2019年12月31日火曜日

日本は民主主義国家ではない

はじめに


日本は政治体制からすると、民主主義国家であることは疑いようはないはずです。
しかし、その実は民主主義を機能させるための仕組みがないため、民主主義国家とは言いがたいと考えています。

一般的に民主主義とは「国民が主権を持ち行使する政治」と解されます。
その意味でいうと、日本は形式的には民主主義国家です。
しかし、国民、つまり一般大衆というのは、殆どにおいて社会的な諸問題を解決する能力はありません。だから、議員を通じた間接民主制があるのです。
では、この間接民主制を維持するために必要なことは何でしょうか。

  1. 国民の代表として、適切な能力を持つ人間が政治参加すること。
  2. 代表者を選出するために、政治・社会・経済の適切な情報が共有されていること。
  3. 全ての国民が代表選定において平等であること。
この3つが最低限必要であると考えます。
しかし、日本は現状でこれらの条件が充たされていると考えがたいです。


政治参加について


今の議員を思い浮かべれば明白でしょう。年齢構成も偏っているし、社会階層もそうでしょう。
今の議員というのは、殆どが地盤を持っている二世・三世等の半ば貴族と化した階級と、特定の政治団体(労組等)に選ばれたものではないでしょうか。
何れにも当てはまらない人間が、特に国会議員でいうと、さて何人いるのでしょうか。

それらに当てはまらない人からすると立候補すら難しいのです。
まずは諸外国に比べて異常に高額な供託金の制度や政党を過剰に優遇する制度が邪魔しているのではないでしょうか。
供託金はそもそも一般国民がポンと出せる金額なのでしょうか。それだけのお金を取らないと選挙は成り立たないのでしょうか。何れもノーだと考えます。
政党は、政党助成金といった金銭的な優遇や比例との重複立候補や選挙放送といった選挙制度的優遇とあり、純粋無所属で出馬するというのは現実的に厳しいのです。

もちろん当選するには一定の票数が必要なので、政党や組織が裏にないと自由に立候補できたとしても困難であります。
しかし、既成の政党や組織が国民を代表できなくなった今でも硬直した議員構成のままであるのは、制度による面がかなり大きいのではないでしょうか。
ここまで投票率が下がってしまった一因には、「誰に投票しても同じ」「いつもの同じメンバー」ということで、投票することで政治に影響を及ぼすことができるという考えを国民の側が失っていることにあると考えざるを得ません。


情報共有について


昨今は「桜を見る会」の話が多く言われます。政治の側からの公開も問題ですが、マスメディアからの情報も問題です。
本来であれば、政治に不備があれば、それを中立で事実に基づいた取材により、公に示すことがマスメディアの役割です。
そうでなければ、主権者たる国民が判断を下すことはできないでしょう。

しかし、この国のマスメディアは、少なくとも国民から見てその役割を果たしているとは思われていません。その状態でありながら、政治と同様に既得権が貴族化しており、全く変わる様子はありません。
この問題については拙稿「フェイクニュースは罰するべきか」でも取り上げています。
働きが悪かったり、政府の御用機関に成り下がったり、果ては敵国のアジビラと化したマスコミを資本主義の力で、退場させることができ、新陳代謝の中でマスコミがもっと政府を監視できるようにしていく。そして、その結果が選挙にダイレクトに反映されるとなれば、政府の側の姿勢も変わるのではないでしょうか。


平等について


最後の「代表選定において平等」というのは、難しい問題です。
一票の価値が皆で同じという意味においては、地域格差はあるにせよ概ねはそのとおりです。この格差を埋めるためには、どのような制度がよいかということは大いに議論の余地があります。

しかし、ここで筆者が問題提起したいのは、世代間の公平さです。
はっきり言ってしまえば、後5年や10年で死ぬであろう老人と、あと50年以上現役で居る可能性のある若者は、本当に同じ一票でよかったのか。
中学生や高校生は投票できないが、痴呆老人の元には投票の案内が来るが、どちらも政治的判断力は備わっていないのではないか。
また、まだ産まれていない世代であっても、現代の悪政の影響というものは未来においても受けるのです。実際、産まれていないか参政権の無い頃のバブルの悪影響を、現代の若者は必至に処理しているとも言えるでしょう。

