2019年3月21日木曜日

20190318:宇部線、山陽本線、鹿児島本線、山陰本線、美祢線

今回は、山口県西部を中心にぐるっと回ってきました。

宇部線(草江~宇部)



山口宇部空港に降り立ったので、まずは空港の前のバス…の方が便利なんですが、ついでに時代の入ってそうなバスで面白そうでもありますが、ここは乗り潰しのために草江駅へ。
10分と歩かないのですが、当然屋根は無く雨の日は困る上、全くダイヤが考慮されていないので、空港アクセスとしては機能していない状況です。(ただ、バスよりは安い)

いきなり30分以上待たされてやってきたのが、末期色の105系2両宇部行。
山口宇部空港のある草江駅は、市の外れの海沿いですが、ここから宇部新川へ向けて少しずつ市街地に入っていきます。
元地方私鉄らしく、のんびり走っていく感じになります。
宇部新川は宇部市の中心地に近く、乗り降りの多い駅です。小野田線も実質的にここから発車しますが、そちらは明日にして宇部線を進みます。

次の居能は、小野田線の実際の分岐駅です。工場が目立ち、市街地から外れてきています。
小野田線はすぐ西へ向かいますが、宇部線は北西へ向かい厚東川を渡ります。
その後も少し北へ進むと宇部駅につきます。


山陽本線(宇部~下関)



今度は115系の末期色で、安定の白幕です。
内装は転換クロスシートで、素の115系よりは乗り心地は悪くないです。

宇部駅は中心地からは外れたところにあるので、駅を出るとすぐ長閑な風景になります。
太平洋に近いので工場なども時折ありつつ、小野田の駅につきます。宇部とあまり変わらない雰囲気のようです。
新幹線をくぐると、まもなく厚狭に着きます。ここは新幹線、美祢線との乗換駅です。
再び新幹線をくぐり南へ、このあたりは家が少なく山に入っていきます。

一駅過ぎて小月という駅からは多くの人が乗ってきました。ここから下関市内に入ります。しばらくはカーブが少なく、快適に乗れました。
長府駅を過ぎると西へカーブして、再び新幹線の新下関駅。新幹線の一駅としては、在来で乗ってみても短いと感じます。ここで多くの人を乗ってきます。

しばらく進むと上り線をくぐってきた山陰本線が、丁度上り線との間に急に出現してきます。(この辺は後で山陰本線に乗って気付きました)
合流するとまもなく幡生の駅で、有名な「幡生の匠」が居る車両工場が左手に見えます。
幡生の次が終点の下関で、今は九州へは必ずここで乗換となります。


山陽本線(下関~門司)



末期色ではないですが、またまた国鉄車が続きます。
この区間はJR九州の管轄で、交直両用車が必要になるので、この415系だけが使われています。
下関を出ると右手に車両センターがあり、末期色達が昼寝しています。
その先で彦島に渡ると、すぐにトンネルに入り、出た先は門司駅の手前です。
運用は小倉行なので、このまま小倉まで乗りました。


鹿児島本線(小倉~門司港)



※門司港駅で折り返しの際に撮影。

前回の宿題である門司港駅を目指しましたが、またもや鹿児島本線のダイヤ乱れで、遅れて待たされましたが何とか今回は乗れました。
そして、また国鉄車が続きます。

小倉を出ると右手には山が迫っており、左手は海は見えず倉庫や工場が目立ちます。
門司は市街地が広がっていますが、奥は山で本当に狭い範囲に市街地が集中している感じであり、人間が狭い半島にへばりついて住んでいるような印象を受けます。

次の小森江駅は規模の小さい無人駅のようですが、住宅地のようで乗り降りは結構ありました。
その先も左の工場・倉庫、右の山に挟まれて狭い平地を進むと、門司港駅へつきます。
レトロな駅舎を取りたかったのですが、支那系の観光客が多かったのと折り返し時間がなかったので、早々に戻ることを余儀なくされました。



ということで辛うじてホームから撮ったものです。


山陰本線(幡生~長門市)



