2018年12月29日土曜日

道をひらく(松下幸之助著)

道をひらく
戦後ベストセラー第2位!510万部突破の超ロングセラー!!運命を切りひらくために、日々を新鮮な心で迎えるために―。人生への深い洞察をもとに綴った短編随筆集。普遍的な言葉の数々が心に響く。昭和から平成へ、時を越えて読み継がれる国民的愛読書。


前書き

日本人なら知らない人はいないである、松下幸之助氏の著書です。
自身の体験を元に書かれた短編の随想集で、読みやすく明快で味わい深い、全日本人必読といっても過言ではない本です。

その中から特に有益と思う部分を、私の考察を交えて記載します。

運命を切りひらくために


人生は真剣勝負である。だからどんな小さな事にでも、生命をかけて真剣にやらなければならない。もちろん窮屈になる必要はすこしもない。しかし、長い人生ときには失敗することもあるなどと呑気にかまえていられない。これは失敗したときの慰めのことばで、はじめからこんな気がまえでいいわけがない。真剣になるかならないか、その度合によってその人生はきまる。
真剣にあまり生きていない私がこの言葉を挙げるのは、如何なものかということですが、それでもあえて挙げるのは、真剣になるべき人がなっていない世の中ではないかという問題意識があってのことです。失敗は当然あるものですが、真剣になった結果の失敗と漫然な失敗では大きな違いがあります。しかし、今の日本の失敗はいずれだろうかと考えると真剣に国や社会のことを思ってのものではないのではないかと思うわけです。

死を恐れるのは人間の本能である。だが、死を恐れるよりも、死の準備のないことを恐れた方がいい。(中略)与えられている生命を最大に生かさなければならないのである。それを考えるのがすなわち死の準備である。そしてそれが生の準備となるのである。
与えられている生命を最大に生かす(=真剣である)ことは、死の準備であり生の準備であるということでしょうか。生の準備という言葉が気になりました。

日々を新鮮な心で迎えるために


自分の周囲にある物、いる人、これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である。
逆の目線から考えるとわかりやすい気がします。人の態度や印象で、自分の反応も大きく変わると思います(もちろん機嫌の良し悪しはありますが)。
だからこそ、周りが自分をどう見ているかを謙虚に受け止めることも大事なのです。
それと同じ位、人から見えないところも同様に、いやそれ以上に心の鏡なのではないでしょうか。
日本人の美徳であった謙虚が失われた世の中だけに心がけたいものです。

変わることにおそれを持ち、変えることに不安を持つ。これも人間の一面であろうが、しかしそれはすでに何かにとらわれた姿ではないあるまいか。
刻々と動くのが宇宙の大原理なのに、人間が変化を恐れて、現在にとらわれる姿を自然で
はないと見抜いています。現代の経営者からはとても感じられない泰然自若な姿勢です。

おたがいそれぞれに完全無欠でなくとも、それぞれの適性のなかで、精いっぱいその本質を生かすことを心がければ、大きな調和のもとに自他ともの幸福が生み出されてくる。(中略)男は男、女は女。牛はモーで馬はヒヒン。繁栄の原理はきわめて素直である。
この内容は二つの見方があり、上層から見れば個々の本質を生かすマネジメントをするべきということであり、下層から見れば自分のできることを精一杯やろうということだと思います。何気ない文章かもしれませんが、最後の記述が現代社会への痛烈な示唆だと感じます。

同じことを同じままにいくら繰り返しても、そこに何の進歩もない。先例におとなしく従うのもいいが、先例を破る新しい方法をくふうすることの方が大切である。(中略)失敗することを恐れるよりも、生活にくふうのないことを恐れた方がいい。
今の日本は「生活にくふうのないこと」を全く恐れていないことが、社会の問題の根底にあるのではないでしょうか。工夫がない、変化がない、どちらも楽ではあります。しかし、楽に流れることが、すなわち衰退ということかもしれません。

ともによりよく生きるために 


多く受けたいと思えば多く与えればよいのであって、充分に与えもしないで、多く受けたいと思うのが、虫のいい考えというもので、こんな人ばかりだと、世の中は繁栄しない。
この文章に解説はいらないくらい、ずばりそのままのシンプルな内容です。
従業員や株主に還元する(与える)をしないで、多く受けたい(内部留保)という今の日本企業を痛烈に批判しているようです。
一方、我々庶民にとっても、いいものを適切な値段で買う(与える)ことをせずに、とにかく安く買いたい(受ける)というばかりでは、日本経済は冷え冷えになり、さらに支那や東南アジアなどに富が流出していく(工場移転)わけであります。

約束はお互いの信用の上に花ひらく。だからこれらの約束を守るか守らないか、人間の精神の高まりを示す一つのバロメーターであって、道義とか道徳というものも、こうしたところにその成果の如何をあらわしてくる。自分に都合が悪くなったからといって、平気で約束を破るというのは、これはまさに動物の世界。人間だけが、おたがいにかわした約束は、これをキチンと守る天与の高い精神の働きを持っているのである。
残念ながら、今の世の中は動物が跳梁跋扈しており、「悪貨は良貨を駆逐する」の状態に見えます。功利を越えて、約束を守れることが道徳なわけですが、それがまさに失われた結果の社会ということでしょう。

みずから決断を下すときに


進むもよし、とどまるもよし。要はまず断を下すことである。みずから断を下すことである。それが最善の道であるかどうかは、神ならぬ身、はかり知れないものがあるにしても、断を下さないことが、自他共に好ましくないことだけは明らかである。
断を下すということを避けることが非難されない世の中になっている、むしろそれが特定の人の利益につながっていて、停滞が続いているように感じます。
決断を下すことは容易ではなく、失敗すれば責任を取るからこその、政治家・経営者といった職の重さ(報酬含め)であることを自覚願いたいものです。

いかに適確な判断をしても、それをなしとげる勇気と実行力とがなかったなら、その判断は何の意味ももたない。
 本当にその通りで、下すだけでもダメということを人は忘れてはいけません。断を下すことに熱中するとよくあることではありますが。