このようなことは、シルバー民主主義といわれ、投票率が高く有権者の多い高齢者に対し、適切な負担をさせられないまま、将来への投資や若年層への負担増が無節操に行われている現状が当てはまります。
表面的に見れば「国民が望んでいるから」ということになるのかもしれませんが、実際は「(有権者の多い)国民の特定層が望んでいるから」なのです。

1つの私案としては、平均寿命から算出される想定余命を元にして、投票者の票数に影響度を掛けるのはどうでしょうか。
想定余命を理由にするのは、当然ながら若い人の方が政治の影響を受ける期間が長いからです。

かつては、これを人口ピラミッドという形で自然に実現していたと言えましょう。しかし、今は皆が長生きをする時代になっており、一方少子化となって若者が減った以上、あるべき姿と真逆になってしまったということです。表面的には不平等ですが、公平さを守るための投票におけるアファーマティブ・アクションとでも言うべきでしょうか。

但し、想定余命以外の条件をつけることには徹底して反対します。
あくまでも民主主義の原則「代表選定において平等」を実現するためにどうしても必要な劇薬というのが考えであって、想定余命には十全な理由があるからです。
(日本ではありませんが)少数民族だからとか人種だからとか性別がとつけ始めてしまうと、平等からただ遠ざかるだけであります。

今の紙での投票では不可能ながらも、電子投票とすれば、年齢と性別と投票者だけであれば、秘密投票を守りながら、この重み付けを実現することは十分可能だと考えます。


終わりに


テーマが重いこともあって、今私もここで明白な回答を持ち合わせているものではなく、まとまりのない文章になってしまいました。

しかし、新元号「令和」になったにも関わらず、相変わらず「昭和」から何も進歩しておらず、「平成」という失われた30年を、40年、50年と延ばすだけではいけないし、その時は本当に取り返しがつかなくなっていて、貧民に成り下がるのではという危機感があります。
「令和」の世に相応しい日本を作るために、拙文ながら問題提起した次第です。




参院選前に日本の今後を論じてみた記事です。

日本復活へ一市民の妄言2019 その1



日本の社会の問題点として、年齢を中心とした上下があるという考えは以前から指摘しています。

封建的年功序列社会の限界
2019年12月30日月曜日

20191228:茨城交通 50系統、28系統

余った青春18切符で、前から乗りたいと思っていた某戦車アニメの聖地を抜けるバスに乗ってみました。
勝田駅からひたちなか海浜鉄道で那珂湊駅に入ると大洗町内の一般路線バスが乗り放題になる「世界一楽しい片道切符2」を利用しました。

茨城交通 50系統 那珂湊駅~アクアワールド大洗~磯浜新道




まずは那珂湊駅から出発します。駅の横が営業所となっているため、定刻にそこからバスが出てきます。他に地元の人1人だけが乗って出発。

那珂湊駅を出ると目の前の県道6号を数百メートル進んで、左折して南下していくのですが、大渋滞。
原因は、どうやらその先にある那珂湊おさかな市場の模様。駐車場へ入るマイカーが列を成しているようで、この区間に15分近くも要して大きく遅延します。

湊本町の交差点を右折してからはスムーズで、まもなく海門橋です。
ここは、那珂川の河口に近いところで、渡るとひたちなか市から大洗町に入ります。



大洗町に入るとすぐ左折し、アクアワールド大洗という水族館に入ります。


右下の車の数からわかるとおり、年末の土曜日ということもありますが、元々人気のある水族館です。しかし、バスで来る人はいないようで、そのまま前のバス(那珂湊行)を見ながら乗り降りなく戻ります。

なお、アクアワールド大洗を経由しない便は、海門橋から直進するはずです。
その先で那珂湊から乗ってきた地元の人がおり、別の女性が1人乗ってきました。
突き当たりの東光台前の交差点を左折し、次の東光台南も左折し、大洗磯前神社を回る格好で海沿いへ降りると、神社の前に出ます。

大洗鳥居下の交差点を過ぎると商店街の中を進んでいきます。
この中は道が狭く、歩く人も結構いるため、運転には気を使う場所です。



その商店街を抜けた先に、磯浜新道のバス停があり、ここで降りて街歩きをしながら、他のバスを撮りました。



そして帰りは、同じく磯浜新道から那珂湊へ戻っていきました。
アニメではこちらの進行方向なので、神社まではこちらの方向の写真でご紹介します。

乗ったのは行きと同じバスでした。


早速商店街へ入っていきます。


戦車が突っ込むことで有名(?)肴屋本店さんのところ。
バスは勿論突っ込みませんが、中々の迫力があります。気分は車長。



商店街を抜けると大洗磯前神社です。


バスからも鳥居がよく見えます。
商店街や神社から人乗ってきて、5人程度で那珂湊の駅に戻ってきました。


茨城交通 28系統 那珂湊駅~大野~水戸駅北口



今度の28系統は、平磯中学校下から那珂湊駅、大野、水戸駅北口を経由して、茨大前営業所へ行く長距離路線です。
先ほどのフリー切符外なので、那珂湊から水戸駅まで現金で乗ります。

