生前、マルクス自身が改訂・加筆をおこなった唯一の『資本論』の入門・解説書。1873年、ドイツ社会民主労働者党の活動家モストは、獄中で『資本論』第一巻を抜粋しながら平易化した『資本と労働―カール・マルクス著『資本論』のわかるダイジェスト』をつくった。
はじめに
カール・マルクスと言えば、共産主義の生みの親として一般には考えられていると思います。実際のマルクスは、ヘーゲル哲学を出発点として、社会主義革命に到達しています。
その中でマルクスが資本主義を観察し、批判的に研究した結果が資本論となります。
本書はその資本論を、ヨハン・モストという扇動家が労働者向けにしたパンフレットが元となり、マルクス自身が手を入れたものになります。
内容は、資本論の第1部のものになり、資本の生産過程を論じられている部分になります。
あらすじ
商品と貨幣
資本主義における富を表す形態の1つとして「商品」が存在するとします。
この商品には、人間の何らかの欲求を満たす「使用価値」と商品同士を交換する際に測る「交換価値」の2種類があるとされ、このうち「交換価値」は商品を作り出されるときに費やされる労働からなっているとします。
つまり、
原料 → 商品
↑労働
ということになります。
そして、生産物の交換は、貨幣に仲立ちされることにより、生産物→貨幣→生産物と転化していきます。買うための生産したものを売りと売った後に必要なものの買いが行われます。商品のこのような運動の全体が、商品流通となります。
では、資本家とは何かというと、貨幣が流通の外部に取り出され、留め置かれると、蓄蔵貨幣の形成が行われ、その結果として貨幣→商品→貨幣という流通形態が発生します。
つまり、
原料 → 商品
↑労働
ということになります。
そして、生産物の交換は、貨幣に仲立ちされることにより、生産物→貨幣→生産物と転化していきます。買うための生産したものを売りと売った後に必要なものの買いが行われます。商品のこのような運動の全体が、商品流通となります。
資本と労働
では、資本家とは何かというと、貨幣が流通の外部に取り出され、留め置かれると、蓄蔵貨幣の形成が行われ、その結果として貨幣→商品→貨幣という流通形態が発生します。
貨幣が流通の起点になっている場合、後に出現する貨幣は何度でも同じ運動ができることになり、これが資本家になるのです。
資本家にとっては、商品の使用価値が直接の目的ではなく、ひたすら利殖するという無休の運動が目的であり、抜け目のない貨幣蓄蔵者であるとします。
この利殖を上げるためには、流通の外部で剰余価値を生み出さなければなりません。
市場で消費することによって価値を創造する商品こそが労働力であるとします。
人間が労働力を売りに出すためには、労働力を自由に処分でき、自由な人格を持って、労働力を時間極めで売ることができる必要があります。労働力を一度きりで売り切ってしまえば、それは奴隷です。
このように自分の時間を労働市場で売る状態になるには、
- 自分の労働を商品に体現させるために必要な生産手段
- その商品が売れるまで生きていける生活手段
これは、自然法則で生まれたものではなく、歴史的変遷や経済的・社会的変革の結果創造されたものだとします。
また、労働力という商品も他の商品と同様に、生産に必要な労働時間により決まる価値を持ちます。これは所持者の(繁殖を含めた継続的な)維持のために必要な生活手段の価値と等しいことになります。
資本主義的生産の基礎
貨幣所持者は、生産手段と労働力を買い、労働力に生産手段を消費させることで、生産手段を生産物に変えます。
これらの生産物は、生産した労働者ではなく、資本家のものとなり、資本家は市場向けに売却しますが、ここで重要なのは、商品を生産するのに必要な生産手段と労働力の価値の総額より、大きな価値を持つ商品を製造することである。
つまり、剰余価値である。
この時に剰余価値が発生するためには、労働力がそれ自身の価値を埋め合わせるより必要な時間よりも長い時間働かせるしかないということである。
資本の再生産過程と蓄積過程
資本家が1000ターラー(かつて欧州で使われていた通貨の単位)を持っていたとして、毎年200ターラーの剰余価値を手に入れた時に、この200ターラーを消費せずに、同じ条件で生産に使うとすれば、50ターラーの剰余価値を得られることになります。
この時投下する資本(リスク)は、他人の労働から手にしたものだけであり、労働者を搾取すればするほど、ますます多くの労働者を搾取することが容易になります。
このようにして資本を増大させていくことを資本の蓄積という。
考察
資本論が書かれた時代と現代では、状況が大きく異なることや、議論の前提条件となっている「商品の価値は、原料+労働力」という部分に違和感を覚える人は多いと思います。
その中でも資本主義社会というものの本質をついている部分というのが、赤字で示した4点に集約されているのではないでしょうか。
再掲すると
- 資本家は利殖を増やすことが目的である。
- 労働力も商品の1つであり、その価値は再生産を含む維持に必要な金額である。
- 資本家は剰余価値を生み出すために、労働力の価値を生み出すより長時間労働させる必要がある。
- 労働力を使えば使うほど、より資本が蓄積される。
資本論が現代の我々に教えてくれることは、実現の現実性がない社会主義というよりも、どうやって資本主義を乗りこなして良い人生を送るかということではないでしょうか。
たとえば、会社の言いなりになって朝から晩まで働くことは、会社のためにはなっても、そこで働く貴方のためではありません。
会社と労働者は、単に契約関係にいるだけであり、利害は一致しないということを知っておくべきです。
私はスキルを高めて頑張ることを否定しませんが、一方で労働者の価値が本来どうなっているのかといえば、「再生産を含む維持に必要な金額」に過ぎないのです。
スキルを高めても、そのスキルを高め維持するために必要な金額が払われるかどうかでしかないのです。高いスキルを学ぶためのお金、それと同程度のスキルを持つ労働者を再生産するに必要なお金が必要なので、スキルのない労働者よりちょっとだけ増えるだけです。
さらに一歩進むと、労働者である限りは、永遠にこの立場からは変わらないのであれば、資本家にならなければいけません。
もちろん、資本家に一直線になる方法は、少なくとも我々が狙ってできるようなことの範囲ではありません。
しかし、マルクスの時代と違うのは、そのような「資本」の区分所有者になることが簡単になっていることです。
それが株式投資なのです。株式投資をすれば(ほんのごくわずかだけれども)、自分より遥かに優秀な人間を搾取して、分け前に預かることができるのです。
株式を所有し、部分的に資本家としての収入を手に入れれば、単なる労働者とは違い、気に入らなければ仕事を辞めても生きていけるし、仕事とは別にやりたいことがあればそれに挑戦できるのです。
単に労働者の地位に甘んじるより、ちょっとでも良い人生を送れる可能性が上がります。