2019年10月27日日曜日

公共交通のあり方とは~天北線代替バス存続危機で考える~

以前、私も乗ったことがある宗谷バスの天北宗谷岬線について、存続危機のニュースを見ました。

旧JR天北線代替バス存続危機 輸送量足りず補助打ち切り 沿線の大幅負担増必至(北海道新聞) - Yahoo!ニュース

内容としては輸送量が補助の基準に満たなかったのを、買い支えという形で維持していたがグレー行為で会計検査院に指摘され、結果として国の補助が打ち切られたということです。

おそらく、これを見た人の過半は、税金の無駄遣いだ!と思うかもしれません。
一見して、輸送量が少ない路線を公費で残すというのは、無駄なように思います。
しかし、これは正しいのでしょうか。

私は、そういう路線も含め地域交通のネットワークを維持しなければ、国土の荒廃が進むだけだと考えています。
マイカーがあれば問題ないというのは、すべての人が運転できるわけではないということもありますし、環境負荷の問題もあります。
最大の問題は足の無い様な場所というのは、どんどん不便になる一方なので、外から来る人にとっては認知されず、中に住む人には未来が無いので都会に行こうということになるわけです。

もちろん、全ての過疎地の路線を闇雲に残せということを主張しているわけではありません。
インフラの維持というのは、今後ますます難しくなるのが確定的に明らかなわけで、社会的な合意を形成して、日本の総コンパクト化を進めることは避けられないのです。
一方で、過負荷になっている東京を始めとする都心部もそのままではいけないのです。
つまり、コンパクトシティを決定し、そのシティ内・シティ間の路線については収支を度外視して残すべきです。
逆にそれ以外については、廃止も止むを得ないのではないでしょうか。

今は大雨の被災なども問題になっていますが、そういう時だからこそ闇雲に全部復旧全部維持ではなく、社会のあり方を冷静に議論することが必要ではないでしょうか。
社会も国家もすべての人を救うことはできないですし、それは無理なのです。
だから、インフラの維持を約束するエリアを決めるべきですし、それ以外の場所に住む自由(リスク込みで)もあるべきです。
ただ、日本人にはあまりこのようなファジーな考え方というのは受け入れ難いようです。
接客業などを見ていると感じます。
しかし、何事も完璧にというのは不可能な幻想だと知ることから始めるべきです。


宗谷本線と天北宗谷岬線の乗車記録です。
残念ながら、この乗継は10月の減便で不可能になっています。音威子府までの直通便が大幅に減らされているからです。

20180828:北海道乗り鉄2日目 宗谷本線、天北宗谷岬線

組織を考える

普段、よく投資情報等の情報収集のため、他の方のブログを拝見する機会があります。
たぱぞう氏のブログに興味深い記事がありましたので、ご紹介と個人的に考えることをまとまりもなく述べたいと思います。
私は残念ながら今は組織から卒業をしてやっていく備えがないわけですが、日本の組織というものに対して思うことは似たようなものがあります。

最初に断りますが、私は組織というものを否定するつもりはありません。
技術も発達し、1人で出来ることというのは非常に増えました。そして、一人の天才が世の中を変えることが、昔よりもハードルが下がっていると感じています。
一方で、私を含めた凡俗の大衆が、皆1人でやっていけるかといえば、それは不可能なのではないでしょうか。

なぜなら、組織というのは、1人では出来ないことがある、可能ではあるがリスクが高いという自体に対応するために、人間が歴史の中で生み出してきた知恵の1つだからです。
今、ユーチューバーなりブロガーなりで生きている人々も、その収益を投資して増やし続けていれば大丈夫な可能性はありますが、一生1人でやっていけるのかといえばわからないです。その仕事の継続性という面では新しい企業と同じでトラックレコードがありませんので今後はわかりませんし、社会設計の中では不利な立ち位置ですから、今大丈夫でも将来のリスクは高いのかもしれません。
その意味では、多くの人にとっては未だに組織は必要なのです。

では、なぜこのような事態になのかといえば、「すでに組織は多くの個人の思いに寄り添えない時代」という先の記事の通りで、組織というものが現代に対応できていないのです。

私は組織というものの肝は、存在意義だと思います。
よくあるピラミッド式の組織でも最近よく出てくるフラットな組織(いわゆるティール組織)にしても、「何のための存在するのか」ということが必要です。
存在意義がその構成員や社会から認められないような組織というのは、一時的には株価の上下と同じように持て囃される時があっても、続くことはないのです。

自然に存在するものは、それが自然にあるわけですから、存在意義ということを考える必要はありません。しかし、人為的に作られるものについては、「自然ではない」以上、存在意義がなければ、人がそれを作る動機がないということになるわけですから、存在しないということになるわけです。

