2022年7月28日木曜日

安倍晋三元首相の暗殺と政治と宗教の関わりについて

安倍晋三元首相のご冥福をお祈り申し上げます。


はじめに


参院選中に起きてしまった安倍晋三元首相の暗殺事件と、参院選の結果について語っていきます。


暗殺について


この件、報道では「銃撃」とか「銃で撃たれる」、「倒れる」といった内容でした。

それも間違いではないけれど、安倍元首相を殺害するという行為に、本人の供述はともかくとして、政治的な意思・意味が無いというのはあり得ないわけで、これは暗殺というほかないのです。

銃撃はまだマシとして、倒れるという見出しはさすがにおかしいと思いました。私が見た第一報のそれはNHKで「倒れる」とあったので、熱中症にでもなったのかと感じましたからね。別の通信社の記事で銃撃と知りました。

余談ですが、亡くなったことの正式発表前に、SNS等に書き込んだ人物がいたようですが、それは論外だと思います。本人と近しい関係にあったとかいうのは理由になりません。死者や遺族への冒涜でしかないです。実際、昭恵夫人が到着されてから蘇生を断念して死亡となったわけで、これは普通に病気で亡くなる場合でも遺族が到着してから死亡の判断を医師が下すもので、この事件の特殊性ではありません。

私には、倫理観がないか、あるいは常識が無いかのいずれかとしか思えませんでした。


統一教会と犯人について


既に報道されている犯人の過去が事実としたら、一定程度の同情はあると思いますが、それはともかくとして、統一教会への報復を企てたということと、今安倍元首相を暗殺することになったという点については、大きく2つの疑問があります。

  1. なぜ、このタイミングなのか。犯人の母親の自己破産からは20年程度の時間が経過している。
  2. 教団関係者ではなく、安倍元首相がターゲットなのか。
前項の仮定(報道による犯人の情報がすべて正しい)の上で、考えると統一教会への恨みという動機を肯定できますが、既に犯人は成人しており、一人で生計を成り立たせることは可能であり、さらに週刊誌ベースであれば親族の支援もあったとか。

今ここで復讐を実行に移すのかというタイムラグの問題は気になります。とはいえ、これ自体は個人の感情ですから、ロジックとしておかしいとしても、別に本人の中でそうであれば、あり得ることなのかもしれません。


そこで問題になるのがターゲットが教団そのものやそこに入れ込んだ母親ではなく、安倍元首相であったことであり、そしてそれが選挙期間中であったことです。

安倍元首相と統一教会の関係については、ここでは割愛します。情報が錯綜していることが一つ、もう一つは犯罪者の中では(合理的に考えるのならば、そもそも犯罪はしないでしょう)、どんな些末なことであっても結びつき、そしてそれが固定化するということはあり得るからです。

一つの見方としては、中途半端に教団の関係者に手を下すよりも、程度はともかくとして完全否定できない程度には安倍元首相には関係があったから、こちらを狙った方が効果的(大ニュースになる)だという読みです。

もう一つの見方は、統一教会への恨みそのものが隠れ蓑であって、実際には別の目的があるということです。

統一教会への恨みで説明するには非合理的な点があること。安倍元首相には政治的に大きな影響力があり、かつ強力なアンチも存在することから、危害を加えることを企図する人や集団は存在し得ること。さらに、敵性国家、とりわけ支那や北朝鮮にとってみれば、国防の予算の増加といったタカ派的政策の主張と諸外国への強力なパイプ(奇しくもこの暗殺で証明されました)を持つ安倍元首相の排除は大きな利益であること。

これらのことから、統一教会への恨みよりも遥かに安倍元首相を暗殺する理由を説明できる動機があるのです。これを示唆するような報道が東スポにありましたが、他社の追随や続報がありませんので、真偽は定かではないです。

さらに、事件発覚からあまりにも早く統一教会(大マスコミでは名前は出ていない)に繋がったことも、違和感を禁じ得ません。


これらの疑問は捜査過程で解明されることを強く期待しますが、1つ注文と1つ注意を述べておきたいです。今は、奈良の所轄で捜査しているようですが、政治的案件をその辺の県警レヴェルで捜査して、能力が足りるのでしょうか。また、県警は既に警備で失敗しており、事件を矮小化するインセンティブが働く可能性も否めません。公安案件だと思うのですが。

