2020年4月18日土曜日

金融の世界史(板谷敏彦著)

金融の世界史
シュメール人が発明した文字は貸借記録の必要に迫られたものだった。ルネサンス期のイタリアに生まれた銀行・保険業と大航海時代は自由な金融市場をもたらし、国家間の戦争は株式・債券の基を創った、そして今日、進化したはずの国際市場では相変らずデフレ・インフレ・バブルが繰り返される…人の営みとしての「金融」を通史として俯瞰する試み。


はじめに


TwitterのTLで紹介されていた本で、内容に興味を持ったので買ってみました。
古代メソポタミア以来の金融の通史を、比較的平易にかつ興味深いエピソードを中心に語られています。
特に投資家にとって有用なのは、後半の13章以降に書かれている第二次世界大戦以降の内容かと思いますが、今回は通史の中から私的に興味深い内容を取り上げます。
その意味では世界史の理解を深めたり、別観点から見るのにも役に立ちます。むしろ投資家よりも教養向けかもしれません。


ローマ法による財産権の確立


現代人にとっては常識ともいえる私有財産権ですが、社会制度として明確になったのはローマ法だそうです。
すべての形式の財産はひとりの明確な所有者を持つべきであり、その所有はそのような財産に関して契約関係を結ぶ資格を与えられる
その前から個人の財産権についてはハンブラビ法典やアテナイにもあったそうです。

一方、財産権が補償されないケースは、レパント沖海戦でトルコの司令官が軍艦に全財産を持ち込んでいた(留守宅に残せなかった)というエピソードや中世ヨーロッパの資産家の大半が国王に貸し付けたことにより破産したことが挙げられます。

しかし、これは当たり前とはいえず、第二次世界大戦後でも、ソ連や支那のような共産国家と西側の世界を二分するイシューであったともされます。


新大陸から流入した銀による「価格革命」


ギリシャやエジプトなどで蓄えられた金銀財宝は、アレキサンダー大王の遠征で集められ、軍団に報酬として地中海沿岸にばら撒かれ、それを元にローマの貨幣経済が作られたと考えられるそうです。
その後はヨーロッパで銀山開発などもあったようですが、スケールの違う大量の銀がスペインを通じて新大陸からヨーロッパへ持ち込まれ結果、スペインでは一世紀の間に物価が四倍になったそうです。
このような通貨量の増加によるヨーロッパの長期インフレを「価格革命」と呼びます。

この結果として、地代収入で安定していた領主層や最低限の生活をする下層の民衆は生活を脅かされた一方で、商工業の発展が促されたそうです。


ナポレオンとロンドン市場


ナポレオン戦争の勝敗の重大な要因として、筆者は英仏の資金調達能力を挙げています。

英国は、各種国債のクーポンや償還期間を統合した無限永久国債(コンソル国債)を発行し、元々低かった国債の流動性を高め、新たな投機家も加わることで売買の厚みをましていました。また、議会が主導権を握った後、一度もデフォルトしていないという信用がありました。
さらに、当時金融の中心地だったアムステルダムはフランスの衛星国になったことで衰弱し、最終的にアムステルダムをナポレオンが進駐したときに、資金の保全と自由を求める金融事業者を追放したことで、ロンドンが金融の中心地になりました。
同様にドイツのフランクフルトやハンブルクをナポレオンの占領により、ドイツ系ユダヤ人がロンドンへ移住していました。

その一方、フランスはルイ十四世以来デフォルトを繰り返しているため、国債には信用がなく、国債を使った戦費調達が困難でした。ナポレオンは占領地域からの賠償金で戦費を確保し、国債発行を控えて、均衡財政としたそうです。これで信用は回復したようですが、発行を再開できるほどではなく、最後は資金が枯渇したようです。


終わり


これらのエピソード以外にも興味深い内容が多数あります。
金融の側面からみたバブルの理由、第二次世界大戦の間の株式市場、チューリップバブルや南海会社などのバブルの歴史etc

まず重要なポイントとしては、金融というものは社会と不可分なものだということが理解できると思います。
投資をしていると、特にインデックス投資や先物等はそうですが、「何に対して投資しているのか」ということを忘れがちです。
しかし、金融とは社会と切り離された数学や確率の世界だけではないということを、金融の歴史は我々に教えてくれます。