門司港から電車を乗り継いで戻ってきて、しばらく待つとやってきたのはタラコ色のキハ40。国鉄車縛りかな?という感じの安定な「國鐡山口」です。

幡生までは山陽本線を走り、その先で先ほど述べた線路の"真ん中"を進み、上り線をくぐって北西へ走ると綾羅木駅です。


その先の安岡までは郊外のようで、降りる人が結構目立ちました。

郊外を過ぎると風景が長閑になり、国道を挟んで響灘の海が見えてきます。
海はエメラルドブルーで綺麗なものです。
ただ、漂流物のゴミが時折目立ちます。日本海側ですし、半島や大陸から来ているものでしょうか。残念です。

吉見駅から先は一旦山に入り、小串駅のあたりからまた海沿いになります。
小串は運行の拠点で、この駅どまりの列車が多く、この先の長門市方面は本数が減りますが、この列車は長門市まで2両で行きますので、車内にも余裕があり快適です。



このように道を挟まず、直接海岸沿いを走る区間も出てきます。



見えづらいですが、岩に縄?のような結び付けられています。何でしょうか?

長門二見から再び内陸へ進路を取り、次の滝部で列車の交換を行いました。
外に出るとブルーライン交通の相当な経年車であるバスが止まっていました。列車とダイヤをあわせているようですが乗る人が居ません。西市行きとあり、後で見てみるとかなり内陸へ入っていくようです。
その他にも角島へ行くバスもあるようです。景観がよいことで有名な場所ですし、行ってみたいものです。

その先も山陰線は響灘沿いと内陸とを交互に入れ替えながら進むのですが、滝部から先で乗り降りする人が殆どおらず、そのまま長門市駅につきました。
やはり、小串から先は本数が示すとおりで非常に厳しいということでしょう。


山陰本線仙崎支線




長門市駅でしばらく待つと、美祢線からの列車がやってきます。仙崎支線は山陰本線の支線ですが、運用としては美祢線と一体になっていることが殆どです。
ついにJR車ですが、キハ120です。しかもオールロングシートの。国鉄車ではありませんが、バスもどきの軽快気動車にして、25年全く廃車にならず走り続けているという、ある意味頑丈な国鉄車よりしぶとい存在です。

長門市駅を出るとすぐに本線と分かれて左手へ進み、住宅街をゆっくり抜けて仙崎の駅につきます。
仙崎は詩人金子みすゞの故郷ということで記念館があり、そのことが駅でもアピールされています。


美祢線




仙崎からの折り返しで美祢線へ行きます。
長門市からも人が乗ってきますが、キハ120の座席が埋まるほどではありません。

長門湯本は、その名の温泉があり、駅や線路からも数件の旅館が見えました。ただ、明らかに廃墟と見受けられる旅館も線路から見え、解体もただではないとはいえ、観光地として厳しいから廃墟になっていると事情を踏まえても、残しておくと余計に人が来なくなるのではないかと、他人事ながら思うわけです。
外国人で特定の場所が賑わいすぎる一方、古い温泉地が寂れるのは、ある意味自然なのですが、歪んだ社会を感じる限りです。

一駅挟んで、少し長めのトンネルを越えると、線名の美祢市に入ります。
小さい駅を二つ挟んで、美祢駅につきますが、乗り降りする人はあまり少ないようです。
この駅は秋芳洞からのバスもあり、そこそこ人が乗ってくると思っていたのですが、そのような人も見かけず、かつて貨物輸送で栄えたとはいえ美祢線は厳しいものです。

この先しばらく寝てしまったようで、起きると厚保という駅でした。「あつ」と読むのが正しく、「あさ(厚狭)」もそうですが、難読な駅名です。ただ、駅前は小規模な集落があるのと、中国自動車道の構造物の巨大さが目立つばかりでした。
次の湯ノ峠という小駅を越えると、終点の厚狭につきました。

この後は、下関へ行き、ふぐを食べました。ふくさしが高い上に一人サイズがないので、ふくちりで我慢したのですが、言うまでも無いなぁと思いました。むしろ一緒に頼んだ鯨カツがおいしかったです。