ちなみに、先ほどの50系統から2分乗換だったのですが、長い系統なのでこの乗換はできず、那珂湊駅で50分くらい暇つぶしでした。
バスの営業所の他、敷地外からひたちなか海浜鉄道の古い車両が見られるので、それで多少の時間つぶしにはなりました。

那珂湊駅を出ると国道245号線へ入り、湊大橋で那珂川を渡ると水戸市に入ります。



渡った先で県道174号線に入ります。
この道は、上大野あたりまでが狭隘区間で、拡幅工事を行っている最中のようです。
また、この区間は那珂川沿いで川がすぐそこまで迫る場所もあります。


このように大型バスでは離合に苦労する場面もあります。

浜田十字路の交差点から先は水戸市内の市街地になり、このあたりで1人乗ってきました。
城南三丁目の交差点を右折すると、桜川・常磐線と超えて水戸一高・三高と通ると、まもなく水戸駅の北口につき、ここで私と先ほどの1人が降りました。
このバスは、更に進み茨大前営業所まで行きます。
2019年12月27日金曜日

20191221:北鉄奥能登バス 町野線・大谷B線・木の浦線・珠洲宇出津特急線・穴水珠洲B線、七尾線

北鉄奥能登バス 町野線 輪島駅前~曽々木口




このバスは、輪島駅前から国道249号線を直進して、曽々木口で県道6号線に入り、宇出津を目指す路線です。
今回は、曽々木口までの乗車になります。

輪島の市街地を出ると、すぐに海沿いに出て景観の良い路線です。
しかし、結構アップダウンが激しいので、険しい土地であります。
一方で、人家は少なく早々に降りた地元の人が一人と、狼煙まで一緒になった観光客の女性しか乗客がおらず、厳しい状況が伺えます。




特に道中に白米千枚田は、観光スポットとして有名で、今回は幸い晴れていましたが、夕暮れや夜間はライトアップもされて綺麗なようです。
時間があったらじっくり見てみたいところですね。


白米千枚田を過ぎると、益々海が近づいてきます。


この先の険しい山にも、この後挑戦することになります。
その先で県道6号線に右折し、すぐに曽々木口のバス停につきます。
ここは、かつて曽々木支所があったところで、車庫や広い敷地がありますが、今は待機に少々使われる程度のようです。


北鉄奥能登バス 大谷B線 曽々木口~狼煙




曽々木口から狼煙までいく大谷B線は、1日1往復しかない貴重な一本で、能登半島1周をバスで志すと必ず乗らないといけない路線なので、予定を組むのが大変です。
そんなバスですが、乗ってきたのは先ほどのバスから一緒に乗ってきた女性1人だけで、終始そのままということで、地元の利用者は皆無でした。

先ほどの国道249号線へ戻り、曽々木の集落を越えるとトンネルがあり、抜けるとすぐに珠洲市に入ります。

珠洲市に入っても道はあまりかわりませんが、海岸線に目を転じると輪島市のエリアよりも岩が露出しているところが増えてきます。



珠洲市に入って少しするとすず塩田村という道の駅があり、このあたりは塩が名産のようです。
その先にある大谷バス停で大谷A線は、国道249号をそのまま進み珠洲市の市街地へ行きますが、このB線は、県道28号を海沿いに進み狼煙まで目指します。
ここから木の浦までの区間が1本しかないエリアです。