困難にぶつかったときに


世間にはめくらの面もたくさんある。だから、いいかげんな仕事をやっても、いいかげんにすごすことも、時には見のがされてすぎてしまうこともある。つまりひろい世間には、それだけの包容力があるというわけだが、しかしこれになれて世間をあまく見、馬鹿にしたならば、やがては目明きの面にゆき当たって、身のしまるようなきびしい思いをしなければならなくなる。
仕事ぶりは天下に露見しないことも多く、悪い仕事をしていればいつか露見してしっぺ返しを受けるし、評価されずに悲観していてもよい仕事をしていれば見つけてもらえるということです。実際、しっぺ返しを食らう人が現代は多いので、意識を高く持って生きたいものです。

自信を失ったときに


ものには見方がいろいろあって、一つの見方がいつも必ずしもいちばん正しいとは限らない。時と場合に応じて自在に変えねばならぬ。心が窮屈ではこの自由自在を失う。だからいつまでも一つに執して、われとわが身をしばってしまう。身動きならない。そんなところに発展が生まれようはずがない。
私見だが、一つの見方に疑問を挟まないのが強い、軍隊式・ピラミッド式の組織・社会というのは、戦場という異質な特定の場に対応したもので、社会の発展とはまた別のものだと思います。しかし、日本は停滞はこの点にあると思うので、重ねて取り上げています。

仕事をより向上させるために 


働くことは尊いが、その働きにくふうがほしいのである。創意がほしいのである。額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。怠けろというのではない。楽をするくふうをしろというのである。
今の日本は、楽をするくふうというのを軽視しています。しかし、そのような小さなくふうを進めていくことも、またイノベーションなのであるし、改めて見直したいものです。

事業をよりよく伸ばすために


ただ成果をあげさえすればいいんだというわけで、他の迷惑もかえりみず、しゃにむに進むということであれば、その事業は社会的に何らの存在意義ももたないことになる。
非常に厳しい一言だと思うのですが、人間の存在意義というものを改めて考えます。「他の迷惑もかえりみず、しゃにむに進む」という場合、その辺の意識がそもそも自己にしかないわけで、知性の無い野獣と罵るのは簡単ですが、そのような人間ばかりの世の中をどうするのか。そういう社会的に意義のある事業ができればいいのですが、非才の身には、しがないブログでぼやくが如く書くしか思いつかないのが現状であります。

金は天下のまわりもの。自分の金といっても、たまたまその時、自分が持っているというだけで、所詮は天下国家の金である。その金を値打ちもなしに使うということは、いわば天下国家の財宝を意義なく失ったに等しい。
一般的には「(お金は回るものだから)貧富は固定しない」といった意味を言う言葉ですが、ここでは「(お金は回るものだから)自分だけのものではなく、社会のものだ」ということになります。
だから、お金を使うことは自分のでも会社のでも、天下のものとして慎重になれと説くのです。この境地に達している人は、果たしてどの程度いるのかと思いますが、貧乏ながら心に刻んでおこうと思います。

自主独立の信念をもつために


教えずしては、何ものも生まれてはこないのである。教えることは、後輩に対する先輩の、人間としての大事なつとめなのである。その大事なつとめを、おたがいに毅然とした態度で、人間としての深い愛情と熱意をもって果たしているかどうか。
多くの人が忘れがちなことですが、我々自身の祖先を含めた多くの先賢があり、その中で知識のリレーを繋いできた結果としての現代社会です。我々が一代で作ったものではなく、またそれは不可能であるということ考えれば、教えるということの重大さが理解できます。残念ながら、自分の知識は自分のものと言う視野狭窄に陥る人はとても多いです。

生きがいある人生のために


教えの手引きは、この体験の上に生かされて、はじめてその光を放つ。単に教えをきくだけで、何事もなしうるような錯覚をつつしみたいと思う。
先ほど教えの重要さを説かれていましたが、それに関わることで、教わる側の謙虚さも説いています。それが最も明確なのがここではないでしょうか。
教えをきくだけで理解した気になるのではなく、教えを自分のものとするため努力せよとしています。

国の道をひらくために 


時代は変わった。人の考えも変わった。しかし、信念に生きることの尊さには、すこしも変わりは無い。いや今日ほど、事をなす上において信念を持つことの尊さが痛感されるときはない。為政者に信念がなければ国はつぶれる。経営者に信念がなければ事業はつぶれる。(中略)誇りを失い、フラフラしているときではない。
為政者に信念が無く潰れそうな国に住み、経営者に信念がなく潰れた事業が溢れる今日の日本を見ると、これほど痛く沁みることはないのではないでしょうか。
武士道の国だった日本は、すっかり骨抜きの薄っぺらい国になり、そのような世代が舵取りをするようになった結果が、失われた30年です。そういう意味では、40年、50年となることは、もはや避けがたいのかもしれない。そのことを一人でも多くが自覚し、日本再生の信念を掲げて生きる他はないだろうと思います。

日々の暮らしの上でも、あまりにも他を頼み、他に求めすぎてはいないか。求めずして己を正す態度というものを今すこし養ってみたい。個人としても、団体としても、また国家としても。そこに人間としての、また国家としての真の自主独立の姿があると思うのだが
日本人は組織に頼りすぎていて、日本国は世界に頼りすぎている。それはある意味民族的傾向なのではないかという分析もありますが、果たしてそうだろうか。自主独立というと大きなことに思われるが、氏の指摘の通り小さなことで変わるように思います。


終わりに

人間として考えるべきことが、とても読みやすい文体・内容で書かれており、その中で氏の深い教養が伺え、また説得力もあります。

内容としてはビジネスマンに向けたものだと思うのですが、私は小学校高学年くらいの子供からでも充分に読めると思い、また現代の過酷な競争生活へ身を投じる前に、自身の存在意義というものを知ってもらう機会を与えるこの本は有用に思います。
もちろん、何歳から読んでも遅いというものではありませんので、是非一度手に取っていただきたい一冊です。
2018年12月25日火曜日

20181222:久大本線、鹿児島本線、長崎本線、唐津線、筑肥線

九州遠征の三日目です。

久大本線 由布院~日田



6時45分の始発で、日田へ向かいます。
しかし、ご覧の通りで真っ暗でした。

由布院を出ると、次の野矢まではかなり距離がありました。約10分ほどでしょうか。
トンネルも何箇所かあり、峠を越えて隣の九重町に入ります。
野矢では乗り降りはなく、次の豊後中村から高校生が乗ってきます。土曜日の早朝から大変な通学です。さらにその次の引治からも。
ローカル線の早朝便によくある通学列車というやつです。
あまり騒ぎたてられなければ、別にいい困ることはないのですが、ロングシートの車両なので、何分混みすぎて立つようになると困るわけです。
都会では見かけない素朴なJKが近くにいる(かもしれない)のは、都会の寂しげなおじさんにはよいものですが。

