2019年9月24日火曜日

20190920-21:東海バスN22(N24)、I41

東海バス N22系統 沼津駅~長井崎中学校~大瀬岬





1日に平日で3本しかない大瀬岬行のバスの最終便です。
帰りにのったN24(江梨発)とあわせてのご紹介です。

沼津駅を出ると、通横町の交差点まではまっすぐ進み、御成橋を渡ってすぐに右折します。このあたりは狭い市街地の中で、地元利用者がポツポツいる中を進みます。

牛臥入口から国道414号に入り、すぐに御用邸の近くを通ります。
この奥が御用邸です。


その先の静浦漁港のあたりから海沿いとなりますが、乗った時間帯にはすっかり雲が多くなってしまい、期待していた展望を得られませんでした。

口野放水路交差点で、国道は左折し伊豆の国市方面へ向かうのですが、このバスは右折し県道17号線を只管進んでいきます。
このあたりは駿河湾の中でも、奥のほうで複雑な地形をしていて晴れていると中々よい展望ではないかと思います。

この先は三津までは南下していく形となり、内浦湾沿いに進んでいきます。
最終のN22系統は長井崎中学校経由として、重須と木負の間をトンネルではなく、脇道に入り地形どおりに進みます。
乗り降りがなかったので経由している理由についてよくわかりませんが、湾沿いを飛ばしていくので得した気分ではあります。


木負から先は、小規模な集落が点在する中を進みます。
また、このあたりから海の対岸に富士山が良く見えるようになります。本来ならば。
復路の写真の方がマシなので、載せますが雲が多すぎて、ウリの点が楽しめなかったのは残念です。



東古宇のバス停で、N25系統の戸田行と分かれます。
こちらは、このバスの後に1本だけあるレア系統で、朝に沼津行1本と夜に戸田行1本という実用性が殆ど無いような最小限の路線です。
さらに先の江梨まではバスが1時間半に1本程度確保されており、生活路線として守られていることが伺えます。


復路で乗ったときは、駐車場みたいなところで折り返し待機していました。

江梨から先はいよいよ本数の少ない区間に入ります。
実際に人家というものが殆どなくなります。
道幅は、ここまでと同様未改良の狭い区間が時々あるものの、大体はセンターラインが確保されています。



富士見台のバス停の先で県道から離れて、大瀬崎へ降りる道が狭いです。
ネットでみつけた記事だと、夏休みのハイシーズンで駐車場が混んでいると、降りずに手前で臨時バス停を使って折り返すようです。
最後は大瀬岬の駐車場で降ろされて終点となります。

東海バス I41系統 修善寺駅~伊東駅


翌日大瀬崎から戻り、適当に観光したりしながら、修善寺まで行って昨日のリベンジということで、I41系統の伊東行に乗りました。


古いタイプのブルーリボンで、前に座れるかなぁ・・・と期待したのですが、封鎖されていました。カーブの多い路線で危ないからですかね?
でも、運転士の後ろは封鎖されていないしなぁ……。なんかよくわからないですが、嫌われたものです。

修善寺駅を出ると、駅入口の交差点を左折し、県道12号を伊東へ向けて進みます。
しばらくはまばらな市街地で、田んぼや山も目だってきますが、割とのどかな感じです。

馬場沢橋を一気に山間部の様相を呈してきます。
冷川沿いに高度をあげていくと、伊豆スカイラインの冷川ICを過ぎ、冷川の交差点を伊東と案内される県道12号の方ではなく、冷川峠としか記載の無い県道59号(12号の旧道)へ左折していきます。
このあたりが伊豆市側の最後の人里で、冷川バス停で人が降りた他、2つ先の下尾野口までのバスがあります。

下尾野口を過ぎると、冷川峠区間に入り、センターラインの無い区間が続きます。
冷川峠自体の標高は高くないですが、短い距離で登って降りてとなるので、急カーブの連続となります。飛ばすタイプの乗務員氏だったので、より楽しめました。


このように路面が荒れている箇所もあり、県道12号現道(中伊豆バイパス)が無料解放されてから、この道はかなり扱いが下がっていることが伺えます。
よって対向車は多くはありませんが、この道幅なので出会うと困る場合もあるでしょう。

冷川峠を登りきると伊東市に入り、今度はまた急なカーブで高度を下げていきます。
市境の近くに環境美化センター(要するにゴミ処理施設?)があり、大型車の出入りがあるのか一瞬だけ道が整備されますが、ホンダ研修センターのところで元通りになります。

観光荘からはバスの本数が少し増え、住宅地に入ります。
このあたりは、伊東の市街地が眼下に良く見えます。



その先の伊東市民病院でさらにバスが増えます。
ここまで来るとほぼ降りきっていて、後は伊東の市街地を進んで、伊東駅まで行きます。
2019年9月23日月曜日

20190920:東海バスW40、C50、伊豆箱根鉄道駿豆線

今回の当初の予定は、土肥から堂ヶ島まで戻ったあと、W40→S90→I41と乗り継いで、伊東から沼津へ鉄道で移動し、N22という予定でした。
しかし、堂ヶ島の5分乗換に失敗してしまったので急遽変更した内容です。
5分乗換は無理があった気もしますが、1時間に1本なので仕方なかった面も…。

