2023年5月7日日曜日

日本が成長しない理由

はじめに


日本が成長しない理由について、最近色々なデータや情報収集をし、政治の動きも見て考えに至ることがあったので、久々にこのブログでお気持ち表明をしておこうと思いました。


増税大好き


日本(の政治家と官僚)は異常に増税が大好きです。当たり前のことですが、増税は景気を冷やします(=成長を妨げる)。こんなことは消費税増税の効果を見れば、小学生でもわかることです。

もちろん、景気が過度に過熱しているときに(どこからが過度かという議論はありますが)、冷やすことが必要なことは理解できますし、再配分や社会的に望ましくないことへの抑止(例としてはアルコールとタバコ)として、税が必要なことも言うまでもありません。

しかし、日本の場合は、景気の状況や社会的に抑止すべきかどうかとは無関係に、財源が無いからという理由(本当に正しい?)で、増税論が常に渦巻いています。

今も防衛費を上げなければいけない(何故上げる必要があるのかについては本項の趣旨と反するため省略しますが、過去記事とかで書いていると思います)ということで、「防衛増税」なんてパワーワードが出現したりしています。



上記の記事もそうですが、この人たち本当に増税好きだなぁという感想しかありません。もちろん、増税以外にも防衛費を確保する手段はあります。それがメディアで出ているかは別として。こちらは既にTwitterで述べましたので、それを引用します。一連のスレッドをご覧ください。


上記②に相当する、所謂埋蔵金は髙橋洋一氏等が指摘されており、外為特会(そもそも変動相場制の国が介入資金を大量に確保しているのがおかしい!)や国債の償還費(60年償還ルールは日本のみ)という箇所が有力視されています。もちろん、直ちに全額が現金として出現するものではないとしても、3~5年程度の防衛費の差分は確保できると言われています。


また、予算カットにしても、最近炎上しているColaboなる女性支援の委託費問題など(これは東京都の問題も含みますが)、国民目線で見た時無駄なものというのはいくらでもあります。当然一部の人にしか恩恵が無い予算もあり、それを多数決で潰していくのが正しいのか?という問題もあります。方向性を示せば、下記のいずれかになると思います。

  • 必要な事業だけど無駄が多い「手法」を改善するもの。
  • そもそも税金で行う必要がないものを無くすこと。

前者は、主にデジタル化を指します。一時期ハンコをどうするかなんて話題もありましたが、紙ベース・書類ベースのものをデジタル化していけば、基本的により少ない人員で同じアウトプットが出るというのは、民間では当たり前に行われていることです。そのようなインセンティブが政治家や官僚の側になかったこと、そのようなサボタージュに対して監視の行き届かない国民が居た事で、ここまで致命的にデジタル化・効率化が進まなかったのではないでしょうか。

後者については、悪夢の民主党政権で「事業仕分け」として断行された結果、必要なものが消えていって日本の国際競争力を失わされたということもありました。

金額の多寡に関わらず徹底的に議論されるべきですが、特に個人的に問題意識があるのは医療費です。もちろん、健康保険の制度自体が不要なんて極論を言う気はありません。しかし、今の医療、とりわけ高齢者医療については、問題があると言わざるを得ないわけです。医療というのは、それを受けることで健康な状態を取り戻して本来出来るであろう生活に戻ることで、QOLを上げるというのが本来の趣旨です。

その観点から考えると、そもそも衰えに起因するようなものに治療をしてもお金と時間をかけて、QOLは上がらないということになるわけです。参考資料として、医療費がいつかかるのかという点をみてもらいたいのですが、殆どの場合寿命の末期に多額の医療費がかかると思います。それって当然じゃない?と思われるかもしれませんが、何のために医療を受けるのかという観点に立ち返るとおかしくないでしょうか。若くて体力があるときの病気ならば(全てではないにせよ)、治療を正しく行えば、元の生活(に近い形)に戻れます。その後の人生の年数を考えれば効果的が高いわけです。高齢者になってからの病気は、治療しても元の生活に戻れる期間は短いですし、そもそも戻れないケースも多いのです。

(こういう話は嫌われると思いますが)生産者ではない高齢者にお金をかけて治療を施しても生産力には貢献しないという点も見過ごせません。

つまり、私は「その医療は健康保険で行わなければいけないのですか?」と問うているのです。言い換えれば、憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」の最低限度はどこなのかという事になります。