二駅先の豊後森からもさらに乗ってきまして、少し混雑してくるのですが、このあたりで日の出ということで周りが見えるようになってきました。
豊後森から先は国道210号に並行する形になります。

その先の天ヶ瀬駅は、天ヶ瀬温泉が駅の近くにあり、河原に温泉があるとか。
さすがに列車の車窓からはそこまではわかりませぬ。
こういうところなら、外国人とか少なくてもよいのかもなぁと思いつつ、旅の性質上温泉旅館は使いづらいんだよなぁと。夕食・朝食が決まっていても、それより後や前になるケースはざらですしね。事前に趣旨とか説明しておけば対応してくれるんですかね。
某バス旅の蛭子さんじゃないけど、楽だし安牌だからビジホにしたくなるんですよね。過去には煩くて寝れないことも何度かありましたけども。ケチりすぎはいけませんな。

その後は小さい駅を2つ挟んで、日田に到着します。
日田では多くの学生が降りてゆき、私は向かいで待つ久留米行きへ移動します。

久大本線 日田~久留米



今度はボックスシート車で心配ないのですが、結論からいうと久留米駅手前までほぼ混雑と無縁でした。

日田を出て二つ目の駅が夜明で、ここから日田彦山線が出ているのですが、今のところ不通区間があり存廃が気がかりなものです。
この付近は久大本線も不通の時期があり、車窓からなおも工事の後があり、まだ爪あとが残っています。


夜明の次の筑後大石から福岡県になります。
福岡側は左右共に山が見えますが、なだらかな平野部を列車は進みます。


相変わらずの曇天が続きます。
筑後大石から3駅目の田主丸から久留米市に入ります。
河童の伝説があるとかで、この田主丸という駅は河童推しのようで、


このようなものがホームから見えます。後でwikiで見ると駅舎も河童だそう。
町おこしの一環なのでしょうか。

その先も御井までは長閑な田園風景が続き、そこからは久留米市の市街地が近づき乗り降りが増えると鹿児島本線・新幹線との乗換駅である久留米市に到着します。

鹿児島本線 久留米~鳥栖



見慣れてきた813系9両編成で小倉行きが来ました。
次の目的は唐津線なので、佐賀駅までは移動のターンです。
久留米市は福岡ですが、博多まで行くのにはJRだと必ず佐賀県を通るようになっています。

久留米駅を出るとすぐに筑後川の橋梁があり、その先は佐賀県鳥栖市です。


橋梁は、このように写り込みが起こるので撮るのが難しいです。速度的に見てなんとかできるものでもないし、撮り直すにも一瞬なので。それでも、この筑後川は長いのでチャンス自体は2,3回はあるでしょうか。

次の肥前旭を過ぎると、九州新幹線と別れて鳥栖駅に着きます。

長崎本線 鳥栖~佐賀



写真はLEDが変わる前ですが、肥前鹿島行に乗りました。
二両ワンマンで座席が埋まる程度の混雑で出発します。

次の新鳥栖は新幹線の下にある小さな駅という感じ。新幹線ができた後に作られた、そのための駅です。

この後も佐賀平野の比較的長閑な感じが続きますが、そこそこの乗り降りはあります。
吉野ヶ里遺跡も鉄道から近いところにあるのですが、それと事前に確認していてもあんまりよくわからなかったです。うとうとしていただけかもしれませんが。
30分ほどで佐賀へ到着します。

唐津線 佐賀~鬼塚



佐賀駅からは唐津線の列車が出ています(厳密には久保田までは長崎本線)。
30分以上前にホームにいったら早速キハ47系がいたので、色々撮影して、本を読んでと時間をつぶしました。

佐賀駅を出ても引き続き、平野に田園地帯が続きます。
鍋島の次にはバルーン佐賀という臨時駅があり、このあたりでバルーンフェスタというのがあるそう。
平野が広がっていて障害物が少なく見通しがいいという地理的特性などもいかしたイベントなのでしょう。

その次の久保田から唐津線へ分かれます。
丁度、奥に真っ直ぐ進んでいるのが、長崎本線の長崎方面です。



唐津線に入ってからの最初の駅は小城で、ここで佐賀からの学生が降りていき、閑散ムードが高まります。
次の多久市に入ると、山が見えてきて、少しずつ登っていくような感じになります。
といっても険しさはありませんが。

厳木駅から唐津市になります。ちなみに、きゅうらぎと読むので、これは中々の難読な駅名です。このあたりは、国道203号と並行しますが、そちら側ではしきりにバイパスの案内が出ているので、高速バスが走っていて劣勢なのかなと、閑散とした車内で思います。
いつも思うのですが、鉄道は民営化して自立(できているかは微妙)を要求する一方、道路はバンバンできるというのは、なんとも偏っていて、やはり環境とかを考えるとむしろマイカーを抑制していく方へシフトした方がよいので、却って鉄道をはじめとする公共交通機関に税を投入していくのが望ましいのではと思うわけです。
勿論、過疎ローカル線を何でも残せばいいというわけではないのですが、民間(になった)会社の中で内部補填をしてローカル線を残すと言うやり方は、そう遠くないうちに崩壊すると思います。企業体力の問題や株主からの圧力がありますしね。

相知と本牟田部の間で、筑肥線の伊万里方面が合流してきます。本牟田部には、唐津線側しかホームはなく、乗換はその次の山本で行います。
本来なら山本で降りるのですが、何もない山本で20分待つより、松浦川沿いで景観のよい次の鬼塚で10分待つ方がよいので、もう一駅のります。


鬼塚駅も駅前には国道があり、後は駐輪場があるくらいの寂しい駅です。
よそ者が降りるには変な場所ですが、ここで唐津からの筑肥線列車を待ちます。
(乗換はあくまでも山本基準なので、唐津ではこの列車が着き次第発車するため、唐津まで行っては伊万里行きに乗れないと考えられます)

