将棋観戦記などを多く手がけられた河口俊彦八段の書籍で、どちらかというとトップ棋士ではなく、その裏で独自の個性を放った人が中心に纏められています。
大山、中原といった超一流棋士なぜ一流たるのかという点を、あえて及ばなかった棋士の目線から知ると共に、超一流になれなかったが故の人間的魅力が、読みやすい文体で伝わってきて面白い本です。
やはり印象に残るのは、大山が若手を潰していく様です。羽生さんとかだと絶対この様なことはしないんだろうなぁと思いつつ(勝負師というよりは将棋の真髄を目指すタイプですよね)、不快にならないように配慮された上手い文章で記載されています。
究極の勝負となると、人間が指すということが非常に重要で、その深層心理に「大山に勝てない」という意識を埋め込んでいったというのは、非情ながらも効果的な手であり、本人の実力があってこその話だと思います。
その意味で合わせて「大山康晴の晩節」の方も近いうちに読みたいです。
それに対するナンバー2として、山田道美、二上達也の名前が出ます。
この二人もまた対照的であり、独自の世界観を持ち、棋士一般と一線を画す山田と、人の良さで敵に回してはいけないと言われる二上。
研究に熱を上げたが最後の勝負で及ばなかった山田のエピソードは、何となく藤井猛てんてーを思い出しました。終盤がわからないから研究したというわけではないのでしょうが。山田については、「熱血の棋士 山田道美伝」も読んでみたいです。
また、55年組棋士の一人南芳一については、文面からも謎が伝わってきました。
黙して語らず、その上の世代からすると謎な存在であったのだろうと感じます。
華が一瞬しか続かなかった(それでも南は世代の中では一番タイトルを取っているが)ことも含めてやはり謎です。羽生世代が強すぎたというのが普通の解釈ですが。
現代の棋士も勿論人間的魅力はあるのでしょうが、著者の郷愁ということを差し引いても、昭和時代の棋士の魅力や気迫の鋭さが、やや物足りないのかもしれないという気になります。将棋にストイックな人が多いですからね。
ただ最善手をひたすら指していくだけなら、AIに取って代わられてしまうのではないか。そういう意味では、将棋にしろ囲碁にしろ、そのほかの人間がすること全般に言えますが、ヒューマンドラマ・エンターテイメントの要素がないと生き残れないのではないかと感じました。
その意味で昭和時代の将棋界というのは、一つ示唆を与えるのかもしれません。
乗りバス・乗り鉄・読書記録・投資などをテーマに、日々の記録を残してくことをメインとしています。
この年になってもう少し知的に生きようと思ったりしつつも、基本はまったりです。
2018年8月25日土曜日
2018年8月19日日曜日
人生も仕事も変える「対話力」 日本人に闘うディベートはいらない(小林正弥著)
心を動かしあう最強のコミュニケーション。「ただの会話では相手に伝わらない」「誰も教えてくれなかった」実践的メソッド。
以前に話題になったサンデル教授の本でも出てくる方の本で、コミュニケーション能力を求められる世の中で(それが本質的に必要かは別だと思いますが)、何かヒントがあればという気もありましたので、手にとって見ました。
ポイントとしては、対話と会話の違いを日々意識しているかというとそうではなく、対話をすることで相手から情報を引き出したり、解決策を導いたりする場面で、会話として一歩引いて得るべき果実を逃したりとかそういうことがあるのかなと思いました。
では対話とはどうするのか、そこで大事なのが「振り返り」であると。
日々生きる中で、自分の会話を後から振り返るということは、(少なくとも私には)なかったので、そこを意識することが肝要な気がします。
その中で、
- 聞くと聴くの違い
- 相手の考え方を理解したか
- 自分は考えていたか
- 間の取り方や、タイミングがよいか