東海バス W40系統 堂ヶ島~バサラ峠~下田駅



今度は通常のバサラ峠経由の下田行です。
本来は下田までいってS90の下田~板戸一色~河津~天城峠~修善寺という長距離便をねらっていましたが、先ほどの失敗で、30分以上潰して、次の便で下田市の落合というバス停で降り、稲梓駅から河津までいくリカバリーとしました。
板戸一色~河津の間がS90しかないため、バスでは手段がないのです。

松崎までは昨日と同じなので省略します。
松崎の先にある宮の前橋交差点を左折して、県道15号線に入ります。
すぐに田んぼが目立つのどかな光景になり、桜田の交差点からは集落内に入ります。
集落内の狭い道を通りぬけ、建久寺橋交差点から県道に戻ります。
その後もしばらくはこのようなのどかな光景が続きます。


明伏バス停からは本格的な峠道に入ります。
道路脇には川も流れていて、涼しげな感じです。



しばらく登ると、バサラトンネルがあり、その先で下田市に入ります。
加増野バス停くらいまで降りると集落がポツポツと出てきます。

箕作交差点で国道414号に合流し、少し言ったところに落合のバス停があります。
大きくは乗っていませんが、5分ちょっと歩くと伊豆急行線の稲梓駅に乗換られます。
蓮台寺までいくとその分伊豆急の運賃がかかるので、ここで降りてリカバーしました。



東海バス C50系統 河津駅~天城峠~修善寺駅



河津駅まできてやってきたのは、高速バスのお下がりと思しきこれです。
実は前に座ったのはこの1回だけだったり…。
今度は横の写真が、窓ガラスが汚れててうまく撮れないという。

河津の駅を出るとすぐに左折します。河津町の市街地を抜け、町役場のところを左折し、河津川を渡ります。
渡った後は、すぐに右折すると、峰温泉があります。
鄙びた町並みですが、このバスにはさすがに手狭です。


その先の下佐ヶ野交差点で国道414号に入ります。
すぐに湯ヶ野温泉があり、ここには川端康成ゆかりの宿がある旨のアナウンスが流れます。

河津ループ橋の手前で脇道に入り、河津七滝の駐車場までバスは立ち寄ります。
脇道に下ったところで、上のループ橋を撮ってみました。


ここで殆どの乗客を降ろし、再び国道に戻るとループ橋を走り抜けます。
窓のせいですっかり見えづらいですが、非常によい景色であります。



この先は、殆ど乗降がなく、只管国道を突き進んでいきます。
天城峠のトンネルを越えると、伊豆市に入ります。

天城峠を越えて、昭和の森会館まで来るとここまでで折り返す修善寺駅からのバスがあるため、便数が増えます。
浄蓮の滝はこのあたりのハイキングコースの起点ですが、時間帯的な問題か乗ってくる人はいませんでした。

そこから降ったところに湯ヶ島の中心地があります。温泉は国道から少し離れているようですが、この辺りから乗り降りが少しありました。

その先は修善寺駅までのどかな町並みが続いていきました。


伊豆箱根鉄道駿豆線 修善寺~三島



※乗ったのは右です。

元々の予定より遅れていたので、修善寺から伊東へのバスは間に合わないため、最終的な目的地である大瀬崎を目指して、沼津へ向かうため駿豆線に乗りました。

修善寺を出るとカーブがあり、住宅が点在する中を北上するとすぐに牧之郷駅です。
その先で伊豆の国市に入り、大仁の駅に急なカーブで入ってきます。
伊豆長岡までは似たような光景で、伊豆長岡は長岡温泉や韮山反射炉などがありますが、平日のためか観光客より地元の利用者が目立ちます。

その先は田園風景を真っ直ぐ北上していきます。
大場の駅には、車両基地がありますが、そこへ入線していくところには、遮断機がなかったです。
この駅からは三島市に入り、三島田町からは三島の市街地に入って、多くの利用者がいました。

※大瀬崎へ行くN22系統は翌日の記事でまとめてご紹介します。
2019年9月22日日曜日

20190919:特急踊り子、東海バスW60、東海バスW39

夏に出かけられなかったので、穴埋めやそろそろ引退になりそうな185系や乗り潰しマップで空いている伊東線と伊豆急行線の存在、フリーパスのある東海バスと色々あって伊豆に出かけてみることにしました。

特急踊り子 品川~伊豆急下田



比較的見慣れている185系ですが、よくよく考えると乗るのは初めてでした。
東海道線の沿線に住んでいればライナーもあるので、乗るのでしょうけども。

品川から乗車し、2号車の進行方向左手窓側の席を取りました。乗車率からすると正直自由席でいいのですが、どうせ払うなら伊豆で海側になる方がいいじゃないですかということです。