筑肥線 山本~伊万里、伊万里~唐津



伊万里行は、唐津~山本間は唐津線を走り、山本から伊万里までが筑肥線です。
ここか単純往復しか手がありませんでした。バスもあるのですが、速度も変わらず、なにより鬼塚~唐津間が空いてしまうので。

山本で唐津線とわかれても、しばらく並走し、この区間には本牟田部という駅があるのですが、ホームがないのでスルーして、すぐに筑肥線が登っていき、唐津線を跨ぎます。



この先は長閑な山間を、進んでいきます。


途中は、大川野と桃川が利用者が多く、他の駅は2,3人程度いるかといった具合でした。
伊万里は、三セクの松浦鉄道もありますが、今回はスルーして往復で唐津へ行きます。

筑肥線 西唐津~姪浜



まずは唐津から西唐津まで1駅を乗ってから折り返します。
唐津駅周辺は高架化されており、西唐津周辺は住宅街といった感じです。
西唐津の先には唐津の車両基地があります。

唐津駅を出ると、先ほど乗った唐津線と別れ、そのすぐの地点に和多田の駅があります。
和多田と東唐津の間で松浦川を渡りますが、ここで唐津城が見えました。
東唐津の先からは地上になり、虹の松原と呼ばれるエリアに入ってきます。
この地点を走っている時は、展望はないのですが、この先の浜崎を過ぎたあたりでカーブするので、このあたりで海の先に見えるようになりました。


浜崎を出るとすぐに、福岡県糸島市に入ります。
筑肥線の姪浜~西唐津は、1時間ほどの区間なのですが、実は福岡市・糸島市・唐津市しか通っていなかったりします。

ここから筑前深江あたりまでが、玄界灘が望める区間ですが、郊外路線ということで次々と人が乗ってきます。
その先筑前前原が糸島市の中心で、これ以降はボタン式で開閉するドアが自動になり、2駅先の周船寺から福岡市に入り、毎駅多くの人が乗ってきます。
姪浜からは、福岡市営地下鉄に入り、天神・博多を経由して、福岡空港に行きます。
2018年12月24日月曜日

20181221:鹿児島本線、日豊本線、久大本線

九州遠征の二日目です。

鹿児島本線 博多~小倉



博多駅から快速の門司港駅行になります。
まずは、門司港まで乗ってしまおうという魂胆です。
吉塚までは昨日と同じで、千早、香椎、福工大前までが福岡市内で停車する駅です。
9両編成で走り、やはり本線の利用者の多さがわかります。

福岡市内を出て、古賀、福間までも、マンションの建設が進んでいたりもあり、まだまだベッドタウンの様相です。
福間と言えばこの前、竜王戦があった光の道で有名な宮地嶽神社が近くにあります。それを示すようなモニュメントみたいなのがありました。

その次の東郷と赤間は、世界遺産の沖ノ島で知られる宗像市です。あまり興味がないのですが、観光地にするには難しい類の場所(上陸禁止・女人禁制等)なので、そっとしておいた方がよかったんじゃないかと個人的には思います。金目なんですかね。寂しい時代です。

赤間から先は、福岡市から離れていることもあり、長閑な感じになります。
次の海老津は時刻表上通過なのですが、運転停車を始めました。
あれ?と思っていると、ドアまで開き始めるではないですか。
どうもダイヤ乱れのようで、快速運転を辞め、さらに小倉行きになるという。
どうしてくれるんだ……。

嘆いても仕方ないので、各駅停車になって旅は進みます。次の遠賀川駅の先で、遠賀川を渡ると、水巻町に入り、北九州市はもうすぐです。
北九州市最初の駅、折尾は昨日も通った筑豊本線との交点。駅の構造は結構複雑です。
次の陣原はあまり人がいませんが、黒崎からは都会です。左手は工場群が、右手は商業施設やマンションが続きますが、その奥にはすぐ山が続きます。皿倉山や帆柱山というそうで、聞いたことがあるといえば、小倉競馬場の特別レース名ですね。

スペースワールド駅は、駅から右手にアトラクション(の跡)が見えるほど近いです。反対側の左手には、現在も八幡製鉄所があります。


その先は戸畑を経由して、小倉駅につきます。
小倉から門司港へはダイヤも乱れているようで、この後の日豊本線のことを考えると中津行への乗り過ごしは許されないことから、安全のため断念し、一本前で中津へ行って唐揚げ食べて待つことにしました。

日豊本線 小倉~中津



日豊本線は、途中の行橋や新田原止まりが多いので、中津までは1時間に1本程度になります。
西小倉までは鹿児島本線と並行で、そこから分かれて南へ向かいます。まだしばらくは、北九州市の郊外部が続きます。
城野からは日田彦山線が別れていきます。朽網までが北九州市で、次は苅田町に入ります。このあたりは、北九州の通勤圏内であると共に、工場が目立ちます。
海沿いに工場があるようで、線路は少し離れた内陸を走ります。
行橋市に入ると、商業施設やマンションなどが少しずつ増え、行橋駅からは田川線が出ています。その次の南行橋までは住宅地で、新田原からかなり緑が目立つようになってきます。
実際本数もここからは減ります。

椎田から先は海が近くなり、周防灘が一望できる…とはいかず曇天なので、あまり展望が利きません。反対側を見ると田畑が目立ち、遠くには福岡と大分の間の山が聳え立つのですが、こちらもあまり。
そんなことで列車に身を預けていると、山国川を渡って大分県へ。


すぐに中津の駅につきます。
中津は近年唐揚げで有名になっていますが、福澤諭吉のゆかりの地(中津藩の下級武士)でもあります。


日豊本線 中津~大分



表示が幸崎行きに変わる前に、人が並んでしまったので、とりあえずこれで。
中津から先は、途中の宇佐・柳ヶ浦止まりも多く、普通列車の本数が減少します。
そのため、この13時台を逃すとぴったり4時間は宇佐を越える便がないため、このあたりはネックになります(それでも宗太郎越えより遥かに楽ですが)。

余談ですが、この815系は可愛い目(ライト)をしていますね。


中津を出ると市街地は続かず、すぐに緑が目立つ模様になります。
中津と宇佐にわたるこのエリアは農業が目立つ穀倉地帯のようです。
地元の人がちょこちょこ降りていく程度の乗降数で、「本線」ながらもローカルな雰囲気が濃いです。(その横を特急が抜けていきますが)