- 相手に意識を向け、礼節を持って対応したか
それにしても何でも対話を求められる世の中は窮屈だし、悪影響を受けることもあるので、切り捨てることも大事だというのは確かにそうです。
ぜひそうしようとすると、9割くらい切り捨ててしまいそうな私ですが。
言われてみれば当然のことを気づかせる本というのは、見落としがちですが大事な本だと思います。
20180818乗りバス:所18-1、所52、泉30-2、泉39、泉38-2
比較的涼しい日になったのと、夕方から用事があったので、どうせならということで西武バスの1日乗車券で軽めに乗りバスしてきました。
電車で西武遊園地駅まで行き、駐車場から出るこのバスにまず乗りました。
西武ゆうえんちというと、子供のころに行ったことがありますが、既にちょっと寂れているような印象ですが、バスや電車で来る人は少ないような感じでしたが、駐車場は埋まっていました。プールなどもあるので、そちらにいくならやはりマイカーなのでしょう。
満車の駐車場を乗客一人で(帰る時間帯ではありませんしね)、発車したバスは、プールを横目に進みます。左手にゆうえんち、右手に住宅地というコントラストがあります。
次の西武園駅バス停が、本線の終点であり、ここは折り返し場に入っての、客扱いでした。
この先本線区間は、ほぼ絶えなく乗車があり、利用がそれなりにあります。
西武園駅を出るとすぐに埼玉県に入り、松ヶ丘のエリアは新興住宅地の模様です。
地名のとおりアップダウンとカーブが多く、バスの利用者が多いようです。
悲田処跡、将軍塚とバス停の名前には、歴史を感じますが、何も車窓からはわかりませんでした。
その先は、吾妻交差点まで、狭い住宅地を通り、ここは古くからの住宅地なのだろうと区画整理されている新興住宅地とのコントラストです。
そこを抜けると大通りとなりますが、道路規模より交通量が多く、流れが悪いまま所沢駅につきました。
行き先名が多いですが、志木駅までの長距離路線で乗ってみました。
途中の東所沢駅や跡見女子大止まりが多いので、1時間に1本程度の本数です。
所沢駅東口を出ると、西武池袋線を陸橋で越えて、小金井街道へ右折します。
この周辺は、やはり交通量が多く時間がかかります。
所沢駅周辺のバスが衰退していったこともこのあたりにあるのでしょう。
安松までは清66系統とも平行するため、利用者も多いのですが、少し前に件の清66系統が出発した後のため、通過していきます。
安松バス停の先で、清瀬方面へ行く小金井街道・清66系統と別れ、東所沢駅を目指します。
この先も道は広くならず、ロードサイド店も点在するため、あまり速度は上がらず、このあたりから乗降も増えます。
東所沢駅入口交差点から、左折し東所沢駅のロータリーに入ります。
ここで多くの客が降りて、いっきに空いてきます。バス停に人が待っていると思ったら、所沢方面の人ばかりでした。
その後、再び東所沢駅入口交差点に戻り、左折します。
つまり、元の道を真っ直ぐ進んだことになりますが、利用状況からすると東所沢駅へ寄るのは妥当でしょう。
本郷バス停から一気にのどかになり、畑か工場、高速のICが近いため物流拠点などが点在するようになります。
坂ノ下バス停の先で、浦和所沢バイパスへ入り、英インター交差点から、跡見女子大へよっていく格好となります。
このバスでは、跡見女子大よりも、一つ手前の中野バス停で高校生の乗降のほうが目立ちました。
跡見女子大は構内で客扱いし、折り返す形で先へ進みます。
ここから志木駅への新座営業所便もあるため、多少本数が増えます。
先ほど通った英インターを越え、大和田交差点を左折します。その後は県道109号、志木街道と進んで、新座市の志木駅に到着します。
この後は昼食休憩と、ひばり73系統と徒歩で新座営業所へ移動しました。