しかし、今の会社組織というものに対して、そのような存在意義を示せているかといえば、私は違うと思います。
つまり、惰性であったからあるという状態に成り下がっているのです。
そのような会社の構成員の殆どは「お金のために働いている」それ以上でもそれ以下でもないと考えているのではないでしょうか。ちなみに私もです。
そうであれば、経済的自由さえ得られれば、わざわざ会社に居る意味はないでしょう。
しかも、そのような組織で古い価値観を押し付けられれば、ますますそう思うでしょう。
だから、優秀な人から組織を去っていくというのは、当然のことです。

21世紀を生き延びる会社や組織を選ぶ時には、ぜひこの様な観点も頭の片隅において見てみようかと考えています。就職でも投資でも、続かないものに長期投資をしてしまっては、素人の私では絶対に勝てないからです。


私の言う古い価値観については、過去に述べていますので是非ご覧下さい。

封建的年功序列社会の限界
2019年10月26日土曜日

Market Hack流世界一わかりやすい米国式投資の技法(広瀬隆雄著)

Market
徹底的にロジカルな投資手法に学べ!成功する投資を行うため投資家が守るべき「鉄の掟」、ポスト団塊ジュニア層が投資を始める際、心にとめておくべきこと(NISA攻略法)、デイトレーダーになりたい人はどうやって始めればよいか、長期投資のコツ(ウィリアム・オニールの投資法、ETFの活用法など)、2014年の投資機会、などについて説明。

はじめに


投資で一番大切な20の教えに続いて、昔に買って読んでいた投資本の再読です。
著者の広瀬氏は、米国の投資銀行などを渡り歩いて米国でバリュー投資からIPOまで多くの経験を積んだ方で、その「米国流」のノウハウを多く示す本です。
今回はデイトレードやグロース投資等に関わる部分は飛ばして、長期投資の面で肝要となるポイントを振り返りました。


ポイント


営業キャッシュフローのよい会社を買え


  1. 営業キャッシュフローが毎年順調に伸びていることが望ましい。
  2. 営業キャッシュフローは純利益より大きく無いといけない。
  3. 営業キャッシュフローマージンが15%以上の会社を狙う。

ポイントは上記の3点であり、これにて「儲かる構造」が出て切る会社であることがわかります。
これについては、簡単にその構造が壊れるものではないので、四半期ごとにチェックする必要は薄いとします。
なお、営業キャッシュフローを重視するのは、利益や売上高と違いキャッシュフローは、所謂「ごまかし」の通用しにくい数字だからだそうです。

四半期にはコンセンサス予想と実際の結果を確認する


まず、決算発表前にコンセンサスのEPS予想と売上高予想を調べておきます。
何故かというと企業が提示するガイダンスを元に形成される投資家の期待がコンセンサスの数字であり、それに対して実際の数字がどうかということから決算の良し悪しが決まるのです。
筆者は、よい決算について
  • EPSと売上高がコンセンサスの数字を上回る
  • さらにガイダンスが来期のEPSと売上高の予想を上回る
ことではじめて「投資家の満足いく決算」と言えるとします。

そして、これを毎四半期続けることが必要です。決算をチェックせずに持ち続けるのは投資家ではなく、単なる信者だとし、四半期の決算チェックは最低限必要な努力だと主張します。

長期に持てば必ず儲かるという保証は無い


長期で右肩上がりだから、インデックスを買っておけばいいというキャッチフレーズを捏造したのは、他でも証券マンであると筆者は指摘します。
大筋としては筆者もこの見方に賛同しますが、インデックス投資が提唱された時代は、マーケットにとってとりわけ良い時代だったことを忘れてはならないと言います。

また、長期投資には2つの条件がつくと言います。
  1. 対象が適切であること。
  2. リスク分散があること。
つまり、漫然と株を持ってはいけないのです。

バリュー投資でいうよい会社



バフェットの言う「ワイド・モート」に当てはまる会社の条件として6つ挙げています。
  1. 事業規模が特に大きい
  2. 市場占有率が圧倒的
  3. 構造的競争優位を持つ
  4. 太刀打ちできないブランド
  5. ネットワーク効果
  6. 顧客が乗り換えるのが難しい
これらの要素を複数持っており、その会社の経営者が「防御力の破壊行為」をしないことが重要です。

まとめ


この本は具体的なテクニックを紹介する本で、バリュー投資だけではなくグロース投資やデイトレードまでをカバーする広い本です。
特に役に立つと思うのは、決算で確認するべきポイントでしょうか。
営業キャッシュフローとコンセンサスだけであれば、本業がある個人投資家でも軽く確認できると思います(銘柄を持ちすぎなければ)。
ということや分散投資の意味から考えて、セクターなどをわけて10~15程度の銘柄を持つのがよいと言われています。
2019年10月21日月曜日