柳ヶ浦は、宇佐の手前ですが、かつては機関区があった名残なのか、運用上の拠点になっていて、始発・終着の列車があります。
ただ、鉄道の機能上の問題で、当地の雰囲気としてはあまり目立つものではありません。

一駅挟んで次が宇佐駅。あまりここが中心という印象は、車窓からも地図からも受けないですが。駅名票のデザインが凝っているのが印象に残ります。


名所の宇佐神宮を意匠化しているのですが、カラーリングなどを工夫して、遠めにはU.S.Aの国旗っぽさを醸し出しています。
U.S.Aというと、駅から向かいの山を見ると……


すごくどこかでみた感じですね。ええ。

次の西屋敷が宇佐市の最後で、ここから山を越えて杵築市に入ります。
丁度国東半島の付け根あたりの、山と山の間みたいな感じです。
ところで……まちがい探しを一つ。


西屋敷と立石の間は、上下で線路が別の場所を走っていて、大分方面の列車は長大トンネルで峠を越えていきます。

その先の大神駅で停車時間があったので改めて。


次の日出駅からは海沿いに出ます。
この区間は国道10号とも並行しており、海→国道→線路といった感じが続きます。
亀川駅から別府市に入ると、ムードが一変して、乗車してくる人が増えてきます。

左手には別府湾が、左手には遠く由布岳が望める予定でしたが、天気と混雑でどうも。
別府は温泉地として栄え、観光客も多いです。

別府市の次は大分市に入ります。丁度境のところに高崎山があり、お猿の山として有名です。ニュースでよく聞く名前ですが、ここにあるということはそこで初めて知りました。入口の近くを通るのに、アクセスする駅はないので、バスなどで向うしかありませんが。

高崎山を過ぎると西大分駅があり、目的地の大分駅につきます。列車はその先幸崎まで向かいますが、今回は久大本線へ乗換です。

久大本線 大分~由布院



※写真は終点で撮影。

今度は単行ワンマンのディーゼルカーで由布院へ。
単行の割りに並んでいるので撮影の間もなく、クロスシートがある進行方向右手の座席を確保しました。

3駅先の賀来駅くらいまでで結構降りたので、立っている人は殆ど居なくなりました。
そこまでが大分の郊外に該当するところで、その先は長閑な山間のローカル線の様相です。

実際のところ、雨と霧で全くの視界不良で、なおかつ進行方向右手は崖の区間も長く、どうにも見えているものが少ないのであまり書くことがありません。

別府~由布院のバスもあるので、そちらもあわせて再チャレンジできる機会があればと思います。

ちなみに、折角なので温泉にと思い、由布院に泊まったのですが、大きなミスでした。
風情ある温泉街は、ただの外国(恐らく多くが朝鮮・韓国、あまりチャイナ系は居ない模様)と化しており、日本語がたまに聞こえると少し安心してしまうような、まるで外国にでも来たかの如き状態でした。
有名な温泉地だから外国の方にも魅力があるのかもわかりませんが、日本人が日本を観光してストレスを溜めたり、不安になるようでは意味ないと思うんですけどねえ。
後は単純に、観光地というのはあまりにも寂れているのまずいとはいえ、人が多すぎてはいけないというのもあるでしょうか。非日常感が、日常に近づいてしまいます。いかにも東京在住者の発想で恐縮ですが。

皆様もお出かけの際は、どの程度外国人観光客が来ているか、把握されると安全かと思いますよ。あまり気にされない方でしたら、問題ないかと思いますが。
2018年12月23日日曜日

20181220:鹿児島本線、篠栗線、筑豊本線、香椎線、福岡市営渡船、西鉄バス21、370

二日の休みを取って、九州北部を回ってきました。
初日は、福岡県内を回ります。

福北ゆたか線(篠栗線、筑豊本線) 快速 博多~直方



博多を出ると、吉塚までの一駅区間は鹿児島本線を走行します。
ワンマンの3両電車の横を、鹿児島本線の8両や新幹線が通るので、少し窮屈な気持ちになります。
博多や吉塚から結構人が乗っているため、意外と混んでいます。
しかし、次の柚須や長者原で早速降りていくので、混んでいるのは最初だけでした。
車窓は結構住宅が目立ち、福岡市のベッドタウンということなのでしょうか。

長者原は上を香椎線が走りますが、そちらは後程。
線名にもなっている篠栗でまた人がおり、ここからは山深くなっていきます。
快速の次の停車駅は城戸南蔵院前。ここは、トンネルの手前の小さめな駅で、かなり山深くなってきたなと感じます。
その長いトンネルで山を越えると、飯塚市に入り、筑前大分の駅に止まります。

その次の桂川からは筑豊本線に入ります。筑豊本線自体は、若松から原田ですが、桂川から先は今のところバス代行になっていて、通る場所をみると今後が気がかりになる感じです。
運用としては、ほぼ博多~新飯塚・直方が一体となっているので、篠栗線・筑豊本線というのは、全く意識されなくなっています。

飯塚駅は、新飯塚駅より市の中心っぽそうな感じがありましたが、それよりも本数や車両数に見合わない、錆びついた鉄道設備の巨大さが寂寥感を禁じえません。
飯塚といえば元総理の人がいますね。麻生グループの文字がやはり目につきます。

新飯塚駅は、後藤寺線との分岐駅。この辺の路線は一筆書きで乗るのが難しいので、手間がかかるなぁと、計画立案時に考えていました。
同じく目立つのが巨大な鉄道設備。かつての炭鉱輸送の遺産ですが、ワンマン電車で足りる現況では、空虚な限りで、サイズダウンして新規にといっても、それまた投資になるので難しいのでしょうか。

新飯塚から直方までは、田畑の中に小さな駅があるというと言い過ぎですが、それに近い印象を受けました。
直方市に入ると、すぐに平成筑豊鉄道が傍にやってきて、直方駅につきます。
直方駅には、魁皇関の銅像があるのですが、乗り換え時間がないので見るのは諦めました。

筑豊本線 直方~折尾




直方を出ると再びワンマン電車の若松行で、鹿児島本線との交点である折尾を目指します。
若松~折尾が非電化のため、蓄電池で動く車両が投入されています。
乗ってみると電車と変わらないというか、電化区間なので実際電車として走行しているわけですが。