ちょうど多摩川を渡る時にデッキにいたのでドア越しに1枚。

東海道線は早川を過ぎると海が見えるようになってきます。


少し雲が目立つものの、天気は良いので見晴らしはよいです。
窓も開く車両ですが、トンネルが多いので開けない方がいいと思います……。

熱海では修善寺行との切り離し。
2両目にいたので、切り離しを見に行くことはしませんでした。
下田行は、伊東線から伊豆急行線に入ります。
今回乗ったのはこちらですが、修善寺行きも踊り子には存在し、東海道線を三島まで行って、伊豆箱根鉄道の駿豆線に入って修善寺に行きます。

伊東線に入ると、険しい地形なのでトンネルと海沿いが交互に来るような感じで、これは伊豆急行線もほぼ同じなので、運賃以外一体のような印象を受けます。
伊東駅まではJRの伊東線で、それから伊豆急下田までが伊豆急行線です。

伊豆急行線に入ると、行き違いで停車する場面が増えてきます。
その途中でスーパービュー踊り子と行き違いました。


見晴らしがよい座席がウリの車両で、185系より特急らしいです。



アナウンスでは、伊豆諸島が見える旨がが流れます。
これは伊豆大島?……かな。たぶん。
アナウンスによると、神津島くらいまで見えるようです。

伊豆稲取でしばらく停車時間があったので、そっとグリーン車を見てきました。


おっさんが1人いただけでガラガラでした。正直、足置きがあるとかちょっとすわり心地が良い様な気がするとかくらいしかないので、グリーン料金は……出しづらいですね。
指定席ですら空いていますし。

今井浜海岸駅を過ぎると内陸側に入っていき、河津駅の先で長いトンネルを越えると下田市に入って、終点の下田につきます。

東海バス W60系統 下田駅~下賀茂~堂ヶ島




下田駅から堂ヶ島へ行くバスは、通常はバサラ峠経由と呼ばれる、下田市から直接松崎町に入っていくルートが殆どです。
1日1往復だけ、マーガレットライン経由と呼ばれる、南伊豆町を通り国道136号マーガレットラインを通る展望の良い路線です。
ただ、見ての通り燃料タンクに邪魔されたバスですが。。。今回はコイツに悩まされます、苦笑。

平日で観光客も少ないのですが、バサラ峠経由の堂ヶ島行が同じ時間にあり、観光客らしき人はそちらに吸い込まれていきました。
地元客数人を乗せて出発します。

下田駅を出ると早速国道136号に出ます。
下田の市街地を迂回するように回って、多々戸のあたりはホテルや海水浴場等がありますが、ちょっと寂れているような印象を受けます。

その先の銭瓶峠で、下田市から南伊豆町に入ります。
南伊豆町に入っても引き続きのどかな車窓が続きます。
日野(ひんの)の交差点で右折します。
直進すると海沿いに出て石廊崎の方へ向かいます。そちらの方面のバスもありますが、このバスは南伊豆町の中心である、下賀茂地区へ向かいます。
このあたりで乗降が目立ち、ここと松崎以降に利用者が集中していたので、この路線の単独区間は貸しきり状態でした。

下賀茂交差点からは一旦国道から離れて集落の中を回ります。


無理矢理後ろから取りましたが、バスが通るにはちょっと手狭です。
南伊豆町の役場もこのあたりにあり、その先の前原橋で左折して国道へ戻っていきます。
国道へ戻ってもすぐ二條の交差点で、直進して(国道は左折)外れていきます。

こちらは道は広くのどかな田園風景で、どちらかというと国道の方が大回りしているのですが、一色の交差点で国道が戻ってきて、そこには吉祥止まりのバスが止まっていました。
このバスが客扱いをしている間に追い抜いて行き、回送に変わっていましたが、少し先で休んでいました。



その先の吉田口から妻良にかけて、一気に標高を下げていくため、急カーブが続き乗り心地がよいです。ただ、例によって後ろに座っているのでそれがわかるような写真が取れなかったですが……。

降りきった先の妻良とその先の子浦は、湾内に小さな集落があるような感じです。
子浦は一旦集落内にバスが下りていき、そこから再び国道へ戻って登っていきます。



国道を登った後に集落を見下ろす眺めが綺麗でした。

その先の一丁田で、伊浜へ行くバスと分かれます。この路線とわかれると雲見入谷までは、定期便のバスはなくなります。(松崎高校の通学用と思われる学休日運休のバスが走っています)

波勝崎口が南伊豆町最後のバス停で、次の富士見農園から松崎町に入ります。
この富士見農園は、先ほどの通学用のバスも通らない(ルートは同じだと思いますが)ので、本系統単独のバス停ということになります。
次の雲見入谷は、雲見集落の外れで、ここまでは松崎からのバスが来ています。
雲見温泉というのがあり、温泉宿が小さな集落の中にまとまって存在しています。



