2019年3月30日土曜日

学問のすゝめ(福澤諭吉著)後編

学問のすゝめ
近代日本を代表する思想家が説く、国民の精神革命。自由平等・独立自尊の理念を掲げ、西洋的「実学」を奨励する不朽の書に、より多くの読者が親しむことを企図し、本書は流麗な文語調の原文に長年の研究成果を結実させた丁寧な語釈・解説を付した。国際社会の中の日本、日本人のあり方を考えるうえで、いまなお重要な指針を示す現代人必読の一冊である。


前編からの続きです。




第九編


古の時代より有力の人物、心身を労して世のために事をなす者少なからず。今この人物の心事を想うに、豈衣食住の饒かなるをもってみずから足れりとする者ならんや。人間交際の義務を重んじて、その志すところけだし高遠にあるなり。今の学者はこの人物より文明の遺物を受けて、まさしく進歩の先鋒に立ちたるものなれば、その進むところに極度あるべからず。今より数十の星霜を経て後の文明の世に至れば、また後人をしてわが輩の徳沢を仰ぐこと、今わが輩が古人を崇むがごとくならしめざるべからず。概してこれを言えば、わが輩の職務は今日この世に居り、わが輩の生々したる痕跡を遺して遠くこれを後世子孫に伝うるの一事にあり。その任また重しと言うべし。
この場合における「人間交際」とは社会のことを指します。
衣食住が足りるということで満足せず、社会に対する義務を重んじて高遠を目指す。そのような先賢から、今の人間は「文明の遺物」を受け取っている立場なわけです。
だとすれば、今の人間は、将来の世代に対し、我々の世代のものを残し、伝えていくという重大な責任があるということです。
しかし、現代社会を見ると「文明の遺物を受け取っている立場」であることを自覚している人はどれだけいるのでしょう。筆者が批判する武士のように、巻き上げた税金は当然のものとして受け取っている、それと現代人はどこまで違うのか。いや、さほど違わないのではないだろうかと思う次第です。


2019年3月27日水曜日

20190320:【おまけ】秋芳洞

この記事のおまけとして、秋芳洞を写真を交えて振り返ります。

秋芳洞


日本最大級の鍾乳洞として有名で、洞内は約1kmが観光用に公開されています。
足元は暗いですが、比較的整備されているので、健康な人であれば問題なく歩けます。
今回は正面入口から入りましたので、その順番で紹介します。

まずは、正面入口。


ぶれぎみの写真で恐縮ですが、水の音が響く入口です。
今回は人も少なかったので、静寂の中に水の音が流れ、癒される感じでした。


奥に居る人や音声ガイドの機械と比べると、如何に洞穴が大きいかわかるでしょう。


百枚皿。これが出来るのに何万年という時間が掛かっているというと、如何に壮大な物語の結晶でしょうか。
しかし、個人的には皿というより棚田に見える気がします。


次の名所は洞内富士。その名の通り富士山みたいな形をしている石柱です。



またまた微妙な写真ですが、下の部分が千町田です。
こちらの方が棚田をイメージした名前なんでしょうが、私には百枚皿の方が棚田に見える。。。
まあ、命名されたのは昔のことなので、日々成長(?)している鍾乳洞からするとそういうものなのかもしれませんね。



たぶんこれは名も無き場所ですが、秋芳洞では洞内が広すぎるためか、このような感じで向かってくるような勢いで垂れてくる鍾乳石というのは、あまり見かけない。



大黒柱…というには少し弱そうな。


黄金柱は、百枚皿と並んで秋芳洞の名所。こちらは、見た感じまだまだ成長中の感がありありと感じられます。
一番上まで見ようとすると首が痛くなりそうです。



黄金柱の下部はこんな感じ。

ここから先は黒谷支洞です。


厳窟王。名前も格好いいですが、見た目も格好いいです。
遠目から見ると強そうですが、顔?の部分を見ると何か柔に感じられて、対照的で愉快です。



突然出てくるマリア観音。何かいたずらでおいてあるようにさえ感じてしまいますが、丁度ここに出来たものでしょう。あまりにもど真ん中なので囲いで守られています。


まだまだ紹介したいところですが、何分安物のコンデジに素人が撮っているもので、お見せして振り返るにはお見苦しい写真ばかりで、あっさりとした紹介になってしまいましたが、観光に行って見たい方、行けないけど興味ある方にお役に立てればと思います。
2019年3月23日土曜日