直方を出ると、となりを並行する県道にはロードサイド店が点在しますが、それ以外は田畑がめだつ長閑な感じが引き続いています。
筑前植木の先では、筑豊本線の上を九州自動車道と新幹線が走っています。
中間市に入ると、再びまた遠賀川を渡り、少しずつ賑やかになってくると、少し複雑なホームの折尾に到着します。

鹿児島本線 折尾~香椎


二日目の記事を参照。

香椎線 香椎~西戸崎



香椎線は特徴的な起点と終点が共に盲腸線となる路線です。
今回はあえて単純往復はしない方向で予定を組みました。
まずは、香椎から西戸崎まで向かいます。
いきなりキハ47系に変わって、重厚な感じになります。(物理的に)
こちらも来年とかには畜電車に変わるそうなので、良かったのか悪かったのか。
静かになるのはいいけど、オールロングシートになると、どうも通勤電車感がぬぐえないのと、クロスシートやボックスシートなら混雑しても片方向は車窓が見れるのですが、ロングシートは他人しか見えなくなるので、困るんですよね。誰もいなければどっちでも大差ないんですが。抗えない世間の流れですね。

香椎を出るとしばらく鹿児島本線に並行し、離れて高度を上げ鹿児島本線と国道を跨ぎます。
その先は西鉄貝塚線との乗換駅となる和白につきます。


今度は西鉄線が上を越えていくので、その下を進み、奈多、雁ノ巣と進みます。
奈多あたりから、海の中道に該当するエリアにはります。
かなり海に近いところですが、福岡中心部への通勤圏内だからか、マンションなども目立ちます。
雁ノ巣を過ぎると人家はなくなり、防砂林のような感じの緑と県道59号の間を進み、海の中道の施設の中に、海ノ中道駅があり、その次が終点の西戸崎です。
西戸崎にもマンションがあったりして、意外な場所ながら、住宅地が広がっているなと思いました。
西戸崎には、鉄道の他に西鉄バスや市営渡船がありますが、時間も合うので今回は市営渡船で志賀島へ行くことにしました。

福岡市営渡船 西戸崎~志賀島




市営渡船は、博多港から来ているのですが、結構な人が乗っていて、そしてそのほとんどは西戸崎で降りていきました。
陸路を行くバスや鉄道は、どうしても大回りになるのでフェリーは距離的に有利なこともあり、フェリーが有利な面もあるのでしょう。

数人になった市営渡船は、西戸崎を出て志賀島を目指します。
いったんバックする感じになって、西戸崎をくるっと回る形で志賀島を目指します。
晴れていると遠く、博多の都心までよく見えそうなものですが、残念ながら曇天でぼんやりと見えるかという程度です。




天気の面では残念でしたが、少し冷たい程度の海風が気持ちよく、15分ほどで志賀島に到着します。

客船待合室の前に志賀島のバス停がありますが、40分ほどあるので、志賀海神社へ寄った後、始発の志賀島小学校まで歩きました。



西鉄自動車事業本部 21系統 志賀島小学校~天神



写真は終着についたところです。
この後、志賀島小学校の前の道の先に駐車場でバスは休憩をとって、戻ってきました。
時間的にこれ以上暗くなると撮影が困難なのと、路上バス停で時間もなさそうなので、この写真で我慢。

始発バス停で待っている人は他に居ませんでした、先ほどの市営渡船の待合所の向いにある志賀島バス停から、数人が乗車し、その先の志賀島橋を渡ると海の中道へ戻ります。

左手は玄界灘、右手は福岡市の中心部が伺える感じで、夜景がきれいな予定でしたが、曇っているのでいまいち。
ただ、もともと距離があるので、真っ暗な玄界灘を見た方がいいかもしれません。

この先は大岳・西戸崎と進みますが、バス停で少しずつお客を拾っていきます。天神まで最大520円なので多少時間はかかれども、そのまま西鉄バスに乗っていく人が多いように見えます。
その後西戸崎の駅前に寄り道をしてから、県道59号へ戻ります。実際、駅へ行く人はいませんでした。
その先も県道59号を直進します。先ほどの鉄道と一緒で海に近いものの、直接見える場所はありません。住宅街の中という感じです。

国道495号との交差点を右折すると、そのあとは国道3号に合流し、ずっと直進です。
この区間は西鉄バスが一杯あって、このバスも乗り降りが多かったです。
見送る人も結構いるので。使い分けがされているのでしょうが、地元民ではないのでさっぱり。
交通量の多い国道でロードサイド店も多いですが、意外と流れはスムーズでした。
まあまあ飛ばしてくれるので乗り心地も悪くありません。都市高速経由でバイパスする便(21A)も午前にはあったので、それならまた別の面白さがあったでしょう。

博多区に入ってすぐの千鳥橋交差点を右折し、ついに国道と別れます。石城町へやや迂回するような感じで回り、昭和通りへ入ります。ここからは直進し、中洲を通って天神につきます。私は、天神四丁目で降りましたが、バスは三丁目まではいくようでした。

西鉄自動車事業本部 370系統 天神~都市高速経由~上宇美


さて、天神で居酒屋に入りもつ鍋と明太子や刺身などを食べましたが、あえて飲まなかったのは、まだ仕事が残っているから。
ということで、先ほど乗れなかった香椎線の南半分を埋めに行くために、宇美駅へバスで向かいます。

先ほどの天神四丁目のほぼ向かいの天神日銀前から宇美方面は出発しています。
今回は都市高速を通る370系統です。
都市高速経由ということで、どんなのが来るのかと思ったら、普通のスペースランナー。ワンステ車ですが、ごく普通の路線バスです。

先ほどと同じように昭和通りをすすみ、大博通りには曲がらずそのまま直進後に、国道を右折し、千代ランプからいよいよ都市高速へ。

高速道路に路線バス(高速バスではない)というシチュは萌えるのですが、そもそもシートベルトの問題があったりで難しいものです。
都市高速は最高速度が60㎞なのでシートベルトはなくても立つのもセーフです。
東京だと首都高を走るバスは、京急に1系統あったくらいだったはずなので、珍しいです。が、福岡では割と一杯あるようなので、機会があればいずれまた。