海の方には岩が二つあるのが目立ちます。

雲見を出ると再び登りに入り、一部未改良の狭い箇所があります。
次の集落は石部温泉で、その次が岩地温泉と小規模な温泉が続きます。

道部の交差点を左折すると、長八美術館があり、ここからは松崎の中心地に入っていきます。
松崎のバス停は、ターミナルになっていて三島・修善寺への特急バス(といってもバイパスを通るものですが)等も発着する拠点になっています。
このバスにも数人が乗ってきました。

松崎を出るとすぐに西伊豆町に入ります。
仁科車庫は西伊豆町の役場の近くで、この辺りが市街地になります。
その市街地を抜けると、すぐに堂ヶ島のバス停に着きます。


東海バス W39系統 快速 松崎~修善寺

※乗ったのは堂ヶ島~土肥温泉



土肥温泉に宿を取っていたので、移動のため乗りました。
W39系統は修善寺~松崎の快速バスと三島~松崎の特急バスがあり、西伊豆を代表する長距離路線であります。
そこにこのノンステ……1時間半以上になるので乗り心地はお察しですね。
後ろでも楽しいっちゃ楽しいんですけど、写真を撮るとなると前面が欲しいのですよね。

この路線の快速が指すところは、堂ヶ島から宇久須までの西伊豆町内で国道を真っ直ぐ走るということで、一部の集落に入らずにバイパス○○という国道上の停留所にしか止まらないという意味です。

堂ヶ島を出るとつば沢バス停から先は内陸に入っていきます。
田子入口で普通便と分かれます。
国道はトンネルが多いので、展望や乗り心地という面では、普通便の方が面白そうです。

田子集落の次は、安良里集落でこちらも同様に国道を進みます。こちらは地図で見る限り、先ほどの田子集落より小さいようです。
その先に黄金崎トンネルという長いトンネルがあって、抜けると宇久須の集落で、こちらには快速便も入ります。宇久須のバス停は普通便との乗継が出来るバス停ですが、乗ってくる人はいませんでした。

再び国道に戻り、賀茂トンネルを越えると伊豆市に入ります。
伊豆市に入るとすぐに恋人岬があります。
その先も観光系の建物が点在しており、海も見えるようになってきます。


その先の八木沢は小規模ながらも集落があって、八木沢郵便局のバス停だけが脇道に入ります。
八木沢の先は、海沿いを走りぬると、土肥のフェリーターミナルがあり、土肥温泉のエリアに入ります。
まとまった集落があるほか、温泉宿が多数存在します。
今回は宿をここで取ったので、下車しました。
(今回はW39の他の区間には乗っていません)


おまけ 堂ヶ島


堂ヶ島で乗換の間に、遊覧船に乗ってきました。
ちなみに東海バスのフリーパスでちょっとだけ安くなるので、利用しました。
遊覧船は天窓洞という洞窟の中に入ります。


青の洞窟と呼ばれるだけあって、太陽が射す海がコバルトブルーといった趣です。


上がぽかんと開いていて、まさに天窓が開いているかのようです。


遊歩道をあるくと、先ほどの天窓のところを覗くことができます。
ちょうど遊覧船がやってきたタイミングで1枚。
2019年9月16日月曜日

20190915:五10・五18・五30

カメラを新調しまして、ソニーのDSC-RX100M3を買いました。
なんでM7ではないの?と言われましても、中の人の腕と予算の問題なわけですが、社畜後では夜にしか撮れないので、昼間の試運転と後は増税前のかけこみもかねて、檜原村へ行ってきました。

西東京バス 五10系統 武蔵五日市駅~数馬



※終点で撮影

武蔵五日市駅に、30分も前に並んだのですが、一本前の藤倉行が長蛇の列で、さらに払沢の滝までの続行便までいて、何だか来たことを後悔しかけました。

登山客がはけたのか、この数馬行はまだ余裕のある感じで武蔵五日市駅を出ました。
駅を出ると八王子方面の秋川街道と檜原方面の檜原街道に別れ、このバスは終点まで檜原街道をほぼ西進し続けます。

沢戸橋と戸倉のバス停は、旧道上にあるため、一旦檜原街道から脇道へ入りますが、すぐに戻ります。
坂下のバス停を最後に道路沿いに建物がなくなり、森の中に入ります。
その次の十里木は、瀬音の湯の最寄(寄るバスもある)で、結構降りる人が居ました。
畔荷田のバス停を出るとしばらく何も無い中を進み、檜原村に入ります。
檜原村に入るところやその他観光スポットのあるバス停では、下り便のみアナウンスがあるようです。



檜原村に入ると、下元郷、上元郷とまとまった人の住んでいる集落があり、村役場も上元郷にあります。
また、何かのお祭のようで、上元郷地区では下記以外にも山車をみかけました。