目的は、あえて出庫する大泉学園駅行になんとなく乗りたかったというだけですが、笑
入出庫というものは、意味が無くとも乗ってみたくなる不思議なものです。
新座営業所は、向いに団地があるため需要があるのか?結構入出庫便が充実しており、ひばりヶ丘・東久留米・清瀬・新座・志木・朝霞台・朝霞の各駅へ行けます。
ただ、本線が通る東久留米と朝霞台、辛うじて新座くらいしか実用性はなそうです。
大泉学園駅への入出庫便は、泉30系統(大泉学園駅北口~福祉センター入口)で、
福祉センター入口からは4バス停分だけが独自(といっても他系統は走っている)区間です。
営業所から乗る物好きは少ないのか、乗車時に大泉学園駅を告げたときに、乗務員氏が金額を入れる際に、少し戸惑い気味に確認していました。
言うまでも無く独自区間から乗る人はなく、私の次の乗客は、本線の終点である福祉センター入口でした。
ここは、折り返し場が整備されておりますが、この便はそこへ入らずに道路上のバス停で客扱いをします。
利用者も少ないまま進み、東京都へ入ります。
いきなりカーブに入って東京都になり、住宅地になるという、急激な変化です。
そして安定の狭隘路です。
大泉第三小学校を越えると、関越道の下を通ります。
そのため、坂下と関越学園通りのバス停は、側道上に存在します。
関越学園通りの交差点を右折すると、大泉学園通りに入り、ここは西武バスのドル箱です。とはいえ交通量も多く少し時間がかかりながら、大泉学園駅北口へ到着しました。
ちなみに、入出庫便はなぜ「30-2」なのかというと、「30-1」というレア系統が存在し、福祉センターの先、本多一丁目を平林寺方面へ右折し、久留23系統のルートで新座駅南口へいく便が、今のダイヤだと平日の昼に一本だけとなっています。
一度乗ってみたいものですが……。
※終点にて撮影
今度はただ乗ったことが無いというだけのチョイスですが、和光市駅へいく泉39系統です。
和光市は埼玉運賃のため、再びの申告制です。
途中大泉北中学校入口までは泉38系統と同じですが、路線図上は片側を通るとなっていないので、往復同じ道を通るようですが、行きしか乗っていないため、わかりませんでした。
このあたりは交通量と道幅が著しくつりあっておらず、時間がかかります。
さらに大泉ICもあるため、余計です。
大泉北中学校入口で、泉38系統とわかれ、外環道の側道に入ります。
ここは交通量が少なくスムーズに抜けました。
乗りおりも多く、利用者もまずまずのようです。
途中もみじ山のバス停の先で、外環道をまたぐ格好になるため、強烈な坂道があり、路線のハイライトとなります。
そして、側道へ戻ると埼玉県になります。ここで殆どの乗客は降りてしまっているため、埼玉側の利用実態は?ですが、よく見ると前に東武バスが人を拾っていったので、それのせいでしょうか。
司法研修所・税務大学校とお堅い施設のバス停が続きます。丸山台バス停で側道からわかれると、すぐに和光市駅につきました。
用事が済んだ後、入庫便の泉38-2に乗ってみました。
泉38-1と38-2は、それぞれ出庫・入庫便であり、過去の路線の免許維持もかねていると別の方のブログで拝見したのですが、本数が少なく時間帯が限られているため、貴重な存在です。
行き先表示をコレクションに入れたいのですが、LEDで夜間となると安物のデジカメでは太刀打ちができないもので困ってしまいます。
乗車の方は本線区間のバス停から、維持区間の大泉学園幼稚園前バス停を越えて、終点西武車庫まで乗りました。
夜間で普通の住宅地を走っているので、車窓で何かといわれるとコメントが難しいですが、マイナーバスに乗っているという感慨は味わえます。
第一走者:西武バス 所18-1系統 西武ゆうえんち~所沢駅
電車で西武遊園地駅まで行き、駐車場から出るこのバスにまず乗りました。