20190320:防長バス 急行 東萩~秋芳洞

防長バス 急行 東萩~秋芳洞



東萩駅からは、秋芳洞行きの急行バスに乗りました。
ローカル路線バスの旅で蛭子さんが覚えていた数少ない路線として有名?かもしれません。
バスは日野ブルーリボンですが、日野車体の銘板があるので、それなりの経年車であることは確かでしょう。

東萩は、先日の通りで中心ではないので、他に乗る人は居ませんでした。次は、中心部の萩バスセンターに行きますが、ここでも誰も乗ってこず。
観光客向けの路線という色が濃く、また平日とはいえ1人とは。ソロバス出来て楽しいのです。
萩市外を抜けると国道262号へ行き、橋本川と松本川に分かれる前の阿武川沿いを進みます。


市街を抜けるとこのとおり、すぐに山間部の長閑な光景になります。
「急行」の名のとおり、バス停を結構飛ばします。ちなみに、対応する普通便と特急便は東萩~新山口駅のことを指すのだと思います。

長門峡北入口のバス停で、国道は阿武川と分かれていきますが、近くの看板には「長門峡18km」とあり、とんだ入口だと思いました。

その先で旧道に入り、明木市というバス停に止まりました。
大型バスには少々大変な道幅ですが、ここに入っては急行の意味は?と少し思ってしまいました。1つバス停に止まるのと免許の関係だと思いますが。



角力場(すもうば)の交差点からは、県道32号線に入り、秋吉台を目指します。
途中で国道409号が合流してきて、絵堂というバス停でキャリーバックを持った女性二人が乗り込んできました。

その次のサファリランド前でこの二人は下車。しかし、絵堂というバス停にはどういったのか、いまいち謎が残るところです。わざわざ乗り換えたとしか考えられない(そしてサファリランドにはこのバスしか行かない)のですが。

この先の佐山交差点で県道242号線の「カルストロード」に入ります。
入ってすぐに大正洞があり、ここも見てみたいのですが、バスは降りてしまうとこの次の最終バス(2時間半後くらい)しかないので、スルーします。

大正洞からしばらく走ると、いわゆるカルスト台地のエリアに入ります。
この時期は焼かれた後の荒地の状態で、新緑の季節になって緑色になる方が、一般に景観がよい(シーズン)ということになるのですが、荒野は荒野で訴えかけてくるものがあるというのと、人が少ないという点がよいです。



手前には木が生えていますが、奥のカルスト台地の部分には、木が生えていません。


左側がここまで走ってきた道、右側がこれから走る道ということで、ヘアピンカーブが続く道ですが、1人だけの乗客を乗せ、ブルーリボンは唸り声を上げて登っていきます。そこまできつい勾配でもないですが。



下が荒地ゆえに、より異彩を放つ長者ヶ森は、カルスト台地唯一の原生林だそうです。

カルスト台地を走りきると、少し下って秋芳洞のバスターミナルにつきます。
ここは、この萩便以外に、新山口駅・美祢駅・長門市(青海大橋)の各地へ行く便が集まるターミナルですが、カルストロードを走り抜けるのはこの急行バスのみです。
ぜひ、秋芳洞・秋吉台へ行かれる際は、萩ルートもご検討下さい。

なお、秋芳洞は洞内の広さが今まで見たことが無く、とても広かったです。
その中で(人間的には)色々に見える神秘的な姿が広がっています。洞内も滑りやすいとはいえ、比較的歩きやすく、また温度も一定なので寒くなく、誰でも観光しやすいと思います。

追記:別記事で撮った写真を公開しました。
2019年3月22日金曜日

20190319:小野田線、山口線、山陰本線、防長バス

小野田線



小野田線は、小野田~宇部新川の運用を基本としており、昨日は宇部新川でホテルに泊まって備えました。
まずは、雀田まで乗ってしまいます。


厚東川を海側へ向けて撮ってみました。あいにくの天気ですが工場が目立つのはわかるかと思います。
朝の時間帯なので、通勤通学の人をそれぞれの駅で少しずつ拾っていくと、雀田につきます。長門本山支線との分岐駅ですが、そちらへ乗り換えていく人は居ませんでした。