そんな最高速度なので、そこまで早くはありませんが、バス停もなく60㎞出せるのでスムーズです。これだけ路線バスが便利だと、西鉄バスが道路を占拠しているのもうなづけます。

車窓左手に青いランプが点々としていて、ちょっときれいだけど何かと訝しんだら、地図を見て理解しました。福岡空港です。おそらく誘導灯かなにかでしょうか。

福岡空港の南端あたりの月隈ランプで降りて、月隈地区をバスは回ります。
時々時間調整していたりするのですが、降りる人が多く、通勤に使われていることがわかります。
月隈団地で、この先市内パスが使えないとのアナウンスがあると、何もそれらしいものは見えませんでしたが、志免町に入ります。
志免町に入っても市街地が続いています。やや手狭な県道68号線を進み、宇美町へ入ります。宇美八幡宮が見えてくると、終点の上宇美はもうすぐ。回転場付きの上宇美バス停に入ると、バスはそのまま回送で戻っていきました。

香椎線 宇美~香椎


上宇美バス停から少し先へ歩くと、香椎線の宇美駅に到着します。
やってくるのが、先ほどと同じくキハ47系です。
真っ暗であたりも見えないので特に語ることもないのですが、地図を見る限りは福岡市の郊外部で、特段のものはないと判断して、夜間に埋めることにしました。
バスは明るい道路を通るので、夜でもある程度の視野が確保はできるのですが、鉄道は本当に真っ暗になることが多いので、夜間に進められないですね。
2018年12月15日土曜日

入管法改正に寄せてー日本における外国人とは

序文


先般、「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」が成立し、外国人を労働者として受け入れるということになった。これが一時的な労働者なのか移民なのかという神学論争は放っておくとしても、外国人を日本社会にどのようにし、受容していくのか、或いはそもそも受容することをしないのか、改めて考えて行きたい。

前提として申し上げるのは、筆者は「日本は日本人のもの」派であり、ジャパンファーストである。あくまで日本人社会において、プラスのある限りにおける外国人の受容を考慮するものである。

そもそも外国人を受容する必要はあるのか


日本ではこの手の議論はまず見たことが無い。
その理由としては、観光客を入れて内需の減少を補う、人手不足(高齢化)で労働者が足りないので労働力を補う、多文化共生社会を実現する、といったところだろうか。

前者2つは功利の問題であり、主に企業家のサイドから出ていることであり、最後のはリベラルと言われる論壇から出現しているものであろう。

功利の面は、結局のところ少子高齢化の中で現状維持を図るためということになる。しかし、社会が変化していく過程で(変化しない方がおかしいが)、現状維持をするための方法を模索するのは、既に終わっている状態といえるし、外国人を受容することで社会が変化するのもまた必定なことを考えれば、天に唾する愚行であろう。

観光客の増加については、既に多くの人が感じていることと思うが、外国人観光客が増えたことで、却って日本人が出かけなくなった。それは日本人がそもそも貧しくなったということもあるかもしれない。
また、昨今は「観光公害」などという言葉も出てきた。観光客が殺到することで、市民生活が破綻するも一部の観光業等だけが潤い、地元にはお金が落ちないので負担だけが住民を襲うなどといった事態だ。これは、外国人を受け入れるまでに稀であったことである。
観光業にしても、外国人が増えることで、外国企業が買収したりと、結局内需は増加せず、国内で外国人が踊っているだけではないかという事態になっている感もある。

次に労働者不足はどうだろうか。
これについては、先賢から既に厳しい指摘が多く、拙文で今更述べることでもないのでポイントを絞るが、日本の労働力の硬直性や産業の新陳代謝が進まないことに問題があるだろう。
つまり、日本企業は余剰人員を抱えることで生産性が低く、生産性が低いことにより安い労働者を必要としている。安い労働者を国内から補うと、その安い労働者は消費できないため、さらに日本企業の売り上げ(内需)が下がると、生産量を減らし余剰人員が増えるという負のループに入っていると見ていい。
そのループを30年も繰り返した挙句、ついに少子高齢化で破綻し、(よいかどうかはわからないが)変化が始まろうとしているということを念頭に入れたい。
そこで外国人を安い給料で使うということが定着してしまうと、負のループの継続に手を貸し、衰退先進国へと一直線である。
規制を緩和し市場に任せれば、そのような企業が脱落したり、リストラが進むことで、労働市場に人が集まる。また、規制緩和や制度改革によって公務員も減らせれば、さらに集まる。
もちろん、人は簡単に全く違う職につけるものでもなく、企業としても無能を雇って-になるより、人手不足の方がマシということもあるので、簡単なものではない。しかし、解決策としてAIや自動化に投資するようになれば、それもまたよいだろう。痛みがあったとしても、負のループを続けるよりは、よい未来の可能性があるということだ。

最後の多文化共生については、現状多文化強制になっていると思う。
外国人に同化を強いるのは無理があるが、かといって無際限に外国のやり方を持ち込まれては、我々日本人の安住の地がなくなってしまう。法的な人権だけでは済まない、文化的な問題があるが、それを無視して一方的に押し付けるから、リベラルに対する反動として異分子排除を目的としたナショナリズムが生れていると思う。これは本来の意味でのナショナリズム(自分の生れた、所属する国や地域、社会を尊重するもの)とは違い、危険なものだ。
また、多様性は日本に移民として入れることでしか得られないものではなく、また外国の文化を一方的に受け入れることではないは強く指摘しておきたい。唐との付き合い方を鑑みると分かりやすいだろう。唐の文化の優れた点を受け入れながら、日本文化を築いていった。さらには明治維新における西洋文化の受容もある。日本の歴史には好例があり、多様性に関しては、多く先人の知恵に学ぶこともできるのである。

今後の外国人受容について


先ほどの内容から、今ここで外国人を受け入れなければいけない理由はないことをご理解いただけたかと思う。
一方で、この法律が成立する前から既に、外国人は日本に多数、様々な形態で来ている。
その中で日本のよさ、生活環境、安全を守りながら、上手くやっていく方法を示したい。

外国人に保証する人権を定義する。

実習生の問題が話題になっているが、労働者を通り越して「奴隷」と表現すべきような扱いがなされている。これは、世界における日本の評判を毀損するものであり、それ以前の問題として「人間が人間に対し為すこと」ではない。そのような野蛮な文化は日本にない。まずは、人間として基本的人権を保障したい。