西武ゆうえんちというと、子供のころに行ったことがありますが、既にちょっと寂れているような印象ですが、バスや電車で来る人は少ないような感じでしたが、駐車場は埋まっていました。プールなどもあるので、そちらにいくならやはりマイカーなのでしょう。
満車の駐車場を乗客一人で(帰る時間帯ではありませんしね)、発車したバスは、プールを横目に進みます。左手にゆうえんち、右手に住宅地というコントラストがあります。
次の西武園駅バス停が、本線の終点であり、ここは折り返し場に入っての、客扱いでした。
この先本線区間は、ほぼ絶えなく乗車があり、利用がそれなりにあります。
西武園駅を出るとすぐに埼玉県に入り、松ヶ丘のエリアは新興住宅地の模様です。
地名のとおりアップダウンとカーブが多く、バスの利用者が多いようです。
悲田処跡、将軍塚とバス停の名前には、歴史を感じますが、何も車窓からはわかりませんでした。
その先は、吾妻交差点まで、狭い住宅地を通り、ここは古くからの住宅地なのだろうと区画整理されている新興住宅地とのコントラストです。
そこを抜けると大通りとなりますが、道路規模より交通量が多く、流れが悪いまま所沢駅につきました。
第二走者:西武バス 所52系統 所沢駅~志木駅
行き先名が多いですが、志木駅までの長距離路線で乗ってみました。
途中の東所沢駅や跡見女子大止まりが多いので、1時間に1本程度の本数です。
所沢駅東口を出ると、西武池袋線を陸橋で越えて、小金井街道へ右折します。
この周辺は、やはり交通量が多く時間がかかります。
所沢駅周辺のバスが衰退していったこともこのあたりにあるのでしょう。
安松までは清66系統とも平行するため、利用者も多いのですが、少し前に件の清66系統が出発した後のため、通過していきます。
安松バス停の先で、清瀬方面へ行く小金井街道・清66系統と別れ、東所沢駅を目指します。
この先も道は広くならず、ロードサイド店も点在するため、あまり速度は上がらず、このあたりから乗降も増えます。
東所沢駅入口交差点から、左折し東所沢駅のロータリーに入ります。
ここで多くの客が降りて、いっきに空いてきます。バス停に人が待っていると思ったら、所沢方面の人ばかりでした。
その後、再び東所沢駅入口交差点に戻り、左折します。
つまり、元の道を真っ直ぐ進んだことになりますが、利用状況からすると東所沢駅へ寄るのは妥当でしょう。
本郷バス停から一気にのどかになり、畑か工場、高速のICが近いため物流拠点などが点在するようになります。
坂ノ下バス停の先で、浦和所沢バイパスへ入り、英インター交差点から、跡見女子大へよっていく格好となります。
このバスでは、跡見女子大よりも、一つ手前の中野バス停で高校生の乗降のほうが目立ちました。
跡見女子大は構内で客扱いし、折り返す形で先へ進みます。
ここから志木駅への新座営業所便もあるため、多少本数が増えます。
先ほど通った英インターを越え、大和田交差点を左折します。その後は県道109号、志木街道と進んで、新座市の志木駅に到着します。
この後は昼食休憩と、ひばり73系統と徒歩で新座営業所へ移動しました。
目的は、あえて出庫する大泉学園駅行になんとなく乗りたかったというだけですが、笑
第三走者:西武バス 泉30-2系統 新座営業所~大泉学園駅北口
入出庫というものは、意味が無くとも乗ってみたくなる不思議なものです。
新座営業所は、向いに団地があるため需要があるのか?結構入出庫便が充実しており、ひばりヶ丘・東久留米・清瀬・新座・志木・朝霞台・朝霞の各駅へ行けます。
ただ、本線が通る東久留米と朝霞台、辛うじて新座くらいしか実用性はなそうです。
大泉学園駅への入出庫便は、泉30系統(大泉学園駅北口~福祉センター入口)で、
福祉センター入口からは4バス停分だけが独自(といっても他系統は走っている)区間です。