県道に入ると、センターラインが消えて狭い区間や、激しいアップダウンなど道が険しくなっていき、年季の入ったふそう製小型バスは唸りながら登っていきます。

特にバスの少ない最後の区間、徳保バス停のあたりが厳しいです。


右奥の家のあたりから登っていって手前の道も登り、上りきったところでとった写真です。
ここを越えると、まもなく狼煙につきます。


狼煙のバス停は道の駅にあり、土曜日の11時前というのに閑散としておりますが、この左手の奥の方で1台バスが休んでおり、これが次に乗る能登飯田行きです。



最果ての地らしい険しい場所ですが、天気がよくなったので白い灯台もあり、晴れやかな気分になります。
それにしても誰もいないが大丈夫なのだろうか……。

北鉄奥能登バス 木の浦線 狼煙~すずなり館前




道の駅で待っていたバスが、定刻になって出てきました。
狼煙からほぼ海沿いに南下していき、珠洲市の中心部である能登飯田まで進むバスです。
途中、すずなり館前で特急バスに乗り換えるため、そこまでの乗車です。

次の狼煙口は漁港のところにあり、その倉庫みたいなところで先ほど乗ったバスが休んでいました。
その先は一旦上ってから降る格好で、くだりに入ったところに葭ヶ浦のバス停があり、この先へ歩いていくと金剛崎があります。パワースポットとして知られるようですが、このバスではただ時間調整しただけ。

その先は寺家の集落があり、この中に経由地として出ている須須神社もあります。
粟津のバス停からは、一本内陸側に入り、集落の中を進みます。
しかし、誰も乗ってくる気配はなく、小泊のあたりが丁度能登半島の先端部分にあたる場所の南端といえるところで、ここからは西へ向かって進みます。


しかし、海は綺麗でも、日本海側は支那や朝鮮からの汚いゴミがあまりにも多くて悲しい気分になります。あの大陸や半島はもう少し文明が進展して、環境というものを考えるようにならないものかと思うのですが……期待するだけ無駄なのでしょう。

西へ向かって少しいくと、りふれっしゅ村という施設があり、施設内に入りますが、相変わらず誰も乗らないまま先へ進んでいきます。
まもなく蛸島に入ります。蛸島はかつてののと鉄道能登線の終点であり、一部の場所ではその遺構が残されています。

蛸島の次は、正院とかつての鉄道に近いルートを通り、集落の中を進んでいくと1人、2人と乗ってくる人が出てきました。
そして、珠洲市の中心部に入ると、珠洲市の総合病院、飯田高校下と回ってから、すずなり館前につきます。

すずなり館はかつて珠洲駅があったところで、元々は中心ではなかったようですが、再整備されてこの様になったようです。
当時のホーム(本物?)がある他、道の駅があるため、お土産などを買うことができ、また近くに北鉄奥能登バスの営業所があるため、バスの拠点としても機能しています。



北鉄奥能登バス 珠洲宇出津特急線 すずなり館前~宇出津駅前



今度は特急バスに乗りますが、新型になっただけでただのノンステです。
穴水行きですが、途中ののと里山空港で金沢行きの高速バスにも乗れるという仕様で、少ない本数の中工夫して利便性を確保しようとしていることが伺えます。

しかし、乗るのはまたしても私一人。よそ者なので誰も乗ってなくて気が楽だなぁという話ですが、実際のところ空気しか輸送していないので、大丈夫なのかという話であります。

すずなり館前をでると、次が珠洲市役所で、その先で国道から集落沿いの細い道へ。
特急バスだけにバス停を飛ばしていくのですが、その割に狭い道へ入っているので結局全部止めても同じではないかと思ってしまったりします。(どうせ殆ど乗降はなさそうだし)

その次は南鵜飼で、ここは集落の中心のようなところですが、特に乗り降りはなく、次の本鵜島がこのバスにとっては珠洲市最後のバス停です。
昨日飲んでおいしかった宗玄というお酒の酒蔵がこの先にあって興味はなくないのですが、時間もないしそもそも通過です。そして能登町に入ります。

能登町に入るとすぐが恋路浜で、その先の鳥居の見える島は弁天島です。


内浦庁舎前のバス停を過ぎると、県道35号線を海沿いを進みます。
このあたりは北側に比べると海は穏やかですが、地形はそれなりにアップダウンがあります。



この先に「縄文真脇温泉口」というバス停があって、突然縄文とは何だと思ったのですが、縄文時代の遺跡が見つかった場所だそうです。
その先は小浦、羽根という小さな漁港にとまり、能登町の中心地である宇出津につきます。
宇出津駅前は、旧駅を取り壊し、コンセールのとと言う複合施設になっていて、そこにはバスターミナルもあります。
今回は、さらに海沿いを進みたかったので、山(空港)方面へいくこのバスを降ります。
1時間ほどあったので、寿司屋に入ったのですが、思っていたよりボリュームがあって美味しかったので、昨日の輪島で夜食べた寿司が何か残念なように思いました。
美味しかったことはそうなんですが、値段がね……。