雀田で一度長門本山支線に乗ったあと、再び後続の列車で小野田線の本線へ。
小野田港から先は乗ってくる人がふえ、降りる人もでてきます。
そして、小野田駅へ到着します。


小野田線(長門本山支線)



今度は電車なのに単行運転可能な改造車の123系です。
閑散時間帯や支線で走るようです。
この支線は1日3本で、朝2本、夕方1本のため、今回わざわざ宇部に泊まったのはこれのためでした。

といっても乗り潰しを除けば、かつて旧型国電だった時代はともかく、今は特色が無いです。車窓もまばら住宅地で、折り返しの長門本山や浜河内からは、通学・通勤客が1両で少し混んでるかな?という程度に乗ってきました。


山口線



小野田から山陽本線で移動し、新山口から山口線へ。
まずは山口行きです。新山口駅を出ると車両基地がすぐにあり、特徴的な形でキハ40のタラコが並んでいます。



ここから山口までは、山口市内の都市内連絡線として、乗り降りが結構頻繁でした。
とはいえ、周囲はこんなに長閑なので、県庁所在地?となるのですが。



新山口からも同じタラコ…ですが、1両減って単行になります。


二つ先の宮野までは、新山口からの直行もあり、まだ郊外の体をなしていますが、その先は山間部のローカル線という趣になります。
宮野から先はずっと終点まで乗っていそうな感じの人ばかりで、殆ど駅での入れ替わりがありません。

篠目駅から先はほぼ国道9号と並行します。キハ40だとさすがに国道の車より遅いことはありませんが、加速の悪さが際立って感じます。

途中の三谷で列車の交換がありました。外へ出ましたが、かなりどんよりしています。


その先は、徳佐の駅で多少乗り降りが、次の船平山駅を過ぎると、ついに島根県に入ります。
島根最初の駅は津和野です。観光地として町並みなどが知られますが、駅自体は町外れで、列車で来ると街の南側から回りこむようにして駅を目指す感じです。



しかし、ここでもあまり乗り降りはありません。普通では時間が掛かりすぎるので、特急かあるいはバス等を使うのでしょうか。

津和野をすぎると小さい駅が続き、東青原駅の先から益田市に入り、しばらくすると益田駅に到着します。


山陰本線(益田~長門市)



1時間半ほどの時間を、ちょっと出雲そば(石見の国だけど)を食べたり、本を読んだりして潰していると、またキハ40がやってきました。
この区間は、特に本数が少なく予定の組みにくいところです。山陰「本線」なのに。

益田の駅を出るとまもなく高津川を越えます。



このあたりは住宅地なのですが、赤くて塗りの厚そうな感じ屋根が気になりました。
あとで調べてみると石州瓦という特産のものだそうです。
下の写真の左側の家など、そうではないでしょうか。


このような屋根の家は多数散見されました。

その先で国道191号線沿いに出ると、海岸線に沿い、砂浜が点在し、天気もよいので眺めがよかったです。次の戸田小浜駅まで、このような眺めが続きます。

戸田小浜の次の飯浦を過ぎると山口県に入ります。
入って数駅先の須佐で、乗り降りが多かったです。

須佐を出ると長めのトンネルがあり、過ぎれば再び海岸へ出ます。
その先はしばらく海岸線沿い近くを進み、越ヶ浜駅から内陸へ進んで行き、東萩の駅につきます。
東萩が萩市の玄関口ではあるのですが、橋本川と松本川の中州にある市街地からは距離があり、新山口などへいく特急バスも多いので、殆ど鉄道は利用されて無いという状態に感じました。
その次が萩駅ですが、萩市街地の南端から少し行ったところということで、駅舎以外に目立つところがあまりありません。