営業所から乗る物好きは少ないのか、乗車時に大泉学園駅を告げたときに、乗務員氏が金額を入れる際に、少し戸惑い気味に確認していました。
言うまでも無く独自区間から乗る人はなく、私の次の乗客は、本線の終点である福祉センター入口でした。
ここは、折り返し場が整備されておりますが、この便はそこへ入らずに道路上のバス停で客扱いをします。
利用者も少ないまま進み、東京都へ入ります。
いきなりカーブに入って東京都になり、住宅地になるという、急激な変化です。
そして安定の狭隘路です。
大泉第三小学校を越えると、関越道の下を通ります。
そのため、坂下と関越学園通りのバス停は、側道上に存在します。
関越学園通りの交差点を右折すると、大泉学園通りに入り、ここは西武バスのドル箱です。とはいえ交通量も多く少し時間がかかりながら、大泉学園駅北口へ到着しました。
ちなみに、入出庫便はなぜ「30-2」なのかというと、「30-1」というレア系統が存在し、福祉センターの先、本多一丁目を平林寺方面へ右折し、久留23系統のルートで新座駅南口へいく便が、今のダイヤだと平日の昼に一本だけとなっています。
一度乗ってみたいものですが……。
第四走者:西武バス 泉39系統 大泉学園駅北口~和光市駅南口
※終点にて撮影
今度はただ乗ったことが無いというだけのチョイスですが、和光市駅へいく泉39系統です。
和光市は埼玉運賃のため、再びの申告制です。
途中大泉北中学校入口までは泉38系統と同じですが、路線図上は片側を通るとなっていないので、往復同じ道を通るようですが、行きしか乗っていないため、わかりませんでした。
このあたりは交通量と道幅が著しくつりあっておらず、時間がかかります。
さらに大泉ICもあるため、余計です。
大泉北中学校入口で、泉38系統とわかれ、外環道の側道に入ります。
ここは交通量が少なくスムーズに抜けました。
乗りおりも多く、利用者もまずまずのようです。
途中もみじ山のバス停の先で、外環道をまたぐ格好になるため、強烈な坂道があり、路線のハイライトとなります。
そして、側道へ戻ると埼玉県になります。ここで殆どの乗客は降りてしまっているため、埼玉側の利用実態は?ですが、よく見ると前に東武バスが人を拾っていったので、それのせいでしょうか。
司法研修所・税務大学校とお堅い施設のバス停が続きます。丸山台バス停で側道からわかれると、すぐに和光市駅につきました。
おまけ
用事が済んだ後、入庫便の泉38-2に乗ってみました。
泉38-1と38-2は、それぞれ出庫・入庫便であり、過去の路線の免許維持もかねていると別の方のブログで拝見したのですが、本数が少なく時間帯が限られているため、貴重な存在です。
行き先表示をコレクションに入れたいのですが、LEDで夜間となると安物のデジカメでは太刀打ちができないもので困ってしまいます。
乗車の方は本線区間のバス停から、維持区間の大泉学園幼稚園前バス停を越えて、終点西武車庫まで乗りました。
夜間で普通の住宅地を走っているので、車窓で何かといわれるとコメントが難しいですが、マイナーバスに乗っているという感慨は味わえます。
2018年8月12日日曜日
大手新聞・テレビが報道できない「官僚」の真実(高橋洋一著)
新聞やテレビの報道では、連日のように「森友学園問題」や「加計学園問題」を取り上げている。しかし、一向に真相が見えてこない。なぜか。それは、これらの問題の裏には、官僚たちが必死で隠そうとする「不都合な真実」があるからだ。本書では、元財務官僚で霞が関を知り尽くす著者が、官僚の御用記者になってしまったマスコミでは報道できないニュースの真相を明かす。
一部界隈を除けば、もはや目にしたくない「モリカケ」でありますが、最終解決を図るべく、手にとって見ました。
その点については、個人的な何も真新しいことはなく、あえて述べることもしません。