北鉄奥能登バス 穴水珠洲B線 宇出津駅前~穴水駅



このバスも実はすずなり館前から来ているのですが、先ほどの特急バスと違い内陸側を通っているので、ここで乗り換えることにした次第です。
既に、数人乗っていて、最初の穴水→門前以来、まともに人が乗っているバスに出会いました。

宇出津駅を出て、宇出津の街中で反対側のバスに出会いました。



宇出津をでると国道249号線を進みます。ここは元の鉄道沿いに進んでいるようで、駅の名が残るバス停が続きます。
鵜川駅では、このバスは国道249号線を直進して進みますが、穴水宇出津B線ですと県道34号線を海沿いに進み、中々風光明媚なようですが、時間が合わなかったので残念でした。
道路としては走りやすく長閑だが、やや退屈な国道を登っていき、峠を越えると穴水町に入ります。
穴水町に入っても国道を進み、このバスは穴水駅を先に回ってから、終着の穴水総合病院につきました。


七尾線 七尾~津幡




もう既に暗くなりつつあり、さらに人も多かったので乗車記録ではありませんが…。
413系の方が来ました。手でドアを開けるって、昔高崎の115系ではよく見かけましたが、懐かしいものです……。
引退の前に乗れてよかったです。
あと、津幡のデッドセクションで非常灯だけになって走るのが、雰囲気が出ていて良かったです。
2019年12月24日火曜日

20191220:高山本線、氷見線、わくライナー、のと鉄道、北鉄奥能登バス穴水線・輪島線

昨日に続いて、高山から富山までの高山本線からです。

高山本線 高山~猪谷




始発の高山駅は真っ暗でした。正しくは、終点の猪谷についた6時半過ぎでも真っ暗でした。
今後の兼ね合い上、始発ではないと氷見線に乗れないことになって仕方なかったとはいえ、未乗区間が暗闇で勿体無いことをしたと反省。

ということで特に語りようがないです……。


高山本線 猪谷~富山




猪谷駅で待っていたのは、キハ120系の3連。
しかし、私は2連までしか見たこと無いので驚きました。
だいたいコイツが居るのは、廃線寸前だからほぼ単行という。
しかも、2両目だけ番台が違うので、ドア手動というちぐはぐ編成。

さて、猪谷はすでに富山県富山市であり、神通川沿いにしばらくは進んでいきます。
時間帯もあるのか、広大な鉄道施設と裏腹に、高山から来た列車の乗換以外に殆ど人が居ません。



昔から急流とか水害が多いとかで有名ですが、冬ですし、雪も降っていないので至って穏やかであります。
とはいえ、短い区間に何度かダムを見るので、その片鱗がうかがえます。

次の楡原から早速学生が乗車してきます。この車両がキハ120を3両も連結しているのか、それをこれから思い知らされることになります。
神通川を渡った先には笹津の駅があり、また通勤通学の人が乗ってきます。
また、ここまで来ると猪谷のあたりの山がちな風景から、平地に近くになってきます。

笹津から先は国道41号のルートを逸れて、西へ迂回するような格好となり、再び神通川を渡ると東八尾駅があり、その次の越中八尾から一気に乗る人が増え、満員とまではいかずともキハ120系では想像できないラッシュの世界に入ります。
その先も駅でも人は増えていき、富山駅につきました。


氷見線 高岡~氷見




富山からは、あいのかぜ富山鉄道とかいうきらきらネームの元北陸本線を通過利用し、高岡駅までやってきました。
城端線は過去に乗ったことがあるので、今回は氷見線だけです。

高岡を出ると、越中中川、能町と市街地の中をゆっくり走っていきます。
能町の先から工場が増えてきます。
小矢部川を渡った先にリサイクル施設があって、廃車になったと思われるバスや鉄道の車両が転がっていました。

次の伏木は西へカーブする途中にあり、その次の越中国分から海沿いに出て、雨晴駅につきます。このあたりは晴れているととても景観のよいところですが、あいにくの天気でした。