一方で、彼らはやはり「お客様」である。日本人ではないのだから、参政権や社会権に該当するものは与えないというが当然であろう。例えば、職がなくなった外国人には、お帰りいただくのが基本ではないか。就労支援をするにしても、期限と内容を定めて、無職の外国人というのが存在しないようにする。これが、治安を守る上でも基本中の基本であろう。
自由権にしても、日本国憲法には「公共の福祉」という便利な言葉がある。私は曖昧で好きではないが、日本社会の安寧と秩序を保つために、認められない文化というのは、当然出てくるので、覚悟は決めた方がいい。

外国人による受益者からのそうでない人への負担

観光客のことでも触れたが、必ず外国人受容における受益者とそうではなく負担がかかる人は出てくる。とすれば、受益者に相応の負担をさせるべきであろう。その負担から、外国人を受け入れる基盤を作ることにより、日本人にも訪れる外国人にもよい環境を作りたい。
例えば、医療や失業保険。これは、日本人のためとは目的が違うので、別枠が妥当だだろう。また、各種手当てなどは全て日本人限定とすべきだ。
観光都市なら外国人の多い観光スポットから徴税して、インフラ整備をする。国・地方にも枠組みつくりは必要でコストは別にかかるから、外国人雇用税などを企業から徴収するのもよいだろう。経済合理性から見ても「まず日本人を雇う」という方向になりやすく、前述の負のループを延命するというデメリットも緩和されるかもしれない。
医療ツーリズムなどもあるが、これも国保からお金が出ているとか日本人患者より優先して外国人を入れるというのは、言語道断であり、規制が必要であろう。

外国人犯罪への対処

残念ながら外国人を受け入れると犯罪も増えてしまう。それに対する警察や入管の体制は貧弱であるし、法律整備も追いついていない。特に徹底してもらいたいのが犯罪者の永久追放であろう。個人的には、外国人を刑務所に入れることに強い違和感がある。刑務所は矯正施設というのが本来(建前かもしれないが)であり、隔離施設ではない。
しかし、外国人犯罪者はそもそも異物なので、矯正ではなく追放が正ではないか。死刑に処すべきテロリストや帰国させることに不利益があるスパイは別としても、それ以外は判決確定と同時に強制送還等による追放をし、それを拒否する国に対しては全面的な人的移動の停止をも辞さない対応をするべきではないか。
このような不逞外国人の存在が、大多数の善良な外国人のイメージを悪化し、差別を引き起こしているわけで、本当の多文化共生社会を目指すなら、覚悟を決めるべきだ。
また、スパイ防止などの不備や麻薬などの有害物の持ち込みへの甘さが問題になっている。こちらも死刑を含めた厳しい刑罰を最高刑とするようにしたい。

外国人・外資規制

このように外国人を受け入れていくにしても、それが適当ではない仕事、分野というのはやはりある。一番大きいのは国防・治安維持の分野だろうか。参政権や表現の自由に強い影響を与える可能性を持つマスメディア・出版・通信事業等も昨今では見逃せない。このたび民営化ということが許可されていく水道やインフラ系の事業、資源管理などが重要な農業・漁業など、外国人材・資本を受け入れることへの懸念がある分野は多数あることも事実だ。
このような規制は、安全保障上の観点で許容されるものであり、管理された適切な外国への開放という意味で、日本社会にメリットが大きい。
無秩序に外資が荒らしまわった結果の、水道再民営化みたいなのは避けるべきだ。

永住許可の廃止

最初に申し上げるが「永住権」は我が国に存在しない。「永住許可」である。
私ははっきりいってこの許可は不要だと考えている。本当に永遠にいるのであれば、後述をするが「帰化」すべきであるし、逆に日本人として一生を過ごす覚悟がないなら、然るべき時に帰国してもらうべきである。
日本には在日○世等と言う人たちがいる。一世とその子供である二世くらいまでならわからなくはない。実際にはその先まで居るのである。そこまで日本に居て「帰化」も「帰国」も選ばないということは、国籍国と日本のいいとこ取りを目論んでいるのだろうか。はっきりと外国人には無際限の自由はないと告げるのが道理であり、在留許可を定期的に確認することで、判断を求めるのが正解だろう。

帰化要件の確立

さて、ここまで外国人を受け入れると「お客様」を卒業して、日本を終の棲家にしたいという人も出てくることと思われる。
しかし、現在の帰化には問題が大きい。全くの私見だが、帰化したにも関わらず元所属国をファーストに考えていると見られる人物がいる。しかも、選挙に出馬して当選していたりする。米国には「Oath of Allegiance」があるが、そのような制度はないのか。あったとしても、嘘をつくのが常態化しているようだが。
帰化要件についてももっと議論をした方がいいと考える。
現状に追加するべく、私案を一応記載してみる。
  • 日本国への忠誠を誓う(国旗・国歌・元首・憲法)。
  • 帰化時の資産要件の大幅強化(日本に安定した基盤を持っていること)。
  • 帰化しても一定期間(最低10年)は、犯罪等での取り消しを可能とし、また政治参加を認めず、社会保障を制限する。
  • 元国籍の完全な離脱。
  • 上記を違えた場合における、帰化取り消し及び永久追放。
  • (犯罪が多い、安全保障上の懸念等による)特定国からの帰化を拒否を可能とする。
厳しいことは厳しいと思うが、国籍を変えるというのは、職場を変えるような気軽なことではないと思う(この辺は文化・国家によって違いがあっていい)。

最後に


残念ながら受け入れた外国人に対してどうするかという視点のないまま受け入れる制度だけが作られている実情であり、「欧州の失敗」(と見てよいだろう)を繰り返す可能性が非常に高まっている。その上に、日本経済の失敗である負のループを延命させるリスクも強く懸念される。

その中で愚考ながらまとめてみた次第である。重要なことは、決まったからと諦めるのではなく、よりよい社会のため、個々人が声をあげ、成すべき事に励むしかなかろう。


※本稿は、特定国・民族を差別する意図はなく、そのような揚げ足取りがないよう、個別具体的な事例の例示をなるべく差し控えている。そのため、抽象的で分かりにくい点があることを、ご賢察賜ると幸いである。

2019/03/30 誤字修正