他の本や人も書いていることだろうとは思いますが、官僚が政治・マスコミを支配する構図というのが平易に描かれており、著者の主張を含む面もあるにせよ、国民が知っておくべきことがあるように思います。
日頃の政治の児戯に等しい騒動とは別に、今の日本を操るものの正体の一編は、やはり官僚なのだと思います。
その中で大きな力を持つ財務省、その実力とカラクリが中の人の視点で描かれています。
特にマスコミや有識者の飼い慣らし方は筆舌に尽くしがたいです。
個人の倫理や道徳を語るのは理想主義ではありますが、あえていうならこの連中には日本人として誇りは無いのかと呆れます。
特にマスコミや有識者の飼い慣らし方は筆舌に尽くしがたいです。
個人の倫理や道徳を語るのは理想主義ではありますが、あえていうならこの連中には日本人として誇りは無いのかと呆れます。
加計問題もありますが、官僚が許認可権を持つということがやはり基本的に間違っていると改めて思います。
特に、本書の中にあった医師や獣医師の需要予測に基づく不認可というのは明らかに不合理で、過剰な学部は市場原理で淘汰されまることになるのですが、果たして官僚制は市場原理よりも優れているのでしょうか?それは本書を読む限り有り得ないでしょう。
筆者と私の決定的な見解の相違は、地方分権です。
官僚の力をそぐには、中央集権を打破し、地方分権にしていくのが望ましいと。
それは真実の面もあるかと思いますが、いまの地方にそのような気概や能力があるのか、ここはとても疑わしいです。
もちろん中央集権制で封じ込まれている面があるとは思いますが。
あとは、これから衰退する日本を、どうやって軟着陸させて、再浮上させるかとなると、捨てるものの選択が出てきます。それを地方任せにすることはできないでしょう。
個人的には、官僚の国益より省益・既得権益の姿勢や、それに飼い慣らされるマスコミや有識者、群がる政治家と利権団体、このような構図は、教育の荒廃が根底にあるのだろうと、明治期と現代の比較では感じます。
個人的には、官僚の国益より省益・既得権益の姿勢や、それに飼い慣らされるマスコミや有識者、群がる政治家と利権団体、このような構図は、教育の荒廃が根底にあるのだろうと、明治期と現代の比較では感じます。
「広辞苑」の罠 歪められた近現代史(水野靖夫著)
広辞苑といえば、一定の権威がある(とされている)辞書であり、一冊で国語辞典から百科事典にまで使えるという便利(とされている)な辞書であります。
私は広辞苑というものをさほど触れたことが無いが(年代的な問題もあります)、如何に酷いかというものを見てみたく、借りて読んでみました。
一言で書籍の中身を要約すると、「広辞苑には、連合国(WGIP)や支那、朝鮮のプロパガンダがふんだんに使われており、日本を徹底的に貶めている」ということになります。
著者の歴史認識を全て肯定するわけではないですが、日本人ならこんな認識・記述は絶対ないなと思うばかりです。
まぁ、正直なところ岩波書店という発行元の素性を鑑みれば、別段おかしくはなく、少なくとも百科事典としては権威足り得ないということは、わかりきっているわけですが、それを知らない人向け、もしくはそのようなプロパガンダを笑い飛ばしたい私のような人へのエンターテイメントとしては、意義があるのかなと感じます。
さらに、基本的には版を重ねるごとに、加速度的に記述が左傾化・先鋭化しており、敗戦利得者が跳梁跋扈していた時代より記述がおかしくなっているというのは、恐ろしいものです。
近現代に絞っているので、それ以前の時代はどうなるかというところも気になりますので、そちらへ焦点を当てた本も読んでみたいところです。
想像するまでもなく、それ以前の歴史もデタラメでしょう。
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