投資で一番大切な20の教え(ハワード・マークス著)

投資で一番大切な20の教え
世界最大級の資産運用会社の創業者が、長年にわたり顧客に送り続けてきたレターを元に、成功する投資哲学を伝授。


はじめに


そろそろリセッション等と言う声も出てきて、随分前から現金比率を高めて機会損失に陥っていたわけですが、改めて参入の時期が近いと見て、復習がてらこの本を再読してみました。
著者は、オークツリーというジャンク債などへの投資を得意とするファンドの設立者です。
といっても、そのような技術の本ではなく、投資哲学の本になりますので、どのような投資家にとっても有用な本です。

最も価値のある教訓が得られるのは厳しい時期だ。その意味で、いくつもの異常事態に遭遇してきた私は「幸運」であった。

そのような教訓が一冊にまとまっている本と言えるでしょう。

あらすじ


本書は、リーマンショックを初めとする様々な危機の中から筆者が学び取ってきた教訓であり、筆者の会社が発行した当時の顧客向けレターの抜粋を交えながら書かれています。
以下、ポイントを簡潔にまとめてみました。

リスク


リスクとは、一般により高いリスクを取れば高いリターンが得られると言われます。しかし、筆者はリスクの高い資産が確実に高いリターンを生み出すというなら、その資産は高リスクと呼べない。正しくは、より高いリターンを提示しないと資本が集まらない資産であると説きます。
つまり、リスクの高い投資とは、先行きがより不確か(リターンの確率分布の幅が広い)であり、リターンが低下もしくは損失が出る可能性が高いということです。

そして、リスク=損失の可能性は識別できるものではなく、生じた損失だけが識別可能です。良い環境というものは、その日に現実になる可能性のあった環境の1つに過ぎず、悪い環境が生じることはないということを示すものではなく、結果としてリスクコントロールは不要だったとしても、リスクをコントロールする必要がないということではないのです。


サイクルと振り子の概念


サイクルとは、好況から不況までに市場において発生する一連の流れを表します。
そして、その流れがあることを多くの投資家が忘れた時に、利益や損失が生み出される機会があるとします。

似た概念に、振り子があり、投資家の心理を元に恐怖と強欲といった相反する要素を軌道の両端とします。

これらの概念が示すことは、「いつ」「どこで」「何がきっかけで」ということを予測することができないとしても、行き過ぎた市場というものは、巻き戻されるタイミングがあるということを示します。
だからこそ、投資家は今現在において、どの地点にいるのかということを理解しなければなりません。


まとめ


重要なことは何度でも言うというスタイルで書かれているので、同じ事を違う表現や違う例で何度も繰り返されているスタイルが、くどいと見るとか重要なことなので…と見るかはその人次第ですが、如何なる分野の投資をするに当たっても、もっと言えば投資と関係ない人生にあっても役に立つ本ではないでしょうか。

それにしても、この本を読んで今に改めて意識をめぐらすと、今は金余りが過ぎてリターンに飢えている状態であり、「リスク軽視が広がると、より大きいリスクが生じる」ということに見事に当てはまっているように感じます。

となると意識すべきは、サイクルであり振り子なのですが、さてこれがいつどうなるかというとそれは難しいのです。
筆者がリーマンショックを危惧して2004、2005あたりに警戒のレターを出して、後から早すぎたというとおり、危機を感じてからそれが現実になるには一定のタイムラグがあるのです。
そこでバフェットの言うとおり、見逃し三振はないのだからずっと待てばよいと考えるか、機会損失があるから目先の損失は致し方ないとしてシステマチックに積み立てながらその時を待つのか。
これは、自分で決めなければいけないでしょう。

もう一つ。
サイクルや振り子について、人間がやることであり強欲と恐怖という心理があることによって成り立っている概念です。
今の時代には、過去の教訓を得た時代になかったAIやプログラムがあります。
では、もうサイクルや振り子の概念は、古いルールであり、今までとは違うのでしょうか。
しかし、相場が加熱し、反転する直前の最終番には、「今までと違う」と言われるものです。その意味では、常に過去の教訓に目をやって、今の状態を理解することにつとめ、その時に備えておくのは正解ではないでしょうか。

どこまで進んでも「お金を欲する」ところから投資は始まるわけで、全てを冷徹に進められる人間は一握りであり、冷徹に進められない人間が使うAIやプログラムは、むしろ振り子の動きを加速させる結果になるのではないかと愚考するのです。
2019年10月5日土曜日

コモン・センス(トーマス・ペイン著)