最低限度はどこか?その上でどこまでは社会便益上、健康保険で行う価値があるのか?どこからは「贅沢品」なので、自己負担で行うべきなのか。議論の余地はあると思います。


国債については、もうマクロ経済学を無視して、企業や家庭の「借金」と国債を同一視している(としか思えない言動)からしてお察しという感じです。そもそも防衛力をはじめとする国家の基礎インフラは今を生きる国民だけに必要なものではなく、また受益も同様です。未来に生まれる国民も含めて、皆に等しく必要なものである以上、その負担も完全にではないにしろ応分にしていかなければいけません。増税で賄うということはすなわち今を生きる国民にのみ負担をさせるということを示しますが、なぜそうでなければいけないでしょうか。これを「マナー」とか言ってしまう議員もいましたが、その程度の見識で国会議員を務めていることそのものが、国民に対して「失礼」と言わざるを得ないものであります。


このことについて、首相や税調等増税を主導する勢力が十分に説明し、増税以外の選択肢がないと示したとは私には思えないわけですから、増税好きだなぁという感想に至るわけです。

これがなぜ日本が成長しない理由に繋がるのかと言えば、増税の蓋然性が高すぎることで投資がされなくなるのです。増税をすれば景気が冷えるわけですが、このようにしょっちゅう増税議論が沸き起こり、隙あらば増税ということでは、その度に景気が冷え込む等の理由によって自社の製品やサービスが売れなくなると考えるのは自然なことです。近い将来冷えるとわかっているところに対し、新たな投資をしようとする人はいますか?

当たり前ですが、景気が冷えれば需要が減るわけで、そこで投資した結果増えた生産能力が丸々余ることになれば、投資資金を回収できないどころか、倒産のリスクになるわけです。しかし、投資なしで成長するのかと言えば、それもないわけです。


また、常に増税について景気動向を全く無視して進めてきたことも言えます。増税が景気を冷やすことは理論的にもデータでも明らかなわけですから、当然やむを得ず増税をするのならば、それに耐えるだけの景気であるのか。あるいは景気が過熱しているために、冷やす必要性があるのかということが、当然議論されるべきなのですが、何故かこの国では税制は財源問題にだけ紐づいており、経済的な側面を無視してきました。数少ない例が安倍氏の消費税増税の延期ですが、最終的には増税は実行され、結果は見ての通りということになります。


場当たり的な給付・補助が多い


増税と密接に関わるというより、むしろ表裏一体とでもいうべきかもしれませんが、ずっと成長しない異常事態が続いているため、ちょっと何かがあると「景気対策」を打たなければいけなくなります。

それ以外にも少子高齢化や東京一極集中等様々な課題があり、それらに対応するためにも給付・補助は沢山行われています。

問題は、これが本当に最も効率的かつ適切なものなのかという点について甚だしく疑問があるのです。例えば、内閣府のサイトで経済政策の給付金を見てみると住民税非課税世帯に対し、複数の給付金が行われているようです。

生活が困窮している人に対し、急場をしのぐための給付金をするということ自体については、否定するものではありません。しかし、住民税非課税世帯に限るというや給付金の事務手続に係るコストという点では、適切かというとそれは納得しかねる部分があります。


政策の効果検証がなされていない


Colaboを始めとするWBPC問題等の福祉政策でもそうですし、経済政策でも同じだと思うのですが、日本の政治・行政は効果検証が適切に行われているのか甚だしく疑問であります。

この点はTwitterでも触れました。

WBPCはさすがに例外中の例外と思いたいですが、政府支出に対する適切な効果検証ができていない、無駄な支出が多い(+緊縮財政)で適切なインフラ投資ができなかった結果、成長できていないのではないかと考えています。

また、効果検証が適切にできないということは、予算の段階で投資を行うとして、どれが一番費用対効果の高いものであるのかということも適切に判断ができないと思われます。

なぜ、このようなことになっているのかと思えば、官僚組織における無謬性の問題があるのかと思います。要するに、過去にやったことを否定してはいけないという文化で、これの存在は元官僚の論客が指摘されていることです。

無謬性と効果検証の相性が極めて悪いことは、誰が見ても明らかでしょう。効果検証をすれば、当然誤りや改善点が出てくるでしょうし、場合によっては事業中止もあり得ます。そうなれば誰かが責任を取る事態になることも考えられ、これが一番官僚が嫌うものなのでしょう。

しかし、社会におけるリソースは有限である(たとえいくらお金があってもお札を食べるわけにはいかないから労働力には限りがある)以上、効果がないものは辞めて、より効果がある(と考えられるもの)にリソースを回すのは当然なわけです。

このような「選択と集中」というやり方は、日本の大企業が犯してきた多数の過ちを連想します。しかし、それ自体は問題ではなく、選択と集中した対象が間違っていたということ、失敗した事業とこれから芽吹く事業の違いが判らなかったという点で、経営者が悪かったにすぎず、どのような組織においても「選択と集中」自体は必要となる場面があるものと思います。