このようにして萩市中心を迂回するように進み、飯井の駅を過ぎると長門市に入ります。
長門三隅という小駅が一つあり、長門市駅につきます。


防長バス 快速 青海大橋~東萩駅



このまま列車で帰ると少し時間が空くのと、そのまま同じところを戻るよりもということでバスに乗りました。青海大橋から仙崎駅・長門市駅を通って、東萩駅までいく快速バスです。

長門市駅を出ると国道191号線に出て、長門の市街地でお客を拾い…えず、仙崎の交差点から県道287号へ入ります。
旧道の趣があり、交通量もそこそこで客も少ないためゆっくりとした時間が流れます。
最後の客が降りたところで、どこまで乗るのか運転士さんに聞かれたのですが、よそものが乗る路線でもないので気になったのでしょうか。萩美術館と答えましたが。

その県道沿いに長門三隅の駅もありました。観月橋の交差点で国道191号に合流すると、バスはバイパス(山陰道の無料区間)ではなく、現道へ入り、一旦湯免温泉へ寄り道して戻り、山間部に入ります。

途中の宗頭交差点は、県道28号と別れ、こちらは秋芳洞方面のバスが行きますが、このバスは国道をそのまま進み、鎖峠に差し掛かります。

前面席がないので、写真が取れていませんが、このあたりはカーブが続き、路線バスの運転としては少し苦労するものと思えます。
奥玉江までしばらくは人家のないエリアを走り、玉江橋で橋本川を渡ると、萩の市街地に入ります。
入ってすぐの萩美術館で降り、木戸孝允や高杉晋作の生家など、萩の城下町を散策して、ホテルに泊まりました。
2019年3月21日木曜日

20190318:宇部線、山陽本線、鹿児島本線、山陰本線、美祢線

今回は、山口県西部を中心にぐるっと回ってきました。

宇部線(草江~宇部)



山口宇部空港に降り立ったので、まずは空港の前のバス…の方が便利なんですが、ついでに時代の入ってそうなバスで面白そうでもありますが、ここは乗り潰しのために草江駅へ。
10分と歩かないのですが、当然屋根は無く雨の日は困る上、全くダイヤが考慮されていないので、空港アクセスとしては機能していない状況です。(ただ、バスよりは安い)

いきなり30分以上待たされてやってきたのが、末期色の105系2両宇部行。
山口宇部空港のある草江駅は、市の外れの海沿いですが、ここから宇部新川へ向けて少しずつ市街地に入っていきます。
元地方私鉄らしく、のんびり走っていく感じになります。
宇部新川は宇部市の中心地に近く、乗り降りの多い駅です。小野田線も実質的にここから発車しますが、そちらは明日にして宇部線を進みます。

次の居能は、小野田線の実際の分岐駅です。工場が目立ち、市街地から外れてきています。
小野田線はすぐ西へ向かいますが、宇部線は北西へ向かい厚東川を渡ります。
その後も少し北へ進むと宇部駅につきます。


山陽本線(宇部~下関)



今度は115系の末期色で、安定の白幕です。
内装は転換クロスシートで、素の115系よりは乗り心地は悪くないです。

宇部駅は中心地からは外れたところにあるので、駅を出るとすぐ長閑な風景になります。
太平洋に近いので工場なども時折ありつつ、小野田の駅につきます。宇部とあまり変わらない雰囲気のようです。
新幹線をくぐると、まもなく厚狭に着きます。ここは新幹線、美祢線との乗換駅です。
再び新幹線をくぐり南へ、このあたりは家が少なく山に入っていきます。

一駅過ぎて小月という駅からは多くの人が乗ってきました。ここから下関市内に入ります。しばらくはカーブが少なく、快適に乗れました。
長府駅を過ぎると西へカーブして、再び新幹線の新下関駅。新幹線の一駅としては、在来で乗ってみても短いと感じます。ここで多くの人を乗ってきます。

しばらく進むと上り線をくぐってきた山陰本線が、丁度上り線との間に急に出現してきます。(この辺は後で山陰本線に乗って気付きました)
合流するとまもなく幡生の駅で、有名な「幡生の匠」が居る車両工場が左手に見えます。
幡生の次が終点の下関で、今は九州へは必ずここで乗換となります。


山陽本線(下関~門司)