五10系統は、本来次の橘橋交差点を左折し、檜原街道を数馬へ向けて直進するのですが、「払沢の滝入口経由(五滝)」と「やすらぎの里経由(五里)」があり、このバスは後者なので、一旦右折します。

まず、払沢の滝入口が先にあり、ここで折り返すバスも多いです。
観光客が何人か降りて行きました。
さらに先へ進むと、檜原村の公共施設を集約したやすらぎの里があり、ここの構内を回って折り返します。
ただ、休日だからか人の姿は皆無でした。
もう一度橘橋へ戻ると、今度こそ数馬へ向けて進みます。

このあたりから点在する集落が少しある程度になり、バス停の間隔も長くなります。
また、カーブも増えてきますが、道幅はきつくはないです。ただ、週末ということもあり二輪が多く、運転士は気を使うでしょう。



このようにあたりに何も見えないような場所が多くなります。

上川乗のバス停は、丁度都道33号と檜原街道の分岐点です。ここまでは、都道33号が檜原街道と呼ばれていましたが、都道33号の方は甲武トンネルを越えて上野原市へいきます。
ここからは都道206号となりますが、数馬までは檜原街道と呼ばれます(その先は奥多摩周遊道路)。

しばらく人家がないエリアを過ぎると、人里につきます。
「ひとざと」ではなく「へんぼり」です。しだれ桜が有名ですが、もちろんこの時期は何もなく。

さらに山を登っていくといよいよ数馬の集落につきます。
ここには温泉センター(数馬の湯)があり、1本見送って丁度よい時間なので、お昼も入ってみました。


写真は降りた後に撮ったものですが、正直狭いです。
温泉はぬるめでゆっくり浸かれるのですが、兎に角混んでいないことが条件でしょうか。幸い私の時はそこまで酷くなかったですが。いかれるなら平日の方が無難かも。
あと、男性風呂の露天は道路沿いなので塀が高くてほぼ展望はなかったです。
(中がせまっ苦しいから、外の方がマシかなって程度)

さて、話を戻してバスに戻ると、温泉センターの二つ先が終点の数馬で、集落の端から少し登ったところという感じです。
ここは、バックでないと入れないので、交通量が多いと大変ですが、三連休中日のこの時間でもあまり混んではいなかったです。

この後は温泉センターまで歩きで下り、そのあと折り返しで払沢の滝入口までいって、1時間の時間を滝をみて潰しました。


西東京バス 五18 武蔵五日市駅~藤倉




今度は、北秋川沿いに進んだ先の藤倉へ行くバスです。
朝方満員で出て行った藤倉行をみていたので、どうしたものかと思ったのですが、午後から行く人は少ないのか、ガラガラに近い乗車率でした。

先ほどの数馬方面とは違い、こちらは車道と言う意味では行き止まりになるので、交通量は少なめです。



このバスはやすらぎの里には寄らないので、遠くから一枚。

しばらく行くと、檜原村の郷土資料館があり、帰りの便では少し人が乗ってきました。
その次の神戸岩入口のバス停は、なにやらパワースポットとして人を呼ぼうとしているらしい、神戸岩があります。入口というだけあって、数キロ離れているようですが、まあそれなりに険しいところへ行く人にとってみれば、それは準備運動とでもいうべきでしょう。

その先の集落で数人降りた後、小岩というバス停があります。ここには元々折り返し便があったようで、バス停にも「小岩」の文字があったりなかったりします。
しかし、時刻表上はなかったので、既にそのような便はないようです。
さて、どこで折り返すのかとおもってバス停を見ていたのですが、見当たらないのでどうしたのかと思ったら、東京都の看板がある折返し場が少し走った先にありました。
とはいえ、復路で見つけても撮るの間に合わないという。

小岩を過ぎても先ほどと同じように一面森の中を、たまに集落があって進んでいきます。
一人ひとり通りていき、藤倉の手前で私一人になりました。
下除毛というバス停の先で、急に道が狭くなると交差点にあたり、右折した先に折り返し場所があり、藤倉につきます。



復路で撮った、急に狭くなった箇所。



右側のスペースに突っ込んでから、バックで方向転換してきたところ。

川の流れる音と1人のお客とその見送りだけの静かな場所で数分待つと折り返しでした。
よくバス停をみるとさらに奥の集落へいくデマンドがあるようで、なんとまあ凄いところでも人は生活するものです。

西東京バス 五30 五日市~武蔵五日市駅~菅瀬橋~福生駅



武蔵五日市の駅まで戻ってきて、さてそのまま電車で帰るには少し早いのでもう一本ということで、福生駅へ行くバスです。
2系統あって福20と五30なのですが、乗らなかった福20のあきるの市役所経由の方が本数は多いですが、こちらも1時間に1本くらいはあります。
ご丁寧に車庫から乗るわけで、また無駄なことをするわけです。

武蔵五日市の駅から1人乗ってきて、秋川街道を北上し、すぐに日の出町へ入ります。
つるつる温泉入口という交差点で、五20系統の松尾・つるつる温泉の方へ行くバスと分かれます。
さらにその次のかやくぼ交差点を右折し、永田橋通りに入り、日の出町の中心を進みます。