注意点については、これに伴う陰謀論です。先ほど私も述べた通り、「統一教会への恨みで安倍元首相を暗殺するのはおかしい。背後に何らかの政治的意図があるはずだ」と考えることには一定の合理性があります。しかし、陰謀論というのはそういう「納得しやすいストーリー」をベースに展開されるものです。そうでなければ誰も信じませんので。

既に保守(とされる)界隈では、トランプ氏が大統領選挙で再選に失敗した時の反省もしていないような、専門性どころか情報の精査すらできていない自称「言論人」とやらが、かつての失敗を繰り返そうとしています。

疑問を持って批判的に世の中を見ることと、現実が見えなくなることは紙一重かもしれないので注意しましょう。


最後に、何が理由でも、どういう過程があったとしても、この犯人は死刑以外あり得ないです。永山基準では1人を殺害した場合、無期懲役以下となっています。命に軽重を付けるのは倫理的に正しいことではありませんが、そうだとしても安倍元首相の影響力、政治的意味合いを考慮した時、単なる1人の殺害と片付けるのは、不合理でしょう。


国葬について


岸田首相は、安倍元首相の国葬を決定しました。これは結構なことだと思います。

私は国葬をやる最大の理由は諸外国の反応だと考えます。安倍元首相は在任期間の長さもそうですが、氏の最大の功績は諸外国との関係にあるわけで、海外要人の反応や弔問を見れば、如何に日本の総理大臣としてはすごいことをやってのけたのかわかると思います。

国葬をやれば各国から要人が訪れることは明白であります。その際に、安倍家や自民党の名前で適切な応接や警備が可能でしょうか?国葬として政府が取り仕切る他ないです。

(まぁ、その警備でやらかした結果が暗殺なのですが……)

国費で出すことを問題視する向きもありますが、国葬は要人が多数訪れることが見込まれ、外交の場になります。政治利用と言われるかもしれませんが、政治家とりわけ現役の議員でもあった安倍元首相の死が政治利用されないことの方がおかしく、如何なる名目とはいえ多数の要人が日本に集まる場というのは貴重ですから、その場をフル活用することは国益にかなうわけです。私個人の感想ですが、国葬を活用して、安倍元首相が持っていたパイプや外交的レガシーを引き継ぐようにしていくことが、亡くなった安倍元首相にとっても供養になるのではないかと思います。

国内的には安倍元首相とは政治的な見解を異とする人も多数いますし、賛否が分かれることを推し進めてきた以上、ネガティブな印象を持つ人が居ることは理解できます。むしろ、それが本当に政治家として仕事をしてきたということでしょう。だとしても、上記で述べた通り諸外国とのパイプを維持・強化するというイベントだと思えば、費用対効果の優れたものであるわけで、言い方が卑俗なものになりましたが、それで納得して静かに見守っていただきたいものです。


ちなみにサヨクは執拗に国葬に批判していますが、国葬をやったからといって全ての国民が安倍元首相に弔意を示す義務があるわけではありませんので、何らかの自由に反しているというのは理屈が通りません。左翼政党の親玉でさえもコメントでは一応弔意を示しているわけで、人間としては何はともあれ長い在任期間、国民多数の支持を得て、一定の成果を出してきた安倍元首相に弔意を示すのは、政治的信条の違いに関係なく当然と思いますが。

もう一つ政教分離についてですが、詳細は憲法を引用し後述します。しかし、国葬は宗教行事にならないと思います。逆説的な言い方になりますが、政教分離で叩かれることは想定内なので宗教色のないようなやり方をするのです。

宗教色を抜いて個人を悼むという行為そのものにフォーカスをすれば、戦没者の追悼や災害の犠牲者への追悼などが既に行われているわけで、これが安倍元首相ではいけないというのは、理屈にあわないのではないでしょうか。実際に地鎮祭は社会の一般的慣習として合憲という判例がありますので、一般的慣習の1つである追悼そのものが政教分離に反するという解釈は通らないでしょう。


政教分離


国葬の点でも触れましたが、政教分離という単語がこの事件ではよく出てきました。安倍元首相と統一教会の関係、国葬の実施について等です。

なので、政教分離について確認しておきたいと思います。以下、条文です。

第二十条

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 第八十九条

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。


ちまたで語っている人がこの条文をそもそも読んだことがあるのか、たまに疑問があります。安倍元首相がどの程度、統一教会と関係があったのかという点については、情報が錯綜しており、断定的に言う事が出来ません。