末期色ではないですが、またまた国鉄車が続きます。
この区間はJR九州の管轄で、交直両用車が必要になるので、この415系だけが使われています。
下関を出ると右手に車両センターがあり、末期色達が昼寝しています。
その先で彦島に渡ると、すぐにトンネルに入り、出た先は門司駅の手前です。
運用は小倉行なので、このまま小倉まで乗りました。


鹿児島本線(小倉~門司港)



※門司港駅で折り返しの際に撮影。

前回の宿題である門司港駅を目指しましたが、またもや鹿児島本線のダイヤ乱れで、遅れて待たされましたが何とか今回は乗れました。
そして、また国鉄車が続きます。

小倉を出ると右手には山が迫っており、左手は海は見えず倉庫や工場が目立ちます。
門司は市街地が広がっていますが、奥は山で本当に狭い範囲に市街地が集中している感じであり、人間が狭い半島にへばりついて住んでいるような印象を受けます。

次の小森江駅は規模の小さい無人駅のようですが、住宅地のようで乗り降りは結構ありました。
その先も左の工場・倉庫、右の山に挟まれて狭い平地を進むと、門司港駅へつきます。
レトロな駅舎を取りたかったのですが、支那系の観光客が多かったのと折り返し時間がなかったので、早々に戻ることを余儀なくされました。



ということで辛うじてホームから撮ったものです。


山陰本線(幡生~長門市)



門司港から電車を乗り継いで戻ってきて、しばらく待つとやってきたのはタラコ色のキハ40。国鉄車縛りかな?という感じの安定な「國鐡山口」です。

幡生までは山陽本線を走り、その先で先ほど述べた線路の"真ん中"を進み、上り線をくぐって北西へ走ると綾羅木駅です。


その先の安岡までは郊外のようで、降りる人が結構目立ちました。

郊外を過ぎると風景が長閑になり、国道を挟んで響灘の海が見えてきます。
海はエメラルドブルーで綺麗なものです。
ただ、漂流物のゴミが時折目立ちます。日本海側ですし、半島や大陸から来ているものでしょうか。残念です。

吉見駅から先は一旦山に入り、小串駅のあたりからまた海沿いになります。
小串は運行の拠点で、この駅どまりの列車が多く、この先の長門市方面は本数が減りますが、この列車は長門市まで2両で行きますので、車内にも余裕があり快適です。



このように道を挟まず、直接海岸沿いを走る区間も出てきます。



見えづらいですが、岩に縄?のような結び付けられています。何でしょうか?

長門二見から再び内陸へ進路を取り、次の滝部で列車の交換を行いました。
外に出るとブルーライン交通の相当な経年車であるバスが止まっていました。列車とダイヤをあわせているようですが乗る人が居ません。西市行きとあり、後で見てみるとかなり内陸へ入っていくようです。
その他にも角島へ行くバスもあるようです。景観がよいことで有名な場所ですし、行ってみたいものです。

その先も山陰線は響灘沿いと内陸とを交互に入れ替えながら進むのですが、滝部から先で乗り降りする人が殆どおらず、そのまま長門市駅につきました。
やはり、小串から先は本数が示すとおりで非常に厳しいということでしょう。


山陰本線仙崎支線




長門市駅でしばらく待つと、美祢線からの列車がやってきます。仙崎支線は山陰本線の支線ですが、運用としては美祢線と一体になっていることが殆どです。
ついにJR車ですが、キハ120です。しかもオールロングシートの。国鉄車ではありませんが、バスもどきの軽快気動車にして、25年全く廃車にならず走り続けているという、ある意味頑丈な国鉄車よりしぶとい存在です。

長門市駅を出るとすぐに本線と分かれて左手へ進み、住宅街をゆっくり抜けて仙崎の駅につきます。
仙崎は詩人金子みすゞの故郷ということで記念館があり、そのことが駅でもアピールされています。