平井に入るとまもなく日の出町の役場があり、このあたりからポツポツと人が乗ってくるようになります。
下平井の交差点で永田橋通りから外れて、旧道に入ります。
尾崎・尾崎観音と過ぎて、経由地と表示されている菅瀬橋があり、その先で一旦狭い道を通って、永田橋通りへ戻ります。



この辺りからさらに乗る人が増えてきて、まもなく多摩川を渡る永田橋に掛かります。


永田橋を渡ると福生市に入り、まもなく福生の駅に到着します。


おまけ 払沢の滝





この日は結構暑い日だったのですが、滝の周りは涼しく感じられました。
それなりに人が居るので、あんまりのんびりともいかないのですが、喧騒を忘れられるかもしれません。
また、秋なら紅葉があるでしょうし、冬場になると凍結したりしなかったりして、また景色が変わるので、それはそれで味のあるものかもしれません。
2019年9月8日日曜日

幸福論(アラン著)

幸福論
ルーアンの新聞に「日曜語録」として連載されたのを皮切りに、総計5000に上るアランの「プロポ」(哲学断章)。「哲学を文学に、文学を哲学に」変えようとするこの独特の文章は「フランス散文の傑作」と評される。幸福に関する93のプロポを収めた本書は、日本でも早くから親しまれてきたもの。

はじめに


アランの幸福論は、プロポ(哲学断章)と呼ばれるものの中から、幸福に関する93のプロポを収めたものです。
幸福「論」というタイトルではありますが、プロポはどちらかというとコラム的なものであり、1編完結型なので、論じているわけではありません。
むしろ、アランのスタイルは体系的に論じることを避けて、ものに即して考えるというものです。
読み手もとしても哲学書を読むというより、エッセイを味わうように読み、その中で学び取っていくと考えるべきではないでしょうか。

そんなプロポから私がよいと思うものを絞って考えてみたい。


幸福論


人間が怖がると、怒りは遠からず起こる。興奮すると、すぐにいらだつ。自由に過ごしている時から、休息している時から、突然よびもどされるのは好ましい状況ではない。そういう時はよく気分がかわる。変わりすぎる。寝ていて不意に起こされた時のように、目が覚めすぎてしまうのだ。でも、人間というのは意地悪なものだ、とい言ってはだめだ。彼がこれこれの性格を持つ、と言ってはだめだ。ピンをさがしたまえ。(名馬ブケファラス)

アレクサンドロス大王は、誰も手懐けられなかったブケファロスが自分の影に怯えていることに気づいて大人しくさせたということから、恐怖や怒り、不機嫌について、「ピンをさがす」ことの重要性を語ります。

感情といえども、その源があるわけで、それがブケファロスであれば自分の影に怯えていたわけですが、自分でも他人でもやはり「ピン」があるわけです。それを理解し、探すことで怒りを避けることができるのではないでしょうか。


絶えず恐れの状態にあったらどんなことが起きるか想像するがいい。慎重さに対して慎重になるために、最後はこういう考えになるほうがいい。恐怖から生まれる心の動揺はおのずと病気を悪化させることになる。(中略)だから、病気をではなく、健康を自己の身のうえに考えて想起するがよかろう。(恐れは病気だ)

アランが第一次世界大戦に従軍していた時に知り合った、「手相を読むことが出来る」砲兵のことから、想像力と戯れたことで得た警告の話です。
病気を意識することにより、不安と恐怖が湧いてきます。医師は病気と戦う術を授けてくれるが、恐怖を癒す療法なり薬はあるかといえば無いのです。

アランの時代よりさらに医療は発展し、高度になってきました。その結果として早期発見・予防等々、病気を意識する機会というのがある意味で増えています。医療費が増大しすぎている世界で、アランの指摘は古くなるどころかむしろよりリアルなものになっているように感じます。


われわれが情念から解放されるのは思考のはたらきによってではない。むしろからだの運動がわれわれを解放するのだ。人は欲するようには考えないものだ。しかし、からだの動きが慣れてきて、筋肉が体操によって鍛えられ、柔らかくなると、欲する通りに動くようになる。不安になやまされている時は、理屈でもって考えようとするのはやめたまえ。なぜなら、自分の理屈で自分自身の方が責め立てられることになるから。(体操)

舞台に立つのを怖がっていても、演奏すると立ち直るピアニストの話から、指の運びで恐怖を追い払っていると言います。アランのこの思索よりも運動という考え方は、幸福論の中にしばしば出てきます。

「自分の理屈で自分自身の方が責め立てられる」というのは面白い表現ですが、思索を巡ると人はどちらかというとネガティブな方向に向くのが普通で、それが危機回避という意味ではよいのでしょうが、幸福という観点でみたとき思索に沈むことはマイナスになるというのは、私も理解できます。哲学書を読んで思索に沈むことは、疲れるし、よくないことにも目が行くのです。


