2018年8月25日土曜日

最後の握手 昭和を創った15人のプロ棋士(河口俊彦著)

将棋観戦記などを多く手がけられた河口俊彦八段の書籍で、どちらかというとトップ棋士ではなく、その裏で独自の個性を放った人が中心に纏められています。

大山、中原といった超一流棋士なぜ一流たるのかという点を、あえて及ばなかった棋士の目線から知ると共に、超一流になれなかったが故の人間的魅力が、読みやすい文体で伝わってきて面白い本です。

やはり印象に残るのは、大山が若手を潰していく様です。羽生さんとかだと絶対この様なことはしないんだろうなぁと思いつつ(勝負師というよりは将棋の真髄を目指すタイプですよね)、不快にならないように配慮された上手い文章で記載されています。
究極の勝負となると、人間が指すということが非常に重要で、その深層心理に「大山に勝てない」という意識を埋め込んでいったというのは、非情ながらも効果的な手であり、本人の実力があってこその話だと思います。
その意味で合わせて「大山康晴の晩節」の方も近いうちに読みたいです。

それに対するナンバー2として、山田道美、二上達也の名前が出ます。
この二人もまた対照的であり、独自の世界観を持ち、棋士一般と一線を画す山田と、人の良さで敵に回してはいけないと言われる二上。
研究に熱を上げたが最後の勝負で及ばなかった山田のエピソードは、何となく藤井猛てんてーを思い出しました。終盤がわからないから研究したというわけではないのでしょうが。山田については、「熱血の棋士 山田道美伝」も読んでみたいです。

また、55年組棋士の一人南芳一については、文面からも謎が伝わってきました。
黙して語らず、その上の世代からすると謎な存在であったのだろうと感じます。
華が一瞬しか続かなかった(それでも南は世代の中では一番タイトルを取っているが)ことも含めてやはり謎です。羽生世代が強すぎたというのが普通の解釈ですが。

現代の棋士も勿論人間的魅力はあるのでしょうが、著者の郷愁ということを差し引いても、昭和時代の棋士の魅力や気迫の鋭さが、やや物足りないのかもしれないという気になります。将棋にストイックな人が多いですからね。
ただ最善手をひたすら指していくだけなら、AIに取って代わられてしまうのではないか。そういう意味では、将棋にしろ囲碁にしろ、そのほかの人間がすること全般に言えますが、ヒューマンドラマ・エンターテイメントの要素がないと生き残れないのではないかと感じました。
その意味で昭和時代の将棋界というのは、一つ示唆を与えるのかもしれません。