美祢線




仙崎からの折り返しで美祢線へ行きます。
長門市からも人が乗ってきますが、キハ120の座席が埋まるほどではありません。

長門湯本は、その名の温泉があり、駅や線路からも数件の旅館が見えました。ただ、明らかに廃墟と見受けられる旅館も線路から見え、解体もただではないとはいえ、観光地として厳しいから廃墟になっていると事情を踏まえても、残しておくと余計に人が来なくなるのではないかと、他人事ながら思うわけです。
外国人で特定の場所が賑わいすぎる一方、古い温泉地が寂れるのは、ある意味自然なのですが、歪んだ社会を感じる限りです。

一駅挟んで、少し長めのトンネルを越えると、線名の美祢市に入ります。
小さい駅を二つ挟んで、美祢駅につきますが、乗り降りする人はあまり少ないようです。
この駅は秋芳洞からのバスもあり、そこそこ人が乗ってくると思っていたのですが、そのような人も見かけず、かつて貨物輸送で栄えたとはいえ美祢線は厳しいものです。

この先しばらく寝てしまったようで、起きると厚保という駅でした。「あつ」と読むのが正しく、「あさ(厚狭)」もそうですが、難読な駅名です。ただ、駅前は小規模な集落があるのと、中国自動車道の構造物の巨大さが目立つばかりでした。
次の湯ノ峠という小駅を越えると、終点の厚狭につきました。

この後は、下関へ行き、ふぐを食べました。ふくさしが高い上に一人サイズがないので、ふくちりで我慢したのですが、言うまでも無いなぁと思いました。むしろ一緒に頼んだ鯨カツがおいしかったです。
2019年3月12日火曜日

20190311:梅70

都営バス 梅70系統 花小金井駅~青梅車庫




たまたま気が向いたので、都内最長路線バスの梅70系統に乗ってきました。
このバスは、花小金井駅を最終で出る青梅車庫行です(この1時間後に大和操車所行が1本あります)。

通勤帰りの人が多い花小金井駅ですが、満員に近い久留米西団地行と違い、こちらはガラガラです。
ロータリーを出ると、小平合同庁舎の交差点から青梅街道をひた走ります。

しばらくすすむと昭和病院があり、日中はこの病院への利用者が多いのですが、この時間帯は通過。西武新宿線の踏切で一本待たされます。
昭和病院から先は立川バスの寺51系統・寺56系統がなくなるので、本数が激減します(一応、西武バス武17系統が並行しています)。

小平ふるさと村の交差点で多摩湖自動車道と交差します。
昔見に行ったことがあるのですが、古い木造家屋が数件保存されていたような記憶しか、今となってはありません。最近は地元の素材で作った「小平糧うどん」なるものが土日に不定期で販売されているようです。機会があれば食べて見たいところ。

小平熊野宮の交差点で西武バスの武20系統と遭遇。
その次の仲町交差点で、あかしあ通りを北上すると小平駅ですが、花小金井発着便は小平駅には入りません。
少し離れた小平駅入口バス停から数人が乗車。

その先の新小平駅からかなりの人が乗車してきました。
おそらく通勤帰りなのでしょう。ここから小川三叉路までの区間で利用されているようですが、バスが無いと不便ですが、本数が限られる(梅70+西武バスの入庫便)ので、大変な気がします。

新小平駅の先の小川町東・西交差点は、府中街道との交差点ですが、道が真っ直ぐでないので府中街道を抜ける時は要注意の場所です。
小川寺バス停には、天然温泉のテルメ小川なるもの見えます。
その先の小川上宿交差点で立川通りが分かれていき、西武バスの入庫便はそちらへ行きます。

梅70はそのまま青梅街道を直進し、青梅橋の交差点も右折して青梅街道へ入り、東大和市のロータリーへ入ります。(花小金井・小平行はロータリーに入らない)
ここで減った乗客をまた補充。

ロータリーを出てすぐの南街四丁目交差点は、青梅街道が左折する格好で、直進はハミングロードという別の道です。
東大和病院くらいまでで明かりがなくなってくると、この先はしばらく街のあかりが少ない感じでした。
このあたりは東大和市の駅から少し距離もあるので、バスを利用する客も多く、東大和市折り返しの便もあります。
また、西武バスの立37系統とも2回すれ違いました。