処世術とはなににもましてまず、自分とけんかをしないことである。自分が下した決心や今自分のやっている仕事において。自分とけんかするのではなく、自分の決心や職業をりっぱにやってのけることだ。われわれは出来上がったこれらの選択、われわれ自身が選んだのではない選択の中に、宿命をみたがるものだが、これらの選択はわれわれを拘束するものではない。なぜなら、悪い運命などないから。どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となるのだ。(宿命)

この文章は非常に重要なことを示唆していて、自分と喧嘩して思索の力で無理やり違うことを選ぶということは恐れや怒りに繋がるということであり、それはすなわち幸福でないということになるのです。
そして運命はよいものにしようとする限り、よい運命になると考えることは、思索ではなく行動につながるものです。


人間は自分からやりたいのだ、外からの力でされるのは欲しない。自分からすすんであんなに刻苦する人たちも、強いられた仕事はおそらく好まない。だれだって強いられた仕事は好きではない。だれだって身に降りかかる不幸はいやだ。止むを得ないと感じてよろこぶものはいない。しかし、自分の意志で労苦をつくり出すやいなや、ぼくは満足する。(行動すること)

ディオゲネスの「もっともすばらしいもの、それは労苦だ」に対し、労苦の中に快楽を見出しているが、それは幸福と違うとし、幸福なのは自分が好きでやってることだと言います。

確かに社畜は過ぎると快楽のようになるようです。残業が60時間とかを越えると満足度があがるそうです。でも、それは強いられたものであり、幸福ではないので、ふとしたときに虚無感が襲うのでしょう。
一方、自分が決めたことであれば、それが達成感であり幸福なのだと思います。

実際、アランも別のプロポでこういっています。
仕事というものはすべて、自分が支配者であるかぎりはおもしろいが、支配されるようになると、おもしろくない。電車の運転士はバスの運転手ほど楽しくない。(ディオゲネス)
現在の社会・会社で支配者になるというのは難しいですが、何か知恵を出したいものです。


幸福はいつもわれわれの手から逃げていくといわれている。人からもらう幸福については、それは正しい。人からもらう幸福などは、まったく存在しないからだ。しかし、自分で作る幸福というのはけっしてだまさない。(アリストテレス)

幸福にして欲しいということを他人に願う人は存外多いものですが、それはきっぱりとアランは否定します。
アランはどんな楽しみも、学ばないことには得られないと言います。たとえゲームでもゲームのやり方を知らなければ、楽しめないのであって、それは何事も同じなのです。
だから、幸福も自分で作り上げるということを学ばなければならないのです。


(ストア派の思想の中で役に立ったのは)過去と未来をめぐる論である。「われわれが耐えねばならないのは現在だけである。過去も未来もわれわれを押しつぶすことはできない。なぜなら、過去はもう実在しないし、未来はまだ存在しないのだから。」それはともかく、ほんとうである。過去と未来が存在するのは、ただわれわれがそれらを考える時だけである。過去も未来も人間の臆見であって、事実ではない。われわれは自分で自分をさんざん苦しめておいて、悔恨や不安をこしらえているのだ。(短剣の舞)

幸福という観点から見たとき、変えられない過去のこともわからない未来のことも思索することに意味はないということではないでしょうか。そして、今まで取り上げている通り、思索するということはネガティブな方向にいくものなのです。それが、「悔恨や不安をこしらえる」行為になっていくのではないでしょうか。

現実問題としてまったく考えないというのは難しいですが。


人間には自分自身以外に敵はほとんどいないものである。最大の敵はつねに自分自身である。判断を誤ったり、むだな心配をしたり、絶望したり、意気沮喪するようなことばを自分に聞かせたりすることによって、最大の敵となるのだ。(汝自らを知れ)

生命の流体なるあやしい広告から始まる異色?のプロポですが、アランはこれについて、この学者先生は本人の思うより上手いのではと言います。それは、人にちょっと自信を与えことがそれで大したことだと言います。

結局、ネガティブなことを考えれば考えるほど、自分が自分を意識せぬうちに傷つけていく、それが故に最大の敵は自分なのだと思います。よく、自分が一番の敵と言う言葉自体は良く聞きますが、それに一番しっくり来る説明を与えているように思います。


人間自身がつくり出した秩序においては、信頼というものが事実の一部分をなすので、もしぼくが自分に対する信頼を考慮しないとすれば、大変な計算まちがいをすることになる。自分が倒れると思うと、ぼくはほんとうに倒れる。(中略)そのことによく注意しなければならない。良い天気をつくり出すのも、嵐をつくり出すのもぼく自身なのだ。まず自分の中に、また自分のまわりに、そして人間の世界のなかに。なぜなら、絶望は、希望とともに、雲の形が変わるよりも早く、人から人へと伝染して行くものだから。(楽観主義)