雨晴の次の島尾駅の手前で、氷見市に入ります。
このあたりは少し内陸側へ戻り、氷見駅につきます。


加越能バス わくライナー 高岡駅前~七尾駅前



高岡まで氷見線で戻り、高岡駅から能越道を通って和倉温泉までいくわくライナーという高速バスを利用しました。
脇を経由する路線バスでも同じように七尾駅までいけるのですが、脇で3分乗換というちょっと怖すぎてやりたくない乗換なので、素直にこのわくライナーを利用してみました。

結構、バス停で人が待っていたので、意外と乗る人が居るのだなと思ったのですが、まず先に来た世界遺産バス(五箇山方面)には誰も乗らず、次にやってきたのが名古屋行きの高速バスでこちらにごっそり乗って行き、わくライナーには結局自分含め4人ということで、中々に苦戦しているようです。

高岡駅を出ると、少し南にある新高岡駅までバスは向かいます。
何だか、新幹線駅と同じかそれ以上にイオンモールの存在感が溢れている駅です。
ロータリーに入ると、横にちょこんと城端線の駅がありまして、このバスには新幹線から乗ってくるのかと思うと、まさかのゼロ人。
まあ、和倉温泉・七尾が目的地なら金沢まで行ってから、特急が早いでしょうが。

さて、結果的に無為な寄り道をした後、県道57号線高岡環状線というものに入ります。やたら陸橋が立派な道です。

こういうのを見ると、やたら道路に税金突っ込んで、自家用車増やす方が環境的に悪いよなぁとしみじみ思います。よそ者の都会人の発想ですが。

この道を真っ直ぐ進むと高岡インターにつき、能越道に入ります。
能越道は暫定2車線の状態なので、70km制限で結局は早く走れないのですが、街中のように渋滞はないので快適に走れます。

途中の氷見インターで能越道を降りると、道の駅があるひみ番屋街というところに止まります。ここで2人降りて1人乗ってきました。
ちなみに、ここは氷見駅からはかなり距離があるので、高岡までは戻るしかなかったのです。

その先は岩井戸温泉までは下道を通るので、脇線に乗れなかった分一部だけ走ってくれるという感じです。最も、雨も強くなってきて風景は……ですが。
とはいえ集落の中の狭い道を高速バス仕様で、コミュニティバスレベルの乗客を乗せて走るので面白いことは面白いです。

灘浦インターから能越道に戻り、まさにそのまんまの「能越県境」というPAのところで石川県に入り、七尾城山インターで出て、七尾の駅につきます。
ここで残っていた3人の乗客が降り、空気を運んで和倉温泉へと旅立っていきました。


のと鉄道七尾線 七尾~穴水




七尾の駅では、こののと鉄道線と北鉄奥能登バスで使える奥能登まるごとフリーきっぷを買いました。
3000円で2日間、のと鉄道と北鉄奥能登バスの全線で使えるという、気前のいいものです。(運賃考えれば…ね)
この切符があったからこそ、JR乗りつぶしよりも、奥能登のバス旅を優先させたわけです。

七尾を出ると、和倉温泉までは電化されており、JR車は特急だけが走ります。
この区間で青春18切符が使えるのか使えないのか、なんか後者な気がするのですが、このフリー切符があるので臆することはありません。
しかし、和倉温泉でごっそり客が降り、学生や地元客が数人残るだけという厳しい出だしに。

和倉温泉を出るとのどかな景色となります。次の駅が田鶴浜ですが、本当に鶴がいるのでしょうか。田んぼに白い野鳥がいましたが、そこまではわかりませんでした。




その先の能登中島駅は、少し降りる人がいました。西岸駅から海沿いに出て、このあたりは対岸に能登島が良く見えます。
遠くにツインブリッジのとが見えました。



一人ひとりと降りて行き、終点一つ前の能登鹿島でついに私1人になり、穴水駅につきました。


北鉄奥能登バス 穴水線 穴水駅~門前



ここからはバス旅になります。
まずは、穴水から門前を目指します。穴水総合病院から来ているので、既に何人かの地元客が乗っていました。

県道1号線に出て、此の木のバス停からも何人か乗ってきました。
このバス停は、金沢方面からの特急バス通るようで、それからの乗り換えでしょうか。

此の木から先は山道になり、小又の交差点を左折し、県道7号に入るとまもなく輪島市門前町に入ります。輪島市に入ると下り坂になり、ちょこちょこ下りる人がいました。

その先国道249号との交差点は左折し、その先は集落内に左折して入っていくと、門前のバス停はすぐです。
ここは北鉄奥能登バスの門前支所となっており、車庫や切符売り場があります。



