2019年10月27日日曜日

組織を考える

普段、よく投資情報等の情報収集のため、他の方のブログを拝見する機会があります。
たぱぞう氏のブログに興味深い記事がありましたので、ご紹介と個人的に考えることをまとまりもなく述べたいと思います。
私は残念ながら今は組織から卒業をしてやっていく備えがないわけですが、日本の組織というものに対して思うことは似たようなものがあります。

最初に断りますが、私は組織というものを否定するつもりはありません。
技術も発達し、1人で出来ることというのは非常に増えました。そして、一人の天才が世の中を変えることが、昔よりもハードルが下がっていると感じています。
一方で、私を含めた凡俗の大衆が、皆1人でやっていけるかといえば、それは不可能なのではないでしょうか。

なぜなら、組織というのは、1人では出来ないことがある、可能ではあるがリスクが高いという自体に対応するために、人間が歴史の中で生み出してきた知恵の1つだからです。
今、ユーチューバーなりブロガーなりで生きている人々も、その収益を投資して増やし続けていれば大丈夫な可能性はありますが、一生1人でやっていけるのかといえばわからないです。その仕事の継続性という面では新しい企業と同じでトラックレコードがありませんので今後はわかりませんし、社会設計の中では不利な立ち位置ですから、今大丈夫でも将来のリスクは高いのかもしれません。
その意味では、多くの人にとっては未だに組織は必要なのです。

では、なぜこのような事態になのかといえば、「すでに組織は多くの個人の思いに寄り添えない時代」という先の記事の通りで、組織というものが現代に対応できていないのです。

私は組織というものの肝は、存在意義だと思います。
よくあるピラミッド式の組織でも最近よく出てくるフラットな組織(いわゆるティール組織)にしても、「何のための存在するのか」ということが必要です。
存在意義がその構成員や社会から認められないような組織というのは、一時的には株価の上下と同じように持て囃される時があっても、続くことはないのです。

自然に存在するものは、それが自然にあるわけですから、存在意義ということを考える必要はありません。しかし、人為的に作られるものについては、「自然ではない」以上、存在意義がなければ、人がそれを作る動機がないということになるわけですから、存在しないということになるわけです。

しかし、今の会社組織というものに対して、そのような存在意義を示せているかといえば、私は違うと思います。
つまり、惰性であったからあるという状態に成り下がっているのです。
そのような会社の構成員の殆どは「お金のために働いている」それ以上でもそれ以下でもないと考えているのではないでしょうか。ちなみに私もです。
そうであれば、経済的自由さえ得られれば、わざわざ会社に居る意味はないでしょう。
しかも、そのような組織で古い価値観を押し付けられれば、ますますそう思うでしょう。
だから、優秀な人から組織を去っていくというのは、当然のことです。

21世紀を生き延びる会社や組織を選ぶ時には、ぜひこの様な観点も頭の片隅において見てみようかと考えています。就職でも投資でも、続かないものに長期投資をしてしまっては、素人の私では絶対に勝てないからです。


私の言う古い価値観については、過去に述べていますので是非ご覧下さい。

封建的年功序列社会の限界