アランの思想の大きな部分を占めている楽観主義の一例です。
この前段にアランに対する批判があり、それに対して「ぼくはそれを、ただ笑っていただけだった」と書いています。

個人的には自分自身に対する楽観主義は良いと思うのですが、他人や社会、自然に対する楽観主義の良し悪しについては、見解を決めかねています。
自身の思い、捉え方、接し方に対して、他人や社会、自然に通じるのかといえば、一部はイエスです。確か他人は自分の鏡である部分があり、機嫌の良い人には気持ちよく接するし、逆なら不快感が出てきます。その面においては、アランの言うことは正しいのです。
しかし、個別具体例で見ると、これに反することというのは山ほどあって、社会に転がっている凶悪な事件なり悪質なヘイトなりを見ていると、やはり違うのだと思うわけです。


自由は人を意地悪にする。子供がそれを示している。規則のない遊びをやっていると、子供の遊びは必ず乱暴なものになってしまう。この点については、もし悪しき本能がいつも弓のように張られていて、掟がそれを抑えていると考えるとしたら、それは大間違いである。しかし、法則というのは気に入られている。反対に、法則が無いのやいやなもので、決断拒否に陥り、いらだってしまう。それによって常軌を逸した行動に走るのである。(儀式)

自由は現代社会において絶対の価値観と言われているが、このアランの文章は一見それに抵抗しているように読めます。
しかし、私は違うと思います。人間は、社会性のある生き物なので、全て自由になってしまうと決断ができない部分や誤ったことをすることがあって、そこで寄りかかる規範が必要なのではないでしょうか。
それは、決して私達が支配されるということとは同義ではないのです。社会の中で、「管理された自由」を皆が謳歌することであり、これは人間が不快になる無秩序な自由を廃し、他人の自由を尊重するためのものなのです。
なお、このプロポの後半部分には、こう書かれています。
人は流行(モード)のことを笑って真剣に考えたがらない。(中略)世間の考えが一致しているというのである。この一致こそあかしなのだ。そこから落ち着きが生まれる。安心はほんとうに人を美しくみせる。
流行の服を着て満足することがつまり、「自分で選んだ」と考えながらも世間と同じという「法則」と一致しており、人間にとって心地よいといいます。
これは、私の考える「管理された自由」と同じではないでしょうか。


礼儀作法とは、身についた物腰であり、ゆとりである。無作法な人間とは、まるで皿や置物をひっかけでもするみたいに、自分のしたいと思っていることとは別のことをしてしまう人のことである。(処世術)

アランは廷臣の慇懃さを醜いと言い、本当の礼儀作法が何かということについて、「己が意に反して、他の人たちの心を乱し、心配をさせる」ことこそが無作法だと言います。

結局は、他の人との関わりの中で、社会的には上下関係なるものがあり、それを尊重することが肝要とされますが、私としては一個の独立した個人という存在に上下なり貴賎なりは、本来在り得ないものであると考えています。そのような社会において、礼儀作法とは、アランの言う通り、自分の伝えたいことなりしたいことを適切に行うために、社会的規則なのではないでしょうか。
醜い廷臣の例に及ばず、礼儀作法とは小手先のテクニックばかりが目立ち、誤解されていると思います。


礼儀作法をわきまえるというのは、すべての身ぶりを通して、すべての言葉をつくして、「いらいらしないように。われわれに与えられた人生のこの瞬間を台無しにしないように」と示すこと、言うことである。(中略)むしろよろこびが伝わって行って、すべての摩擦がやわらぐところにあるのだ。(楽しませること)

別のプロポでは、アランは礼儀作法について、よろこびを伝えて摩擦をやわらげるということを言っています。

そうすると、自称「上位者」に敬ってあげているという慇懃無礼な態度も、彼らのような輩からすると「よろこび」なわけですが、多分それは自分がよろこびではないので、違うということなのだと私は解釈しています。


学問は遠くから眺めていてもおもしろくない。学問の世界にはいり込むことが必要だ。始めは無理にやらねばならないこともある。乗り越えねばならないものはいつもある。仕事を規則正しくすること、そして困難を、さらなる困難をも乗り越えること、これがおそらく幸福に至る正道である。(克服)

これは学問だけでなく、読書でもトランプでさえも同じように論じていますが、幸福は自分で作る方法を見つけるしかなく、その為には無理にでも初めて困難を乗り越えるしかないのです。


まとめ


アランの幸福論は、一貫して個人が努力して幸福を見つけ出すことを重要としています。
時には努力するように言われることもあり、気の持ちようだと言われることもあり、考えるな動けと言われることもあります。
しかし、一番重要な教えは、「幸福は(他者から)もらうものではなく、(自分で)つくり出すものだ」ということかもしれません。
幸福を自分で作り出すということを、目標に定めて努力している人が、どれだけいるのか。
あんまり、今の時代はいないような気がします。しかし、それが今の社会の行きづまりの一つかもしれません。
味わい深い文章と共に、考えさせられる本でした。