ちなみに、門前につくと久川行きのバスが接続するように待っていました。
乗ってみたいのですが、戻ってくるバスが無いので、さすがにいけませんでした。
(回送で戻るくらいなら乗せて欲しいものですが……乗務時間の都合などもあるでしょう)



北鉄奥能登バス 輪島線 門前~輪島駅前




門前からは輪島へ向かいます。
先ほどの門前行きと違い、このバスには学生1人しか乗ってきませんでした。
輪島行きは先ほどの国道249号へ戻った後、先ほどは県道7号から着ましたが、このバスは直進します。

この道も先ほどと同じく平凡な山道で何か特筆することはないのですが、スムーズに進んでいきます。途中で学生も降りていくと、ソロバスとなりました。
途中で中屋トンネルという長いトンネルを抜けるとくだりとなり、旧門前町のエリアから輪島市内に入ります。

輪島市内は交通量はそこそこあるのですが、どうにも元気が無い印象でした。
(能登全体がそのような印象で、特に路線バスはそうなので残念ですが)

輪島駅は、道の駅となっていますが、少しその雰囲気は残されていました。



2019年12月23日月曜日

20191219:武豊線、愛知環状鉄道、太多線、高山本線

冬の青春18切符の季節が来ました。
今回は名古屋から能登まで北上していくルートを取り、未乗区間である武豊線・太多線・高山本線(高山~富山)・氷見線・七尾線と消化していくようにしました。

能登に深入りせずに、穴水まで折り返せば、福井までの北陸本線と越美北線を消化するということも可能だったのですが、ローカルバスの寿命がどこまであるのかということもあったので、今回は鉄道とバスのハイブリッドで行って見ました。

武豊線 大府~武豊




どこいっても安定の同じ顔313系です。
しかし、JR東に乗っていると313系の転換クロスシートはとても乗り心地のよいものに感じます。あいつ椅子堅すぎて座らせる気がない。まるで新国立競技場……

通勤時間帯は直通がありますが、昼間はないので、名古屋から乗り継いで大府まできました。
大府には2両ワンマンでやってきて、折り返しとなります。
大府を出ると東海道線を左手に見ながら、真南の方角へ進みます。
田園風景とまばらの住宅地の中を進むと小さな無人駅の尾張森岡の駅につきます。

その次の緒川は、イオンモールが目立つ高架駅でここからは乗ってくる人がそれなりにいました。

二つ先の東浦では貨物列車との行き違いを行いました。


二両ワンマンの割りにホームの有効長が長いのは、定期的に貨物列車が通るためで、実際東浦の先は工場が多く、東浦の先で衣浦(きぬうら)臨海鉄道碧南線が分かれます。

半田駅のあたりは市街地となり、一旦は工場が途絶えますがその先もまた工場が続くので、全体としては工場地帯ということになります。

また、半田駅には静態保存のC11 265や古い跨線橋、ランプ小屋などがあります。




半田を出ると、再び工場地帯を左手に見ながら進み、二駅先が終点の武豊です。


愛知環状鉄道 岡崎~高蔵寺




武豊線を折り返しで戻ってから、東海道線で岡崎まできました。
元々は素直に東海道線と中央線で多治見を目指す予定でしたが、予定変更で愛知環状鉄道に乗ってみることにしました。
もちろん青春18切符は使えないので、大人しくパスモで払います。三セク料金だから高い…。

岡崎を出るとしばらく東海道線と並んで走り、北へと分かれていきます。
しばらく進んだが先の中岡崎が元々の岡崎の市街地で、岡崎城の存在がアナウンスで流れました。
復興天守がちょっと見える程度ですが…。


(ほぼ中央あたりです)

その先の大門駅を過ぎたところで矢作川を渡り、北野桝塚駅につきます。
ここが愛知環状鉄道の車庫があり、一部の運用ではここで乗換になるようです。
すぐ先で豊田市に入ります。いわずと知れたトヨタ自動車の本社所在地であり、市名がそもそもトヨタ自動車に由来するものです。

豊田市内に入ると、伊勢湾岸道・東名自動車道と続いて愛環を越えて生きます。ちょうど、その先の豊田JCTの案内が読めるほどの距離です。
また、地図によると付近にいくつもトヨタ自動車等の工場がありますが、高架とはいえ視認できませんでした。(座っていた向きの問題でしょう)

