2019年11月25日月曜日

他人を気にしないことが真の自由である

個人的になぜアーリーリタイヤが目標としての価値の持つのかということを考えていた時に、ふと浮かんだこととして、「他人を気にしなくて良い」ということがあるのだと感じました。
これは、アーリーリタイヤをすることで真に実現できる目標である一方で、アーリーリタイヤを目指す上で必要なステップの一つです。私なりの考えを通じて何らかの人生のヒントになれば幸いです。


他人とは何か


まず本題に入る前に、「他人」という言葉の定義を述べておきます。
辞書的な意味とは別に、本稿における「他人」とは、
自発的に関わろうと考えない人
です。
この「自発的に」がポイントで、家族とか友人以外でも、付き合いがある事で何か学べるとか楽しい時間を過ごせる、自分一人ではできない体験をできるといったメリットがある人は、「他人」ではありません。
しかし、私も含めた一般人の日常においては、会社の同僚などのビジネスの付き合い、近所の人や通勤電車とかで絡んでくる人といった物理的に接近している存在、果ては「匿名」や「平均」といった実物か幻かわからないような存在まで、必ずしも「関わりたい訳ではない人」がそれなりに居ます。

もちろん、その中にも素晴らしい方は居ると思いますし、そういう人は「身内」の側にカウントすればよいでしょう。
しかし、そのような人は稀であり、実際には人付き合いのうちの大部分は「関わりたい訳ではない人」が占めているのではないでしょうか。


アーリーリタイヤこそ、真に他人から解放される手段


アーリーリタイヤとは、基本的に会社などの拘束力の強い給与所得もしくは他人と行う事業所得以外の、配当所得や貯蓄などで未来までの生活を成り立たせることができるものと捉えています。場合によっては、嫌なら辞めてもいい程度の軽い仕事も含むかもしれません。

この場合においては、ビジネス上付き合わなければいけない人はいないか、居たとしても自分が望まなければ容易に切り捨てられる段階ではないかと思います。
一定のお金の自由があるので、隣人が不快ならすぐ引越しもできるし、通勤電車のような不快な移動手段を強制されることもなくなるでしょう。

つまり、アーリーリタイヤで得られるのは、単なるお金や時間だけではなく、付き合う人を選別することができるという「権利」ではないかと考えます。

残念ながら筆者はアーリーリタイヤを実現できていないので、理想主義的な部分が目立つとは思います。


他人と比べて得るものはない


アーリーリタイヤ成功のポイントの一つであり、真の解放のために必要なことは、他人と自分を比較することを辞めることです。
競争することによって伸びる分野や能力もあるから、全てを否定するわけではありません。
しかし、不必要に比べることは有害なのです。一例を挙げると、
  • 能力や実力を向上させることを放棄し、他人の足を引っ張る
  • 他人に比較することによる、コンプレックスやストレス
  • 他人の目を気にすることにより、自分のしたいことができない
  • 他人との競争のために、不必要な時間やお金、労力を使ってしまう
などが考えられるでしょう。
これは、人間の本能に反する部分があるため、決して容易ではありません。

一番良いのは、必要な部分では競争し、そうでない部分ではスルーするいいとこ取りです。でも、それは難しいのです。だから、ばっさり他人と比べるのは辞めてみるというのが先決です。


人間関係の断捨離は、幸福に直結する


このような他人との付き合いをバッサリ切り捨て、他人の目をシャットアウトすることは、お金と時間の節約になります。
服や装飾品、化粧等の見た目にかかわるお金、付き合い自体にかかる交際費とそれにかかる時間がごっそり浮くというのは大きいことです。
我々の生活の中で、食費や光熱費をゼロにするということは全く非現実的な話ですが、このようなお金はゼロにしても、生活は成り立つし、幸福感は減りません。

アーリーリタイヤを実現するためには、お金の節約がとても重要です。
しかし、幸福のためにはお金だけではなく、時間も大事です。時間は唯一全ての人間に等しく与えられている限られた資源です。これだけは、どんなお金持ちであっても増やすことが出来ないのです。
その貴重な資源を手軽かつ確実に増やす唯一の方法が、人間関係の断捨離なのです。