは、郊外の模様ですが、永山を出ると急に景色が変わり、北永山と南比布は通過でした。
この先は、名寄まで学生が多いが、利用されている駅は限られているので、空気の入れ替えが頻繁に行われている状況です。
車窓もこの辺りは田んぼが目につき、塩狩峠の辺りを除くと、人の手が入っている状況といえます。
名寄で一両を切り離すが、ここからは美深と幌延以北の稚内周辺以外では地元の利用者もなく、同業者ばかりが目に付きます。
車窓も同様に山や原野など人の手が入っていない土地が増えます。そもそも田んぼは気候的に難しいのでしょう。
そのまま天塩川沿いに進む豊清水という駅で特急と交換をしますが、ここで外へふらっと出ていく人の多さが、鉄道趣味者ばかりだと物語っているように思います。
晴れてきて気持ちもよいので、私も外に出ます。同族ですね。
その先の音威子府からは、さらに人跡が稀となります。
天塩川沿いを走るのは変わらずも、駅間が長くなり、無人駅すらない山中を走り抜けます。



少し人家の気配を感じると、佐久、天塩中川と駅が出てきますが、その先はまた幌延まで元のような感じです。
ここからはサロベツ原野のエリアとなり、車窓から放牧された牛や湿地帯が見受けられるようになります。
特に利尻富士がとてもきれいであり、窓を開けて心地よい風を感じられる区間でした。



その後、抜海を過ぎると運転士からアナウンスがあり、日本海が見えますと。
一瞬だけだったが、減速してくれて写真を撮ることもできました。



ほぼ観光列車と化しているという点では、ありがたいサービスなのですが、普通列車らしい容赦なさもまた味がある気もします。
しばらくすれば、市街地に入り、稚内に到着します。
ここは本当にロシア語が標識にありました。始めて見ました。


第二走者:宗谷バス 天北宗谷岬線 稚内ターミナル~音威子府




ここからは単純往復では芸がないのと、戻りの普通列車が18時までないので、短縮を狙う意味も込めて、天北線廃止代替バスでもある宗谷バスに乗ってみました。
ターミナルでは乗客が多く、早めに並んだかいがあり、前面展望を楽しめることとなりました。

とはいえ4時間を一般路線バス用の車(エアロスター)でというのは、慣れている者にはともかくとして、ちょっと厳しいですよね。大型車なので前の座席も余裕があり、私には問題なかったです。
(宗谷岬までと浜頓別の高校周辺以外はガラガラなんですが、混んでいる区間もあるためか、ポンチョとかにされてなくてよかった……とは思います。他の人のブログを拝見した限りですと中型の日野レインボーが来る場合もあるようでしたので、当たりということでしょう)

市街地を抜けると、すぐ海沿いとなり快調に飛ばします。



如何にも北の海という感じの色彩を味わいながら進むと、宗谷岬へ着きます。
実際は50分近くかかっているが、そうは感じないくらいよい区間です。地元の利用者は極めて少ないようで厳しい状況のようですが。



宗谷岬で観光客を下すと、1桁ほどの人数のかなり長閑な感じとなり、海沿いを引き続き進みます。宗谷岬の先は、大岬小学校を過ぎると、隣の猿払村まで殆ど人家はありません。
猿払村に入ると漁業関係の建物などが散見されます。
浜鬼志別で一旦内陸に入りしばらくすると、猿払村の役場などの中心地を過ぎて、鬼志別ターミナルで10分休憩となります。
ここには天北線の資料が残されており、軽く眺めました。
本数は現在のバスとそこまで変わらないようですが、利用者もこれなら、膨大な赤字を
まき散らしていたのだろうと思いつつ、国鉄時代の味のある展示を楽しめました。



海沿いの国道に引き返すようなルートを通り、引き続き長閑な海沿いを進みます。
すぐに猿払村の道の駅が見えますが、車が少なそうで大丈夫だろうかと心配になるくらい。このようなものはちらっと見てみたい気もしますが、バス旅は容赦ないのが特徴です。

海沿いから離れてしばらくすると、牧場が目立ちます。猿払村では牧場の看板がなんだか統一されているようで、すぐにわかります。
しばらくすると浜頓別町に入ります。クッチャロ湖があるのですが、バスから見えないようです。
浜頓別町の市外に入ると、すぐに浜頓別のバスターミナルにつきます。
その次のバス停からは、高校生の利用があるようで、反対側の稚内行きには結構な高校生が見えました。こちらに乗ってきた人は少なかったですが。
また、浜頓別のターミナルでは枝幸町方面のバスがあるようで、こちらは興浜北線の代替に近いようです。
この先は、中頓別を目指しますが、少しずつ山が深くなっているのが見て取れます。

中頓別で残った数人の高校生と他の地元客が下りると、おじさんと私の2人の客だけになり、結論を先にすれば終点まで変わらずでした。
中頓別以降は、デマンド化の話が出たこともあるようで、実際のところ純粋な地元利用者は皆無のようです。
特急と接続して名寄・旭川を目指す人しか乗車が無く、この便は特急接続が悪い(2時間待ち)なので、このような状況なのでしょう。

人跡の見当たらない国道を登っていくと峠で中頓別町から音威子府村へ入ります
駅周辺まで集落はなく、定刻より早着して音威子府の駅につきました。
おかげで音威子府始発の普通列車に乗ることができ、早く旭川へ戻れることになりました。


音威子府の文字がやけに味がある、駅兼バスターミナルでした。