奈良橋庚申塚の交差点で新青梅街道と交差します。新青梅街道はなぜかやたら混んでいるようですが、旧道は空いておりあっさり通過。
その先にはすぐに大和操車所があります。5台近い都営バスが止まっていました。

奈良橋の交差点を左折すると、住宅街の狭い道のような感じのある区間とやや改良のされている区間が続く感じで西へ向かいます。
このあたりでも住宅は点在していることもあり、利用者はポツポツ降りていきます。

蔵敷公民館北という交差点で芋窪街道が始点になっていて、道が整備されているのですが、この先には多摩都市モノレールの上北台駅があります。
上北台から箱根ヶ崎の延伸は、新青梅街道の方へ行きますが、(特に赤字補填で生きている)このバス路線にも少なからず影響を与えそうです。

貯水池下バス停は、都営・西武がこの名前ですが、立川バスだけは芋窪を名乗っており、幻に近い頻度の玉13系統が折り返しするため、降車場の小さなポールだけが見えました。

まもなく、武蔵村山市に入ります。武蔵村山市に入っても旧道感はあまり変わりませんが、降りる客がぐっと減りました。
中藤のバス停の先で道は右へカーブし、その先の大曲り交差点を右折します。
このあたりは青梅街道沿いなのですが、直進ではありません。

武蔵村山市役所前で、わずかですが人が乗り降りしました。ここまで花小金井駅から乗ってきた人が居ました。結構な距離ですが、たまたまなのか、いつもなのか気になるところです。
その次はかたくりの湯入口交差点があり、かたくりの湯は武蔵村山市のMMシャトルでいける温泉です。一度行ってみたいところですが、ちょっと遠いので適っていません。

このあたりだったと思いますが、前に立川バスの「岩蔵街道入口」行バスを見つけました。一瞬どこ??と思ったのですが、よくよく考えたら閉所した瑞穂営業所行が変わって残っている便でした。

岸バス停を過ぎると瑞穂町へ入ります。ここでまた道幅が狭くなります。
残堀川沿いに灯りがついており、青梅街道と交差する部分でちらっと見えたのですが、綺麗に見えました。

箱根ヶ崎の交差点で東京環状と交差し、すぐに箱根ヶ崎三丁目のバス停があります。
今日は帰りの時間もあるので、ここで降りて、箱根ヶ崎駅から電車で帰りました。
箱根ヶ崎のバス停から駅は遠いので、八高線を使う方は確認しておくとよいです(駅乗り入れは極端に少ない)。

箱根ヶ崎駅のロータリーでリラックマバスに出会いました。
以前立13系統で乗った3号車です。


2019年3月2日土曜日

学問のすゝめ(福澤諭吉著)前編

学問のすゝめ
近代日本を代表する思想家が説く、国民の精神革命。自由平等・独立自尊の理念を掲げ、西洋的「実学」を奨励する不朽の書に、より多くの読者が親しむことを企図し、本書は流麗な文語調の原文に長年の研究成果を結実させた丁寧な語釈・解説を付した。国際社会の中の日本、日本人のあり方を考えるうえで、いまなお重要な指針を示す現代人必読の一冊である。


前書き


超がつくほどの有名な本ですが、中身についてはどうかというと、案外これが知られていないもので、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という一節が一人歩きしているかの様子です。
果たしてその中身は如何ようなのかというと、洋書の翻訳を交えながら、筆者の思想が伺える本は、明治時代初期の本ながら現代社会の病巣をも厳しく捉えています。(最も社会は殆ど進歩していない、むしろ退化していると考えるべきなのかもしれません)

原文は文語調で書かれ、現代文と同じ言葉ながら解釈・意味合いのことなる部分もあるので、語釈付の講談社学術文庫版を読みました。

現代語訳も存在しますが、訳文は美しくない、訳者による色が出るといった問題があるので、なるべく原著に苦労してでも当たったほうがよりよいのではないかと思います。その上で誤解を防ぐ意味で、語釈を追うのがよいでしょう。
(外国文学は訳書も致し方なしですが、なるべく評判を参考に原著の色を壊さないものを選んでいるつもりではあります…)

少々長くなりそうですので、第八編までを前編として公開します。
この先も引き続き読み進めて行きますので、しばらくお待ち下さい。