三河豊田駅は、トヨタ自動車の本社がありそこの通勤者が多いようです。存在する地番も「トヨタ町」。
ちなみに、本社のものと思われる立体駐車場が見えたのですが、そこに止まっている車も当然トヨタ車揃いで、ごく稀に外車等も見えるのですが、一体どういう了見でやっているのかと思うわけであります。もうここまでくると、トヨタ以外の車なんて考慮に入れようものなら干されそうですが、笑



そのような聖地を過ぎて、新豊田の駅は、こちらの方が市街地といった様相です。
さらにその次の愛環梅坪くらいまでが人口が多そうで、その先は段々とのどかな感じになってきます。
さらに保見駅から先は断続的にトンネル区間も出てきます。
八草駅は山の中の駅のような感じですが、リニモとの乗り換え駅でもあり、大学が近くにあるためか、多少の乗り降りがありました。

八草を出ると、長いトンネルに入り、すぐに瀬戸市になります。
瀬戸市に入ると住宅地の様相となり、瀬戸口駅までは中央線との直通運転もあります。
瀬戸市駅は名鉄との乗換駅で、トンネルに入り、中水野駅は地上に出ますが、再びすぐに入り、トンネルを出るとまもなく春日井市に入って、中央線との接続駅である高蔵寺駅につきます。


太多線 多治見~美濃太田




中央線の快速で1駅、多治見までやってきました。
キハ75系の2両編成が既に待っていました。

高校生などが多い中、美濃太田を出ると少し中央線と並行して南にいってから、90度曲がる感じで北へ進路を変えます。
1駅先の小泉とその次の根本駅でかなり降りていき余裕が出てきます。
その次が「姫」駅で、ここが多治見市最後の駅で、可児市に入ります。

可児駅は名鉄との乗換駅でもありますが、ここも降りる人が多く車内がだいぶ落ち着いていきました。一方で、変わって乗ってくる人も少なかったです。

可児駅を過ぎると、木曽川を渡り美濃加茂市に入ります。渡った直後には、美濃川合という小さい駅があります。



美濃川合を過ぎると、右手に美濃太田の車両基地があり、その先で高山本線が合流してきて、美濃太田駅に到着します。


高山本線 美濃太田~高山



美濃太田駅につくと、ひだとの待ち合わせのため、既にいつもの顔キハ25系が待っていました。
この1000番台は、オールロングシート車で、田舎だから転換クロスは勿体無いんじゃってことなのかわかりませんが、以前紀勢線で3時間半もこれに乗っていて流石にちょっとなぁと思った次第ではあります。
が、来てしまったものは仕方ないので乗るまでです。

美濃太田を出ると、太多線とわかれて北東へ進み、次の古井駅からは飛騨川沿いをひたすら進んで行きます。
その古井駅からは学生が乗ってきて、少しだけ賑やかになりました。まさに高山本線はこれらの学生向けのわずかな普通列車をのぞくと「ひだ専用」路線に近いわけです。

その先で川辺町に入り、中川辺駅で早速高校生の一部は降りていき、その次の下麻生でも降りていきます。
下麻生駅の先で七宗町に入ります。
このあたりから白川口駅くらいまでの区間が「飛水峡」と呼ばれる区間であります。
元々天気が悪い上に、日が翳ってきてあまり楽しめなかったのが残念ですが。



上麻生駅の先には、飛水峡信号場があり、ここで普通列車は「ひだ」様のためにじっと待つのであります。待つこと十数分、少し遅れていたようですが上りの特急列車が通過していきました。
ここから下呂駅までの区間は、駅と同じ位信号場があり、普通列車は必要に応じて「ひだ」様のために待つことがあります。
そのため、実際の距離よりも長くかかることもあり、高山本線に関しては特急で乗る方が楽しいでしょう。

飛水峡から先はすぐに日が落ちて何も見えなくなってしまったのですが、下呂駅周辺は下呂温泉の旅館などの光が見えて綺麗でした。
また、わずかばかりの観光客も降りて行き(下呂はひだも止まる駅ですが)、さらに車内は閑散としながら北上を続けます。

その先の飛騨萩原駅で、また高校生が乗ってきました。
この高校生も下呂市内の各駅を中心に降りて行き、飛騨小坂と渚の間で高山市に入ります。
そこからしばらく経って灯りが次第に増えてくると、高山駅につきます。
列車自体は、飛騨古川までいきますが、40分近く待ちになるのと宿泊の兼ね合いで高山までとしました。