少なくとも日本政府には、国防・インフラ投資・基礎研究・アウタルキーの確立等の緊急性の高い重点投資分野が存在する一方、年金・医療・福祉においては出費が年々嵩んでいるという課題があります。特に将来世代においても受益があるものは国債発行も進めていくべきでしょうが、すでに行っている政策の効果検証を進め、WBPCのような無駄な支出をなくすることも同時並行で進めるべきでしょう。


余談ですが、リフレ派・積極財政派の中には、緊縮的だから支出削減は辞めろという声もあります。私はこれには反対します。積極財政自体は現下の状況においては必要ですが、お金をドブに捨てるような、日本の生産力の向上に繋がらないような支出を増やすことは、過度なインフレに繋がります。トータルで政府支出がマイナスにならないようにすればよい話であって、効果のないものに支出するというのは全く適切ではないと思います。

もう一つ余談ですが、先般統一地方選が行われました。私の住む地域でも選挙がありまして、正直あまり地方行政に興味関心はないのですが、左翼系候補を落とすために選挙に行くだけは行くことにしています。それはさておき、選挙公報を見ていますと、当然現職の候補は実績を強調します。しかし、内容を見ていますと、

  • 小中学校にエアコンを設置しました!
  • 何とかの駅前を交通状況を改善しました。
  • ××給付金を実現しました。
とか似たり寄ったりなものです。中身の是非は別として、私が言いたいのは、これって地方議員の実績なんですかね?と。それを決めたのは議会であったり首長ですし、実際に作業したのは議員ではなく職員や業者でしょう。とすれば、所詮は何十人もいる議員の一票であったわけで、それは貴方の実績ですか?と思いました。そういう全体として決まったことよりも、その議員にしかできない提案や監視こそが実績なのかなと思います。地方議員だけではなく国会議員もそうですが、彼らも実績の効果検証が必要ですね。


失われた30年の総括が官民で行われていない


効果検証に通じる話ではありますが、バブル崩壊以後になぜ日本が成長しないか、各企業が他国に負けていったのかという点が、総括されて国民に共有されているかといえば、そうではないかなと思います。

様々な要因があるため、一つの原因に絞ることは無理だとは思いますが、個人的に気になるのが相変わらず日本からの支那・朝鮮を始めとする他国への技術・ノウハウ・情報流出が止まらないことです。

バブル時代は、白物家電から半導体まで日本は非常に有利な立場でした。日本の工賃は成長に応じて高くなる以上、一定の工場が国外の労働力が安い国へ流れること自体は防ぐのは難しかったと思います。しかし、実際はそういうレヴェルに止まらず最先端技術を含めて、多くの貴重な技術が、技術協力や人材流出、産業スパイ等の様々な手段で他国へ流出し、日本企業のグローバルにおけるシェアに大きな打撃を与え、いまや日本人が日本国内で買おうとしても支那製しか買えないという事態になっています。

仮定の話にはなりますが、以前に「地政学の思考法」におけるハシゴを蹴り倒す戦略を国家レヴェルで忠実に行い、当時の先進的技術を他国へ一切出さず、そこから上がる収益を新たな研究や生産性向上に投資していれば、半導体のシェアは未だに日本がトップであり、日本抜きでの世界の発展はないことになりますし、日本が輸出を止めれば支那の軍拡もできないということで、全く違う世の中になっていたのだと思います。まあ、軍事力が皆無なので実際は難しかったと思います。日米半導体協定のようなものに抗うことが難しいため、もっと早い段階で(少なくとも70年代頭には)軽武装で経済成長に全振りするという政策は改めないと完全にハシゴを蹴り倒せなかったでしょうが。

このことだけを考えても、当然日本は他国への技術流出について敏感になっているはずですが、実態は全くそうではなく、スパイ防止法は未だにできず、産業スパイについても緩いわけでして、これは官民で失われた30年の総括がされていないため、国民の間で技術流出を防がねばならないという意識が低いことに起因するのではないかと思う次第です。


また、別の教訓としては(別にこれは失われた30年を総括せずともごく当たり前のことですが)、近隣国や産業構造の近しい国を支援してはいけないということもあります。

支那にいくら日本が支援したのかは、もはや考えたくもないくらいですが、リターンは何かといえばボコボコになった日本企業と日常的な軍事的挑発、そして街に溢れる五月蠅い支那人です。南朝鮮についても、日本の安全保障上のパートナー……になることはなく、ダンピングとパクりで日本企業を弱らせ、反日活動を世界で繰り広げ、未だに賠償を要求する国際条約違反を繰り返し、国際的な脅威である北朝鮮に支援を続けるという始末。

この2国は特にたちが悪いのかもしれませんが、そうではなかったとしても近隣国を支援するのは安全保障上リスクが極めて高いです。


注釈


途中まで書いていたお気持ち表明に、後から足したため文の繋がりが良くない点、一部重複する内容がある点ご容赦ください。