コモン・センス
アメリカの独立を「理」と「利」の両面から大胆かつ鋭く論じたトーマス・ペイン(1737‐1809)の『コモン・センス』(1776)は、刊行されるや空前のベストセラーとなり、その半年後に発表された「独立宣言」の内容に多大な影響を与えた。歴史を動かしたまれな書物の一つと評価されている思想史の古典。「厳粛な思い」「対話」「アメリカの危機」を併収。

はじめに


コモン・センスというと歴史の授業で多くの人が一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
アメリカ独立の気運を盛り上げ、独立宣言にも影響を与えた、歴史を動かした本です。
実際にその中を読んだことがあるという人はどのくらいいるでしょうか。

あらすじ


まずは、政府というものの起源と存在についての一般論を述べた後、当時の宗主国である英国の憲法について意見から始まります。
その後、王政と世襲制につてい痛烈な批判を加えます。
最後にアメリカの現状をまとめ、独立へ向けて論じていきます。

その中から、気になった箇所を見て行きます。

政府一般の起源と意図とについて、合わせてイギリス憲法について簡潔に意見を述べる


社会と政府とを混同してしまって両者の間にほとんど、いな全く区別をつけようとしない著述家たちがいる。ところが両者は違っているばかりか、起源からしても別なのだ。社会はわれわれの必要から生じ、政府はわれわれの悪徳から生じた。前者はわれわれを愛情で結合させることによって積極的に幸福を増進させるが、後者は悪徳を抑えることによって消極的に幸福を増進させる。

有名な言葉なので聞いたことがある人も多いでしょう。
本書は体系的な理論書ではないので、細かい理論は書かれていないのですが、感覚として理解できるのではないでしょうか。
社会というものは、人間が1人で生きていけないが故に、自然発生的に作られていったもので、これは人間にも動物にもあります。
しかし、人間には悪い者もいるし、そうでなくても利害や感情がぶつかったりすることもあります。
そこで、ルール(法律)を作って規制し、守らせるための存在が、政府でしょう。


王政および世襲制について


全く自然の理由も、また宗教上の理由もつけることのできない、もう一つの非常に大きな差別がある。それは人間を王と臣民に差別することである。男・女は自然が設けた差別であり、善・悪は神が定めた差別である。しかしある人間の一族がどうしてこの世の中に現れて、あのように他の人間の上に君臨し、新しい種族であるかのように区別されているのか(後略)

この後には、王と王政がもたらしたことが続いていきます。
今でこそ、王というものが前面に出るような統治形態は殆どありませんので、歴史の1ページとしてむしろ王が残っている国が美化されるような面もありますが、 実際にその統治を受け、さらにそれが善政ではなく戦争や搾取などの災厄をもたらすものであれば、このような意見になるのは当然だと思います。


われわれは王政の害悪の上に、世襲制の弊害を重ねてきた。王政がわれわれ自身の堕落であり、またわれわれを軽蔑するものであるとすれば、権利の問題として主張されている世襲制は子孫に対する侮辱であり、詐欺である。なぜならすべての人間は本来平等であって、だれも生まれによって自分の家族を永久に他のすべての家族よりも優越した地位におく権利をもつことは許されないからだ。(中略)王位の世襲権の愚劣さを示す最も有力な自然の証拠の一つは、自然がこれを認めないということだ。

王政と世襲制というのは、事実上一体かしています。個人的には、こちらの方が有害だと感じます。それに対して、「子孫に対する侮辱であり、詐欺である」というのは厳しい表現なれど、真を突いているように思います。
著者が指摘せずとも分かるとおり、ある人が持つ名誉なり財産なり能力は、必ず子孫が同じかそれ以上を持つわけではなく、人間を不適当な方向へ導くことが多いからです。
そして、最大の弊害は一度確立されると廃止が難しいということも指摘されています。

まとめ


今回は思想上重要だと思う点を挙げてみました。一方で、アメリカ独立への熱量を上げていくその文章は抜粋ではなく、全文を読んでみるべきだと思うので、是非本を手に取ることをおすすめします。

アメリカ独立戦争の頃に批判されているような轍を未だに踏んでいるのが、現在の日本のような気がします。
王政というものは、事実上経験していないようなものだと思いますが、一方で世襲というのは山ほど溢れかえっています。
確かに世襲というのは一定のメリットがあることは確かです。要するに英才教育がされる分得ではないか、帝王学というものがあると認めるということです。
しかし、実際にはどうだろうか。セクシーとかわけの分からないことを言っている中身の薄っぺらい大臣がいれば、それを任命したのは経済最優先と言いながら景気に大きなブレーキをかける増税・緊縮財政を続ける総理大臣という。
世襲を続ける毎に劣化しているのではないかと思う有様で、やはり文明の力の違いというものを感じる部分もあります。