もし仮に、政治家に統一教会の信者がいたとしても、統一教会が票集めをしたり、あるいは選挙とかの人的リソースを提供しているような議員が居たとしても、この条文には当てはまりません。

理由は簡単で、この条文の意味は、個人に対する信教の自由を保障する側面と、特定の宗教に国家が特権を与えることを防ぐ(戦前の国家神道に対するもの)だからです。具体的に違憲になったものをみれば、特定神社への玉串料の支出(県から)などです。

多くの人は、宗教団体の政治活動が否定されると思っているので、話がおかしくなるのです。公明党や幸福実現党が最もわかりやすい例ですが、実際には大小さまざまな宗教団体が政治家への働きかけを行っているわけで、そのことそのものを問題とするのはやや無理筋であるというのが、私の考えです。

政治家は票を得て当選するわけですが、当然1票1票を求めて空中戦を戦うよりも、団体の推薦なり支援なりを得る方が、手軽に1票を得られることは間違いないわけで、ある意味政治家が団体に影響されるというのは、民主主義の仕組み上避けがたく、また宗教という求心力のある団体はそれだけ強いのです。

もし、それが嫌だと思うのならば投票率を上げて、特定団体の票だけでは勝てないようにしていく他ないのではないでしょうか。


統一教会と今後の政治について


統一教会そのものについては、私も詳しいわけではないです。そのため、この宗教がどのような問題を孕んでいるのかという点について詳しい指摘はできませんが、既に欧米ではカルト認定されており、弁護士やジャーナリスト等から多数の指摘があり、今回の容疑者の家庭環境も事実とすれば、統一教会そのものが問題なしとは言えないでしょう。

また、反日的な敵性国家である南朝鮮の新興宗教がこれほど日本の政界に影響を与えているのではないかという話自体が、一般的な日本国民からすれば不愉快極まりないものです。さらに、敵性国家の影響力が日本の政治に直接影響を与えているルートの一つであるのならば、当然シャットアウトする他ありません。

そう考えると、以下の2つのテーマが今後、重要になってくると思います。

  • 統一教会を含むカルト宗教との決別、関係の清算
  • カルト宗教の取り締まり
まずは現職の議員(とりわけ自民党に多い)で、統一教会と関係があるとみられている人は、その関係を明らかにすべきです。その上で、関係を清算するのか、統一教会は問題ないから関係を継続するのかは、一応自由なのかもしれませんが(カルト宗教と癒着する自由が議員にあるのは心情的には納得しない)、ここを明らかにしなければ、何も始まらないと思います。

ただ、講演に出たとか電報を打ったとかで関係者認定を安易にしているのもどうかとは思います。先ほども述べた通り政治家の習性として100%賛同していないところにでも挨拶に行くのは普通ですので。統一教会の信者数を考えると、票はそこまで多くはなく、政治家に与えている影響力にも限りがあると考えるのが自然です。どこまでを許すかは情報公開の上で、有権者個人が判断すればいいことですが。

もし、統一教会との関係を曖昧にして進むのであれば、自民党には退場いただく他ないでしょう。


次にカルト宗教を取り締まるためのきちんとした法的根拠を備え、統一教会がそれに該当するのであれば、処分すべきです。宗教法人は税金面等で優遇があるということもありますが、そもそもカルト宗教は一般の国民の生活に問題があるわけですから、宗教法人として認定することに問題があります。信教の自由はあるものとしても、他者に危害を加えることを含めて認められるものではないのです。

そもそも団体を監視することそのものが、個人に対する信教の自由を侵害するものではなく、宗教法人と認定されなかったとしても同様です。そう考えれば、早期に監視・規制を行って、団体、あるいは違反する個人に対して罰則を作ることは何ら問題ないどころか、法治国家として必要でしょう。

それにしても、日本にはオウムというカルト宗教があり、その宗教団体が悲劇的なテロを起こしたにも関わらず、根本的な対応の取られないまま今日まで至っていること自体が問題だと感じます。全く陰謀論になりますが、統一教会や一部の宗教団体の支援を受ける政治家たちがあえて放置してきたのではと思ってしまいます。