まえがき
本書は「目に見えぬ侵略」で有名になったクライブ・ハミルトン教授の続編で、前作は豪州を舞台としたものでしたが、本書は欧州、アメリカ、カナダを主な舞台としています。
チャイナの工作における手法、ポイントは前作と同様ですので、今回は何故欧州が"堕ちた"のかという点について注目してみます。
要約
欧米の多くのビジネスマンが、支那との取引で稼いでいるか、または稼ぎたいと思っているために、中共は実質的にロビイストを雇っているのと同じだと指摘します。
支那の政府関係者が二国関係について少し暗示するだけで、彼らは北京を怒らせないよう自国政府に圧力をかけてくれる。「以商逼政」として知られています。
また、欧米でよくみられる政治的な間違いとして、「中国での長年の経験は大使になる人間にとって常に有利」という考えを指摘します。
例として本書で出てくるのが、ドミニク・バートンという駐支那のカナダ大使ですが、彼はマッキンゼーでアジア担当として上海に5年の滞在経験があるようで、中国開発銀行の諮問委員、清華大学の非常勤教授も務めるなどの人物であります。
このように欧米の政府は、支那とその有力者を知る過程で、既に北京の影響力工作の術中にはまっていると指摘します。このような大使は、実質的に北京のメッセージを送り返すだけのメッセンジャーの役割しか果たせなくなるのです。
「農村から都市を包囲する」というのは毛沢東の理論として有名ですが、中共は影響力工作でこれを実践しています。地方の政治家は、支那のことに詳しくなく、国家安全保障にも責任を持たないため、支那の純粋な民間組織を相手にしていると思い込み、実際に工作員や北京の機関に指導されている人を相手にしていることがあるようです。
経済的・文化的結びつきに焦点があてられ、政治的な要素が無いように装われていますが、必要があれば中央政府に圧力をかけるために利用するのです。
メディアも中共にかかれば党のエネルギーを広める機関となります。彼らのジャーナリズムという概念では、真実の唯一の決定者は党なのです。
習近平の演説では。「メディアは党の姓名を名乗るものでなければならない」と述べたそうです。この意味について、メディアは習近平の率いる家父長的な「党の家族の一員」であることを意味すると指摘します。
中共にとっては「文化」もまた政治的なものであったと指摘します。毛沢東主義のイデオロギーが後退した後の中共は、その支配を正当化するためにナショナリズムを選択しました。
さらに習近平政権になってから、「伝統的な文化を復活させる正当な保護者」というだけでは満足せずに、党が「正しい支那文化とは何か」を決定するようになったと指摘します。
考察
本書からわかることは、中共は自由主義圏では通常政治的な意図を持たないと考えられるような部分も含めて、隅々まで党の意思というものが含まれています。
しかし、自由主義圏はそのような発想がなく、政治的な「免疫力」について非対称性があり、かつそれを中共は認識した上で徹底的に活用しているために、このような影響力工作ができたのだと感じます。
楽観的に見れば、このような影響力工作はできなくなってくるとも見れます。かつて後進国だった支那は既に欧米から見ても大国であり、かつそれは単なる大国ではなく異質な、敵性国家である大国とみなされていく現状から、全体的に警戒が強まるでしょう。警戒が進めば、お金の流れは当然規制が進むわけで、中共の力の源泉の一つである「チャイナマネー」や支那の市場にビジネスマンが感じるポテンシャルも落ちます。
また、本書のように中共の影響力工作を暴く言論は、自由主義圏では封じることはできません。中共の云う「友好」や「チャイナ文化」等の欺瞞も信じられなくなり、人を動かせなくなるでしょう。
一見して自由主義というものの弱みがわかったように感じるかもしれませんが、本書の存在は、自由主義の強さを示していると私は思います。党が真実を決めるという権威主義体制では、誤りは正されることなく破滅まで突き進むか、誤りを認めた結果正当性がなくなって崩壊するかのいずれです。中共の行く末がどちらになるのかはわかりませんが。
このような自由主義の強さというものを活かすためには、自由主義圏のそれぞれの国民が真実を求め最善と考えられる行動をとる必要があるのではないでしょうか。
「目に見えぬ侵略」のご紹介はこちら。